猫耳を残して奮起するだけの話 その二
彼は確か……魚みたいの名前をしていた。何だったかな……そうだっ! 岩島君だ。
その岩島君は僕の一つ後ろの席に座るクラスメイトで何かスポーツをしているのか、なよっちい僕とは大違いの引き締まった身体の持ち主だ。僕とは比べるべくもなく、同級生達の中でも一際目立つ高身長であり、その肉体が見せかけではないことは体育の時間ですでに見知っている。
他のクラスメイト同様関わったことなんてなかったので何故こうやって睨まれているのか皆目見当がつかない。しかも彼は整ってはいるものの鋭い目付きも相まってかなりの強面だ。
なるべく目を合わせないようにやや俯きながら自分の席に着く。
背後に感じる嫌な視線に夏の夜の耳元で飛ぶ蚊のような不快さを感じる。無視するには大きすぎ、どうすれば払えるかわからない。そんな不快さだ。
「……おい」
後ろからそんな声が聞こえた気がする。さほど大きな声ではないので他には誰も気付いていないようだ。どうしよう、怖いけど振り向かないとだよね……
聞こえなかったふりもできそうでどう反応しようか迷っていると、肩に手を置かれた。
「おい、転校生」
今度は無視するわけにもいかず、ゆっくりと振り返る。
「なんでしょう? 岩島君」
僕の言葉が何か気に入らなかったのか眉間に刻まれた皺がより深くなる。
小さくため息のような息を漏らし岩島君は声を潜める。
「さっき佐藤と何話してたんだ?」
「佐藤……?」
佐藤と言う人物に心当たりがなくて首をかしげる。それに岩島君は苛立ちを隠しもしない。
「さっき教室入口でぶつかってたやつだよっ」
あっ。あの人斉藤さんじゃなかったのか。
「あ、挨拶しただけです。それですれ違おうとしたらぶつかって謝っただけで……」
僕の言葉にじっとこちらを見つめる岩島君だったけど納得したのか目を逸らす。
「そうか」
短く返事をした岩島君の頬が若干赤くなっていることでようやくどうしてこんなことになったのかわかった。たぶん彼は佐藤さんのことが好きなんだろう。すこし?不器用なだけで。
小さく笑みを漏らし前を向く。朝からクラスメイトの知らなかった一面を見れてなんだか嬉しかった。岩島君のことはその体格と強面から少し苦手意識があったのだけれどこれからは普通にできそう。
「あ、転校生っ。今のこと誰にも言うなよ?」
慌てたように言う岩島君。
「わかりました。それと、できればその転校生って言うのはやめてほしいんですけど……もうここに来てから二か月経っていますし」
左手で耳の後ろ辺りを掻きながら苦笑してそう言うと、余程僕の発言が意外だったのかぽかんとした顔で口を開け間の抜けた表情を浮かべる岩島君。それからおもむろに獰猛な笑みを浮かべる。
「だったその気もちわりぃ敬語やめろよなっ」
そう言い肩に手をまわしてくる。
っえ? えええっ!?
何この友達みたいなやり取り!?
いや嬉しいんだけどっ。
嬉しいんだけれども!
突然のことに頭が真っ白になる。顔が熱い。
「そ、その。これは癖みたいなものでして……な、直しますから僕とお友達になってくださいっ!」
混乱した僕は静かな朝の教室に響く声でそんなことを言ってしまった。熱かった顔が一層酷いことになる。今の僕を端から見ていれば顔が真っ赤になっていることだろう。
ぎょっとした他のクラスメイトの視線に身を縮ませる。
自分の発言の内容が頭にしみ込んでくるほど僕の頭は下を向いて行く。
「っぷ。ふはははっ! お前面白れぇやつだな! んじゃあ俺のことは翔也って呼べよ、歴!」
大声で笑いながら僕の肩をバシバシ叩く、いわし……翔也。
この状況がすごく恥ずかしくて、でもそれ以上に凄くうれしくて。
両親が死んだ七年前から初めてできた、と、友達に、
「うん。よろしくね、翔也」
猫扱いしているシーナを除けば常に、それこそ亡くなった祖父母に対しても使っていた敬語を使わずにそう言った。
朝の出来事は瞬く間にクラスメイト全員に伝わったらしく、その日は転校初日のように皆が集まってきた。
僕にというよりも翔也に集まっていた気もするけど。あれだけ人を寄せ付けなかった僕と仲良くなったのが不思議だったらしい。
別に人を寄せ付けないようにしていたつもりはなかったんだけど。なんて言っても誰も信じないだろう。僕も他の人が同じようにしていれば信じなかっただろうし。
まだ全員に敬語なしに話しかけるのは難しいけれど少しずつ直していこう。
この日は久しぶりにたくさんの人と話すことができて楽しかった。
今度こそ新しい僕の学校生活が今始まる!
「……岩島×転校生…………ふふ。ふふふふ……」
「転校生殿の以前居られた所は確か……まほカレの聖地だったはず…………」
「岩島君……やっぱりカッコいいよぉ……」
教室のどこかで聞こえたそんな声は僕の耳には入ってこなかった。