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第三十四話 夏の記憶 その五


「人間の心は、現実の世界と、人の集合無意識であるこの阿頼耶識とを循環するんだ」

「それって、死んで又生まれ変わるって事だよね?」

美耶の質問に美弓は首を振った。

「残念ながら、そんなロマンティックな物じゃないんだ。あたしに言わせりゃ、それはリサイクルの様な物なのさ」

美弓は薄く微笑みながら答えた。

「人が死ぬと、心は阿頼耶識に落ちて分解される。記憶と感情はこの世界に蓄積され、心の核は他の誰かの為に使い回しされる。人間の心の核はとても精巧なプログラムで、一回の生の度に、いちいち生み出したり、破棄されたりする様な物では無いのさ」

「でも、だったら何で・・・」

「何故そんなシステムが作られたのか」

なかなか像を結ばない美耶の質問を、美弓が引き取るように言った。

「残念ながらそこまでは分からない。それを突き止めようと、姉様達がこの世界の緒元を探ったけど、結局答えを見つける事は出来なかったんだ。神様がお与え下すったか、はたまた人間が自らのために生み出したのか、あたしが考えるに、そのどちらかって事なのだろうね」


   ◇   ◇   ◇


『人間の記憶や感情はノイズが多すぎる。全てを蓄積するのは無駄が多いと思わないかね』

Be!

美耶の中のBeがそう言って、美弓は笑った。

「それは、見解の相違って奴だろう。真理ってのは、いつでも相対的なものだ。うちの父さんなら、あんた達がお大事にする真理や真実よりも、感情のノイズが生み出す一片の詩の方が余程価値が有ると言うだろうさ」

それを聞いて美耶は笑った。

確かに父ならば、そう言うだろうと思ったからだ。

美耶の父には、多分にロマンチストの一面が有った。この世界の豪華な星空を見上げたならば、俳句の一つも読んでしまうだろう程に。


『だが幾ら情報を集めても、それを利用する主体が居なければ意味は無い。それとも君達の父親が、魔神がそうだとでも言う積もりなのかね?』

「残念だがそうじゃない」

美弓は首を振った。

「知的生物は、知識の発展と共に滅びの路に踏み込み易くなる。億年単位の栄華を誇っていた種族が一瞬の内に滅びるなんて、それこそ良く合る話なんだ」

まるで見て来たみたいに美弓は言った。

「この世界の情報は人間の無意識を支えてる。それは、人類が愚行を犯さぬ様に、心の内側から働き掛ける事でもあるんだ。でも、多分それだけでは無くて、此処にある情報は未来の人類のための贈り物なのだとあたしは思う」

「贈り物?」

美弓は頷いた。

「次代の階梯に望む時、きっと人類は、この世界の情報が必要となる。あたし達は、そう考えてる」

あたし達?


『推測に推測を重ね過ぎだ。それではファンタジーと言われても仕方がない。現に君達人類は、今この瞬間にも意味の無い殺し合いを止める事が出来ずに居るではないか。時空を貫く大量の情報が有っても、それを少しも活用する事が出来ずにいる。それは、自分達に都合の良い幻想だよ』

けれど美弓は言った。

「都合の良い推測なんかじゃ無い。だって、この世界には意識が芽生え始めているのだから」

「意識?」

『それは魔神の、いや、君達魔神の子供達の意志と言う事かね?』

Beの質問に美弓が首を振る。

「そうじゃ無いわ。あたし達みたいに、この世界でも意識を持ち続けられる存在とは別に、この世界の集合無意識その物が感情のベクトルを持ち始めている。互いに共感したい、より良い存在になりたい。深層意識の世界に生じつつある、この感情のベクトルは、きっと現実の世界にも反映して行く」

Beの言い分に腹を立てているのか、けれど、向きになった様子は彼女を少し幼く見せていた。

美帆に似ている。

美耶はそう思った。

思いやりが深くて、困っている人を見過ごすことが出来ない。

心が真っ直ぐで、相手がどんな存在であろうと、自分を貫かずにはいられない。

そして、美弓のその言葉には力があった。


不意に美耶は、それが極当たり前の事で有る事に気が付いた。

自分達は、同じ魂の鋳型で作られた姉妹だったのだから。

そして、その事に気が付けば後は簡単だった。どんな疑問にも世界は答えてくれた。

人間の集合無意識である阿頼耶識は、全ての疑問に対する答えをも内包していたのだ。


「人類は未だ若く、あたし達も未だ力不足だけれど、必ず良くして見せる。きっと届く。だって、あたし達は魔神の娘なのだから」


   ◇   ◇   ◇


「お嬢様、どうか御静まり下さい」


気が触れたように笑う美帆を黒猫が諫める。

機械知性体であるマルティエは、自分の主人が錯乱状態に陥ったものと懸念していた。

無理もなかった。

美耶の心の鍵である、諸元の記憶が分かったにも拘わらず、それは既に破壊されていたのだから。

こうなってしまっては、流石の美帆も妹の命を諦めねばならなかった。

けれど、手の甲で涙を拭きながら美帆は言った。


「違うのよ。諸元の記憶で心を作り直すのは、ほとんど博打に等しいの。だって万が一間違えでもしたら、美耶は心の形が変わってしまって、全くの別人になってしまうのですもの。リスクが大きすぎるのよ」

「でしたら何故・・・」

美帆は全てを言わせなかった。

「多分美耶は、自分の心を再生する為に諸元の記憶を使おうとしてオーバーマインドと争っていた。この花弁の記憶だって意識して残した物かは怪しいわ。そんな訳だから、手がかりがこの花弁だけだったらあたしは詰んでいたのよ。けれど、オーバーマインドは諸元の記憶を使う事が出来無いように美耶の記憶を破壊した。つまり、記憶が破壊されていたこと自体が美耶の諸元の記憶である証拠なの」

「その辺は確かにお嬢様の仰る通りと思われます。ですが、肝心のその記憶が破壊されていては、美耶様の復活は覚束ないかと・・・」


「有るのよ」

そう言って美帆はニッコリ笑った。

「当然でしょ。だって、美耶が赤ちゃんの頃の記憶なのよ。そんなの誰かが近くに居たに決まってるじゃない」

「ですが・・・」

「十五年前の夜、清里高原で、あたしが赤ちゃんの美耶を抱いていたの。だから、美耶の諸元の記憶はあたしの中にもある」

「ですが、そんなデリケートな記憶を他人の心から移植するなど聞いた事がありません」

「当たり前だわ。だって、あたしだって聞いた事無い物」

『お嬢様!』


美帆が当たり前に言って、黒猫が悲鳴を上げる。

けれど美帆は少しも動じる事はなかった。

「大丈夫よ。だって、諸元の記憶で有るって事は、それまでの美耶に意識なんて無かったって事ですもの。その記憶に美耶の主観が入っている筈は無いの。だから、あたしの記憶から、あたしの主観を取り除いて渡せば、それは美耶の記憶と同じになる筈だわ」

そう言って、美耶の心の核を胸に抱く。


「あの時の事は良く覚えてる。パパの話だって一字一句間違えずに言える。だから、安心して甦りなさい。美耶、あなたに、あたしの記憶をあげる」


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