シーン1・藤堂弘毅
日本有数の出版社とも言われている「三浦書店」。
藤堂弘毅はそこに勤務していた。
自動ドアを通り、自分の所属先である文芸部が置かれている3Fへと向かう。その際、彼の姿を見かけた女性社員達は、密かに黄色い声をあげた。
「見て、藤堂さんよ」
「本当だ。今日も相変わらず格好いいー!」
彼女達がそんな風にはしゃぐのも無理はなく、藤堂の容姿は一級品だった。
染めてはいないが少し栗色気味な髪、切れ長の瞳は鋭い光を宿す漆黒。太いプラスチック製の黒縁眼鏡をかけた顔は端正で、野性的な美しさを持っている。おまけにすこぶる長身。
彼女達にとって容姿は文句なし、収入も勿論、同じ社に勤めているのだから問題なし。となると後は性格なのだが、ここに少しばかり問題があった。
「おい上谷ァ!てめぇ今週中に企画書提出っつったよな!? 今週ってのは月曜から日曜じゃねぇからな、日曜から土曜だぞ。常識知りませんでしたなんて屁理屈通そうとすんじゃねぇぞ!」
「うわぁ、藤堂さん!解ってるって、今日まだ金曜じゃん、明日までには出すって!」
「あァ?そう言って前回の締切堂々破ったのはどこのどいつだよ!」
一目も気にせず後輩に怒鳴りだした藤堂に、女性社員達は嘆息した。
「あーあ……出た、藤堂さんの後輩いびり」
「ま、実を言えば正論しか言ってないんだけどね、藤堂さん」
「そうかも知れないけど、あの剣幕で怒鳴られると、いじめてる様にしか見えないわ~」
萎縮している気の弱そうな後輩(しかし締切破りについては誰よりも神経が図太いのだが)と藤堂を見て、そんな勝手な意見交換。
「でもやっぱり不思議だわ……藤堂さん、あのルックスで何で彼女の一人もいない訳?」
頭を片手で抑えながら、一人が呟く。
「そうよねぇ。どんなに怒鳴る姿が怖くたって、私だったら一度付き合ってみるのも悪くないと思うんだけど」
「解る解る。藤堂さんって、仕事では自分にも他人にも厳しいけど、実は私生活では優しかったり……!」
「きゃー、何それぇ!」
いきなり膨らんでいく妄想に、再び黄色い悲鳴があがった。
そんな様子を視界の端にとらえた藤堂は、ちっとわざとらしい舌打ちをした。
「どうした藤堂、随分苛ついてんなぁ。また向坂先生、カンヅメになりそうなのか?」
背後から声がかかる。
不機嫌丸出しの表情を隠そうともせず、「違いますよ」と藤堂は言った。
「いくら締切破り常習犯としては上谷と並ぶ向坂先生も、初のドラマ化を前には浮き足立って、今回はとっくに打ち合わせも終わって、明後日には原稿も上がる予定です」
「そりゃ素晴らしい。まぁ向坂先生、メディアミックスされた時点ですげぇ喜んでたから、当然っちゃ当然の流れか?」
そう語りかけてくるのは、藤堂の上司にあたる文芸部長の槇。
「ところでだ、藤堂。とんでもねぇニュースがあるぜ」
「何です?」
ニヤッと、どや顔を向けてくる槇に、藤堂は怪訝な顔をした。
「向坂先生のドラマ……『ギルティ×イノセンス』の主演が決定した」
「やっとですか。先生の希望があるとかで手こずってるとは聞いていましたが……」
「何だ、担当編集のお前に報告もなしに決定された事、怒ってないのか?」
「別に」
声の端に、感情が滲んでしまった。そのふてくされた様なぶっきらぼうな声音に、槇の顔が厭味ったらしい笑いで彩られる。
「へぇ~?まぁいい。それでだ、聞いて驚け?主演はあのカイだ」
「カイ?誰です」
即刻返された答えに、槇はこの世の絶望を見るかの如く、頭を抱えのけ反った。
「お、お前……っ、天下のカイを知らんのか!?」
「知りませんね。そんな俳優いました?」
平然と返してみせれば、槇は少し上目使いに睨み上げてくる。
「俳優……とは違うな。正確にはアーティストであり声優だ」
「歌手って事ですか」
「そういう事になるな」
アーティストと聞いて、藤堂は内心落胆した。
藤堂にとって『ギルティ×イノセンス』は自分が担当した作家が初めて作りあげた映像化作品で、今回のドラマ化には自分が出来る限りの協力をしようと思っていたのだ。
原作者の向坂芳信とも、締切直前は大ゲンカをするものの、歳が近い所為か、普段は気が合う友人の様な感覚になっていた。
別にアーティストが悪いとは言わない。槇が「天下の」と形容するくらいだから、知名度は高い人物なのだろう。話題性は充分と思われる。
それでも藤堂としては、演技力の保証がされている有名俳優を主演にしてもらいたかった。
人気のあるアーティストなどが勢いに乗って俳優デビューをする例は多々あり、そしてその多くが藤堂から見れば「失敗」に終わっていた。
やはり人には向き不向きというものがある。アーティストが俳優としての作業をこなすのは、ある意味数学者が考古学を研究する様なものだ。
同じ研究者という意味では似ていても、専門が全く違う。
「まぁとにかく、この資料読め。ドラマ関係者との顔合わせは来週だからな。そこには当然、カイも来る。くれぐれもカイの曲の数曲は語れる様にしておけよ」
ばさっとそれなりに重さのある書類の束を渡され、藤堂は「了解しました」と答えた。
不満を言っても意味がない。
原作の担当編集と言っても、向坂は「ドラマはドラマで、原作とは違う魅力を持ってくれる事を希望する」と言っているのだ。原作者の意思を尊重しない行動を出来ない。
そのカイという人物が、今は紙の上にしか存在していない主人公を、うまく立体で表現してくれれば良い―――そう祈る以外、出来ないのだ。
「あ、おはようございます藤堂さん。槇部長から聞きましたよ、『ギルティ×イノセンス』の主演、カイになったんですって?」
編集部について出迎えたのは、上谷と同期の渡里。こちらは締切もきちんと守る優等生タイプだ。
「ああ、そうらしいな」
「凄いじゃないですか!あのカイがついに素顔公開、しかもウチのドラマの主演としてだなんて、すっごい栄誉ですよ!」
興奮した様子で、鼻息荒く語る渡里。
その褒めちぎりっぷりに、藤堂は眉根を寄せざるを得なかった。
「栄誉って……そんなに有名なのか、そのカイってのは」
「え?」
こちらもまた、槇と同じく信じられないものを見る眼差しを向けてくる。
「そりゃあもう……カイって言えば、今日本で最も人気があって、ついでに言えば日本で最も謎なアーティストですよ」
「謎?」
釈然としない評価だ。すると、渡里は「そうです」と肯定してから、人差し指を天井に向けた。
「とんでもない美声の上、歌にちょっとした演技声を含ませているのが特徴の歌手なんですよ。作詞・作曲・編曲すべて自分でこなして、ついでにギタリストでもある。その上、カイが作る歌はすべてにおいて、こう……ちょっと病んでたりするんです」
悪事を話す様に、声を潜めて渡里は続ける。その顔は、どこか楽しげでもあった。
「病んでる?」
聞き捨てならない内容に、藤堂は思わず顔をしかめてしまった。
『ギルティ×イノセンス』はかなりシリアスなミステリー調の刑事物語だ。病んでいる、というイメージは果たして作品に合っているのか。
「そうです。ちょっとR18……とは言わないけど、R15気味な台詞とかを歌詞に混ぜてたり。しかもそれをあの声で色っぽく歌うから、デビュー当時から女性は勿論、男性からも絶大な人気があるんですよ。顔を晒してもいないのに」
よく判らない説明だが、渡里もまた、カイの熱烈なファンだという事だけは解った。
「それだ。その顔を晒してないってのはどういう事なんだ?」
「そこがカイの魅力の一つなんですよ。彼はデビュー当時から常にサングラスをかけていて、PVとかを出しても常にマスクとかに隠されている。あんな美声なんだから、きっと素顔はとんでもないイケメンなんだろう、と言われてます。まぁ逆も然りですが」
でも、と渡里は言葉を継ぐ。
「『ギルティ×イノセンス』の主役、二階堂斗真を演じるんですから、本当にイケメンだったんでしょうね。天は二物を与えず、なんて嘘っぱちにも程がある」
一体どれだけのものを持っているんだ、と渡里は苦笑しながら言った。
確かに、主人公の斗真はきつい性格で慇懃無礼、挙句の果てには犯人逮捕だけに執念を燃やし、被害者に気を遣いつつもそれは上辺だけ、という最悪の内面を持っている。
だが誰も文句の言えない実力と、一般人なら一瞬で見惚れさす美貌の持ち主、という設定だ。
「冷徹な美貌の主、だもんなぁ、二階堂斗真。カイの雰囲気にぴったりだ」
渡里のそんな称し方を聞きながら、藤堂は少しの不安を抱いた。
それから、四日が過ぎた。




