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シーン4・神永依織

「どうして、お前がここに―――」

 問いかけて、依織の胸にあるネームプレートに気付く。そこにあるのは、『トキワエージェンシー 音楽部門』の文字。

(まさか、こいつ)

「お前、もしかして芸能関係者になったのか?」

「……っ、は、はい。トキワの音楽課に勤めています……」

 トキワエージェンシーは、国内有数の芸能事務所だ。そして今回、ドラマの主演を務めるカイもまた、トキワの所属。

 依織の容姿は整ってはいるが、服装がいまいち芸能人に見えなかった。ごく普通のスーツを着ていたからだ。

(マネージャーか何か、か?)

 とすると、思い当たる節は一つある。

(そうか、カイのマネージャーとか、そういうのか)

 それならこの部屋から出てきたのも頷ける。恐らくカイに頼まれごとをしたか何かで、用を済ませて出てきた所だったのだろう。

「……あ、あの?先輩……?」

 懐かしい声が、不安げに問うてくる。その声は、久しぶりに聞く所為なのか、学生時代よりも甘い響きを伴っている気がした。

 見覚えのある神秘的で深い色の瞳には、戸惑いと怯えの色。それは、何も告げずに藤堂の前から姿を消したが故に、浮かべている色なのだろうか。依織の双眸をじっと見詰めていると、自分の鼓動がやけに大きく響いている気がした。

 懐かしいから。突然に出逢ったから。それとも、やけに美人に成長していたから。

 どれが理由なのか、いや、はたしてそこに理由があるのかは判らない。

 学生時代は弟感覚になるくらい、低かった背丈。それが、自分よりは下のものの、かなり伸びた。髪も、少し毛先が伸びた気がする。

(触れてみたい)

 思わず、手が伸びていた。柔らかそうな依織の髪に、そっと触れる。思った通り柔らかな毛先にくすぐられる様な感覚が、たまらなく愛おしく感じられた。

「……っ」

 何かに耐える様に、依織は強く目を瞑る。

「依織―――」

 もう一度、名を呼ぶ。瞼がゆるゆると開かれ、双眸が震えながらこちらを見詰めた。

 神秘的な色合いの瞳。そこには、何か不可思議な力でもあるのか。漠然とそう考える。そうでなければ、どうして自分はこんな事をしているのだろう。

「せんぱ……っ」

 近付いてきた藤堂に、依織が慌てて叫ぶ。その声すら飲み込む形で、藤堂は相手の唇を奪った。唇と唇をぶつからせる様な、少し乱暴なキス。

 何年ぶりかに触れる唇。卒業式で触れた時の如く、少し焦ったキスだが、それにさえ酔う気分になった。付き合ってから、キスは数えきれない程交わした。こんな只触れ合うだけのものより、ずっと―――

「……ふ……っ」

 薄い唇から、苦しげながらも甘い声が漏れる。理性など軽く吹き飛ばす声に、藤堂は依織の頬に手を添えた。依織の背後にあるのは、彼が出てきた扉。今は閉められているそこに、依織の背を押し付ける。

 唇を合わせたまま、依織は仰け反る体勢で扉に寄り掛かった。

 それを見届け、そっと唇を離してやる。依織は荒い息を吐きながら、濡れた瞳でこちらを見上げてくる。どこか、睨んでいる様にも見える視線だった。

「お前が今何考えてんのか知らねぇけどさ、その目、完全にこっちを煽ってるって、解ってんの?」

「そんな事は―――っ」

 反論する口を再び塞ぐ。今度は、深く、深く。

 唇を割って、口腔に忍び込む。学生時代、親に矯正をさせられたと言っていた、綺麗な歯列をなぞる。

「んぅ……」

 たったそれだけで、また声が漏れた。だが、そんな事は解っていた。昔から依織は、女よりも感じ易い体質だったのだ。

 流石にまずいと思ったのか、依織の手が自分の肩口に当てられるのを、藤堂は内心ほくそ笑んだ。その手に、押し返す力が殆ど含まれていない事くらい、とうの昔から知っている。

(仮にもカレシだった人間を、ナメてんのかよ)

「ん、んん……っ!」

 喘ぐ依織の舌を絡め捕り、強く吸う。途端、肩にあった依織の手が押し返すのを止め、しがみ付く様に握り締められる。

 しばらく舌を弄んでいると、手に込められる力は強くなり、やがて消えていった。

(限界か)

 どれだけの時間そうしていたか判らない。だが、依織が酸欠になりかけている事くらいは判った。

 ようやく解放された依織は、目許を僅かに染めている。苦しげに呼吸を繰り返す間も、手は藤堂に縋り付いたままだった。

「……にを」

 小さく、依織が言ったのが聞こえた。

「依織?」

「何を、考えて、いるんですかっ……ここを、何処だと思って、るんですッ」

 荒い吐息が混ざった声音は、こちらを責める雰囲気があった。

 確かに、それは正しい指摘だとも思えた。

 ここは何時人目に晒されるかも判らない、スタジオの一角。そして自分達は、ここのスタッフとドラマを作ろうとしている、編集部の人間と役者の関係者だ。

 だが、藤堂が気にしたのはそんな事ではなかった。

「じゃあ何。ここじゃないなら良かったワケ?」

「な―――」

 茫然とする依織に、もう一度触れようと手を伸ばし、

「……触るなっ!」

 鋭い音と共に、その手を払われた。

「もう俺は、あの頃の俺とは違うんですよ。何年経ったと思ってるんですか」

 告げる表情は、こちらを嗤笑しているかの如く、冷たいもの。

「変な別れ方したのは悪いと思ってます。でも、これ以上、俺個人に関わらないで下さい」

 別れる。

 初めて聞いた明確な表現に、藤堂はその場から動けなかった。その場から立ち去る依織の少し慌てた足音・・・鋭くクリアな、聞き覚えのある足音が響き、そして消え去った後も。


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