第十七話 本当の自分の願い その一
「し、死んだ?」
唖然とする美耶に光の珠は言った。
「そう。騙し討ちとなってしまったのは遺憾だが、君の様な存在が現れるのを千年も待ったのだ。私が君の力を手に入れる事は既定だった」
「そんな・・・」
光の珠の言葉に愕然とさせられる。
けれどその一方で、美耶の中で腑に落ちる物が有った。
夢の中の世界で感じた、あの、自分の心が見つからない寂寥感。いや、あれは絶望感と言っても良かった。
あの時既に、美耶の心は殺されていたのだ。
「私は君の意識を分解し、完全に消去した。意識の残滓から君と言う存在が復活したのは、橘媛の力による物だろう」
その言葉に呆然としながらも、自然と言葉がこぼれる。
「また、あたしを殺すのですか?」
不思議と恐怖は感じなかった。
夢の事の様に現実感が無かったからだ。
ただ、死んでしまった本当の自分は、一体どんな賭をしたのだろう?
そんな事を考えていた。
けれど、光の珠の答えは美耶の予想を超えていた。
「いや、出来れば協力して欲しい」
「えっ、協力?」
光の珠が美耶の言葉を肯定するように少しだけ縦に揺れる。
「身体を手に入れた事で分かったのだが、君の現実に干渉する能力は、君の肉体ではなく、精神に由来する物である可能性が高いのだ。だから、君の能力を解析する為に協力して貰いたい」
「なっ・・・」
その言い方に言葉を無くす。
一体、なんて身勝手なのだろう。
自らが殺した相手を捕まえて協力しろ等と。正気とも思えなかった。
「実際の所、能力の調査は行き詰まっていたのだ。そうした意味で、君の復活は正に僥倖だった」
美耶は半ば呆れて言った。
「そんな事に、あたしが協力するとでも思っているのですか?」
自分の助けが無ければ行き詰まるのなら、尚更協力など出来る筈も無い。
けれど光の珠は何の動揺も見せなかった。
「君は協力するとも。ただそれが、自発的であるかどうかの問題だ。君という存在は既に私の手中にある。君の能力を私が手にするのは既定なのだから」
何の感情も無く、ただ事実を告げるだけのその言葉に、背筋が凍り付くような恐怖を覚える。
目の前の意識体が、人類とは全く別物で有る事にようやく思い当たった。
彼は、あの優しい父の敵だったのだ。
「私の事はBeと呼ぶといい。私に固有の名詞は無いが、君と話す上で、いつまでも光の珠では不便だからだ」
「Be・・・」
「君の働きに期待している。貴重なサンプルである君の身体を返す訳には行かないが、協力によっては、幾らかの精神の自由を約束してあげよう」
酷い言われようだった。
それでは美耶が、まるでBeの所有物みたいだ。
「今回はここ迄にしよう。君には、自分の能力を発現させる事を考えて貰いたい。その能力を私に開示するのだ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
消え掛かる光の珠を呼び止める。
けれど、夢の中での美耶の身体が薄れ始めていた。実在の身体が目覚め始めているのだ。
「当面は自分の思うままに暮らしていて構わない。連絡の必要が有れば私から話しかけよう」
「待って!」
自分は、どうなってしまったのか?
自分は、どうなってしまうのだろうか?
怖くなって、手を伸ばして必死にBeを呼び止める。けれど、彼の存在はとっくに感じられなくなっていた。
『待って!』
◇ ◇ ◇
眼を開くと、伸ばした腕の先には部屋の天井が広がっている。
肌掛けを撥ね除けて身体を起こす。
壁の時計が朝の六時を指していた。
そこは見慣れた自分の部屋で、昨夜寝た時と同じベッドの上だった。
「夢・・・?」
額にびっしりと掻いた汗を、パジャマの袖で拭いとる。
酷い夢だった。
消えてしまったと思われた自分の本体は、実は何にかの賭けに負けて殺されていた。
美耶の身体の所有権は、父の敵であった者の手に落ちて、自分は奴隷の身の上になってしまっていたのだ。
「は、ははははは・・・」
乾いた笑いがこぼれる。
夢ならではの、とんでもストーリーだ。
こんなの、本当の筈が無い。
けれど、まるで大きな氷の固まりを飲み込んだみたいに胸の奥が冷たかった。
今も心臓の動悸が納まらないでいる。
自分の身体を抱きしめるようにして震えていると、遠慮がちのノックがあって、少しだけ開かれたドアから美帆が入ってきた。
「大丈夫? うなされていたみたいだったけど・・・」
彼女は美耶の事を心配して、家に泊まっていてくれていたのだ。
そうだ、美帆に相談しよう。
彼女なら、こんなとんでもない話でも、笑わずに聞いてくれる。解決するために力を貸してくれる筈だった。
「美帆、あのね・・・」
けれど美帆に相談しようと考えたその瞬間、美耶の中から一切の言葉が消えてしまった。
言葉を話そうとする唇から、吐息だけがこぼれて行く。
“!”
一瞬前まで鮮明に覚えていた筈の夢の内容が、今は全く思い出せなくなっていた。
自分ではない何者かに心を弄られたショックで心の中が真っ白になる。
それは、あからさまな警告だった。
彼は、美耶が美帆に相談する事を望んではいないのだ。
『協力によっては、幾らかの精神の自由を約束してあげよう』
彼はそう言っていた。それは、全く冗談では無かったのだ。
心が他人に乗っ取られて、自分の思うように働かなかった。
絶望が美耶の心臓を鷲掴みにする。
助けて!
けれど、口がぱくぱくと動くだけで、想いが言葉に成らない。
「大丈夫。大丈夫よ、美耶」
気が付くと、美帆の胸に抱かれていた。
年離れた姉は、まるでもう一人のお母さんみたいだった。
「あなたには、このお姉ちゃんが付いてるんだもの」
現金なもので、美帆のその一言で恐怖が淡雪のように溶けて行く。
「お姉ちゃんが、取って置きのおまじないをしてあげる」
そう言うと美帆は美耶の前に立って、両手を胸に当て、祝詞を唱え始めた。
「吾が御神祖、弟橘媛の尊に、かけまくも畏み畏み申し上げる。吾が愛妹の苦しみを退けたまへ。美耶のあらゆる厄災に、吾が力が届くよう導きたまへ」
いつの間にか部屋の中が明るくなっていた。
美耶の目の前で一人の少女が、窓から差し込む朝の日差しよりも強く輝いている。
その輝きは、胸に当てられた美帆の手の平に集まり始め、やがて直視できぬほど強くなった後でふっと消えた。
何事が起こったのかと呆然とする美耶の目の前に、美帆が両手を差し出して来る。
花の香りがした。
美帆の手の平には、いつの間にか一枚の花弁が乗せられていた。
「これを口に含んで。そして呪文を、橘媛の加護を受けますって唱えるの」
ただのおまじないの類で無い事は明白だった。
助けを求める美耶に、断る理由など有ろう筈も無い。それなのに。
『いらない!』
美耶の意志に反して、身体が美帆を突き飛ばしていた。
おまじないの花弁が、美帆の手のひらからこぼれ落ちて行く。
「なんで余計な事をするの? 人事なのに。そんなに、むきになって!」
美耶なら絶対に言わない残酷な言葉が、姉に向かって投げつけられる。
今度こそ本当に美耶の心が絶望に染まった。
「この世界に、人事なんて事象は存在しないわ」
けれど、それを言う美帆の表情は穏やかなままだった。
「お節介なんて余計な事だと。見て見ぬ振りをすれば良いと、人は言うかも知れないわ。でも、お父様は教えてくださったの。人の幸せは他人から必要とされる事なのだと。あたしはその事を信じるから、不幸な顔をしている人を放っては置けないの。それが自分の妹なら尚更だわ」
美帆・・・。
それを聞いて、美帆も父に、あの話を聞いたのだと気が付いた。
幼い頃、父の膝の上でよく聞いたあの昔話。
必要とされて幸せになった魔神の、あの昔話を。
美耶はその時、美帆が本当の姉妹なのだと信じられた。
今までだって疑っていた訳では無い。
けれど、心の中に感じていたほんの少しの違和感が、その時完全に消滅していた。
『人に使役される事がその者の幸せであると、本当に魔神がそう言ったのか?』
美耶の心の一部がうめき声を上げる。
何より彼は、美耶がそれに疑いを感じていない事にショックを受けた様子だった。
“!”
身体の自由を奪う戒めが緩むのと同時に、視界の隅の美帆の花弁に気が付く。
再び戒めが強まるのと、美耶が布団の上の花弁に唇を寄せるのは同時だった。
“ 橘媛の加護を受けますって唱えるの ”
Beは美帆に介入される事を余程恐れているらしく、美耶の記憶からその呪文をかき消してしまっていた。
でも、美耶は理解していた。
それは呪文ではなくて、気持ちなのだと。
だから迷い無く花弁に口付けをすると、自分の想いを宣言していた。
『あたしは、美帆を信じる!』
◇ ◇ ◇
その言葉によって、物理法則さえ歪める橘媛の力が解放された。
美帆の想いの結晶である橘の花弁が、美耶の心の中に沁み透って行く。
それは、穂積美帆の意志そのものだった。
家族に対する深い愛情と、それを護りたいという強い決意とが、ぐいぐいと美耶の心を包み込んで行く。
なんて大きな力なんだろう。
美耶は、美帆が与えてくれた心を、強大な力として捉えていた。
大切な人の願いを叶える魔神の力。
この力を使えば、美耶の中の彼を退けるどころか、どんな願いだって叶えられそうだった。
願い・・・あたしの願い?
美耶の願いは、自分の心の中に巣くう彼を追い払うことだった。
それ以外には考えられない。
けれど、大きな力を得るのと同時に、美耶の中に疑いの心が頭をもたげていた。
彼に消されてしまった、本当の自分の願いも同じだろうか?
そもそも本当の自分は、何故彼を拒絶せずに、賭などをしたのだろうか?
美帆がもたらした力は、美耶にBeと名乗る精神生命体の正体を告げていた。
銀河文明において、美耶の父親と長きに渡り敵対する存在であったこと。
無敵の魔神と呼ばれた父の力の秘密を探るために、故意に美帆に捕らえられて、この地球圏に遣って来た事。
彼は人類にとって危険な存在だった。
一刻も早く滅ぼさなければならない事は一目瞭然なのだ。
なのに、何故か美耶の心の奥底に眠るものが囁くのだ。
『彼を滅ぼしてはならない』と
◇ ◇ ◇
「美耶! 美耶、どうしたの?」
美帆が与えてくれた力の効力が弱まり始めていた。
早く願いを決めなければいけないのに、心が定まらない。
自分はどうしたら良いのか、一体何をするべきなのか、美耶には全く解らなくなってしまっていた。




