猫耳を残して奮起するだけの話 その一
今日は学校に行かなくちゃいけないんだけど……
僕は今、朝食を終え鞄を持ってさあ家を出ようと言う所で悩んでいた。見た目幼女、中身猫のシーナを一人で家においておくことに不安が残る。とりあえずお昼におにぎりを作っておいたけど、僕の部屋に暇を潰せるようなものは何もないし。
帰りに本屋で絵本でも買ってくるかな。読めるのかわからないけど、普通に話せているからたぶん大丈夫だと思いたい。
「それじゃあシーナ、行ってくるよ。誰も来ないと思うけど誰か来ても無視していいからね。お腹が空いたらおにぎりがあるからそれを食べてね」
僕の中ではすでにシーナには食事が必要でないことなんてすっかり抜け落ちていた。
不安だが、それでも学校には行かなくちゃいけない。まだ気が重いけどみんなと仲良くなりたいって決めたんだから頑張らないと。
シーナが僕の目を見つめるので、首をかしげながら僕も見つめ返す。シーナが何を考えているのかその大きな黒い瞳から読み取ろうとし――――
「んにゃー、ふしゅっ」
欠伸を一つして耳の後ろを掻いた。それにくすりと微笑んで僕は家を出た。
「行ってきます」
この言葉を言ったのも久しぶりだった。
学校に着いて第一声が大事だ。そこできちんと挨拶できればきっと今日から挽回できるはず。できる、できる。僕ならできる。
そう念仏のように唱えながら歩く僕はかなり不気味だったと思う。だが、今現在これまでの失敗を挽回しようと頭が一杯の僕はそのことに気付いていない。
僕の通う華利根中学校は田舎の小さな町に唯一ある町立の学校で全校生徒は三学年全てを合わせても百人に満たない。前に通っていた学校は少子化で生徒が減ったとは言っていたがそれでも五百人くらいはいたので、初めて聞いたときはすごく驚いたのを今でも覚えている。
僕がこの学校で馴染めなかったのはこのギャップのせいもあるだろうけど、一番はほとんどすべての生徒がこの町の子供で小学生の頃からの知り合いであることが大きい。生まれた時から一緒と言う人も少なからずいるようだし。
……なんて理屈っぽく理由を言ってみたところで僕がいじけた態度でいたのが原因なのはわかっているのだけど。
自分のことで頭が一杯で周りに目を向けずにいた結果が今の状態だ。それでこちらから話しかけるのも気まずくなってしまった。来たばかりの時に話しかけてくれたクラスメイトに普通に返事をしていただけでこんなことにはならなかったのに。
東に面した玄関をくぐり、下駄箱で上履きに履き替える。下駄箱に収められた上履きを見れば、この上履きも僕のものだけが新品だ。
なにも上履きに限った話じゃない。みんなは少しサイズの合わなくなったジャージや皺の寄った制服だけど、僕のだけが真新しい。僕のことを知らない人でも一目で浮いてるのがわかる。
そういえば前の学校では制服登校が当たり前だったけどこの学校ではジャージで登校することが許されている。これも最初は戸惑ったものだ。転校初日制服で学校に来ていたのは僕だけでみんな学校指定のジャージを着ていた。今では僕もジャージで学校に通っている。
二階建ての校舎の階段を上り、二階手前の教室が僕の所属する三年一組だ。……もとより一クラスしかないけど。その奥が順に、準備室、二年一組、準備室、一年一組となっている。
準備室と言うのは使われなくなった教室のことで古い机なんかが置かれている。
一階には職員室や音楽室を始めとした実技科目用の特別教室が並んでいる。そんな単純な割り振りなので来たばかりの僕も特に迷うことなく移動できる。
自分の教室の扉に手を掛け、目をつぶって大きく深呼吸する。ここから僕の新しい学校生活がはじ――――
ガラッ
「…………」
「あ、おはよー」
「お、おはようございます……」
扉の前で目をつぶりながら深呼吸する姿をクラスメイトに目撃された。身構えていたせいで逆にとっさの事態に反応することができず、棒立ちになっていたところに同じクラスの……確か斉藤さん? に挨拶された。何とか返した挨拶は途中で尻つぼみになり、目を合わせることもできずに下に逸らしてしまう。
ぶつからないように右に寄ろうと右足を出そうとする。
すると斉藤さん(と思われる人)も右……斉藤さんにとって左足を出したからぶつかってしまった。
「きゃっ」
「わ、ご、ごめんなさい大丈夫ですか⁉︎」
思わず後ろにのけ反り慌てて謝る僕に斉藤さん(たぶん)は、あはは、と笑い気にしないでと言って教室を出て行った。
これが僕と斉藤さん(仮)との初めての邂逅だった――そんな漫画みたいな展開があろうはずもなく、逃げるようにして教室に入った。
まだ数人しかいない教室の視線が集まる。まだ人数の少ない朝であり、入り口であんなことしていれば目立ちもするよね。一瞬教室を見回し自分の席に着こうとするが僕のことを睨んでいる男子生徒がいた。
うん。これは絶対に僕の気のせいじゃない。……と思う。