第十五話 間断された心 その二
「本物の美耶じゃない?」
いつものお昼休み。美耶は、いつもの三人で机を寄せ合い、母の作った弁当をつついていた。
「あー、えーと・・・。それでさ、定治の店で今度新作のフルーツタルトを出す事になってて、試食して欲しいって頼まれてるのよ。良かったら皆で・・・」
年離れた姉は美耶の話を聞いた後、一瞬だけ困った表情を浮かべ、いきなり話題を変えてしまった。
「何でスルーするのよ!」
◇ ◇ ◇
美耶は、夢の世界で起きた出来事を二人に話していた。
自分が本物の自分では無いかも知れない。
そんな恐怖を感じながら、殆ど高飛び込みをする決意で相談していると言うのに、美帆は美耶の話を全く本気とは取らなかったのだ。
それ所か、一番親しい幼なじみでさえ、その視線は冷たかった。
「何よ。その眼付きは?」
美耶が不満を述べると、涼子は爪を噛む仕草をして短く吐息を吐いた。
「美耶ちゃん。私たち、本当に心配したんだからね」
それは、涼子が本当に怒っている時にやる癖で、それを知る美耶が思わず鼻白む。
「病院に運ばれて、入院までしたって言うのに。私、そんな風にネタにするのは不謹慎だと思う」
「ちょ、待ってよ! これは本当の話で、今のあたしは間断を繋ぐ為の仮の人格なのよ」
「いい加減にして!」
涼子は本気で怒っていた。
幼馴染みと言っても、赤ん坊の頃から一緒に育った姉妹とも同じ関係だった。
美耶だって、涼子が本当に心配しているのは分かっているのだ。
怒られて塩した青菜のように萎れていると、涼子が少しだけ譲歩してくる。
「それってつまり、夢の中の話な訳よね? そもそも間断って何なのよ。美耶ちゃんてば意味分かって言ってる訳?」
「そんなの当たり前じゃない。間断って言ったら、あのけんだんよ・・・。あれっ? ちょっと待って」
ポケットからスマホを引っ張り出して、美耶がおもむろに検索を始めると、それを見た涼子が大げさに溜息を吐いた。
「あった。あれ? 間断はけんだん、じゃなくて、かんだん、だったわ」
美耶が読み仮名を訂正すると、涼子がほらみなさいと言う顔をする。
けれど、美帆が口を挟んで言った。
「美耶の言う意味なら、けんだんで合っているわ。間断は元々、仏教の用語で、意識の連続性が断たれる事を言うのよ」
涼子が怪訝な顔をする。
「仏教? 美耶ちゃん家は、地元神社の氏子じゃ無かったっけ?」
美帆は首を振った。
「信仰とは関係ないの。あたし達が使う日本語には、元々沢山の仏教の言葉が内包されていて、間断もその一つって事よ」
そう言って、美帆は語り出した。
◇ ◇ ◇
「人間の意識っていうのは、例えるなら脳というCPU上で実行されるアプリケーションの様な物よ。美耶、ちょっとそれ貸してくれる?」
美帆は美耶からスマホを受け取ると、それをそのまま机の上に置いた。
「今、このスマホには検索アプリが実行されているわ。けど・・・」
三人で美耶のスマホの画面を覗き込む。
程なくして画面は暗くなってしまった。
「切れちゃったわ」
「切れたって言うか、スリープに成ったのよ。画面を触れば復活するし」
美耶がちょんと画面をタッチすると、スマホの画面が元の検索アプリを表示する。
「そう。このスマホは今は寝ていたの。でも、こうするとどうなるかしら?」
美帆はスマホの角のボタンを長押しして、シャットダウンしてしまった。
「今度は画面を触っても復活しないわよね」
「そんなの当たり前じゃない。電源を落としちゃったんだから」
美耶が電源を入れ直す。程なくしてスマホの画面は明るさを取り戻した。
「つまり、これが間断よ。間断って、意識を深く途切れさせる事なの」
ふーん。
美耶と涼子が納得した顔をする。
ここで終われば良くある蘊蓄話でしか無かったのだが、美帆の話は続きが合った。
「このスマホ、さっきのアプリが表示されていないわよね?」
「そんなの当たり前じゃない。リセットしちゃったんだから」
美耶が言って、涼子が頷く。
「スマホにはO・Sが組み込まれているから、電源を入れたら確かに何度でも同じ画面が起動するわ。でも、考えてみて。スマホのCPUが脳で、アプリケーションが意識だとしたら、さっきまで検索アプリが表示されていたこのスマホの意識は、リセットした前と後で本当に同一と言えるかしら?」
「ええっ?」
それまで考えた事も無かった概念に二人が面を喰らう。
「このスマホは電源を切る事で一度死んだの。例え記憶が脳に保管されていたとしても、死んで生き返った心が、本当に同じ物だと言えるかしら」
「ちょっと待って!」
ようやく美帆の言いたい事を理解した美耶が悲鳴を上げた。飛び上がる様にして立ち上がる。
「つまり、意識が間断すると、人の心は死んでしまうって事なの?」
美耶の表情は、まるで死刑宣告を受けたように真っ青だった。
慌てて美帆が両手を振る。
「違う違う。スマホと違って、そうならない為の仕組みが人の心の中には有るのよ。それが末那識。人の心の無意識にある、命を維持し続けようと言う本能よ」
「末那識?」
呆然とする美耶に美帆は頷いた。
「気を失っても、いきなり心臓が止まったりはしないでしょ? それは、生物としての身体の仕組みがそうさせているのだけど、心にも同じように意識の永続性を保とうとする機能があるのよ。それが末那識。心の中の八つの領域の内の一つよ」
「心の中の八つの領域?」
美帆が頷いた。
「そう。百歩譲って、例え美耶の心が昨日までの物と違うのだとしても、それは美耶の中の末那識が働いて意識の永続性が担保された物なのよ。だから良いじゃない」
「良いじゃないって、そんな・・・」
「心の深層意識である末那識が働いても、通常それが記憶に残る事は無いわ。つまり、心の間断なんて良くある事なのよ」
「だって!」
反論しようとする美耶を美帆が押し止める。
「美耶の心に大きな間断が有った事は事実よ。けれど、自己保存の機能が働いて、無事復活出来た。だから何処にも問題なんて無いのよ」
「でも・・・」
「これは秘密なんだけど」
それでも納得出来ない美耶に、美帆は声を潜める様にして言った。
「あたしにはね、人の心の形が見えるの」
「ええっ?」
驚きの声を上げる二人に、美帆が人差し指を立てる。
「何を考えているか具体的に分かる訳では無いわ。けど、その人が落ち込んでいたり、嘘を付いていたりすれば大抵分かるし、勿論その人の心が別の形になっていたりすれば、あたしには分かるの。だから大丈夫」
「大丈夫って?」
鸚鵡返しする美耶に美帆が笑い掛ける。
「あなたは間違いなく美耶よ。だって、心の形が同じなのですもの。だから、自分が偽物かも知れないなんて思い悩む必要は全然無いの」
あっ・・・。
美耶は、それが自分の求めていた答えなのだと気が付いた。
偽物がどうのとかは関係なくて、初めから自分は、自分が本物の鈴木美耶で有ると安心させて貰いたかったのだ。
美帆の答えは、すとんと美耶の内に納まった。自分は大丈夫なのだと納得できた。
気が抜けて崩れるように椅子に座り込み、背もたれに身体を預ける。ほっと安心すると、何だか猛烈にお腹が空いて来た。
「あれっ?」
気が付くと、弁当箱の中身が空っぽになっていた。知らぬ間に食べ終わっていたらしい。
涼子が息を吹き出す。
そして、美耶に卵とハムのサンドイッチを差し出して来る。
「やっぱり美耶ちゃんは美耶ちゃんだわ。悩み事があっても食欲は全然変わらないんだもの」
三人で笑い合う。
けれど、問題は何も解決してはいなかった。
彼女らが考えなくてはいけない事は美耶の心の真贋ではなく、心を間断させた原因が何かと言う事なのだから。




