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俺の日常  作者: 宵賀
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再び病院

 緑色のランプが付き始めてからもう1時間は経った。一向にその光が消えることはなく、白い文字が今も尚浮かび上がっている。

 手術中。

 ただその文字だけが俺の目に入り、俺の思考を停止させる。


 あの時の吹音は冷たかった。氷の冷たさではなく水のような冷たさ。

 ベッドの吐血を見た瞬間本当に何も考えることができなくて、今見ているのが嘘だと信じたいばかりだった。

 視界が涙で歪む中俺が見つけたのは、液晶画面が消えていた吹音の携帯電話。

 それには、俺宛のメールが書きかけのままにされていて、未送信のままであった。


 俺はその携帯を胸ポケットから取り出し、もう一度その文を見る。

 【でんわ…ごめん。今苦しい】という、たったのそれだけ。

 でも、そのメールを見ることができたのならば俺は、少なくとももっと早くは家に帰れただろう。

 穏便な処置を取れなかった自分自身を悔い、膝の上で握り拳をつくる。その拳を自分の頬に軽く当てる。

 そして何も言うこともなく、ただ神に祈るように俺は思い続ける。


―――吹音を助けてください……。


 白いドアが開かれるのは一体いつになるだろうか。俺はじっとドアを見つめているうちにとある一つのことを思い出す。

 今日から一週間後は吹音の誕生日であること。そして、それを兼ねて交際6年目という記念日を。

 そしたら、吹音は28歳でそろそろ結婚も考える年。しかも30までには一緒の名前になりたいと、遠回りに伝えてくれていた。そして、吹音が俺に言った言葉。


―――「結婚と同時に子供も欲しいし、その子供の恋人も一緒に住ませたいよ」


 聞いたときはただ頭を軽くテコピンしてみせたが、今その言葉を思い出してみるとその言動はもしかして、幸せな家庭を気づきたいと言う吹音の願い

 というか、子供の恋人とはあと10年以上の話しでもあるが。

 俺は吹音とも思い出をポツポツと思い出す。

 出張に行く前は普通に一緒にテレビ観て、時々一緒に風呂に入って、一緒に寝る。それ当たり前であった。

 でも、喧嘩をしてしまって全てがひっくり返ってしまったが、俺はそれでもいいと思っていた。

 このまま子供のままでいられると少しは障害はあるものの、ちゃんと会社には行けると信じてるし、一緒にいられなくなるより、まだいいから。


―――吹…。


 俺は、ただ願う事しかできない。

 最愛の彼女の手術成功を、ただ願うことしかできなかった。



 いつの間にか俺は寝ていたのだろう。俺は背中に毛布が掛けられていてその温もりに気づいたときには、心地よい夢から解き放たれた。

 ゆっくりと目を開け、横になっている体をそっと起こす。


「大丈夫ですか?」


 寝起きの俺にそう声を掛けてくれたのは、夜中なのに身形に何一つ乱れていない吹音の同期である翠川さん。

 彼女は俺に向かって暖かいココアを買ってきてくれたようで、手に持っていた缶ココアを差し出してくれた。

 きっと吹音が倒れたのだと駆けつけてくれたのだろう。11時で夜も深まった頃にわざわざ来てくれたことに感謝をする。


「あ、ありがとうございます。それに来てくださって……」

「とんでもないですよ。大事な同期でもあって親友なんですから。そうとはいえ、私が近くにいたのに倒れたことに気づけなくて………」


 翠川さんはうつむき、涙を抑えているのだろう。自分が吹音ともう少し一緒にいればと、そう悔やんでいるのが少し分かる気がした。

 吹音が倒れたことを自分のせいにして、どうしようもできない無力さが俺も翠川さんにも有る。

 そんな事を思っていた矢先だった。


「さっき、私来たんですけどね。光大さん倒れこんでいたんですよ。それで起こそうとしたんですけど、何度も何度も小さな声で“吹音”ってつぶやいていました。とても大切にしているんですね」


 “大切にしている”そう聞こえたとき俺は目から涙が出ていた。大切にしていると、自分ではそう思うことができていなかったし、出張前夜のことを引きずっていたし……。

 俺はきっと吹音を恨んでいるはずだ。あんなに大好きな相手に対して本気で叱り付けて。俺は今まで吹音に対する態度がいつの間にか、彼氏から気前のいい兄貴に変わっていた気もする。

 学生頃吹音は俺の妹になりたかったらしいのを知ってから、何気なく、俺は吹音に対して兄貴のような素振りを振舞っていた。


 しかし、吹音は恐らく気づいていたのだろう。

 俺は兄貴のような態度をとるが、本当は彼氏であって兄貴でもないことに。

 吹音自身も妹のような態度をとっていたのが分かるが、俺はそれをみて決して彼女だとは認めもしなかった。

 礼儀知らずのような態度ばかりだったし、いつもいつも甘えてきて本当は彼女としても認めたことがなかった、いや、彼女とも思えなかったのかもと思った。


「あの、翠川さん……」


 俺がそう言った時、音を立てて正面の白いドアが開いた。


「「………ッ!」」


 同時に緑色のランプも消える。

 中からは白衣を着た山野先生と看護師が出てきた。そして俺を見ると、何かを言うことなく「中へ」と言ってくれた。

 俺は山野先生に続いて歩く。その後ろを翠川さん、看護師と続く。


 中に入り、少しして二手に分かれた部屋があった。一方はカーテンが開いてあり、一方はカーテンが閉まっている。

 俺はカーテンが空いているほうを少し見る。そこは手術室らしくて名前は分からないが、ドラマで見た事がある機械で沢山だった。

 そして、その機械に交えて俺はさっきまで吹音が来ていた私服を見つける。


「少しショックだと思いますが、お聞きください」


 カーテンが閉まっている所で山野先生は静かに話してくれた。


「脳の腫瘍は取り除きました。きっと、幼くなったのも腫瘍のせいだと思います」


 俺には何を言っているのか全く分からないが、先生は話を進める。

 隣にいる翠川さんは真剣な顔で話を聞いている。


「記憶喪失もそのせいだと思われます。腫瘍が記憶する脳の場所、大脳新皮質という所を刺激して記憶がなくなった、そう考えても可笑しくはありません。

 記憶を取り戻したのは、きっとフラッシュバックによるもので、それに耐え切れずに吹音さんは吐血した可能性があります。」


 淡々と話す先生。俺は思わず言ってはいけないことを言ってしまった。


「それって吹音が腫瘍持っているということですか?俺、一度も聞いていませんけど……」


 一同が驚いた顔をする。まるで、「何で知らないのだ」と言っているような顔で俺は心のどこかで「あぁやっぱり」と思った。


「危うく癌になるような腫瘍です。ですが取り除きました。吹音さんからお話になるといっていましたので、私からは何も言いませんでしたが…やはり、あなたをかばっていたのですね」

「かばう…?それはなぜです?」

「入院した朝に吹音さんからお話しをしてくれました。記憶はないとは言え、思い出はあるようで。精神は押さなかったのですが明るく私にこう話しました。

 【吹音と笠也は結婚するから、心配させちゃいけない。だから、吹音から頭の病気の事言う。先生は内緒にしておいてね】と」


 山野先生は、その時を思い出しているのか、もう時間は午前1時を回るのに疲れた表情を全く見せずに話し続ける。


「自分から話す。そう言いつつも、フィアンセであるあなたに会ってから、病気の重大さを知ったのかその事に関しては口を噤んでしまいましてね。

 言ったら心配される、もう一緒に入れなくなると思ったのでしょうか。まだ初期段階の腫瘍、私もそう思い1ヶ月の入院から退院を許しましたが……」


 はぁと、ため息をこぼし言葉を吐き捨てた。


「まさか腫瘍が一日であんなに大きくなっていたのは驚きました。そうなれば、彼女の負担が大きいかもしれません。後遺症などはないと思いますが、記憶を確実に取り戻していることを考えていてください」


 そういうと、カーテンに手を掛けて中に入っていった。

前話で「クライマックス」と書きましたが、本編が短すぎるためもう少し続けたいと思います。

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