第三十五話 始まりの記憶 その一
「ねぇお姉ちゃん。その祭壇って、まだ歩くの?」
夜の山道を歩きながら美佳が美帆に訊ねる。
その腕には一歳になったばかりの彼女の娘、赤ん坊の涼子が抱えられていた。
夜の高速道路は空いていて、殊の外早く到着できた迄は良かったが、むずがる赤ん坊の世話をしている内に、美佳は酷い乗り物酔いを起こしてしまっていた。
これまで一度も乗り物酔いなど経験した事の無い美佳だったが、初めての出産に育児の心労が重なって、さすがに活力も底を突きかけていたのかも知れない。
「だから言ったじゃない。疲れているだろうから、美佳は無理しなくても良いって」
美帆の生国は大和の国で、裳着の儀式を終える迄は、弟の緋色と山の中を駆け回っていた。
それから千年経った今でも彼女の運動神経はアウトドア仕様なのか、ごつごつとした木の根が段差を作る山道を、まるでショッピングモールでも巡るように歩いていた。
それも、赤ん坊の美耶を抱きながらである。
それを見て流石に心が折れたのか、美佳が兄に娘を預ける。
「だから、姉さんに張り合っても意味なんて無いって」
緋色は苦笑して赤ん坊を受け取った。
歳経たこの兄は、何を遣らせてもそつが無い。
緋色に抱かれた涼子は、それ迄のぐずり方が嘘みたいに、ご機嫌の様子だった。
◇ ◇ ◇
変わらないな。
山道を歩きながら、美佳はしみじみとそう感じていた。
自分の血筋と家系に反発して、十年前に家を出た。
別に両親に反発した訳では無い。
父や母の事は普通に好きだったから、その辺は一般家庭と、そう変わりはしなかった筈だ。
ただ、美佳の住んでいた町には、美佳の父を頂点とする親等によるヒエラルキーがあって、父の娘である美佳は特別の存在だった。
そして、美佳の親族達は、決して一枚岩と言う訳では無かったのだ。
魔神は、この星に銀河文明の術を伝える事を固く禁じた。
理由は色々と有ったらしいが、彼は自分の子以外に星の技術を伝えなかった。
この為、二親等以上の彼の親族達は、銀河文明の恩恵に与る事が出来なかった。
美佳は、今の人類からすれば魔法とも思える超技術を、父の子供であると言う、ただそれだけの理由で受け継いでいたのだ。
十年前、美佳は、自らも魔神の技を手に入れようとする縁戚達の企みに巻き込まれた。
姉や兄たちの尽力によって事件は収束したものの、美佳は、それ迄の場所に居続ける事が出来無くなってしまったのだ。
それ以来、住み慣れた街を飛び出して様々な土地を巡り歩いた。
いずれは家を出る積もりでいたから、早いか遅いかの違いと割り切れたのは、美佳が父から物事に拘泥しない性質を受け継いでいたからなのかも知れない。
それなりの苦労はあった。
けれど、二度と帰るまいと決めた故郷に戻ったのは、姉の美弓の強い勧めがあったからだ。
当時は涼子を身籠もっている事が分かったばかりで、身重で町に戻る事に抵抗を感じていたし、母が新たな子を儲ける事を聞けば尚更だった。
けれど、美弓は美佳の手を握り、真剣な面もちでこう言ったのだ。
『何を言ってるんだい。これは天の計らい。あんたが父さんの子として、再び遣り直すチャンスじゃないか』
そう、強く背中を押された。
両親は何事も無かったかのように美佳を迎えてくれたし、かつての友人達とも関係を修復する事が出来た。
良い事ばかりでは無かったが、今では故郷の町で涼子を産むことが出来て、本当に良かったと思っている。
そして、今日の儀式である。
父が美耶に祝福を授けると聞いて、それならば我が子にもと、半ば強引に割り入った。
美佳にとって娘は自分の分身であり、涼子に父の儀式を受けさせる事によって、自分と両親との関係をもう一度やり直せるのでは無いかと考えていたのだ。
◇ ◇ ◇
木々に覆われていた空間がいきなり開ける。
そこでは厚い雲で閉ざされていた筈の空が、満天の星を覗かせていた。
「ここって、ゲート・ポータルの有る場所じゃない」
痛む足を引きずりながら、ようやくたどり着いたのは、山奥の星間転送ゲートの有る場所だった。
美佳も何度か来た事があったし、転送で跳躍すれば、それこそ一瞬でたどり着くことの出来る場所だったのだ。
「そうよ。言って無かったっけ?」
まるで人事みたいに美帆が首を傾げる。
こうした一族内の行事は、全て長子である美帆が仕切っていたのだ。
「何でこんな所、わざわざ歩いて来なくちゃいけなかったのよ!」
心底疲れ果てていて、美佳の言葉尻が思わず強くなる。
美帆は、そんな美佳から腕の中の美耶を遠ざけるようにして言った。
「元々これって、家族旅行を兼ねてたのよ」
「家族りょこお?」
予想外の答えに、声の調子が外れる。
「ほら、パパが子供を作るのって、二十年に一度のイベントな訳じゃない? 親族がこれだけ集まるのも珍しいから、親睦会を兼ねている訳よ」
そう言って、美帆は腕の中の美耶をあやした。
「美佳の時は電車を使って三泊四日の旅行にしたんだけど、今回は皆の都合が付かなくて、ちょっと強行軍になっちゃった訳」
「それなら尚更、跳躍で現地集合って事にすれば良かったじゃない」
痛む足をさすりながら、美佳が不満をぶつける。
「違うんだよ、美佳」
けれど、預かっていた赤ん坊を母親の手に返しながら緋色が言った。
「この集まりは、皆で歩いて、この場所に来る事に意味があるんだ」
◇ ◇ ◇
その場所は、恒久的なゲート・ポータルを建設するために造られた場所だった。
詳しい事は美佳も知らないが、位相空間と呼ばれていて、量子転送による空間ねじれ等の偶発事故に対応するため、隣接する空間が引き込まれ固定されているのだ。
余人が近付く事が出来ないようにする為とか、いざと言う時にゲートを廃棄し易いとか、他にも理由は色々と有ったらしいが、副次的な効果として、この場所からはいつでも満天の星を望む事が出来た。
何度かこのゲートを使った事のある美佳も、流石に星を観る為に来た事は無く、ポータルの裏手に小高い丘があって、そこに祭壇が設えてある事迄は知らなかった。
満天の星が降り注ぐ石造りの祭壇は、美佳の兄姉達二十人余りが集っても、まだ大分余裕が有った。
皆で弁当を広げ腹ごしらえをする。
美佳は涼子にお乳を与え、自分は年代物の魔法瓶から熱いほうじ茶を口に含んだ。
涼子を抱きながら天を仰ぐと、なぜ父がこの場所を選んだのか分かる気がした。
この場所からは、夜空に輝く天の川が見渡せるのだ。
そこは銀河中央。
父の生まれた故郷でもあった。
「そろそろ始めようか」
そう言って父が立ち上がると、美佳の兄姉達が無言で立ち上がり、父を中心にして輪を作った。
そんな中を、美耶を抱いた美帆が父に近付いて行く。
本来ならそれは母の役割なのだが、魔神の長姉は美耶が大のお気に入りで、母からその役を奪ってしまったのだ。
「自分で産めば良いのに・・・」
そんな独り言が耳に入ったのか、美帆がぎっと美佳を睨み付ける。
美佳が慌てて眼を逸らし涼子をあやしていると、父の話が始まっていた。
美佳の父は少し照れた感じで、改めて挨拶をすると、美耶の一歳の誕生日に、こうして皆が集まってくれた事に先ずは礼を言った。
「今日は、君達の新たな妹である美耶に誓いを立てたいと思う。いつもの恒例行事でも有る訳だけど、此処に集まってくれた君たちも、一緒に祝福をしてくれたらと思う」
美佳の兄姉達が思い思いの表情で頷く。
そしてその中には、これが最後の参加になるだろう美弓の姿が含まれていた。
彼女は父の力で永遠を生きるより、この星の住人として生を全うする事を決めていたからだ。
去りゆく命を見送り、新たな命を迎え入れる。
この儀式には、そう言う側面があったのだ。
美帆が魔神に向かって腕の中の美耶を捧げる。
魔神は美耶の額に手を翳すと、厳かにこう言った。
「美耶。新たなる我が娘よ。私は君に、自分の命を捧げる事を此処に誓おう」
命を捧げるですって・・・?
父が命を捧げると宣言するのを聞いて、美佳は当惑を隠せずにいた。
父の新たな娘は、長姉の美帆が夢中になるだけあって、そこまで特別な存在なのだろうか。
だったら、自分の娘だって・・・。
美佳が自分の娘を抱いて、兄姉達が輪を作る中に分け入って行く。
けれど、腕の中の涼子を捧げる美佳に向かって、父は首を振った。
魔神は、美佳の娘に命を捧げるとは言わなかったのだ。
◇ ◇ ◇
「どうして・・・」
だって、美佳にとって、娘の涼子は自分の分身であって、父が涼子を我が子と同じに扱う事で、自分と父は遣り直す事が出来るというのに。
それとも父にとって親等の違いは、それ程迄に重要事なのだろうか。
「だって、お父さんは・・・」
それ以上言ってはいけない気がして、美佳は口を噤んだ。
辺りを見渡すと、歳離れた兄姉達が当惑の眼差しで美佳を見つめている。
「あっ・・・」
それ迄あった期待と高揚が、一瞬で消し飛んでしまっていた。
一体何を期待していたのだろうか。
自分は、何十人もいる父の子供の一人でしか無いと言うのに。
娘を抱きしめて、その場を立ち去ろうとする。
自分が愚かに思えて、逃げ出したい気持ちで一杯になっていた。
「待つんだ美佳」
けれど次の瞬間、美佳は娘ごと父の腕の中に抱き留められていた。
「私には負い目がある。私は、お前が私を本当に必要としている時に、側に居てあげる事が出来なかった」
大きくて熱い何かが美佳とその娘を包み込んだ。
それが、美佳の中に生じていた一切の負の感情を残らず洗い流して行く。
噤んでしまった言葉の続きを、父はまるで美佳の心を読んだように言い当てていた。
「その事が今も私の心を責め苛む。お前には本当にすまなかったと思っている」
「だって、それは、お父さんのせいじゃ・・・」
けれど美佳の父は首を振った。
「それは、間違いなく私が作った原因に依るものだ」
美佳が庇おうとするのを遮って、父は続けた。
「お前が失った幸せの代償となるなら、何だってして遣りたいと思っている。けれど、それであっても、涼子をお前の代わりに私の子とする訳には行かないんだ。何故なら」
父が手の平で娘の頬を撫でる。
その姿は、まるで何かに祈っている様に思えた。
「私にとって、自分の子に命を捧げるのは、義務ではなく権利なのだから」
「権利?」
◇ ◇ ◇
「美佳には想像し難いかも知れないが、私は数多の世界が滅びるのを、この眼で観て来た。そこでは人の尊厳など塵にも等しくて、何の意味も見返りも無しに、ただ沢山の命が失われて行くんだ」
その場にいる者達の間に驚きが広がって行く。
皆、自らの父親が魔神と呼ばれる存在である事は知っていた。
けれど、父が自らその時代を語るのは極めて希の事だったからだ。
「精一杯の力を尽くしたが、結局、父さんの力では何も変える事が出来無かった。そして、もし世界を変える力と言う物が有るのだとしたら、それは人の繋がり、心の力ではないかと気が付いたんだ」
その場に居る者達は、咳一つ無しに聞き入っていた。
彼らの父は、子供達に自分の考えを押し付ける様な事を一切しなかった。
と言うよりも、彼らの中で誰一人として父の本当の気持ちを聞いた者はいなかったのだ。
「私の力は世界に害悪しかもたらさなかったが、お前達なら、世界に対してもっと賢い働き掛けが出来る筈なんだ。勿論、お前達に何かを強制する訳では無い。けれど、どうやら人の親という物は、子供に夢を託さずには居られ無いらしい」
「夢?」
父は娘に力強く頷いた。
「お前達は私の夢だ。だから、父さんがお前達に命を捧げるのは、義務では無くて権利なんだ」
その言葉には、不器用な父の心からの想いが込められていて、美佳は儀式の事など、どうでも良くなってしまっていた。
なぜなら彼女もまた魔神の娘で、暗愚とは遠い存在だったからだ。
元々親元を離れ、苦労の末自らの娘を得た美佳には自明の事だった。
子は親の夢であって、決して分身などでは無い。
親が子の為に命を捧げるのは、義務ではなく喜びからなのだ。
だからこそ、他の誰かに代わって貰うなど、元々有り得ない話だったのだ。
要するに、魔神の祝福などとご大層な名目に、我が子可愛さの余りに眼が曇ってしまっていた。
全てを理解した様子に、父は笑って言った。
「二十年前、私はこの場所で美佳に命を捧げる事を約束した。涼子がお前にとって掛け替えの無い存在なのだとしたら、私は当然涼子の為にも自分の命を捧げるだろう」
ああ、父親って良いな。
美佳は改めてそう思った。
「ねぇお父さん。私もここで、涼子に誓いを立てても良いかな?」
それは単なる思い付きだったが、嬉しそうな父の様子に、美佳は漸く気付いていた。
自分はその為にここに来たのだと。
そうする事で、自分は一人の親として、父と新たな関係を築いて行ける。
自分達親子は、遣り直す事が出来るのだ。




