きみのひとみに
彼女はいつも、制服の上によれよれのトレンチコートを着込んでいた。
「ハードボイルドだから、これ以外着ないの!」
学校指定の可愛らしいデザインのオーバーコートは、高価だった。
彼女は、河川敷の市有地に違法に立てられた掘っ立て小屋に、病弱な母親と二人で住んでいた。
「ホテル住まいだから! 本当の家は別にあるの!」
その「ホテルリバーサイド」は、風で飛ばないように、屋根板に石で重しをしてあった。
彼女は常に痩せていた。彼女が学校に持ってくる弁当箱はとても小さかった。
ある昼休み、たまたま彼女と屋上で一緒になった。僕が嫌いな茹で玉子を始末してくれるように頼むと、彼女は顔を赤くしながら、快く引き受けてくれた。
その日以後、僕には嫌いなおかずが増えた。
彼女は、いつもにこにこと笑っていた。家の経済状況を笑われ、後ろ指を指されることがあっても、その笑みは決して絶えることがなかった。
彼女を家に食事に招いた時、僕の親は不躾にも、露骨に嫌そうな顔をした。彼女は終始礼儀正しかった。僕が後で両親の非礼を詫びると、彼女は微笑んだまま首を横に振って、言った。
「君を心配してるご両親のことを、悪く言っちゃダメ」
僕は、自らの不明を恥じた。
ある冬の寒い日、彼女の母親が他界した。
孤児になった彼女は隣の県の施設に入れられることになり、彼女の仮住まいも取り壊しが決まった。
「ホテルでの贅沢ぐらしもお別れかあ」
土手に並んで腰掛け、既に立入禁止のロープが張られたホテルリバーサイドを見下ろしながら、僕が持ってきた弁当を二人で食べる。僕の押しつけの好意を、彼女は、最後の一口まで、嫌な顔ひとつ見せずに腹に収めてくれた。
施設のバスが到着した。唯一の荷物であるスポーツバッグを、奪うように取り上げ、彼女を送る。彼女の十余年の人生が詰まったそれは、驚くほどに軽かった。
乗降口に上がり、振り返る彼女。僕より頭ひとつ背の低い彼女の顔が、僕の顔の正面にくる。最後まで変わらなかったその笑みに、光るものを見た。
「ありがとう。またね」
遠ざかるバスが、夕暮れの街並に消えるまで見送る。
初めて触れた彼女の唇は、茹で玉子の香りがした。
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