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第三十八話 始まりの記憶 その四

「とは、言われてもなぁ・・・」

任されたのは良いが、女の子二人を両脇に抱える訳にも行くまい。

「美耶ちゃんは、あたしがおんぶするわよ」

「待った」

薫子を止めたのは神社の境内に人影が現れたからだ。

けれどそれは、当てにしていた弟の定治では無かった。想定外の人物に、緋色がぽかんと口を開ける。


「おじさま!」

菓子折りを手に現れたのは、緋色と美帆の、そして美耶の父親だったからだ。

「なんで、父さんが今頃・・・」

「薫ちゃん、毎度の事だけど、騒がせて済まなかったね」

父はそう言って、薫子に菓子包みを差し出した。

「あら、いつも済みません。奥に上がって下さい。今、お茶を煎れますから」

けれど父は薫子に首を振った

「それは状況が終わってからにしよう。薫ちゃんには悪いんだけど、今は緋色と一緒に避難していてくれないか?」

そして、父は殊更穏やかな口調で、美帆を連れてこの場から離れるようにと息子に言った。

「じゃあ、美耶は・・・」

答えを聞くまでも無かった。

状況が終了していない。

つまり、超神はまだ滅んではいないのだ。

「定治が表で待機している。お前は協力して、この場所を空間ごと封鎖するんだ」

「だけど・・・」

父は朗らかに笑うと、息子の頭に手を置いた。

そのままクシャクシャと髪の毛をかき混ぜる。

「お前は私の自慢の息子だ。後の事は任せる」


自慢の息子。

それは以前、魔神のデットコピー呼ばわりされた息子に、父が掛けた言葉だった。

ならば、それが遺言なのだろう。

自分の代わりに家族を守れと、父には契約を果たす時が来たのだ。

両腕に姉を抱き上げる。

意識が有れば美帆は決して許しはしなかっただろう。

けれど、自分達には最早どうする事も出来なくて、だから父が此処にいるのだ。

「父さん。どうか存分に」

緋色には、そう言葉を掛けるしか無かった。


   ◇   ◇   ◇


末娘を前にして、どっかりと座り込む。

薫子が残していった夜食の皿を引き寄せると、男は握り飯を頬張り始めた。

姿こそ現さなかったが、ここ数日、超神対策の為に飛び回っていて、満足な食事を取る暇も無かったのだ。

保温ポットが有るのを見つけて蓋を開くと、味噌の香りと熱い湯気が立ち上った。

「こいつは有り難い」

熱い豚汁が身体を芯から暖めてくれる。

時刻的に作りたてと言う事も無かろうが、すり下ろしたばかりの生姜と三つ葉が散らしてあって、格別に旨く感じられた。

「しまった・・・」

こんな時になって、薫子に結婚相手を紹介する約束をしていたのを思い出す。

長く生きていると、滑るように時間が通り過ぎて行ってしまう。

まぁ、こんなに気の利く娘なら結婚相手にも困るまい。そう思い直して、箸を置き手を合わせた。


すると、主人の食事が終わるのを待っていたかのように、猫の姿が現れる。

「ファウスト、全ての準備が整いました」

肩に飛び乗った相棒に頷くと、猫の姿を持った機械生命体が、この日のために作られた攻勢プログラムを展開し始める。

「プラグマタイザーの限界時間は三十七秒。時間以内に決着が付かない場合には、この空間を余剰次元に置換して爆縮する。間違いは無いな」

それは、余りにも大きな賭だった。

どんな願いをも現実化する。

プラグマタイザーは、彼が魔神と呼ばれる由縁となった技の一つだ。

超弦波動で事象の因果を歪める。

それは、新たな世界を創造するに等しい能力だった。


「マルティバグ、君には随分と世話になった。すまないが、今後も家族の事をお願いしたい」

「あなたの友人としてお約束しましょう。この約束は必ず果たされる事でしょう」

最早交わす言葉も要らなかった。

元々が、戦闘用レプリカントとして生み出された彼は、生に執着する心が少なかった。

自分の命を代償に娘の命を救う。いや、救える可能性が僅かでも有るのならば、それは彼にとって挑むべき戦いだったのだ。

姿勢を正し、結印けちいんを結ぶ。

忽ち彼の内に戦士としての高揚が甦って来る。

自分自身の存在確率を糧に最後の三十七秒間を燃やし尽くす。


「待ってろよ美耶。お父さんが今、助けて遣るからな」

そう言って彼は愛娘の頬を撫でた。

プラグマタイザーに不可能は無い。

問題は、美耶自身が超弦波動を備えていて、超神がそれを使える立場に有る事だった。

今こうしている間にも彼女の超弦波動は解析されていると見て良い。

これは、時空創世の秘密が暴かれる迄の時間との戦いでもあったのだ。


だが、魔神がプログラムを起動しても、彼の最後の技が発動する事は無かった。

「何故だマルティバグ」

「お待ち下さい。たった今、高次の量子暗号通信を受信しました。これは・・・」

「私の自滅コードだよ」

横たわった美耶の胸の上に、碧色に輝く光の珠が浮かびあがる。

「量子暗号は超帝が好んで使うタイプで、デコードの結果、アポトーシス・DNAに類似するアナグラムが検出され・・・」

「超神と取引をしたと言うのか!」

男は愕然としていた。

最後の最後に自分の相棒に裏切られた。そんな気持ちだった。

そんな彼に光の珠は言った。

「待ちたまえ。私が如何なる策を策を労しても、君の事だ、共倒れ位には持ち込むのだろう。けれど、それでは困る。だから私が自滅しよう」

「何を企んでいる」

意外すぎる展開に男は困惑の表情を浮かべていた。

体感時間だけで数十万年の時を生きる彼だが、自らの滅びを口にする超神は初めてだった。


「君の娘と共に滅び復活した私は、君の娘と同じ意識のアーキテクチャを備えている。それが答えだと言ったら納得するかね?」

「まさか。君たちはそんな甘い存在じゃ無い。超神が自分以外の者の為に行動する事は無いし、ましてや誰かの為に自己犠牲する事など有り得ない」

男の言葉に、光の珠は震えるように揺れていた。

見ようによって、それは笑っている様にも感じられる。


「だが、いくら我々だって自分の欲望の為に自己を犠牲にする事は有るのだよ」

「何が望みだ」

手の内に乗せられている気はしたが、長年の経験から、彼らが安易な嘘を付か無い事は理解していたる。

「君の娘の目的は、最初から私を取り込む事にあったのだよ」

「まさか!」

「勿論、彼女自身が意識して遣った事では無い。だが、彼女の無意識は、超神を人類の内に取り込む事を画策していたようだ」

超神を人類の側に寝返らせる。

それは、太古の昔から試みられ、不可能と結論付けられた事だった。

無限の生命を持つ精神生命体にとって人類の存在など星の瞬きの様な物だ。そんな人類には、彼らに提供できる対価となる物が存在しなかったからだ。それなのに、


「待て、つまりお前は、美耶が超神を飲み込んだと言っているのか?」

「その認識は概ね正しい」

その答えに、男は今度こそ本当に驚愕していた。

超神という存在の難しさ、敵として扱う事の困難さは、彼こそが一番理解していたからだ。


「馬鹿な、そんな事が有り得る筈が・・・」

「そうとも。人類がオーバー・マインドを取り込むなど、ただの偶然で起こる筈が無い。だからこそ、そこには緻密な計画が有った筈なのだ」

かつて魔神と呼ばれた男にも、ようやく事の異常性が飲み込めて来た。

此処にいる超神は美耶に破れ、飲み込まれた。

今彼と話している存在の主体は、超神では無く、彼の娘なのだ。

「私が君に自滅キーを渡すのは、今ここで君に死なれると美耶の心の成長に陰を差すからだ。それでは私の目的が叶わない」

「目的とは、超帝が自己を犠牲にする程の欲望とはいったい何だ」


「オーバー・マインドの欲望は常に只一つ、知識の充足だ。私は彼女と共に滅びる事で、人類の集合無意識を知るに至った。そこには君たちDNA生命体の多様化する本当の目的があったのだ」

「だが待て、人類の集合無意識は文字通り死んだ情報だ。超帝がそれを欲しがる理由が無い」

「そこだよ」

美耶に破れ、その主体を奪われたというのに、超帝のその口調には何故か楽しささえ感じられた。

「人類の集合無意識を統合しようとする動きがある。私はその一端から、美耶こそがその鍵と成ると踏んだ。私の目的は、その壮大な事業を特等席から観戦する事なのだよ」

「つまりは、集合無意識の乗っ取りを画策しているのだな」

男の指摘に光の珠は、今度こそ本当に笑い声を上げた。

「幾ら何でもそれは無理だよ。数次元に跨がる情報クラウドを思いのままに操るなど不可能だし、そもそも意味がない。だが、その統合の過程には大いに興味がある。出来るなら、私の知識をその事業に役立てたい」

「それで美耶から離れたく無いと言う事なのか・・・」

男が考え込む。

「そうだ。だが、それは出来るならの話だ。彼女が、その能力を最大限に発揮しなくては集合無意識の統合など覚束無い。私が彼女の主観を損なってしまっては意味が無いんだ。今や彼女の存在は、君や私の存在を越えて最重要なのだから」

男は始め呆気に取られていたが、やがてクスクスと笑い出した。

「よかろう。だがそれは、美耶の了解があっての話だ。それで良いな」

「無謀です。超神と取引するどころか、お嬢様の命を危険に晒すなどと」

堪えきれずに口を挟む相棒を、男は手を振って押さえた。

「良いんだマルティバグ。オ超神は自分に都合の良い嘘は付かないし、そもそもそんな単純な敵なのだとしたら、それは却って畏れるに値しないと言う事なんだ。そんな事よりも」

男は、これ以上楽しい事は無いといった風に笑っていた。

「美耶が私を越えたと評価されたんだ。それも、超神が太鼓判を押している。父親として、こんな嬉しい事は無いじゃないか」


猫の姿を持った機械生命体は、思わず空を見上げた。人の姿を持っていたら、頭を抱えた所だ。

実際の所、マルティバグと呼ばれる機械生命体は、主人の勝利を露ほども疑ってはいなかった。

例え数万分の一の可能性であっても彼が勝利を逃す事はあり得なかったし、それも、彼が溺愛する末娘の命が掛かっているとあらば尚更だった。

窮地に有ればこそ能力を発揮する、無敵魔神の二つ名は伊達では無いのだ。

そんな魔神の弱点を、超神は巧みに突いて来ていた。

即ち、我が子を誉められる事に弱いと。

今の今まで、目の前の敵と共倒れに命を捨てる覚悟決めていたと言うのに、娘を少し誉められた位で相好が崩れるのである。

魔神の住む街の界隈、向こう三件両隣でも美耶ちゃんのパパはチョロいと、そんな評価を受ける由縁である。

「美耶の傍らに居続けたいなら、他の超神は勿論、人類全体、いや、世界の全てを敵に回しても、美耶の味方で居て貰わなければ」

「勿論そのつもりだ。例え君が敵に回ったとしても、彼女の心を守り通す事を約束しよう」

「うん。だが今は、美耶にとって成長の季節でもある。身体と心が健やかに育つよう、教育のサポートだって重要だろう・・・」

かつて天の川銀河を二分して戦った魔神と超神が、今や女子高生の教育方針について議論を戦わせる始末だった。


これは一つの宥和と呼べるのでは無いだろうか。

魔神と超神の遣り取りを眺めながら、マルティバグはそう思った。


精神生命体が現実世界の知性体と接触を図る事は希である。

そうした意味で人類と敵対するオーバー・マインドは傍流であり、少数派勢力の一つに過ぎなかった。

例え目の前の超神が人類側に寝返ったからと言って、人類と精神生命体との争いに、影響が生じるなど有り得ないのだ。

けれど、邂逅から幾星霜、数百万年に及ぶ不毛な諍いの後に得られたこの出会いは、人類と精神生命体の今後の行く末を変える事になるのではないだろうか。

ひょっとしたら、自分の相棒が望んでいた和平だって・・・。

猫型の機械生命体は、本物の猫がやるようにして首を振った。

どうやら自分は、常に楽天的な相棒の影響を受け過ぎているらしい。


時を忘れて議論する相棒は、思ったより超神と話が合うようだった。

そんな様子を見ながらマルティバグは、自分の陽電子脳も、そろそろオーバーホールが必要らしいと、そんな風に考えていた。


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