星屑を掴みに(上)【その他】
【星屑を掴みに(上)】
刺さるような寒さから自分を隠す様に毛布の中にうずくまる。
心地よい布の中、ただ機会的に何者かに支配されるように、何度も何度も携帯電話のボタンを押した。
その行動には何も意味はない。メールを書いているわけでもなく、同級生の中で流行っているブログを書いているわけでもない。検索エンジンで有意義な検索をしているわけでもない。
デフォルトで設定されていた待ち受け画面を眺めて、画面がブラックアウトしたらまたつける。規則的にそれを繰り返して、毛布の中の束の間の明かりに心を落ち着けた。
本当は、だ。部屋の明かりをつければいい。
でもなんとなく、この暗い部屋が明るくなってしまったら、自分の悪いところがすべて見えてしまうような気がして怖いのだ。
この狭い空間のちっぽけな明かりが自分を安心させてくれる。
何十回目か分からないボタンを押すと、時刻は22時30分を印字した。
高校2年生。平均的な偏差値の高校に通い、バイトだってしている。教室に入れば馬鹿な話をして笑い合える友人もいるし、気になるあの子にも嫌われていない、筈。
でもなんとなく誰でもないナニカに、お前の場所は此処じゃないと責められている気がして、俺はまた隠れるように身を小さくした。
今日は明かりのない新月の夜。何もない、理由もなくセンチメンタルな夜だ。
こんな自分を周りは知ったらなんていうだろうか。らしくないと笑われるだろうか。もしかしたら何ヶ月かは女子みたいだとネタにされるかもしれない。
考えるほどに体の面積は小さくなり、それが苦しくなって思いっきり体を起こした。
部屋は俺を追い出す様に真っ暗だ。
(ああ、何故かどうしようもなく怖い)
6時間前に脱ぎ捨てた厚手のコートを掴むと素早く着込む。
本当に電気をつければいいだけなんだ。だけど怖くなって、孤独の空間から逃げだした。
両親は寝ている。たった一人の兄も夜勤で今日はいない。怖い場所から逃げだすのはとても簡単だ。
青少年育成ナントカで夜遅くに外出するのは禁止らしい。いいんだ、守っている生徒なんてごく僅かなのだから。
何にも追われていないのに俺は走る。サンダルで出てきてしまったからか、唯一素肌を見せている足が寒さでピリピリと痛む。
白い息だけが自分の生を感じさせ、でもそれを幸せと感じることなく否、それを否定したいようにもっと走るスピードを上げた。
ピリピリと痛んでいたのは足のはずなのに、それが胸へと伝った。
そんな自分の足を止めたのは音だった。
それは完成された音で、だけど何かが足りない音だった。
上がる呼吸を押し殺してその音を目指す。
自分の家からかなり離れた場所、住宅街を抜け、更に殺風景な農道の数少ない街灯の下からその音は高らかに響くのだった。
自分の身を暗闇に溶け込ませながら街灯を注視する。人がギターを片手に歌っている。
栄えた駅前ならわかる。ストリートミュージシャンが歌っている光景はテレビの中で何度も見た。でもここは、どう考えても栄えているとは言えない片田舎で、しかも23時を間近に出歩いているのはバイク乗りの不良か、変質者だ。
もちろん後者を考えたが、ギターとそいつの声が気になって更に近づいた。
だんだんに暗闇に目が慣れ、街灯の光も相まって歌声の持ち主がはっきり映ってくる。
男にしては高音のしかし、よく通って芯のある歌声だ。
「……あ」
思わず声を上げた。街灯の下、歌っているのはクラスメートだったからだ。
そいつはこの寒空の下、チノパンとパーカー一枚という薄着で、口から白い息を漏らしながら歌っている。
アンプの繋がっていないギターからは控えめな音が鳴り響く。
そのクラスメートは鈴木正臣、名前はたしかこれで合っている筈だ。
あまり話したことはないが、品行方正、真面目、優等生……そして目立たない。そんなイメージの奴だった。
鈴木は俺が目の前に立っても一瞥もせずに歌を歌い続けた。
手を抜かず、繊細に引き出される音と声は素人目に見てもうまいと思う。寒空の下、歌い続ける鈴木は街灯一本の下にいるのにもかかわらず、もっとたくさんの光を浴びてライブをしている歌手のようだ。
ただただ魅せられた。寒空の中、外見に似合わない派手なエレキギターに指を滑らせる様に。そして、高らかに聞きなれない歌を奏でる様は純粋にかっこいいと思ってしまった。
ほんの数分が止まったかのように感じる衝撃。
ロングトーンの後に激しく鳴っていたギターもやむ。
俺は涙で潤む瞳を激しく瞬きさせた。これは寒さのせいだ、と自分を誤魔化しながら。
奴はギターを下すと、こちらに一歩近づいた。
「高野くん、だよね? 家近いの?」
見られたことを恥ずかしむ様子もなく俺の名前を呼んだ。周りがダサいと言うシルバーフレームの眼鏡をあげながらだ。
「い、いや散歩しててさ……ギターの音なんて珍しいから追ってきただけ」
自分でも驚くほどの苦し紛れの言い訳に、鈴木は疑う様子もなくそっかぁ、と頭を掻いた。
「僕さ、アパートに住んでるんだけど、ギター弾くと近所迷惑でしょ? だからいっつもこの街灯の下で練習してるんだ」
「ああ、そうなの? あまり楽器とかやってるイメージないからさ驚いたよ。それに歌も」
俺は心で思ったことをそのまま口にした。鈴木と喋るのは同じクラスなのに初めてかもしれない。意外に喋る奴なんだな、と思いながらそいつのギターケースが置いてある近くに腰を下ろした。
「そうなんだ。8歳の頃からギターを始めて。最初は父さんの影響でジャズを引いてたんだけどロックの方が楽しくなっちゃってね。これ、オリジナル曲なんだ」
そういうと鈴木は鞄の中から譜面を取り出す。タイトルは“星屑”になっていた。
「作詞作曲とかすげーな。ん……?」
俺は作曲欄で手が止まる。作詞の欄には鈴木正臣と書いてあるが、作曲の欄はイニシャルでY.Oとだけ書かれていた。
「作曲は僕じゃないんだ。クラスメートに書いてもらったんだけど」
そこからクラスメートの名前を片っ端から思い出した。
頭を捻ると該当するのはひとりだけだ。
「あれ、イニシャルってことはYが名前だよな? で、Oが苗字……お、お、小田勇人か!?」
鈴木は正解だ、と言った。
小田勇人は簡単に言えば鈴木とは全く縁のないタイプだ。クラスのリーダー的存在で、体育祭や文化祭の行事ごとでは間違いなく指揮をとる。正直俺は得意なタイプではない。
「ユウには内緒ね。作曲してるのばらしたなんて言ったら半殺しにされるから」
さっきまで作曲の出来の確認にここに来ていたんだけどね、と鈴木は続けた。
小田勇人と鈴木は教室で話しているところを見たことがなかった。話を聞くと従兄弟らしく、学校以外で音楽活動をしているらしい。
人は見かけで判断する物ではないな、と痛感した。