倒れた吹
俺がやっと、長いようで短い出張から帰って来たとき、何となく玄関前に立った瞬間、家の中が物静かな気配を感じた。
鍵穴に鍵を入れ、玄関を開ける。
「ただいま、吹?いる」
いつもならどこからか声がして、顔を少し覗かせるが、今は……いないようだった。
買い物にでも行ってるのだろう。
俺はそう思って、玄関を抜けソファーに腰をかける。
「はぁー……」
スーツ姿だからしわがつくと大変・・・と、思っていても何だか久々の家という感じでどんな格好をしていてもゆっくりとしたい気分でもあった。
――喧嘩してからメールも電話もしなかったからなぁ…今日は謝って、吹を立てないぐらいに……
申し訳ないと、どこかで思いながらも、俺は今夜吹音を抱き潰す計画を考えていた。
家内を見渡すと、少しホコリっぽい感じがした。
毎日する掃除をさぼるだなんて、おしおきだな、これは。
「綺麗にするしかないなぁ」
面倒だと、考えていても仕方ない。
吹音は一度何かの癖がついてしまうと、飽きるか没頭するか、治させるかで結構時間がかかる。
注意する所は、ちゃんと注意して、早く俺のお嫁さんになってもらわないと。
スーツを脱ぎながら、寝室に行くとベッドが整っている事に気づく。
そして、俺の中に何か小さなものが渦巻き始める。
「……?」
嫌な予感というものがきっと、渦巻いているものなのだろう。
俺は取りあえず着替えてまったりとできるジャージ姿で、家の窓を開けて、掃除を開始した。
全室フローリングなので掃除機はじゅうたんがある所だけをかける。それ以外はクイックルハイパーで綺麗に拭き去る。
2人で住んでいるだけで丁度いい部屋なので、掃除は30分もなく終わり、俺は洗濯機を動かした。
寝室の目の前にある洗面所と風呂場。
そこでも俺は不思議なものを目にする。
「これは……?」
吹音の洗濯物以外にも誰かの洗濯物が混ざった合ったのだ。女性物で、下着がそれを決め付けた。
けれど、吹音の服よりか、見たこともない服の割合が多い。
一体どういうことなのだろうか。
俺は自分の洗濯物だけを機の中に入れて、この謎を1人で解明しようと頑張る。
頭の中では、洗濯機が回る音がBGMになる。
――泥棒…?ではないか。
真っ先に浮かんだのは、ソイツのこと。でも、荒らされた形跡はないしないという事になった。
――友達のか?
あぁ、きっとそうだ。
俺は一週間前に、吹音に言われた言葉を思い出す。
――“友達でも呼ぼうかなぁ”――
俺がいなくなることを寂しがって、友達を呼んだ。そして、お泊り会を開催したことが、脳裏で浮かぶ。
いわゆる、「女子会」というものなのだろう。
そろそろ7時を回ろうとしてた頃、玄関前の廊下を誰かが歩く音がした。
コツコツっと、ヒールが地面を蹴る音が、次第に俺の心を高ぶらせる。
「吹だな」
俺に黒い笑みが浮かぶ。
吹音が玄関を開けた瞬間、抱きしめて、キスをして、風呂にも入らずにベッドへ連れ込んでしまおうと、そう考えて……。
がちゃ。
玄関が開いたと思えば、そこにいた人は、吹音ではなかった。
俺は、勢い余ってその人の前でつんのめる。
「え?」
「……あ」
長い黒髪で、耳にはピアスをしている女性。
どこかで見たことがある。
吹音とは正反対の彼女は、俺を見るなり動きが止まった。
俺は面識がありそうで、そうではなさそうで、よく分からない気持ちになる。
「あの…?」
彼女は少し焦りながら言う。
「吹音の彼氏さんですか? 私、翠川冴です、吹音の同期です」
「あぁ、はい」
どこか遠い記憶、吹音を会社まで迎えに行ったときに紹介された女性を俺は微かに思い出した。
吹音よりも大人の人で、当時はそれをネタにして吹音をからかった事もある。
「翠川さん、お久しぶりです。どうかいたしましたか?」
「玄関で言うのもなんですが、吹音が、昨夜倒れたんです」
一瞬脳裏が麻痺をして、俺の思考回路を停止させる。
今、翠川さんの口からは、はっきりと「吹音が倒れた」と言った。
間違えではない。
「……吹が、倒れた?」