シーン2・カイ
「それじゃあまず、簡単な自己紹介からいくとしましょうか。私が今回のドラマの監督を務めさせてもらう、石崎です」
『ギルティ×イノセンス』のドラマの内撮影が行われるスタジオで、最初の顔合わせは行われた。
監督を名乗る石崎という男は、40代後半と思われる、髪に少し白いものが混じった男性だった。日に焼けた肌と、鋭い眼光が、どことなく威厳を漂わせている。石崎文也という名前は、超絶有名人らしいカイを知らない藤堂でも知っていた。
元々は実力派俳優だったが、監督として大きな成功を収めた人物でもあったからだ。
顔合わせの場として設けられた会議室には、原作者である向坂と、編集部から藤堂と槇、そしてドラマ関係者である監督と、主要人物を演じる役者等が揃っていた。
だが、その中に肝心の主役の姿がなかった。
「岬怜奈役をさせて頂きます、上妻佳奈です」
ヒロインを演じる今売出し中の女優が、にこやかに挨拶するのを聞きながら、藤堂は苛々としていた。
主役が顔合わせの場に遅刻とはどういう事だ―――そう言いたかったのだ。
俳優達の挨拶が終わると、向坂が立ち上がった。
まだ二十代中盤である彼は、三浦書店の期待の新人であり、新人賞受賞以来ずっと藤堂が担当してきた作家だ。優しげで端正な風貌と、斬新なスタイルの作品で、若い読者層から絶大な人気を誇っている。
「初めまして、原作者の向坂芳信です。今回は自分の作品が、こんな素晴らしい俳優さん達によって世に送り出されるという現実に、半分夢心地です。本当にありがとうございます。原作に囚われず、皆さんが思う『ギルティ×イノセンス』を作り上げて下さい」
初めてドラマ化が決まった時も、向坂は「ドラマが原作に忠実である必要はない」と連呼していた。
「それと石崎監督、主演の件、僕の我儘を聞いて頂いてありがとうございました」
恐縮した様子で向坂がそう言うと、石崎が「いえいえ」と手を軽く振った。
「私としても、最初に二階堂斗真のキャラクター性とルックス条件を知った時には、真っ先にカイ君を思い浮かべましたから。でもまさか、カイ君がOKしてくれるとは思ってませんでしたが……」
「ですよね!もう本当に、こんな事があって良いのか、って気分です。僕の作品の主人公があのカイだなんて……!」
感極まった様に向坂は恍惚としている。
またしてもカイが話題を占めた空気に、藤堂は大きく嘆息した。
「そうだ、カイ君といえば、あと少しでこちらに着く筈ですよ。何でも乗ってた電車が人身事故に巻き込まれたらしくて」
「え、電車!?」
俳優達が一斉に驚く。その理由は、芸能界には詳しくない編集部の人間達にも解った。
いくら素顔を晒していないと言っても、誰もが知る芸能人が電車を利用するとは考え難い。普通は車を使うものだ。
「ええ。何でも車で外出した方が目立ってしまうらしくて」
「あー成程ね。カイの愛車って言ったら、完璧なスポーツカーだもんなぁ」
どうやら素顔以外の個人情報は知られ尽くしているらしい。
「そんなの、マネージャーが車出せば良い話じゃないの?」
「さぁね。ていうか、カイのマネージャーって見た事ないな」
そうして、わいわいと雑談をしてから約五分が過ぎた頃だった。
会議室の扉に、軽いノック音が響く。
「はい、どうぞ?」
石崎が応答すると、扉がゆっくりと開かれた。
そうして現れた男に、藤堂は息を呑んだ。
「失礼します、遅れて申し訳ありませんでした」
耳に心地良い柔らかな声が、そう謝罪していた。低くも高くもない声はどこか甘い色を含んでいて、聞いた者にもう一度聞きたいと思わせる。
そんな声が紡がれた唇は薄く理想的な形をしていて、その上にあるのはすっと通った鼻梁、白い肌。細い顔にかけられた、大き目のサングラスと同じ濡れ羽色の髪は、後ろ髪だけが長めに伸ばされていた。
背は高い方だろう。編集部では最も長身で、190センチ台を誇る藤堂よりは低いといったところだ。
身を包むのは全体的に黒で統一された服で、革製のズボンを穿いた脚はとんでもなく細かった。革ズボンとブーツですっきりとまとまった下半身に比べ、上半身はゆったりとしたシャツにカーディガンという組み合わせ。そのセンスもまた、彼が己の身体的な魅力を知り尽くしている事を物語っていた。
「遅ればせながら、二階堂斗真役をさせて頂く事となりました、カイと申します」
全体的に男臭さは感じさせず、いっそ女性の空気を持った―――中性的、という言葉を具現化した男。自己紹介と共に、その唇が小さく笑みの形を作る。
その仕草さえ、見入ってしまう程美しかった。
(何だ、コイツ……)
思わず、そう思った。
目許の大半がサングラスに覆われ、確かに素顔は解らない。レンズの下にある顔の作り次第では、美人にも冴えない男にも・・・どんな人間にもなり得る。
それなのに、美しいと思ってしまった。
およそ男らしくないほっそりとした手足も、白い肌も。一般人がしていたらチャラいと思わせる髪型も、ファッションも、すべてがこの男の為にある様に思わせられた。
「ああ、待っていたよ。大変だったね」
石崎が笑顔で迎え入れる。
「申し訳ありませんでした」
もう一度謝罪し、優美な仕草で頭を下げる。それから石崎に促された席に腰を下ろした。そうすると、丁度向坂の隣に座っている、藤堂と真正面から向き合う形になった。
こちらから彼の双眸は見えないが、カイからは当然見えている。呆気にとられた自分がどんな表情をしていたかは判らないが、カイは少しの間、口許から笑みを消した。
「さて、じゃあ主役が来たところで、肝心の役作りについて話し合っていきましょうか」
監督が一つ手を叩き、向坂が隣で嬉しげに頷くのを、どこか他人事の気分で見るしか出来なかった。あんなに頭の中を支配していたドラマへの期待感と不安感は、一瞬で吹き飛ばされてしまったのだ。
目の前に座る、カイという名のアーティストによって。




