吟遊詩人
「ミズノ様、私はそろそろ失礼させていただきます」
小一時間ぐらい話したころだろうか、ノイエはそう言って立ち上がった。
「では、是非我が一族の当主に会っていただけませんか?」
「ガザリア=ホーク様ですね。
ですが、今日は遠慮いたします」
「何か、不都合な点でも?」
「ええ。今日は入り口から入っていないの。魔方陣で直接この部屋に来てしまったので、御当主様には会いづらいですもの」
そう言うノイエに、ミズノは笑った。
ノイエは本当は会いたくないだけだった。
ホーク家の当主とカジム王国の王女。
話を全て聞いてしまった今となっては、会ったことが世間に知れれば大変な事になる。自分が介入する事で、この国を争いへと加速させるようなことは避けたかった。
「お願いがあるのですが、よろしいですか?」
「ええ」
「ホーク家の庭の花を一輪頂いてもよろしいですか?」
「かまいませんが、どうされるのですか」
「少し、気になることがありますので。
では、また伺わせて頂きますね」
ノイエはそう言ってミズノに向かって一礼すると、すっとその場から消えた。
たどり着いたのは、ホーク家の荒れ家。
ノエイは群生する龍香花から一本手折った。
夜はいつの間にか深く、その場所はどことなく不気味だった。
ノエイは手に取った龍香花に軽く魔法をかけ、宿屋へと魔方陣で戻った。
宿屋の部屋に直接戻ったノイエは、空き瓶に水をため、そこに持ち帰った花を挿した。
何だか一息ついたら、お腹がすいて、ノイエは1階にある食堂へと移動することにした。階段から降りる途中、何やらにぎやかな人の声に混じり、涼しげな歌声が聞こえてきた。
「おや、ノイエ殿、お帰りでしたか」
食堂の入り口で宿屋の主人にそう声をかけられた。
「ええ。何やら賑やかですね」
「今日は旅の吟遊詩人の方が泊まっておいででね、その歌声を披露して下さっているんですよ。
久しぶりのことですから、近所から皆さん集まってこられて、この通り、商売繁盛です」
「そうでしたか」
ノエイはそう言って夕食を頼み、吟遊詩人から少し距離を置いて座った。
2曲、3曲聴いているうちに、ノイエの食事も終わり、酒を1杯飲んで、さて部屋に戻ろうかと思っていると、丁度4曲目が終わった。
それを合図に、ノエイは一気に酒を空にした。
立ち上がろうとした時、吟遊詩人が、「次は鎮魂歌を」と言ったので、何か心に引っかかり、席を立つのをやめた。
黒い影が、空を覆い
雲に落ちる無数の影
いつも見てた輝く太陽も
今は隠れていた
深く、深く心に刻み
遥か、遥か想いを馳せて
立ち上る白き揺らめきに
雨は覆いかぶさった
低い遠吠え、風に紛れ
雨消える無数の涙
いつも零れる程の笑顔も
今は見えなくて
遠く、遠く消えていく
黒く、黒く消されてゆく
追い縋る強き声さえも
雨はかき消していた
その後も暫く歌は続いたが、それ以上の歌はノイエの耳には入ってはこなかった。
この曲は誰に捧げた鎮魂歌なのか。この曲は一体何を描写したものなのか、気になって仕方がなかった。
結局、一人、二人と客は帰っていくが、ノイエは一度もその席を立たずに、吟遊詩人をじっと見詰めていた。
何曲歌っただろう。
夜も深け、吟遊詩人は持っていたギターを手元から外した。
気づけば、そこにいるのは吟遊詩人とノエイと2、3人の酔っ払いだけだった。
「いい歌だったぜ。
明日も歌うのかい?」
「ええ。そのつもりです」
「じゃあ、明日も来るかな」
酔っ払いはそういうと、吟遊詩人のギターケースにコインを投げ入れた。
「ありがとうございます」
吟遊詩人がそういうと、既に出口に向かっていた酔っ払いは、右手を上げてひらひらさせると、そのままその場を去っていった。
ノイエも立ち上がって、彼等と同じようにギターケースにコインを入れた。
これがしきたりだ。
しかし、吟遊詩人ははっとしてノイエを見上げた。
「どういう、つもりですか?」
吟遊詩人がそういうのも無理はない。
投げ入れられたコインは金貨数枚。吟遊詩人の稼ぎでいえば、1ヶ月分くらいのものだ。
「教えて欲しいことがあるのよ、吟遊詩人さんに」
ノイエの言葉に、吟遊詩人はじっとノイエを見つめた。
「今すぐ聞きたいの。
部屋に来ていただいてもいいかしら?」
「随分、乱暴ですね」
「そうね。自分でもびっくりしてるわ。
でも、今私はあなたの話が聞きたいのよ。お願いできるかしら?」
「分かりました。
ですが、これはお返しします」
そう言ってノイエが投げ入れた金貨を差し出した。
「情報料よ」
「私は、そんなに大した事はお話できません」
ノイエは、差し戻された金貨をあっさり受け取った。
そして、今度は銅貨を取り出した。先ほどの酔っ払いが投げ入れたのとほぼ同額だ。
「じゃあ、これは受け取って頂けるかしら?
あなたの歌に対する代価よ」
「遠慮なく」
ノイエは、吟遊詩人の手の中に銅貨を落とす。
そして次に銀貨を取り出す。
「これは、これからあなたの貴重な夜の時間と情報を頂くための前金ってことでどうかしら?
情報に応じて更にお支払いするわ」
妥当な取引だ。
吟遊詩人はそこまで言われて断る理由はなかったので、「わかりました」と頷いた。
その言葉とほぼ同時に、銀貨は綺麗な弧を描いて、吟遊詩人の手の中に落ちた。
ノイエが先導して自分の部屋へと吟遊詩人を導いた。
「どうぞ」
そういって、椅子を進め、コップに水差しから水を注いで差し出した。
ノイエも座り、そして話を聞きだす体制に入った。
「私はノイエ。魔術師よ」
「私は、キラと申します。旅の吟遊詩人です」
ノエイは挨拶もそこそこに、話しに入った。
「私があなたに聞きたいのは、あなたが歌った鎮魂歌という歌のことよ。
あれは、誰への鎮魂歌なの?」
「三年前に亡くなられたカジム前国王様を偲ぶ鎮魂歌です」
「誰が作った歌かしら?」
「ノイエさん、吟遊詩人が歌う歌は、大抵誰が作ったものかは分からないものですよ。
吟遊詩人から吟遊詩人へと伝えられ、そしてその間にまったく違う内容やメロディーになってしまうものも珍しくありません」
「分かっているわ。でも知りたいの。誰から伝えられたものか分かれば、最終的にはたどり着けるわ。誰が作ったのかを。
誰から、伝えられた歌なのかしら?」
「私です」
「え?」
「だから、偶然にもこの歌は私が作った歌なのです」
「本当に?」
「ええ、本当に。
それで、私に何を聞きたいのですか?」
「運がいいわ。
私が知りたいのは、歌詞の内容についてです。
あの歌詞は作り話なのかしら?それとも、真実なのかしら?」
「ノイエさんは、当時のことをご存じないのですか?」
「ええ、残念ながら」
「あの歌の歌詞は真実ですよ。私が見たあの日の情景をそのまま歌にしたのですから」
「そうですか。
それなら、是非教えてください。
当時の様子を、覚えている限り、歌にしなかった全てを」
キラはすこし考え込む仕草をしたあと、「分かりました」と言って、水を一口飲んだ。