第二話 穗積美帆 その一
一人飯と言う言葉がある。
文字通り一人で食事を取る事なのだが、これが場所を学校に限ると異なる意味合いを持っていて、学校における一人飯は、その者に友人がいない事を指していた。
ただしそれは、その者が交友関係を持つ事が出来無い、性格に不備の有る人であると示すよりも、むしろその状況を許す周囲の者達に、人間性が欠如している事を表していた。
大げさと思うだろうか?
けれど、学校に置ける一人飯は、いじめや学級崩壊に次ぐ忌まわしい言葉でもあったのだ。
鈴木美耶と穂積美帆が友人となる切っ掛けが、この一人飯だった。
穂積美帆の一人飯を解消する為に、級友達が持ち回りで一緒に昼食を取る事になっていて、美耶達の番が回って来たのだ。
美耶からすれば余計なお世話としか思えないのだが、相棒の涼子が了承してしまっていた。
それに、学校と言う閉じられた環境で、一人飯は早急に解決すべき大問題でもあったのだ。
◇ ◇ ◇
美耶達の通う女子高に学食は無い。
食事をする場所と言う意味での食堂は有るのだが、パン等の軽食が売られているだけで、基本的には生徒自身が昼食を用意する。
美耶は、従姉妹で幼なじみの日枝涼子と一緒に、自分の教室で弁当を食べるのが習慣となっていた。
その日のお昼休み、涼子が穂積美帆を食事に誘うと、彼女はあっさりと了承した。
帰国子女の彼女は、どこか浮いている所があって、今一つ級友達と馴染めないで居たのだ。
いつも言葉数が少ない彼女は、自分からは話さないだけであって、どうやら人嫌いと言う訳でも無いらしい。
涼子が空いている机を運んで来て、三人で向かい合って座って、そして美耶は、この問題の本質を理解していた。
美耶の顔が引きつる。
穂積美帆のお弁当が重箱入りなのだ。それも、三段重ねになっている。
蒔絵の入った漆塗りの蓋を開けると、伊勢海老の頭が覗いて美耶をドン引きさせていた。
要は、穂積美帆の一人飯の原因は、彼女では無く彼女の弁当にあったのだ。これでは、いつも一緒に食べようなどと思う者はいない筈だ。
て言うか、一体何処のお嬢様だ。
「わー、美味しそうだね。分けて貰っても良い?」
『ちょっと、涼子!』
何の躊躇もなく、伊勢海老の焼き物に手を出そうとする涼子を美耶が叱る。
けれど、美帆と涼子が不思議そうな顔で、美耶を見返していた。
「良かったら鈴木さんもどうぞ。どうせ余るから遠慮しないで」
美帆が美耶に勧め、そして涼子が反応する。
「そう? じゃあ遠慮なく」
涼子は狙っていたらしい伊勢海老に箸を出すと、その白い身をもりもりと食べ始めた。
しまった。
美耶は早くも昼食を共にした事を後悔し始めていた。
従姉妹の関係故忘れがちなのだが、日枝涼子も資産家の娘だったのだ。
伊勢海老とか、庶民の美耶にはお正月しか眼に出来ない食材も、彼女達にとっては冷凍のエビフライと変わらぬ当たり前の食品なのだろう。
涼子と美帆の蟠りの無い遣り取りに、美耶は居辛い思いをしていた。彼女達との間に、まるで見えない壁が出来たみたいに感じていた。
勿論それは一方的な思い込みに過ぎないのだが、これでは美耶の方が一人飯に成ってしまいそうだった。
美耶が溜息を吐いて自分の弁当を広げる。
その日の弁当のおかずは、定番の鶏の唐揚げだった。
その他にも、飾り切りにした赤いウィンナーと、卵焼きにポテトサラダ、彩りにはプチトマトが入っていて、正に絵に描いたような庶民のお弁当だった。
重箱の御馳走には適わないけれど、これだって立派なお弁当だ。それに、ヨーグルトに漬け込んでから二度揚げする特製鶏唐は、美耶の大好物でもあった。
美耶が弁当の蓋を取ると、待ち構えていた涼子が、一番大きな唐揚げを奪い取る。
「いっこ貰い!」
「こらっ!」
形だけは怒るが、予め涼子の分も見込んであって、量は多めになっていた。
口一杯に頬張り、美味しいと絶賛する涼子を横目に、それでは自分もと箸で口元に運んで、美耶はその強い眼差しに気が付いていた。
ふと顔を向けると、鶏唐を羨望の眼差しで見つめる穂積美帆と視線が鉢合せする。
どちらも半ば口を開けての間抜け顔だった。
たっぷり三秒間見つめ合って、そして美耶は、慌てて自分の鶏唐を美帆に差し出していた。
「あの、よかったら穂積さんもどうぞ!」
勧めなかったのは決して意地悪では無くて、お重の御馳走に比べれば、鶏唐など貧相に思えてしまったからだ。
おかずのトレードが成立しないと、初めから思い込んでいたのだ。
顔を赤らめ、ぶんぶんと首を振る美帆を後目に、それならもう一個と、涼子が美耶の弁当に箸を出して来る。
『涼子は遠慮する!』
『あなたは遠慮なさい!』
思わず美耶と美帆の台詞がかぶって、そして誰からとも無く三人で笑い合った。
本当に些細な事なのに、見えない壁が消えた感じがして、自然と心が通じた気がした。
こういうのって良いなと自然に思えていた。
「ほら、遠慮しないで」
再び勧めると、美帆がゴクリと唾を飲み込む。
「これって美耶の、いえ、鈴木さんのお母さんが作ったの?」
「美耶で良いよ。そう、家のお母さんの自慢料理なの」
名前で呼ばれた事が嬉しくて、何だか微笑んでしまう。
美帆が左右を確認すると、それまで様子を伺っていた級友達が一斉に自分の弁当に向き直る。
そして美帆は、勿体を付けるようにして、美耶の鶏唐を頬張っていた。
「あっ」
感想を楽しみにする美耶の前で、何故か穂積美帆の頬を涙が伝っていた。
その予想出来ないリアクションで、美耶をぎょっとさせる。
「待って、これは違うの!」
涙を流した事に驚いたのは本人も同じだったらしく、慌てて美帆が涙を拭う。
自分の好きな懐かしい味だったから。
美帆はそう弁解して、そして、重箱入りの弁当を美耶に食べて欲しいと差し出していた。
その表情を見た瞬間、美耶は美帆と友達になろうと決意していた。
何故だろう。
目の前のクラスメイトと友達に成らない事は、絶対に損な事だと気が付いていたのだ。




