魔法使いの孫
夏の暑い日、祖父ちゃんは天寿を全うした。
身長が高く、青い目をして濃いブラウンの髪。母さん曰く「若い時は信じられないくらいハンサムだった。風ちゃんは御祖父ちゃんにそっくりで良かったわね」な祖父は、誰もが認める――電波な人だった。
どれくらい電波か簡単に説明する前に、もっと祖父ちゃんを示す上で判りやすい単語もある。
終戦直後の混乱期にうちの祖母ちゃんに一目ぼれした祖父ちゃんは、当時では名前すら認知されていなかったであろうストーカーになった。
毎朝毎朝もんぺ姿の祖母ちゃんを追いまわし、最終的には祖母ちゃんではなくて曾祖父ちゃんを説き伏せて、判りやすく言えば祖母ちゃんを金で買った。
そう言うと祖父ちゃんは「結納」だと言い張るが、祖母ちゃんは黙秘権を貫いて随分前に死んだ。
「頼むからあの世にまでおいかけてくるな」
それが祖母ちゃんの遺言だ。
祖父ちゃんはその言葉がなければ一緒の棺桶で燃やして欲しかったと常々言っていたので、祖母ちゃんはきっと全てお見通しだったに違いない。
「可哀想な祖母ちゃん……」
今頃は祖父ちゃんが祖母ちゃんめがけて一直線だろう。年老いて尚近所のババ共に大人気だった祖父ちゃんは、ちっとも脇目を振らずに祖母ちゃん一筋だった。
さて、そんなストーカーな祖父ちゃんは先ほど説明した通り、電波だった。
「祖父ちゃんは魔法使いだったんだよ」
と、子供の頃に思い切り騙された。
「祖父ちゃんは実はこの星の人間じゃないんだ」
にんまりと笑った祖父ちゃんは「B69星雲からやってきた魔法使いで、うっかり穴に落ちて日本にたどり着いた」らしいが、色々とごちゃ混ぜになっていることに気づいたのは小学生になってからだった。
それまでは心から信じていた。
信じて信じて、幾度も騙された。
祖父ちゃんは悪意の無い嘘を撒き散らし、平和で楽しく孫である風香――つまり、あたしをからかいまくり、天国に召された。
できれば地獄に行っていて欲しいけれど、要領がいいんだ、あの人は。
そして最後に残ったのが、
「B69星雲に行く指輪かー」
祖父ちゃんが鎖に通して首からぶら下げていた指輪を親指と人差し指で挟み込み、しんみりとした気持ちで眺め回す。
何の変哲もない婚約指輪だ。
黒ずんだりしていないからきっとプラチナ。綺麗な円ではなくて、ちょっとだけゆがんでいる。石のひとつも無い、極シンプルな指輪。
内側には本来であれば名前が記されてるいるのだろうが、この指輪の内側には何か模様が刻まれていた。
祖父ちゃんの指輪だから大きくて、到底風香の指には合いそうにはないが、それでも風香はその指輪を左の薬指にはめ込んだ。
「おまえが人生に嫌気がさしたら、B69星雲に遊びに行けばいい」と最期にくれた指輪。
最後の最後まで孫を騙くらかして逝った祖父ちゃんは――是非とも祖母ちゃんの居る場ではなく、地獄に落ちろ。
***
「まぁっ、ヴィストっ!」
その女性は祖父ちゃんにそっくりの青い瞳を大きく見開き、手に持っていたティポットを思い切り床に落とし、椅子に座っていた祖父ちゃんと同じ濃いブラウンの髪の青年は、がたりと音をさせて席を立った。
そう、席。
さっきまで風香は祖父の49日の為にお墓でしんみりと「祖母ちゃんに迷惑かけないでよ」と墓石にこんこんと告げていたというのに、何故か室内。
広がるのは楕円のテーブルに床から天井まで一面のガラス窓。さらりと揺れるレースのカーテン。一見して邸宅の食堂を思わせる一室だった。
「帰って来てくれたのねっ、ヴィスト」
悲鳴のような声をあげながら、その女性は両手を伸ばして風香を抱きしめた。
「まっ、えっと待ってっ」
混乱した風香は、慌てて頭の中でこういった場面の適当な言葉を捜した。
じゃ、じゃすともーめんと?
どんすとーっぷ?
ふりーず?
やばい、英語の授業もっと真面目にやれば良かった!
「ああ、あなたが居なくなってしまってもう一年よ? 突然家出なんてっ。どうしてそん……」
女性は涙ながらに訴えていたが、ふいにそろりそろりと体を引き剥がし、風香の混乱した顔を覗き込み、それからおそるおそる――
手の平を風香の胸に重ねた。
むに。
「……」
むにに。
「……ヴィスト? あなた、いつの間におっぱいがついたの?」
困惑にまみれたその言葉を耳にいれ、どうやら言葉はまったく支障のないことに気づいた風香は、女性に胸をもまれるという驚愕の事態を受けながらゆっくりと問いかけた。
「ここ、B69星雲?」
――やばい、祖父ちゃんコロしたい。
祖父ちゃんが残した指輪は「B69星雲へ行く指輪」だった。
いや、正確に言うのであればどっか別の次元だか、どっか別の星だか、それとも地球の裏側なのかまったく判らないけれど、とりあえず小峰風香の居るべき地球の日本ではないまったく別のナニカにたどり着く為の指輪であった。
この国だか大陸だか星だかには、アメリカも中国も日本も存在していない。風香の常識は非常識だ。
確実に「B69星雲」ではないらしい。
風香が突然現れた場所は、ヴィスト――ヴィスト・ウィード・サーシェナシスというふざけた名前の祖父ちゃんの生家であったのだ。
しかも、時間の流れまで違うのか――せんだって八十一歳で死んだ祖父ちゃんは、この場所ではほんの一年程度しか失踪していなかったことになっている。
「まぁ、ヴィスト! 魔法の失敗で女の子になってしまったというのは本当だったのねっ」
突然けたたましい声が聞こえたかと思えば、昼食の平和な時間は破られた。
庭先でテーブルを出しての昼食――曾祖母ちゃんのヘレンは丁度買い物で不在。庭のテーブルについていたのは、ヴィスト祖父ちゃんの弟であるドーンだけだった。
ドーンは口元に当てていた紅茶を激しくむせさせ、咄嗟に「風香、逃げろ」と短く言ったものの、生憎とその警告は思い切り遅かった。
けたたましい声の持ち主は、薄桃色のドレスをたくしあげるようにして走り、そのままの勢いで風香を抱きしめた。
「それでも構わない。だって私の愛は永遠だものっ」
謎の永遠の愛を叫んだ女性は、椅子に座ったまま度肝を抜かれている風香の唇にがばりと噛み付くように口付けた。
女性に胸をもまれ、女性に唇を奪われた……――祖父ちゃん、日本に戻ったら絶対に祖父ちゃんの大嫌いな椎茸を供える。
椎茸の焼き物、椎茸の肉詰め、椎茸の入ったおむすび!
盆には椎茸に割り箸をぶっさして椎茸の馬で帰ってくるがいい。
そうして盆の間ずっと椎茸を供えてやる。
「まぁっ、ヴィストっ」
粘着質な唇を引き剥がし、女性は信じられないとでもいうように首を振った。
「まだきっと心が傷ついているのね? あなたがキスを返してくれないなんてっ」
「あの、すみませんが……」
「それとも忘れてしまったの? いいわ。私がたっぷり教えてあげる」
もう一度顔を近づけてくる女性から逃れようとしたところ、それまで静観していたドーンがひょいっと風香の腰を掴み、自分と体を入れ替えた。
「エリス、確かにコレはヴィストにそっくりだが、生憎とヴィストじゃない」
「何を言ってるのよ、ドーン。この髪も、瞳も、顔も、どこを見てもヴィストよ! ちょっと性別が変わってしまったけれど。愛があれば大丈夫」
ちっとも大丈夫じゃない。
あまりの勢いに風香はドーンのシャツをしっかりと掴み、その逞しい背に隠れるように身を縮めた。
それにしても、ハンサムであったという祖父ちゃんに似ているといわれるのは喜ぶべきことなのか、それとも哀しむべきなのだろうか。
「エリス、ヴィストは死んだんだ」
ドーンの重苦しい言葉に、エリスと呼ばれた縦巻きカールの女性は瞳をまたたき、不思議そうにドーンの瞳を見返した。
「ヴィストが、死んだ……?」
「そう。ヴィストはもう死んだのだそうだ。彼女は、ヴィストの孫だ」
淡々と言うドーンの言葉に、エリスはその表情を胡散臭いものを見るものにかえた。
「可哀想なヴィスト――大丈夫。そんな愚かなことを言わなくても。私の愛は性別も肉体も全てを超越しているのよっ。ああっ、こうしてはいられないわ! お父様にお願いして、夜会を開いてもらいましょう。ヴィストの生還祝いをしなければっ」
傍若無人な弾丸娘は、一人で勝手に騒いだ挙句にそのまま身を翻して「ヴィスト、また来るわねっ」と呪いの言葉を残して走り去っていった。
「すまん……」
ドーンは額に手を当てて疲労の濃い溜息を吐き出し、未だ後ろに張り付いている風香の肩に手を回し、食事を再開させるべく椅子を示した。
「あの人は?」
「エリス――ヴィストの婚約者だ」
一度言い切り、ドーンは訂正した。
「ヴィストの婚約者だった。ヴィストが失踪して半年で一応婚約は解消されている」
「祖父ちゃん、あの人のこと……好きだったんですか?」
祖父ちゃんに祖母ちゃん以外の女の人が!
その事実に驚愕していると、しかしドーンは肩をすくめた。
「いいや、まったく」
「……そうなんですか」
「エリスが来ると一目散に逃げていた。つかまると襲われるから」
――追いかけられていた祖父ちゃんは、どうやら魔法の失敗で日本に落ちて、そして自分から逃げまくる祖母ちゃんを追い掛け回すことにしたらしい。
大迷惑。
「でも、よくドーン叔祖父さんやヘレン曾祖母ちゃんはあたしの言うことを信じてくれましたね」
今のドーンの説明を聞いたところで、確かにエリスが納得できようはずはない。
だというのに、この屋敷の家人は誰一人としてこの馬鹿げた話をすんなりと信じてくれた。そして、突然現れた得体の知れない風香をヴィストの孫として屋敷に迎えてくれたのだ。
「風香も私達が血縁であると判っているだろう?」
「判る、というか――ドーン叔祖父さんは家に飾ってある若い頃の祖父ちゃんの写真にそっくりだし、目の色とか雰囲気とか」
風香がどう伝えようかと言葉を捜していると、ドーンは怪訝気な顔をし、すっと手の平を突き出した。
「?」
「重ねてみるといい」
おずおずといわれた通りに手を重ねると、風化の手はドーンの指先、第二関節の辺りまでしか沿わない。あまりにも大きさの違う手に気恥ずかしさすら感じていると、ドーンは風香の気持ちなど気づかぬ様子でその手を握りこんだ。
「私や母さんは素養が少なく、魔法使いとしては名を連ねていない。だが、それでも自分達の血族はすぐに判る――波動のようなものを感じるだろう?」
当然のように言われたものの、そんなものが判るはずもない。風香は眉を寄せて触れ合う手に意識を集中させた。途端、ばちりと静電気のようなものが走り、風香はびくっとその手を引き抜いた。
ドーンが苦笑する。
「さすがヴィストの孫だな。私よりもずっと素養がある」
「今の……」
自分の手を握りこみ、困惑に眉を潜めた風香に、ドーンは一瞬妬みのような感情を覚え視線を逸らした。
「ヴィストは魔法のことは言わなかったのか?」
「言ってましたけど――」
――御祖父ちゃんは天才魔法使いなんだよ。
と、胡散臭さ丸出しのコトでしたらね。
風香は頭の中でげしげしと祖父を蹴倒し、その口の中に串刺しにされた椎茸を押し付けた。椎茸だけのバーベキューを存分に楽しめ、ジジイ。
「集中力を高め、詠唱を学び、魔方陣や魔道具を駆使すれば自分の国に帰ることもできるだろう」
さらりとドーンに言われた言葉に、風香は顔をあげた。
「それって……」
「なんだ?」
「だってここは魔法のある国なんですよね? 誰かに頼めば帰れるんですよね?」
自分で魔法を学ぶ? そんなことをしなくとも……
――人生に嫌気がさしたら遊びにいけばいい。
祖父ちゃんはそう言っていた。
つまり、コレは遊びに来ているだけなのだと思っていたからこそ、ここでこうして暢気に茶を飲んでいたというのに。
「今までにヴィストのように自分の体を飛ばすことができた人間もいなくはなかった。だが、生憎と他人の体を飛ばすことができるものは居ない――そもそも、そのヴィストにしても、違う場所に飛んでしまったのは魔法の失敗だろうし」
祖父ちゃんの糞馬鹿野郎!
椎茸だけじゃ足りない。もうハバネロだ。粉々にして口や鼻から流し込む。もう何度でも死ねっ。
「それから、風香」
風香が今にも失神しそうになっている現状で、ドーンはそっと苦笑を零した。
「その叔祖父というのはやめて欲しい。なんだか突然年をとった気持ちになる」
しかし風香はそれどころでは無かった。
魔法使いの祖父を持つ風香は、これから自ら魔法使いを目指さなければならないのだ。
へたりとその場に座り込み、風香は魂の抜け殻のように呟いた。
「ここ、ウォシュレットないのに……」
――天才魔法使いの孫、小峰風香の魔法使いへの道の幕開けであった。
【魔法使いの孫】お読みいただきありがとうございました。
思いのほか好評であった為、調子ぶっこきまして、現在持っている連載の一つが終わりましたら、短期集中連載しようと思います。
【魔法使いの孫】【魔法使いの弟】【魔法使いの嫁】【魔法使いの友】【魔法使いの(元)婚約者】さくさく執筆中。