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第三十六話 始まりの記憶 その二

美佳が、父のかいなに抱かれた娘に向かって誓いを立てる。

それを美佳の兄姉達が祝福する。

姉の美弓が、これで漸く肩の荷を降ろす事が出来たと、安堵の涙を浮かべていた。

そしてその遣り取りは、美帆の腕の中の美耶の心を取り分け大きく振るわせていた。


勿論、赤ん坊の美耶には、父と美佳の会話を理解する事など出来はしない。

けれど、赤ん坊だからこそ、父と美佳の心の遣り取りを正確に把握していた。

言葉が分からないからといって、赤ん坊は知恵が足りない訳では無い。

言葉が無くとも善意や悪意は伝わるし、自らを守る力を持たない分、赤ん坊は他人の感情を読む力に長けているのだ。


「美耶、どうしたの?」

美帆が腕の中の赤ん坊に語り掛ける。

小さな赤ん坊が目を見開き、おくるみの中から腕を伸ばしていた。

生まれて一年。

美耶は普通の赤ん坊より発育が悪く、言葉も遅かった。

親類の中には障害を疑う者もいたが、美帆はその事を心配した事はなかった。

何故なら魔神の血を引く者に遺伝子障害など有り得ないからだ。

何かの理由が有るのだろうとは思っていたのだが、その美耶が珍しく何かを訴えているのだ。

美耶の腕先を見てぴんと来る。

「パパ。もうちょっとお話ししてよ」

幼い赤ん坊の腕先は、自らの父親の姿を指し示していたのだ。


   ◇   ◇   ◇


「どうしたんだい美帆。そんないきなり・・・」

突然話を振られた皆の父は困惑気味だった。

この後、近場に温泉宿が予約してあって、ささやかな親睦会が予定されていた。

美佳の事は予定外だったが、どこか砂粒を噛むようだった親子の関係を修復する事が出来たのだから、早速祝い酒を酌み交わしたい気持ちで一杯だったのだ。

それなのに、彼の長女が水を差す。

「美耶が、パパの話をもっと聞きたいって」

そう言って、腕の中の赤ん坊を掲げて来るのだ。


「けれど、皆もいい加減疲れているだろうし、これ以上美耶を外の空気に晒すのも心配だ」

「それは問題ないわ」

何の根拠があるのか、美帆は自信たっぷりだった。

「あたしが抱っこしているのですもの。ここがアラスカだって風邪なんか引かせやしないわ」

父の気持ちが酒宴に傾いているのを知ってか知らずか、いや、充分に分かった上で言っているのだ。

「親父どの」

ここに居る中では、美帆や緋色に次いで年長の定治が進み出る。

「今日の主役が美耶で有る事を忘れちゃいけねぇ。なに、家族の間で遠慮は無用だ。俺たちゃ先に宿に行っているから、親父どのは存分に美耶に語ってやるがいい」

途端に情けない顔になる父親に向かって、偉丈夫の息子が片目を瞑る。

「この中には、忙しい中ぎりぎりの時間を割いて来てくれた者も多くいる。親父どのには申し訳ないが、宴席は先に始めさせて貰うよ」

「定治ぅ・・・」


「お父さん。私も、もっとお父さんの話が聞きたいな」

けれど、赤ん坊を抱いた美佳がそう言って、父の心は定まった。

それほど迄に、皆の父は家族想いだったのだ。


   ◇   ◇   ◇


父は語った。

自分が魔神と呼ばれる、人とは異なる存在で有った事を。

天の川銀河では、その名を知らぬ者はいない程の英雄であった事を。

だが、彼は遣り過ぎてしまった。

余りにも戦果を上げすぎてしまった。

華々しい戦果で人心を集め、余りに影響力を持ち過ぎてしまったが故に、彼は仲間に裏切られてしまったのだ。

時間を制止させる不思議な壷に閉じこめられ、この地に封じられてしまったのだ。

勿論彼は憤った。

裏切った仲間に復讐を誓い、壷から彼を助けた者にはどんな願いでも叶えると約束したのだ。

「それで、壷に閉じこめられたお父さんを助けたのが、お母さんだったと・・・」

美佳が訊ね、今は父の隣に座る母がこっくりと頷いた。


   ◇   ◇   ◇


既に大半の兄姉達は宿に引き上げていて、その場に居る者の数は十人を切る程になっていた。

石造りの祭壇にはレジャーシートが広げられ、皆、思い思いの格好でくつろいでいる。


「そう。美咲様が、私をポットから助け出してくれたんだ。お礼に何でも願いを叶えると言ったのに、結局美咲さまは、何も願おうとはしなかったんだ」

「あら、それは違うわ」

母が珍しく声を上げる。

基本的に、父の話に口を挟む事など、滅多にしない人なのだ。

「あなたは私の病気を治してくれたし、顔の痣も消してくれた。それだけで私は充分満足したわ」

「待ちなさい。仮にも銀河の魔神が何でも願いを叶えると公言したんだ。そんな事位で済ませられる筈が無いじゃないか」

「だからって、この星の王にしてやるとか言われても困るわ。王冠を戴いても幸せになんか成れない事くらい、辺境の星の田舎娘にだって分かるもの」

父と母の遣り取りに、辺りからくすくす笑いがこぼれる。

これ迄にも何度も語られた話だったし、皆、当時の状況が手に取るように思い浮かぶのだ。


「昔からこの人はこうなのよ。誰よりも誠実で、自分を曲げると言う事を知らなくて、その事は私とって好ましい事だったけれど、反面、危なくも感じられたわ」

美咲は美佳に、そして、赤ん坊の美耶に向き直って言った。

「一度決めたら、どんな事があろうと遣り通す。だからこそこの人は、一度決めた復讐をどんな事があろうと果たさずには居られないって分かったの」

母は当時のことを振り返るように星を仰いだ。

「元々、人を傷つけるのが苦手の人なのよ。復讐だって本当は望んでなんか居ないくせに、それでも自分で決めてしまった事だから曲げる事が出来ないの。だからあたしは願ったわ。あなたが幸せに成って下さいって」


それは、昔々の物語だった。

壷から助けられた魔神は娘の願いを聞き届けた。

銀河の英雄は、その願いによって初めて自分を曲げたのだ。

復讐は果たされる事はなかった。

彼を陥れた者は、まだ彼の地にて長らえているし、その事について、最早彼は何の感慨も持ち合わせては居ないのだ。

何故なら彼は、この世界で幸せを手に入れたのだから。


そしてそれ以来、彼は此処にいる。

彼を必要とする者達に囲まれて、生まれて初めての安息を得たのだ。

名誉、地位、幾千万の仲間を失ったが、その代わりに彼を縛る物も無くなった。

此処には彼に戦いを強いる者は誰も居ない。

魔神は、生まれて初めての自由を得たのだ。


「美咲様は、幸せとは誰かに必要とされる事なのだと教えてくれた。そして、誰よりも私を必要としていると言ってくれた。私は漸く安息の地を見つける事が出来たんだ」


「けど、あそこに居る全ての人がお父さんを裏切った訳じゃないわ」

美佳が立ち上がって天の川の一際明るい部分を指差していた。


   ◇   ◇   ◇


「私はお父さんの作った世界を見て来たもの。初めは半信半疑だったけど、確かにあの世界の人々にとってお父さんは英雄だった。ていうか、まるで神様みたいに崇められていて、今でもお父さんの帰還を待ち望む人達が沢山いるわ。皆お父さんを必要としている。だから、いつかお父さんはあそこへ帰らなければいけないのよ」


美佳の父は、初めの内あっけに取られていたが、美帆に目を遣り、そして笑い出していた。

「なによ、真面目に話してるのに、私、何か可笑しい事言った?」

父は何かが壷にはまったらしく、可笑しくて仕方ないと言った表情だった。

「いや、すまない。別に美佳を笑った訳では無いんだ。ずっと昔に同じ事を質問した子が居て、その思い詰めた表情までそっくりだった物だから、つい可笑しくてね」

同じ質問をしたと言うのは、美帆の事だったのであろう。

視線の先で顔を赤らめ、頬を膨らませている。

文句を言い出そうとするのを制して父は言った。

「結論から言うと、私がそこに帰る事は無いよ。何故ならあそこにはお前達が居ないからね」

そう言って父は、伴侶である母と、自らの子や孫達を見渡した。

「人が人を必要とするのに一方通行なんて有り得ない。お前達が私を必要としてくれるように、私にもお前達が必要なんだ。まぁ、美佳があの世界に定住して子を育てる積もりなのだとしたら、孫の顔を見に行く事くらいはしたかも知れないがね」

「でも、皆、お父さんが必要だって・・・」

執拗と思える位に美佳が食い下がる。

「それは、停滞した世界の変革者としてだろう。今更私が行ったとしても、争いの火種にしかならないさ」

それでも納得が行かない顔の自分の娘に、過去の英雄は諭した。

「美佳があの世界で沢山の人々と関わりになったのは知っているし、何とかして遣りたいと思う気持ちも分かる。けれど、私が言う誰かとは、顔の見える距離の人達なんだ。星座の形が変わる程不通だった私には、最早あの世界と関わり合いになる資格さえ無い」

それでも美佳は首を振った。

「でも、でも、お父さんは、皆の幸せの為に戦った凄い人なのに、本当にそれで良いの?」

美佳が知りたかったのは、英雄としての、父の本当の気持ちだったのだ。

そして父は言った。


「美佳はどう思っているか知らないけれど、父さんは今も皆の幸せの為に戦っているよ」


銀河の英雄。その戦いは魔神の如くと謳われた父が今も戦っている。

その言葉に美佳は、はっと息を飲んだ。

「美佳の言うように父さんは昔、皆の幸せの為に戦った。けれど、武力でもたらされた平和は不安定で、永続させる事がとても難しい」

父はそこで言葉を切ると、辺りにいる自分の子達を見渡した。

「何も、武力に頼るばかりが戦いでは無い。日々の暮らしの中での、ほんの少しの努力こそが、真に価値ある戦いなんだ」

「えっ? それって、いったい・・・」


「結果をただ与えるのでは無く、人々にそれを勝ち取らせる。パパはね、この星をモデルケースにしようと考えてるのよ」

意味を掴み兼ねている美佳に、美帆が赤ん坊を抱いたまま話掛けた。

皆のために戦い、その結果、裏切られて壷に閉じ込められた魔神は、この星で一から遣り直す事を選択したのだ。

それは、一人の男の苦難の歴史だった。

強大過ぎる力を封印し、人々を陰から支え続ける。

力で抑えつけるのでは無く、助言と友愛を持って人々を導いて行く。

決して人前に出る事は無く、時の為政者、権力者達に人の道を説き続けたのだ。

そんな路が平坦であろう筈も無く、男にとってそれは、これ迄経験した事もない程の苦難の連続だった。

「与えられた社会規範が決して根付く事が無いように、与えられた幸福も長続きする事は無いんだ。けれど、未だ試行錯誤の段階ではあるにしても、この国の人達は概ね巧く遣って行けている。それは、個々の人達が、自らの幸せで世界を支えているからなんだ」

「つまり、ボトムアップによる世界平和」

美帆がそう総括すると、皆の父は照れたように笑った。

「お前達が普通に感じているこの日常は、この宇宙において、実は希有と言っても良い物なんだ」

「だってお父さんは、そんなの一言も・・・」

「だから、察しなさいって事よ。言葉に出すのはちょっとアレでしょ?」

美帆の言葉に、父は照れくさそうに頷いた。

「つまりは、そう言う事だ。だから、私の戦いとは、お前達を一人残らず幸せにする事なんだ。それが延いては世界の為になる」

「気の遠くなるような話だわ」

美佳がそう感想を述べた。


「まあ、英雄と呼ばれた男の言い訳のような物さ。本当の所、こうやって我が子を腕に抱いた瞬間から、世界の事などどうでも良くなってしまったのだから」

父は美帆から赤ん坊の美耶を受け取ると、おくるみの中の我が子の顔を覗き込んだ。


「お前達の幸せは、私をその何倍も幸せにしてくれる。この気持ちが一時の幻で有る筈が無い。だから、お前達の幸せの向こうに、きっと世界の幸福も有る」

その言葉に皆の母が力強く頷いた。


   ◇   ◇   ◇


「幸せに成りなさい」

男のその言葉で、美耶の眼がぱっちりと見開かれる。

「お前達の幸せこそが我が望み。それ以外に何が必要だろうか」

それが、魔神と呼ばれた男の全てだった。

彼の子は魔神の願いであり、夢だったのだ。


力強い男の言葉は美耶の心に強く響き、漸く形が整い始めた赤子の心に決定的な影響を及ぼしてゆく。

即ち、


「お父さんの様に成りたい」


それが、赤ん坊の美耶が、生まれて初めて抱いた感情だった。

その場の全ての者達に大きな愛情を分け与えるその姿は、赤ん坊の美耶に大きな衝撃を与えたのだ。

自分も、そんな人間に成りたいという想いが、美耶の心の形を決定付ける。

打算抜きに他人を助けたいと思う気持ち。

抑えられた理性、そして、たっぷりの情愛が、美耶の心を可愛らしいハート型に形創ってゆく。


それは奇跡の様でいて、けれど、まるで物理の法則のように当たり前の出来事だった。

美帆はその夜の出来事を決して忘れまいと心に刻み、そしてその記憶は十五年の時を越えて、美耶の意識の中に再び同じ現象を生じさせていた。

ハートの形が、美耶の心の核が再生されてゆく。


    『今!』


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