ホーク家
ノイエは古びた屋敷の前で、その古びた屋敷を見上げていた。
屋敷の門から玄関への道は特異な花で埋め尽くされていた。
「龍香花だわ。信じられない」
ノイエはそう言葉をもらした。
「ホーク家のお知り合いですか?」
唖然とした状態のノイエに、若い男性が声をかけてきた。
「ええ、まあ。
でも・・・」
ノイエは言葉を濁した。
目の前の屋敷は廃墟。どうみても人が住んでいるようには見えない。
「どなたを訪ねて来られたのですか?」
「御当主夫妻を・・・」
曖昧な答えではあったが、意図は伝わったらしい。
「ここ最近で御当主夫妻と言えば、ガーダス様とダリア様ですが、お二人は随分前にお亡くなりになられました」
「そんな…。
では、今の御当主は?」
「遠縁のガザリア=ホーク様ですよ。
ですが、ガザリア様はホーク家の分家として、元々北のラース領地を治めておいでですから、ここには住んでおられません」
その名前に、ノイエは聞き覚えがなかった。
「ホーク家にもいろいろあったのですよ。
ご存知ですか?ライゼリアのことを」
男性は、ライゼリアのことを敬称をつけずにそう呼んだ。
しかし、そこに蔑みの色はないようだった。
「ええ。存じ上げております」
彼が反乱軍のことを言っているのは容易に想像できて、ノイエは素直に答えた。
「ガーダス様とダリア様が事故で8年前に亡くなられて以来、ホーク家を支えておられたのですが、そのライゼリアも、今はもうこの家とは関わりなくなってしまいました」
彼の言葉に、ノイエは少し引っかかった。
「ホーク家には、ミズノ様がおられたはずですが・・・」
「ミズノ様は、ご病気でご静養中ですよ。もう三年になります」
「そんな。」
騎士団にも在籍していたミズノが、病気なのは、ノイエには信じられなかった。
「今、ミズノ様はどちらに?」
「北のラース領におられると聞いていますよ」
「そうですか」
ノイエは、ホーク家をじっと見つめた。
10年という長い年月が、今更ながらとてつもないものに感じられる。
「先代の国王の崩御といい、この国は不幸続きのようです」
彼もまた、そう言ってじっとホーク家を見つめた。
「私はもう行かなくては。
では、お嬢さん、またお会いしましょう」
そういうと、彼はすっと通り過ぎていった。
ノイエは、暫くじっとホーク家を見据え、そして力を込めた。
「ラース領へ!」
その言葉を連れて、ノイエの姿は掻き消えた。
ミズノ=ホークが、ホーク家の別荘にいるとつきとめたのは、もう随分日が暮れてからだった。
それ程ひっそりと彼は暮らしていた。
「ミズノ様、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
魔方陣で無理やりミズノのいる部屋の前まできたノイエの言葉に、「どうぞ」とか細い声が返ってきた。
重厚な扉を押し開け、そして閉めるときにノイエは人避けの魔法をそっとかけておいた。
ベッドに横たわるミズノは、昔のような生気はなく、その見事だった筈の金髪はライゼリアのように白くなっていた。
「お久しぶりでございます。ミズノ様」
ノイエの言葉に、ミズノはじっとノイエを見つめた。
「お忘れですか?10年ぶりですものね。
ノイエリアスです」
この国にノイエリアスという名は意外に多い。王女の名であり、あやかってつけるものは今でも意外に多い。
しかし、10年というキーワードと名前でミズノは気づいたらしい。
「姫・・・」
「ミズノ様にそう呼ばれるのも10年ぶりですね」
ノイエのその言葉に、ミズノは体を起こそうとしたが、ノイエはそれを制して、枕元におかれた椅子に座った。
「ご静養中に、急に押しかけて申し訳ありません」
「いいえ。とんでもございません。
まさか、また姫にお会いできるとは思っておりませんでした」
その言葉には、自分がこの世からいなくなると言うことを暗に示すような憂いがあった。
「お話を、お伺いしたいのです。私がこの国を去ってからの10年間の。
本当は、ご静養中のミズノ様に聞くのは申し訳ないのですが、私にはもう私の立場を超えてお話を聞かせていただける方がミズノ様以外におられないのです」
「光栄でございます。
ですが、私は同時に姫に顔向けできる立場にいないことを申し訳なく思います」
その顔に、ノイエの顔も同調するかのように曇った。
「ライゼリア様のことですか?」
「ご存知、でしたか」
「ええ。お会いしました。
もっとも、私がこの国の王女であったノイエリアスだと気づいてはいないようでしたが」
その言葉に、ミズノは顔を少し曇らせた。
「ライゼリアには、貴女の顔を見分けることは不可能でしょう」
「どういうことですか?」
「ライゼリアも病を患っています。
目の病です。視力が段々と落ちてきています。
私と同じ病です」
「では、ミズノ様も目を?」
「ええ。姫がおられるということが分かる程度です」
「そうでしたか」
ノイエは思い出していた。
今朝あったライゼリアの様子を。
「全ての不幸は3年前、先代国王様が急に崩御されたことからはじまったのだと、私は思っております」
「父上の…」
「先代国王様の容態が思わしくないとは我々も、国民も知っておりました。
しかし、亡くなられるほど悪いとは予測しておりませんでした。
3年前の春、雨の降る暗い最中、国王の死を告げられ、その日に国葬が行われました。本当に急でした」
ミズノは遠い過去を見つめていた。
「それから1ヶ月。国王代理として政務を担当しておられたルイガス様が王位につかれました。ノイエ様の弟君です。側室であられた隣国の王女との間に生まれたルイガス様、リリアス様に対する城内の風当たりは大変強く、政治は乱れました。どうして、正室との間に生まれた姫のお言葉がないのか、姫は陰謀の渦中にいるのではなかと、姫が自ら城を出たことを知らないものは、そう申すものもおりました。
国王は姫のことを近しい者にしか語っておりませんでした。姫はご病気で静養中である。そう説明を受けておりました。国民も同じです。
そのころ私は目を患っていることに気づきました。目が見えない以上騎士団を続けるのは困難です。私は辞職を申し出、ここで静養することとなりました。家はライゼリアが継ぎました。しかし、それも3ヶ月前終わりを告げました。彼もまた同じ病に侵され、そして城内でも同じ病を患う人が増えてしまったのです。それだけではなく、天気は乱れ、農業は立ち行かなくなり、この地を去る者もふえてしまったのです。ライゼリアはこの現状を打破する策を持たない国王を見限ってしまったようです」
「そうでしたか。
ですが、天気はその年、その年のこと。仕方がないとしか言いようがないのではありませんか?」
ノイエは弟を弁護する。
「いいえ。そうではありません。
ライゼリアが見限ったのは、国王の対応でした。
天変地異が起これば納税は割り引かれます。しかし、それだけではとてもではありませんが、まかなえるほどの規模ではなかったのです。法律を作ったときには考えもつかないほどの酷い状況だったのです。
私たちは、ライゼリアは国王に助言するべきだったのです。もっと臨機応変に対応する術を与えるべきだったのです。
しかし、現国王の影には隣国が控え、そして何より、先代の国王ならきっとこんなことはしない。きっとこうされる。という概念が皆を縛り付けていたのです」
「そうでしたか・・・」
「姫は、帰ってこられるのですか?この国に」
「いいえ。
私はこの国をでた10年前のあの日から、この国に王女として戻るつもりはありません。
父にもそう伝えました」
「ですが、姫の御力が必要なときではありませんか」
「この国は、この国の力で立ち直るべきです。
それができないなら、いっそどこかに統治されてしまえばいいと思いますよ」
ノイエの言葉に、ミズノは少し複雑な気持ちになった。