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第三十七話 始まりの記憶 その三

人は無意識の内に生に執着する。

人間の内には、死に抗う為の様々な仕掛けがあって、その中には壊れた心を修復する機能さえ含まれていた。

それは、末那識まなしきと呼ばれる自己執着機能。

睡眠などによって途切れた意識を連続させる作用があるが、要は脳髄に記録された記憶から失われた心のパーツを再生しているのである。

美耶の十六年の記憶の全ては、今もその脳髄に記録されていて、心の形こそが、心のパーツを再生する為のキーだったのだ。


小さなハートを胸に抱く。

そして美帆は、万感の思いと共にハートを美耶の末那識に捧げていた。

「美耶、蘇りなさい」


小さなハートが光に包まれる。

がらんどうだった美耶の意識の内が、見る間に暖かな想いで満たされて行く。

心が再生してゆく。

そして、今は異物でしかない美帆の心は、美耶の意識の内から押し出されて行った。

全ては一瞬だった。


仏教では意識の途切れる事を間断けんだんと言う。

美耶はこうして、死よりも深い間断の淵を乗り越えていた。


   ◇   ◇   ◇


「美耶、美耶・・・」

神楽舞台に膝を付き、横たわる妹の肩を優しく揺さぶる。

あれだけの事が有ったのだ。

本来なら、自然に目覚めるのを待つべきなのだろうが、美帆にはそれを待てない理由があった。

自らが再生した妹の心が、元の美耶である事を確かめない事には、焦燥で気が変になってしまいそうだったのだ。


「う・・・」

「美耶、大丈夫?」

美耶がうめき声を上げる。

美帆は妹の声を聞き逃すまいと、耳をそばだてた。


「・・・ごはん」

『なによそれ!』

固唾をのんで見守る緋色がずっこける。

逆上した美帆が美耶の襟首を持って揺さぶるが、美耶に意識は無く、それは単なる寝言の様だった。

「あたし、何か口に出来る物を持って来るわ」

そう言って薫子が腰を上げる。

夜更け、と言うよりは夜明けに近い時間帯だった。

誰一人として休息を取った者はおらず、一息入れなければ気持ちが持ちそうになかったのだ。


「美耶、お願いよ。目を覚まして・・・」

美帆は妹の頭を膝に抱き、祈るような思いで話掛けた。

千年の時を生きても、人の死に慣れる事など出来なかった。

何人もの妹や弟達が眼の前を通り過ぎて行き、その度に深く傷付いてきた。

美弓を失った時には一体どれだけ泣いた事だろう。このまま美耶を失ったら、自分は正気で居られるだろうか?

想いを込めて手を握りしめていると、美耶の睫毛が揺れ、瞼が薄く開いて行く。

さまよう瞳が美帆の姿を見つけ、美耶の意識が回復して行く。


「お・・・」

「お?」

期待を込めて美帆が訊ねる。

「・・・お姉ちゃん」

「お姉ちゃん?」


けれど、美耶のその言葉は、美帆の望んだものでは無かった。

だって美耶は、美帆を姉と呼ぶことを酷く嫌がっていたのだから。

ならば自分は失敗したのだろうか?

美耶は、美耶で無い者になってしまったのか?

美帆の顔から音を立てて血の気が引いて行った。


   ◇   ◇   ◇


美帆が再生した意識と、美弓が守り集合意識より再生された心とが、きしみを上げる。

二つの意識が元より同一である筈が無いのだ。

しかし、末那識には分裂した人格を修復する作用さえ有って、その機能が二つの人格を統合して行く。

人格の統合は苦痛を伴う。

けれど、本来なら不快な筈のきしみさえ、今の美耶には心地よかった。

痛みは生の証であり、それは、二人の姉の愛情の証でもあったのだから。


補完された心が意識の表層に引き上げられて行く。

目を開くと、そこには愛する家族の顔があった。

「お・・・」


- お母さん -


今の美耶の内には全ての記憶が有った。

物心付く前から抱かれていたのだ。美耶にとってその女性は、第二の母とも呼べる存在だった。

- 美帆お母さん -

目の前で心配そうな表情を浮かべる女性を、かつて美耶はそう呼んでいたのだ。

何のことはない。

美帆を姉と呼ぶ事に抵抗が有ったのは、心の奥底でその事が引掛かっていたからだった。

でもそんな事、今更照れ臭くて言える筈も無い。

「・・・お姉ちゃん」

でも、出掛かったその言葉を無理矢理曲げて言い直すと、美帆の表情が見る見る曇って行く。

「お姉ちゃん?」

美耶の言葉を鸚鵡返しする表情は真っ青だった。

眼から涙が溢れ、ぽろぽろとこぼれ落ちて美耶の顔に降り注ぐ。

「どうしよう。あたし、失敗しちゃった・・・」

「失敗?」

「あたしの記憶から美耶の心の核を再生するなんて、やっぱり無理が有ったのよ。どこかにあたしの主観が入って、あたしの都合の良い美耶に変わっちゃってる」

「美帆の都合の良いあたし?」

問い返すと、美帆は涙を拭う事もせずに頷いた。

「だって、美耶はあたしの事を一度もお姉ちゃんって呼ばなかったもの。きっとどこかにあたしの願望が入って、美耶の心を歪めてしまったんだわ」

『歪んでない、歪んでない!』

美耶は慌てて首を振った。

「だってほら、美帆には随分と迷惑を掛けちゃったし、ここはお姉ちゃんを立てとかないといけないかなーなんて・・・」

「・・・本当?」

疑わしそうな視線で、しげしげと美耶を見る。

「そんな小市民的な発想は、確かに美耶っぽいけど・・・」

「どうせ、あたしはせこいわよ!」


美耶は笑って、そして言った。

「あたしね、お婆ちゃんに、ううん、美弓ちゃんに会ったの」

「美弓に? あの子、元気にして・・・」

そこまで言って、ぎょっとする。

美弓は既に亡くなっていた。美耶が、死んだ人間に会ったと言っている事に気付いたからだ。

「臨死体験・・・」

「二人が守ってくれたから、あたしは今此処に居られるの。本当にありがとう」


   ◇   ◇   ◇


「心が壊れて無くなってしまったと思ったけど、美弓ちゃんが、あたしの心が消えてしてしまわない様に守ってくれていたのよ」

「それって、死後の世界って事?」

美帆の質問に美耶が首を振る。

「分からない。けど、あたし達はその世界と心の奥底で繋がっていたの。あたしは美弓ちゃんを通して、世界の意志と繋がったのよ」

「親類の人格を、インターフェイスとしてして利用したって事なのかしら・・・」

どちらにせよ途方もない話だった。

さすがの美帆も、美耶が言っている事の全てを理解出来る訳では無い。

星間文明の技術を持ってしても、人間の精神については未解明部分の方が多かったからだ。


『あれっ、何で!』

美耶が突然声を上げる。

「何だか記憶が薄れて行くわ。あたし、今回の事で大切な事を知る事が出来たの。心の形がどんな意味を持っているか、人の心が繋がってる事がどんな意味を持つのかとか、なのに、その記憶がどんどんあやふやになって行くの」

そう言うと、美耶は自分の身体を抱きしめる様にして、ぶるりと震えた。

「世界を豊かにする為に人は何をしなけれないけないのか、せっかく美弓ちゃんに教わったのに、あんなに鮮明だった記憶が、今は夢だったみたいにぼんやりして・・・」

「仕方がないのよ」

そう言って美帆は美耶の背中に手を当てた。

「そうした記憶は人が生きて行く上で重荷でしかないわ。心に過負荷が掛からない様に、美耶の深層意識が記憶を封印しようとしているのよ」

「いやだ、忘れたくない! あたしには遣らなければいけない事が有るの」

それは殆ど悲鳴だった。

その願いは、本来なら美耶の力が発動して瞬時に叶えられる筈だった。

けれど、その記憶を消却しようとしているのもまた美耶自身なのだ。

薄れ行く記憶に涙を流す妹に向かい、美帆は小さな溜息を一つ吐いた。

「大きな代償が必要となるわ。場合によっては、普通の幸せを諦めなくては成らないかも・・・」

「後悔なんてしない!」

縋るようなその表情に瞬時に心を決める。

これは多分運命なのだと。


「美耶が今一番遣りたい事。美弓に教わったという美耶が人生を掛けて遣り遂げねば成らない事に集中なさい。それさえ忘れなければ記憶に紐付けが出来るはず」

そう言うと美帆は手印を結び九字を切り始めた。

辺りが仄かに明るくなって、ぴりぴりとした力が集まって来るのが分かる。

「いったい何を・・・」

「裳着には少し早いけど、新たな名を与えます。美耶は今から橘媛になるの」

「でも、それって美帆の・・・」

「集中を切らさないで!」

姉の叱責に鞭打たれた様に美耶が震えた。


   ◇   ◇   ◇


美帆の中に橘媛の名を継いだ時の、あの高揚が甦って来る。

実際の所、疲労困憊の状態で、美帆の中に美耶に引き継がせる力など残されてはいなかった。

それでも、先代の橘媛から託された位の力を何とか掻き集める。

美弓のように人としての人生を歩むか、父の生き方に寄り添って世界の為に歩むか、今が美耶の人生の分岐点だった。

そして、美耶のような心の形を持つ者にとって世界の真実を心に留めるという事は、世界の為に生きるという事と同義なのだ。

美帆は、これは、必然の結果なのかも知れないと考えていた。


辺りに爽やかな香が薫る。


手の平に集められた力が光り輝き、花房となって実体化する。

それは、神話にある非時香ときじくかの若木だった。

千数百年の歳月を掛けて一回り程大きくなったそれを、美帆が美耶へと手渡す。

その若木こそが橘媛尊の象徴であり、代々受け継がれてきた想いの形だった。

言葉など要らない。

美耶が若木を胸に抱くと、花房の形が解け心の中に染み通って行く。

美帆と代々の橘媛の想いが、非時香の若木が、心に根付くのが感じられた。

言葉など要らなかった。

美耶の心の核には、父への憧れ、人々の笑顔のために尽くしたいと言う想いがあって、その為にこそ、この力が必要なのだと分かっていた。

重責を手放し、晴れ晴れとした貌で美帆が問う。


「美耶が今、一番したいことは何?」


美耶が考えたのはほんの一瞬だった。


「あたし、友達を沢山作る」


「へっ?」

大きな力を手にした筈の、妹の意外な言葉に美帆が目を丸くする。

けれど、今の美耶は美弓の最後の言葉で一杯だった。

人の深層意識の世界、心の海。

人々の心を支えるこの世界を豊かにする事が、現実の世界をも豊かにするのだと美弓は教えていた。

その為に必要なのが、意識のネットワーク化。

でも、何も、難しい事では無いのだ。

現実の世界で豊かな人間関係を作る事が、そのまま無意識の世界に反映するのだから。

つまり、

「友達を沢山作れば良いって事?」

美耶の説明に、美帆は半ば呆れたように言葉を返した。


全く美弓らしい。

元々美弓は物事の要訣を掴むのに長けていたから、ひょっとしたらそれは本当の事なのかも知れなかったし、美耶が友人を作る事に引っ込み思案だった事を気にしていて、単にお尻を叩いただけなのかも知れなかった。

まぁ、どちらでも良い。

美帆は深い深い溜息をついていた。

どちらにせよ美耶は真っ直ぐに育って行くだろう。どんな出来事も、この子の心根を歪める事は出来ないだろう。

それが分かっただけで充分だった。

「疲れたぁ」

両手を振り上げる様にして延びをすると、薫子が、ちょうど本殿から戻って来る所だった。


「終わった?」

「何とか」

お結びの皿を差し出す薫子に首を振る。

精も魂も尽き果てて、最早何か口に出来る余裕など残されていなかったからだ。

ふと見ると、膝の上の美耶が穏やかな寝息を立てている。

「緋色」

心配そうに見守る弟に声をかける。

「悪いけど、後は任せるわ」

後はスイッチを切るように美帆の意識は途切れていた。


膝の上の美耶に多い被さりそうになる所を、緋色が抱き留める。

その眼差しは、尊敬と信頼に溢れていた。

超神の意図を挫く事が出来る者など、この宇宙全体を見渡してもそう多くいる訳では無いのだ。


「ああ、任された」


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