第二十一話 間断の闇 その二
「あれ・・・? 八時?」
目が覚めると、枕元の時計が八時五分を指していた。そろそろ学校へ行く時間を過ぎようとしている。
『お母さん! 何で起こしてくれなかったのよ!』
何度も起こしましたよとの母の台詞を背中に、美耶は慌てて身支度を整えると、転がる様に家を飛び出していた。
「美耶! お弁当!」
けれど、母のその言葉で自宅までの五十メートルをダッシュで戻る。
往復して更に一分のロス。
その結果、美耶は殆ど全力疾走でバス停を目指していた。
何とかバスを捕まえられれば、ギリギリ間に合う時間でもあったのだ。
高校に入ってからはここ迄酷い寝坊は初めてで、昨日までは美帆が泊まっていたので起こして貰っていたのだが、今朝はすっかり油断していた。
美帆が居なくなって、いきなり遅刻では幾ら何でも体裁が悪い。
「間に合うかぁ」
息を切らせて走る。
子供の頃からお世話になっている理容店の角を曲がれば、バス停はすぐそこの筈だった。
「いた!」
いつも使うバス停に、ちょうどバスが停まっている。それは、ギリギリ始業時間に間に合う最後のバスでもあった。
「待って、乗りまーす!」
バスに向かって大声を張り上げる。
けれど、バスまであともう三十メートルと言う所で、乗車中を示す後部ランプが消えてしまった。
「ちょっと待って!」
もっと早くと気が焦るが、意志に反してスピードが落ちて行く。いつもなら余裕で間に合う距離なのに、今朝は自宅からずっと走りぱなしで、流石に息が上がっていたのだ。
息が鞴のようで、バスまであともう少しだと言うのにそれ以上はどうやっても走り続けることが出来なかった。
ついには立ち止まって膝に手を付いてしまう。
そうこうしてる間にも、バスは動き出してしまった。
「待って・・・」
遅刻しちゃう。
けれど、美耶の心が失意に掴まれたその瞬間、心に囁くものがあった。
“力を使えばいい”
それは、美耶の中の精神生命体、Beの声だった。
彼はまだ、美耶の力の解明を諦めてはいなかったのだ。
危ない所だった。
ぎゅっと奥歯を噛みしめる。
Beに言われる迄もなく、無意識に力を使ってしまう所だったのだ。
自分の力の性質くらい美耶だって把握している。
何でも有りなこの能力は、何でも有りだからこそ安易に使ってはならなかった。
こんな事に使ったり出来る訳が無かったのだ。
美耶の心の中の負けん気が、再び両足を動かし始める。
『待って!』
お腹に力を込めると、自分でもびっくりするような大声が出た。
バスの後部座席に座っていた人が反応して、すかさず手を振ると、美耶に気が付いてくれたみたいだった。
動き出して間も無いバスが停まってくれる。
間に合った。
美耶は胸をなで下ろしていた。
◇ ◇ ◇
魔神の血脈において、確率を操る能力自体は別段珍しいという程の物でも無かった。
美耶の他にも例は有って、それは通常、幸運という形でその者に作用した。
即ち、タイミングが良い。くじに当たり易い。じゃんけんに負けない等、運に左右される物事で効果を発揮するのだ。
けれど、その能力が十歳を越えて発現する事はまれで、五十人近くの兄弟姉妹の中で、十六歳を越えてなお能力を維持出来たのは美帆と美耶の二人だけだったのだ。
「能力に選ばれたのよ」
美帆はそう言った。
確率を操る力は、有れば便利という代物では無く、むしろ負担になる場合の方が多かった。
何故なら幸運がその者に集中すれば、そのしわ寄せが周囲に及んでしまう。つまり、度を超えた幸運は、人間関係で齟齬を来す原因と成り易かったからだ。
それに、何でも思い通りになればその者を増長させ、危険を呼び込む事にも繋がってしまう。
確率を操る能力が年齢と共に消えてしまうのは、その者に不幸をもたらす事が無い様、能力自体が使用者を選んでいるのだと美帆は考えていたのだ。
堅苦しく考える必要は無いのだと、年離れた姉は教えていた。
「美耶に能力が有るのは、あなたにはこの力が必要だって事なのよ」
だから美帆は、美耶に力に関してのアドバイスを一切しなかった。
美耶に現在もまだ力があるのは、美耶が自分の力を適切に使用している証左だと考えていたのだ。
美耶自身は、自分の力は誰か困っている人のために使うべきだと考えていて、そうした考えこそが美耶に力が与えられた理由なのかも知れなかった。
◇ ◇ ◇
力は使わないと、改めて美耶は心の中で宣言した。
便利な力など使わなくとも、人は生きて行ける。
遅刻してしまったら素直に謝って、二度と失敗しないようにすれば良い。
ただそれだけの話なのだ。
けれどBeは執拗だった。
小テストの答えが分からなかった時、限定のアイスが目の前で無くなりかけた時。
失意の瞬間を捕まえては、美耶に力を使うことを迫って来る。
少しはコミュニケーションが取れる様になったと思いきや、やはり父と数十万年もの間争っていただけあって、精神生命体と人類とでは分かり合う事など不可能なのだろうか?
その内美耶は、Beに応える事を止めてしまった。
なるべく本心を明かさないようにして、当たり障りのない受け答えだけをする。
少しだけ残念な気もしたが、これ以上Beに関わるのは危険すぎる気がした。
そうやって美耶がBeの言葉を取り合わない様にしていると、Beが話掛けてくる回数も減ってきて、二人は自然と断絶状態となって行った。
そして、美耶がBeの事を意識しなく成った頃、Beは美耶にいきなり話掛けてこう言った。
“美耶、君の能力の解析が終わったよ”




