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第二十七話 神楽舞 その一

“美帆、ごめん”


びくりと美帆の身体が震える。

心の声が聞こえた気がしていた。

長く生きていれば、色々な経験をする。

その声には、美帆が一番嫌うタイプの心の波長があって、まるでダイイングメッセージを聞いた気分になっていた。

思わず顔をしかめる。

それも、この感じは美耶に近い。

だって美耶は、今も自分の腕の中に・・・。

「どうしたの?」

美耶が、美帆の心の揺れに気付いて声を掛けて来る。

昔から美耶は、そうした事に敏感な子だった。

けれど、今彼女が動揺していたのは、美耶の心の声を聞いたからでは無かった。

美帆は、美耶の中に、思いがけない心象を観ていたのだ。


美耶の心が砕けて行く。


それなのに、当の美耶自身が、何の反応も示していなかった。

「美耶、あなた・・・」

必死に表情を取り繕う。

心配そうな表情を浮かべる美耶を前にして、美帆は、何か異常な事態が進行している事に気付いていた。


人の心の形を観る。

それが、長く生きてきた美帆の習性だった。

何故なら姿形はどんなに上手に取り繕えても、心は嘘を付くことが出来ないからだ。

勿論、心の中が読める訳ではない。

でも、人が嘘を付けば心の形に表れたし、体調が悪くても心の形に表れて、それとなく注意してあげることが出来ていた。

しかし、今美耶に起きている事は、それまで美帆が経験したいかなる現象とも違っていた。

心が崩壊するのは、その人が死んだ時だけなのだ。

その事に自分で気づけない等、あり得る筈が無かった。


「美帆、大丈夫?」

さっきまで事故に動揺して泣いていた美耶に、今は自分が慰められている。

それなのに美帆の中では、魔神としての予感が最大限の危機感でアラートを響かせていた。

何度も自分を救った予感に従い、少しだけ美耶の心を探ってみる。


   ◇   ◇   ◇


「定治と美百合はこの場の収拾。緋色はあたしに付いて来て!」

呼ばれた緋色が、ぎょっとした様子で美帆を見返す。

彼はこの街で、穂積ヒロと名乗っていた。

緋色の名で彼を呼ぶ者はいなかったし、今となっては兄弟の中でも彼の本当の名を知る者は少なかった。

何百年も前に封印したその名を姉が呼ぶからには、それなりの理由がある筈なのだ。


姉は、強ばった表情で、お気に入りの妹である美耶をしっかりと抱きしめている。

姉がこんなかおをするのは、姉弟が星間戦争に巻き込まれそうになった、あの事件以来の事だった。

ゴクリと唾を飲み込む。

緋色が千年の時を越えて生きるのは、姉の笑顔を護る為であって、だから彼は即座に覚悟を決めていた。


   ◇   ◇   ◇


美耶は心を喰われてしまっていた。

精神に寄生して、命を捕食する類の害敵には幾つか心当たりがある。

しかし、捕食した精神の抜け殻に高度な代替人格を残すからには、何らかの意志が、明確な目的が存在する筈なのだ。

千年以上も昔から、この国の権力の一部を担っていた一族には、古くからの敵も少なくは無い。

でも、一族で最も若い美耶が何故狙われたのか、その理由が分からなかった。

それに、穂積の者を狙った不穏な動きが有れば、街の守護者である緋色や定治に分からない筈が無いのだ。そう、この自分にだって。

街の情報通信網やインフラは機械知性体であるマルティエが管理していたし、何より、この街の至る所にある神社仏閣が、悪意有る外部からの侵入者に対して敏感に反応する筈・・・。


そう、外部からなら。

美帆は、そんな自らの考えに震え上がった。

まさか、まさか、まさか。

数百年掛けて構築した街の防衛システムも、元々街中にいる害敵については効果を発揮しなかった。

そして美帆には、この街に元から居る飛び切りの厄災の種に心当たりがあった。


千二百年の昔に、美帆がワールドから連れ帰った精神生命体。

美帆の父が数百万年の長きにわたり争った、人類の宿敵。


オーバーマインド。


連綿と封印を続けてはいたが、千二百年間大人しくしていたからと言って、今もそうとは限らなかった。

それに、そう考えればここ数日の幾つかの事柄がぴたりと符合する。

先日、美耶を祭壇のある部屋に通してしまった事。

美耶が彼らの狙う魔神の力を持っている事。

精神の領域は、元々彼らのテリトリーだったし、美耶自身が間断に悩まされていると告白していた。

そして何よりも今、美帆の中の魔神の予感が、そのことを肯定していたのだ。


懐の末妹まつまいをぎゅっと抱きしめる。

愛情からでは無く、最悪の厄災を街に放たない為に。

「マルティエ、お願い!」

美帆は肩の猫に命じ、弟を伴って跳躍していた。


   ◇   ◇   ◇


瞬時に辺りの景色が切り替わる。

そこは四方が開けた能舞台で、美帆が目指したのは街の鬼門を守る守倉神社だった。


その能舞台の真ん中で、美帆が末妹を突き飛ばす。

次の瞬間、美耶は何が起こったか分からないと言った表情で、銀色の彫像となって凍り付いていた。

ステイシス・シールド。

それは、時間盾とも呼ばれる銀河文明の技術だった。

対象の固有時間を停止させて破壊から守る技術を、美帆は美耶を拘束するために用いたのだ。


守倉神社中庭にある三間四方の能舞台は、橋掛かりと呼ばれる細い廊下で神社の本殿と繋がれている。

その橋掛かりを渡って慌ただしく現れた女性は、ここ二十年来の美帆の悪友だった。

「本殿を接収するって、一体何の冗談よ?」

この神社の宮司を兼ねる守倉薫子は、緋袴に白衣といった神職の出で立ちで、手には風呂敷包みを抱えている。

量子転送による跳躍の直前、機械知性体が美帆の指示を薫子にメールしていた。

その中には、美帆が、神社の土地と建物を買い上げる旨が記載されていたのだ。

「この舞台は、昔、あたしが祭壇として使っていた場所だから、あたしの力を引き出すのに相性が良いの」

美帆の答えに薫子が首を振る。

「そんなの言われなくても分かってる。あんたとうちの神社のゆかりなんて今更だし、あたしの聞きたいのは、何で今回に限って接収なんて形を取るのかって事よ」


美帆は薫子には目もくれず、続いて現れた緋色の武装を確認しながら答えていた。

「美耶が心を喰われたの。およそ考えられる中でも最悪の厄災が相手で、勝てる見込みなんて、これっぽっちも有りはしない。悪いけど、これからこの神社は戦場になって、あなたに返してあげる事が出来ないのよ。だから買い上げるの」

そんな、美帆の様子を見ながら薫子は言った。

「あんた、美耶ちゃんを諦める積もりなの?」

『そんな訳、無い!』

美帆が、まるで火傷の跡に触れられた様に、ビクリと反応する。

「美耶は、あたしが、この命に代えても救い出す!」

「勝てる見込みもないのに?」

ぐっと息を詰まらせる。

そして美帆は、俯き、両手を握りしめながながら言った。

「それでもよ」


   ◇   ◇   ◇


美帆の答えに、薫子は優しく微笑んでいた。

「分かったわ」

そして、美帆の頭をぽんぽんと叩く。

「この神社はあんたにあげる。その代わりに、一差し舞いなさい」

薫子が、持っていた包みを美帆に渡すと、そこには煌びやかな神楽舞いの衣装が納められていた。


「能舞台は戦う場所じゃなくて、神様に舞を奉納する場所なの。子細は分かったから、一差し舞を奉納しなさい。そうしたら、うちの神様も納得するでしょ」

美帆は、腕の中に現れた神楽舞いの衣装に呆然としていた。

「あんた莫迦なの?」

呆れた口調で言う。

「これからこの場所に宇宙の災厄が現れるって言うのに、のんびり舞を奉納しろとか、あんた頭腐ってるんじゃない?」

「待って、姉さん」

けれど、嵩に懸かって言い募ろうとする美帆を止めたのは、弟の緋色だった。


「それは案外、巧い手かも知れないよ」


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