その前に、ひとつだけ確認しても?
「フィーネ・アルスハイド。今この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」
王城の大広間に、その声は驚くほどよく通った。
楽団の演奏が止まると、次第に人々のざわめきも止んだ。三百人はいようかという貴族たちの視線が、波が引くように一斉にこちらへ向いた。
目の前に立っているのは、ヴァレンフェルト公爵家の嫡男、セドリック・ヴァレンフェルト。
私の婚約者——だった人。
磨き上げた金の髪に、彫像のように整った横顔。今日も完璧な礼装に身を包み、完璧に整えられた侮蔑の表情を浮かべている。
そしてその腕には、ひとりの令嬢が寄り添っていた。
淡い桃色の髪に、潤んだ翡翠の瞳をもったヴァンクール侯爵家のご令嬢、ロゼリア・ヴァンクール。
私と同じ王立学院に通う、同級生だ。
「……その理由を、お伺いしても?」
「白々しい」
セドリックは吐き捨てた。
「ロゼリア嬢から全て聞いている。貴様が学院で、この方に何をしてきたのかをな」
ざわり、と広間が揺れた。ささやき合う声が、あちこちから漏れてくる。
私は、まさかと思いながらも、息を吸って、冷静さを保った。
「具体的に、お聞かせ願えますか」
「聞きたいか」
セドリックは、待っていたと言わんばかりに口の端を吊り上げた。
「では言ってやろう。貴様はロゼリア嬢に、バケツの水を浴びせたそうじゃないか」
「……」
「階段から突き飛ばし、髪を引っ張って引きずり、中庭の噴水に沈めていた。もっと聞きたいか?」
一つ、また一つと、彼は指を折り、その度に広間のざわめきが大きくなっていった。
周りの好き勝手なことを言う声が広がっていく。
だが、それを、私は黙って聞いていた。黙って聞いているしかなかった、とも言う。
「——それと」
「……」
「ロゼリア嬢を公の場で、裸にし、学院校内を走らせていたらしいじゃないか」
——それは酷い。
——本当ですの? そんなことを?
——聖女といっても、所詮は男爵家の娘だ。侯爵令嬢に嫉妬したのだろうよ。
——ああ、なるほどな。所詮、庶民のような身分では、他の令嬢が羨ましくもなるか。
好き勝手な言葉が次々と飛び交い、誰も私の意見を聞こうとはせず、セドリックの語った「事実」だけが瞬く間に広間全体へ広がっていく。
私はそれを、ただ黙って聞いていた。いや、正確には、黙って聞いているしかなかった。
この場にいる誰もが、すでに私を『ロゼリアを虐めた悪女』として見ているのだから、ここで何を言ったところで、ただの言い訳として処理されるだけだろう。
「どうした。反論はないのか」
「……」
「沈黙は肯定と受け取るぞ、フィーネ」
やれやれ、と口を開こうと思ったその時、大きな瞳に涙を溜めて、震える指先を胸の前で組んだロゼリアが、そっと一歩前に出た。
角度まで計算していらっしゃる。シャンデリアの光が、ちょうど涙に反射する角度だ。
なるほど、と私は思った。
「……セドリック様。もう、その辺で」
「でも、ロゼリア嬢」
「わたくしは、平気ですから。本当に、平気なんです」
囁くような、けれど広間の隅まで届く、よく通る声だった。
「ただ……ただ、少しだけ、悲しかっただけで」
「ロゼリア嬢……!」
——ああ、なんとお労しい。
——あの方、あれだけのことをされて、まだ庇っておられるの?
——彼女は、女神か何かか?
「フィーネ様。わたくし、あなたのことを嫌いにはなれませんの」
「……そうですか」
「ええ。だって——」
彼女は、胸に手を当てた。
「わたくしは、美しい心を持っていますもの」
一瞬、広間が静まり返った。
そして、割れんばかりの——とまではいかないが、確かな感嘆のため息が満ちた。
——まあ……!
——なんという方だ。
——あそこまで虐められて、なお許すとは。
——ヴァンクール侯爵家は良い娘を育てられた。
「……わかりました」
拍手すら起きそうな空気の中、私は膝を折り、丁寧に礼をした。
「婚約の破棄、謹んでお受けいたします」
「……は?」
セドリックの顔から、勝ち誇った表情が、するりと落ちた。
「なんだと?」
「ですから、承知いたしましたと」
「……」
「他に、何かご不満が?」
彼は明らかに、想定していた反応と違うものを受け取って戸惑っていた。
たぶん、私に泣いて縋ってほしかったのだと思う。
三百人の前で、男爵令嬢が公爵令息の足元に縋りついて、どうかお許しくださいと叫ぶ。それを冷たく見下ろす自分。そういう絵を、頭の中で何度も描いてきたのだろう。
「……ふん、開き直ったか」
「いいえ、そういうわけでは」
「まあいい。どうせ貴様のような女、この国に置いておくわけにはいかん」
彼は声を張り上げた。
「フィーネ・アルスハイド! 貴様との婚約を破棄し、貴様を国外追放の刑と処す!」
——ああ、やっぱりこうなるのか。
婚約破棄には、何の未練もない。むしろこちらから願い下げだ。学院での無下な扱いにも、とうに慣れてしまった。
それでも。
「——お待ちください」
「なんだ。今更、命乞いか」
「いいえ」
私は顔を上げた。
「国外追放を宣告する権限は、公爵家にはございません」
「……なに?」
「私は、この国の聖女です。神殿から任じられた身の処遇を、公爵家が一存で決めることもできません」
「き、貴様……!」
「ですから、これは越権行為です。セドリック様」
セドリックの顔が、みるみる赤くなった。
「黙れ! 貴様のような女が聖女など、そもそも間違っているのだ!」
「ですが——」
「ロゼリア嬢を虐めた件、王家も神殿も、黙ってはいないだろう! よって、これは越権行為ではなく、妥当性を踏まえた正式な決定である!」
——公爵家とは、そういうものなのだろう。仮に本当に私がロゼリアを虐めていたのなら、聖女資格の剥奪も国外追放も、あり得る処遇だ。だが、令嬢一人の証言だけで聖女の処遇を決めてしまうのは、どう考えても筋が通らない。
もっとも、今それを訴えたところで、彼に理解できるはずもないが。
「セドリック様」
「な、なんだ」
「婚約破棄でも、国外追放でも、なんでも承りましょう。ですが——その前に、ひとつだけ確認させていただいても?」
◇
私が王立学院で虐げられるようになったのは、女神ヴェリタに選ばれたその日からだった。
理由は単純だ。
私は男爵家の生まれ。しかもその当主は、三年前に処刑された父に代わり、母が務めている。この国では本来、女が当主を務めることは断じて許されないのにも関わらず。
そんな娘が、女神ヴェリタの寵愛を受けた。女神の寵愛を受けた聖女は、貴族でなければならないという聖書に則った規定のもと、神殿側は国に要請し、我が男爵家の爵位返上は白紙となった。
同じ理由で、公爵家の嫡男セドリックとの政略結婚も決まった。私がエリート揃いの王立学院に通えているのも、この学院自体が公爵家の支援で成り立っているからだ。
私は聖女という肩書きのおかげで、家も、結婚も、学院も手に入れた。それなのに、家格も後ろ盾も、実質は何もない。爵位はあってないようなものだ。
それだけで、虐められる十分すぎる理由になる。
「ねえ、聖女様」
学院の談話室で、ロゼリアは私を呼んだ。いつもの三人を従えて、いつもの微笑みで。
「あれ、やってくださらない?」
「……あれ、とは」
「とぼけないで。持っているのでしょう?」
彼女の視線が、私の胸元に下げた小さな銀の鈴に向いた。
女神ヴェリタからお預かりしている、聖具だ。
『——真実の鈴』
聖女である私が鈴を鳴らし、女神の名において問いを立てたとき、そこには一つの遊戯が成立する。
『真実か、挑戦か』
真実を選んだ者は、問いに答えねばならない。偽りを口にすれば、女神の裁きにより雷が落ちる。
挑戦を選んだ者は、課された行いを拒めない。拒めば、より強い雷が落ちる。それすなわち、死を意味する。
そして、この遊戯からの逃走もまた、女神への侮辱とみなされ、同じ死に値する。
「わたくし、あの遊びが好きですのよ。ねえ、みなさん?」
「ええ、とっても」
「本当のことしか言えないなんて、素敵ですわ」
「さあ、聖女様。はやく鈴を鳴らして?」
「……お断りします」
私はきっぱりとそう言った。
「これは、女神様からお預かりしている聖具です。遊びの道具ではありません」
「あら、そうなの?」
ロゼリアは小首を傾げた。そして、次の瞬間、彼女の拳が、私の腹にめり込んだ。
「――っ、ぁ」
息が止まる。床に膝をつき、必死に息を吸おうとする私の髪を、彼女は掴んで持ち上げた。
「やるんだよ」
さっきまでの可愛らしい声はどこにもなかった。
「聞こえた? 私は、やれって言ったの」
「……は……ぃ……」
「あなた、道具でしょ、女神様の。だったら道具らしく使われなさいよ」
取り巻きの令嬢たちが、また上品に、くすくすと笑う。
「しかし、ロゼリア様? そんなに乱暴になさってはいけませんわ」
「そうですわ、跡が残ってしまいます」
「顔じゃなければバレないわよ。ねえ?」
「まあ、賢いですわ。さすがはロゼリア様!」
そして——結局、私は鈴を鳴らした。私と母の命を救ってくれた女神様を侮辱するような形で。
最初のうち、遊戯はロゼリアたちの内輪で回っていた。
「私たちの学年で、好きなお方は?」
「まあ、ロゼリア様! そんな質問、意地悪ですわ! ……ええと、その」
「隠し立てはなしよ。嘘をついたら雷が落ちるわ?」
「きゃっ、待って、待って!」
きゃあきゃあと彼女たちの笑い声が上がる。
誰が誰を好きだの、誰のドレスが趣味が悪いだの——そういう他愛のない遊びだった。
私は隅で、 ただの道具として、鈴を握りしめて立っていた。「おい」と呼ばれれば鳴らし、終われば下がる。
それだけなら、まだよかったと思う。
「……つまらないわね」
三ヶ月ほど経った頃、ロゼリアが談話室の窓辺で、頬杖をついて、そう言った。
「もう聞くことがないもの。みんなの秘密なんて、全部知ってしまったわ」
「では、どういたしましょうか?」
「そうねえ」
ロゼリアの機嫌を取ろうと必死な取り巻きを見ることもせず、ロゼリアの目はゆっくりと動き、やがて私で止まった。
「——ねえ、聖女様。あなたもやってみない?」
新しいおもちゃを見つけた子どもの顔で、ロゼリアは言った。
「いえ、私は、進行役ですので」
「あら、ご自分は参加できないなんて規則、ありましたっけ?」
「……いえ、そのようなものは」
——なかった。
だから、気がつけば、今度は私が机に座らされていた。
「ほら、答えて。真実か、挑戦か」
「……真実を」
「じゃあ聞くわ」
正面にいたロゼリアは、頬杖をついたまま、にっこりと笑った。
「あなたのお父様、今なにをしていらっしゃるのかしら?」
——喉が詰まる。
だが、真実を答えなければならない。嘘をつけば、雷が落ちる。
「……亡くなって、おります」
「あら」
「三年前に」
「まあ、それは失礼を」
彼女は口元を押さえた。だが、まったく悪びれない仕草で。
「知らなかったものだから。ごめんなさいね?」
そうごまかすが、知っていたはずだ。
社交界で、知らない者などいない。アルスハイド伯爵家の当主が、どういう死に方をしたのか。
ある公爵家の行いに反発して、国にそのことを報告する手前、その公爵家に王都中心部で公開処刑されたと。ロゼリアの父が、その報告を公爵家に密告したとさえ言われているのだから、まあまず知らないわけがない。
「じゃあ次ね。真実か、挑戦か」
「……真実」
「セドリック様は、あなたのことを愛してあげているのかしら?」
「……」
「答えて」
「——いいえ、思っていないと、思います」
「まあ、お可哀想ね。婚約者なのに」
くすくす、くすくす。
分かりきった質問を、何度も私にぶつけては、その反応を見て笑う。談話室には、そんな笑い声ばかりが満ちていた。
真実を選べば、また意地の悪い質問が飛んでくる。そう思って、私は真実を選ぶのをやめた。
次に「真実か、挑戦か」と聞かれたとき——私は、挑戦を選んだ。
「挑戦? いいわ。じゃあ——」
ロゼリアは、しばらく考えて、それからにっこりと笑った。
「制服をすべて脱いで、一日中、学院の中で踊っていらっしゃい」
「……」
「変な踊りで。みんなが笑うような」
「……お断りします」
「できないの? 女神様の遊戯なのに?」
彼女は、私の手の中の鈴を指さした。
「拒んだらどうなるか、あなたが一番よくご存知でしょう?」
——知っていた。
拒めば女神への侮辱とみなされ、死の雷が落ちる。
ならばいっそ、それで終わればいいのに。そんな考えが、頭の隅をよぎった。
だが、私は頭を横に振った。
父を失い、当主代理として矢面に立つ母は、これ以上何を失うというのだろう。聖女である私が資格を失えば、母はこの国のどこにも居場所を失う。
私が死を選ぶことは、母を巻き添えにすることと同じだった。
「——わかりました」
そう考えると、私は返事をしていた。
その日の私を、学院中の生徒が見ていた。指をさし、腹を抱え、涙を流して笑っていた。誰も助けてはくれなかった。助けようとした者がどうなるか、みんな知っていたから。
窓という窓から、笑い声が降ってきた。
冷たい石の廊下を、私は裸足で一日中歩き回った。恥ずかしさは、途中から麻痺していった。
◇
その日を境に、遊戯の使い道は完全に変わった。
「ねえ、聖女様。真実か、挑戦か」
朝の教室で。
「聖女様。真実か、挑戦か」
昼の食堂で。
「ほら、早く選んで。真実? 挑戦?」
放課後の中庭で。
一日に何度も、私は選ばされた。
真実を選べば、家のことを抉られ、挑戦を選べば、恥を晒される。どちらを選んでも痛いようにできている問いを、ロゼリアは飽きもせずに繰り返した。
それが毎日のように続いていたある日、私は一度だけ、セドリックに相談したことがある。婚約者という、形だけとはいえ、私を守る立場にある人だったから。
「——は? 何を言ってる」
だが、彼は、書類から目も上げずにそう言った。
「ロゼリア嬢が、貴様を虐めている、だと?」
「はい」
「馬鹿を言うな」
「ですが——」
「ロゼリア嬢は、そのような方ではない。お前の勘違いだ」
「……セドリック様は、学院には通われていませんよね」
「何が言いたい」
「あなたは……学院で何が起きているかをご存知ないはずです」
そこで初めて、彼は顔を上げた。
そして、心の底から不快そうに、眉を寄せた。
「貴様、私に指図するのか」
「……いいえ」
「聖女ごときが調子に乗るな。私は忙しい」
それきりだった。彼はもう二度と、私の話を聞かなかった。
私も、それ以来、誰にも、何も相談しなくなった。
◇
「その前に、ひとつだけ確認させていただいても?」
私は胸元の鈴に、指をかけた。
「……なんだ、確認とは」
「簡単なことです」
セドリックにそう問われると私はチリン、と鈴を鳴らした。
小さな音が、大広間に落ちた。たったそれだけの音だったのに、シャンデリアの光が、すっ、と落ちた。
そして、大理石の床に、淡い金色の紋章が浮かび上がる。
女神ヴェリタの紋章である、天秤と、雷。
「な……なんだ、これは!」
「聖具です」
私は言った。
「女神ヴェリタ様よりお預かりしている、『真実の鈴』でございます」
広間中から、息を呑む音がした。
——あれが……!?
——初めて見たぞ。
——聖具の顕現など、二十年ぶりではないか?
貴族たちが、我先にとその場を後ずさっていく。けれど誰一人、広間から出ていこうとはしなかった。
見たいのだ。みんな、何かが起こるところを見たいのだ。
——そういうところだけは、学院の生徒と何も変わらない。
「セドリック様。ロゼリア様」
私は、ふたりを見た。
「今からこの場で、女神の遊戯を執り行います」
「ゆ、遊戯だと?」
「『真実か、挑戦か』」
私は、規則を口にした。
広間中に聞こえるように。ゆっくりと、はっきりと。
「真実を選んだ者は、私の問いに答えなければなりません。偽りを述べれば、女神の雷がその身に落ちます」
「……」
「挑戦を選んだ者は、私が課した行いを拒めません。拒めば、死亡するほどの雷が落ちます」
「なっ……そんな、勝手な!」
「そして——」
私は続けた。
「遊戯そのものを拒むことは、女神への侮辱とみなされます。ご存知でしょう、ロゼリア様?」
ロゼリアの顔は蒼白になった。
「……わ、わたくしはやりません!」
「ロゼリア様、女神の遊戯は、三百人の証人の前で開かれました。もはや私にも止められません」
——女神様。
私は心の中で呼びかけた。
どうか今夜だけは、聖具の使用をお許しください。
願いを込めた瞬間、鈴が、誰の手も借りずに、ひとりでに鳴った。
——チリン。
まるで、答えが返ってきたかのように。
それに、私は安心して、そっと目を細めた。
「では、ロゼリア様からです」
「わ、わたくしから?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「真実か、挑戦か」
ロゼリアは、周囲を見回した。
三百人の貴族が、固唾を呑んで見守っている。
ここで挑戦を選べば、何をさせられるかわからない。
そして真実は——彼女にとって、恐れる理由がないはずのものだった。
だって彼女は被害者なのだから。ただ、真実を語ればいいだけなのだから。
「……真実を、選びますわ」
「賢明です」
私は一歩、前に出た。
「では、お尋ねします」
ロゼリアが、身を固くする。
「美しい心をお持ちのあなたは、本当に——私を、嫌いになれませんか?」
「……え?」
彼女は、拍子抜けしたような顔をした。
広間からも、戸惑いのざわめきが漏れる。
——なんだ、その問いは?
——あんなことをされて、嫌いにならぬはずがなかろう。
——だが、先ほど、ロゼリア嬢は、それでも嫌いにはなれないとか!
——そうか、ならば、彼女は「はい」と答えるはずか。
そう。これは、答えがすでに決まっている問いだった。
ロゼリアが私を嫌っていないはずがないのだ。彼女は成績優秀で、次の聖女候補として名高い王立学院——創設以来、幾人もの聖女を輩出してきた名門校の中でも、順当にいけば次の聖女になると噂されていた人物だった。そこへ、身分の低い私が突然割り込んで聖女になったのだ。彼女が私を疎ましく思わない理由など、どこにもない。
だからこそ、最初にこの問いを選んだ。
「お答えください、ロゼリア様」
「……もちろん」
彼女は微笑んだ。
「もちろん、わたくしはあなたを嫌いには――」
周りの言葉に流され、ロゼリアはそう言いかけたが、言葉が止まった。
彼女の視線が、床の神紋に落ちる。金色に光る、雷の意匠に。
「……」
「ロゼリア様?」
「…………」
彼女の唇が、震え始めた。
嘘を、つこうとしたのだ。そして、つけなかった。女神の紋の前で、彼女の身体が、本能的に理解してしまったのだろう。
——ここで嘘をつけば、雷が落ちる、と。
「……本当は」
「はい」
「本当は……嫌いです」
演じるような、か細い声だった。その声に、しん、と広間が静まった。
——え……?
——今、なんと?
——嫌い、とおっしゃったか?
どよめきが、広間全体を静かに揺らした。
けれど、それを打ち消すように、すぐさまセドリックが叫んだ。
「当然だろう!!」
彼は、ロゼリアの肩を抱いた。
「彼女がこれまでどんな仕打ちを受けたと思っている! 嫌いになる権利くらい、あって当たり前だ!」
「だが、彼女は先ほど、確かに『嫌いにはなれない』と?」
「なんと愚かな。もちろんそう言わざるを得なかったんだろう」
「と言うと?」
「ロゼリア嬢は、この野蛮聖女に、三年間も虐められていたんだぞ? そんな奴に嫌いと面と向かって言えるか?」
その場にいた貴族の一人が問いを重ねると、セドリックの答えに、場の空気がまた傾いていく。
——うむ、たしかに。
——そうよね、あれだけのことをされて、嫌いなはずはないわよね。
——むしろ嫌いと言えるほうが誠実ではないか?
私は思わず、感心してしまった。
この人たち、こういう時の切り返しだけは本当に上手い。
「……なるほど」
だが、どれだけ言葉を飾ろうと、女神の紋はまだ消えていない。問いは、まだ終わっていないのだから。
私は頷いた。
「では、次の問いへ」
「まだやるのか!」
「ええ。では、またロゼリア様。真実か、挑戦か」
「……っ、真実」
彼女は選んだ。
選ぶしかなかった。
挑戦の恐ろしさを、彼女は誰よりもよく知っている。
自分が三年間、私に何を課してきたかを、覚えているから。
「では——」
私は、まっすぐに彼女を見た。
「学院で、貴女にバケツの水を浴びせたのは、本当に私ですか?」
「……は?」
「言い直しましょう」
私は、ゆっくりと言った。
「水を浴びせられたのは、あなたですか。それとも、私ですか」
ロゼリアの顔から、血の気が引いた。
「そ、それは……」
「お答えください」
「……わたくしですわ」
震える声で、それでも彼女は答えた。
「わたくしが、あなたに浴びせられました」
「では、確認します」
私は、一歩踏み込んだ。
「あなたは、被害者ということですね?」
「…………はい」
その瞬間、天井から一条の光が落ちた。
続けて、耳を押さえたくなるほどの轟音。
蒼白い雷が、ロゼリアの脳天を貫いた。
「ぎゃあああああああああっ!!」
悲鳴が上がった。
可憐でも、鈴の音でもない。喉が裂けるような、獣の悲鳴だった。
「ロゼリア嬢!」
セドリックが支えようとして、だが、雷に弾かれたように手を引っ込める。
彼女は膝から崩れ落ち、床の上でびくびくと痙攣していた。
髪の先から、細い煙が上がっている。
広間は、完全に沈黙していた。
「……嘘、だったのか」
誰かが、呟いた。
——今の、嘘だから落ちたんだろう?
——そうだ、雷は偽りに落ちると、先ほど説明していた……!
——では、被害者ではないのか?
——では、加害者は……?
ざわめきが、広間全体に広がった。
「馬鹿な!」
セドリックが叫んだ。
「何かの間違いだ! 聖具の不調だ! そうに決まっている!」
「そうですね」
私は頷いた。
「では、確かめましょう」
「なに?」
私はロゼリアの前に膝をつき、その顔を覗き込んだ。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった、美しい心の持ち主の顔を。
「ロゼリア様。もう、おわかりですね」
「……ぃ、や」
「ずいぶんと、痛かったでしょう?」
彼女は、こくこくと頷いた。
必死に。何度も。
「もう二度と、あの痛みは味わいたくない?」
「……い、いや……いやです……」
「では、正直に答えていただけますね」
私は、立ち上がった。
そして、広間中に響く声で、告げた。
「真実か、挑戦か」
「……し、真実」
「では」
私は、息を吸った。虐げられてきた三年分の息を。
「私を階段から突き飛ばし、髪を引っ張って引きずり、中庭の噴水に沈め、鞄を窓から投げ捨て、拘束魔法をかけて放課後まで放置し、机の中に虫を詰め、熱い紅茶を頭からかけ、学年全員に私を無視するよう命じ、私の父のでたらめ話を学院中に言いふらし、盗まれた試験問題の犯人だと濡れ衣を着せ、自分から転んでおいて私に突き飛ばされたと騒ぎ立て、教科書を破いて溝に捨て、靴の中に画鋲を仕込み、寮の部屋に泥を撒き散らし、私の名で偽の恋文を書いて笑いものにし、家庭教師に嘘の告げ口をして授業を受けさせないよう仕向け、食堂で私の食事にだけ塩を山ほど入れ、階段の踊り場で待ち伏せては通せんぼをし、私の描いた課題の絵に墨をぶちまけ、母のことを『成り上がりの田舎女』と陰で嘲り、寮の窓に石を投げ込み、私が使う教材だけをこっそり隠し、雨の日にわざと傘を折り、夜会用のドレスに画鋲を入れ、私の唯一の友人だった生徒に取り入って引き離し、廊下ですれ違いざまに足を引っかけ、冬の湖に突き落とし、私が発言するたびに嘲笑い、教師の前でだけ猫を被って私を悪者に仕立て上げ、庭園の私の鉢植えをすべて踏み荒らし——」
私は、一度言葉を切った。
「そして最後に、私の制服を奪って、一日中、学院中で踊らせたのは」
広間の誰一人、動かなかった。
「——貴女ですか、ロゼリア様」
長い、長い沈黙があった。
セドリックが、ゆっくりと、ロゼリアを見下ろした。
その顔が、少しずつ歪んでいく。
信じたくないものを、それでも見てしまった人の顔だった。
「……ロゼリア嬢」
「……」
「違うと、言ってくれ」
「…………」
「頼む、違うと——」
「……はい」
彼女は、床に額をつけたまま、言った。雷の恐怖に踊らされて。
「……すべて、わたくしが、やったことです」
◇
瞬く間に、広間は爆発した。
——なんということだ!
——では、ロゼリア嬢が加害者だったと!?
——聖女様に、そんなことを!?
——侯爵令嬢が? 聖女に? 三年間も?
——おい、まずいぞこれは。
——まずいどころではない。神殿がどう出るか。
——ヴァンクール家は終わりだな。
——終わりで済めばよいがな。聖女への継続的な加害だぞ。——あれは神への冒涜として裁かれる。
——先代の当主も強欲だったからな。娘も同じか。
——静かに、聞こえますわよ。
——もう構うものか。
さっきまで彼女を讃えていた声が、そっくりそのまま、彼女を切り捨てていく。
私は、それを黙って眺めていた。不思議と、何も感じるものはなかった。
——ふと、視界の端で動くものがあった。
ロゼリアの後ろに控えていた、三人の令嬢。
三人は顔を見合わせると、示し合わせたように、そろり、そろりと後ずさっていた。
「——お待ちください」
私が声をかけると、彼女たちはびくりと肩を跳ね上げた。
「わ、わたくしたちは、何も……!」
「まだ何もお尋ねしていませんが」
「っ」
「けれど、そうですね」
私は、少しだけ首を傾げた。
「せっかくですから。真実か、挑戦か」
「ひっ」
「お答えください」
「し……真実、ですわ」
三人が、寄り添うようにして固まる。つい先ほどまで、人だかりに隠れて笑っていた人たちだ。
「では、簡単なことをひとつだけ」
私は言った。
「あなた方は——知っていましたか」
「……え」
「学院で何が起きていたか。誰が誰に何をしていたか」
「……」
「知っていて、笑っていましたか」
三人の顔が、同時に歪んだ。
「——は、はい」
「知っていました」
「……笑って、いました」
雷は、落ちなかった。
三人は、へなへなとその場に座り込んだ。
そして、そのまま泣き出した。
「ご、ごめんなさい……!」
「わたくしたち、逆らえなくて」
「ロゼリアが怖くて、それで……!」
「そうですか」
私は頷いた。たったそれだけだ。
責めもしなかったし、許しもしなかった。
女神は真実を求める方であって、許しを与える方ではない。
許すかどうかは、私が決めることだ。
そして私は——今のところ、決めていない。
だが、きっとこの広間の貴族たちが、彼女たちの結末を決めてくれるのだろう。
「……お、おい」
背後から震える声がした。
セドリックだった。
床に座り込んだロゼリアを庇うように立って、私を睨みつけている。けれど、その足は明らかに震えていた。
「貴様……何か、細工をしやがったな」
「細工」
「そうだ! 聖具に何か仕込んだんだろう! 彼女がこんなことをするわけがない!」
「セドリック様」
「彼女は美しい心を持っている! 私はそれを知っている!」
「セドリック様」
「私が信じたものが、間違っているはずが——」
「真実か、挑戦か」
彼の言葉が、途中で止まった。大広間が、水を打ったように静まり返る。
「な……」
「聞こえませんでしたか」
私は、彼を見上げた。かつて、私を一度も見なかった人を。
「真実か、挑戦か」
セドリックの喉が、ごくり、と鳴った。彼の目が、床に転がるロゼリアに向く。まだ小さく痙攣している、その姿に。
「……真実、だ」
彼は勇姿を振り絞って、そう言った。
「私は真実を選ぶ。やましいことなど何もないからな!」
「では」
私は、静かに問うた。
「あなた、ならびにヴァレンフェルト公爵家は——ここ数年、大規模な横領および国家予算の着服を行っていましたか?」
大広間の空気が、凍りついた。
「な——」
セドリックの顔から、あらゆる表情が消えた。
「なにを……」
「お答えください」
「き、貴様、何を言っている! そんな話が、この場に何の関係が——」
「関係ならあります」
私は言った。
「私は聖女です。神殿には、この国のあらゆる寄進の記録が集まります。北部救貧院への下賜金が、数年前から一度も届いていないことも」
「……」
「その分の金が、どこへ消えたのかも」
セドリックの額を、汗が伝った。広間の貴族たちが、じり、と一歩下がった。
——おい、まさか。
——北部の話は、私も噂には聞いていたが。
——あの飢饉の年の下賜金か……?
——静かに。
——王家の耳に入ったら……
——入るだろうな。今、この場で。
セドリックは、必死に頭を回転させているようだった。
嘘をつけば、雷が落ちて、自分はロゼリアのようになる。真実を言えば、公爵家もろとも終わる。
けれど。
彼は——彼だけは、まだ、どこかで信じていたのだと思う。
自分は特別だと。
自分だけは、大丈夫だと。
「……セドリック殿」
広間の奥から、年配の公爵が声をかけた。
「答えられぬのか」
「っ、違う!」
「ならば答えられよ。この場には陛下の名代もおられる」
「……」
「何よりも、お前さんだろ。沈黙は肯定と取る、とフィーネ嬢に申し上げたのは」
追い詰められたセドリックは完全に黙秘した。だが、公爵の言う通り、ここで黙れば、それ自体が答えになる。
だからこそ、彼の視線は、ゆっくりとだが、私に戻ってきた。
そして、私は彼の顔を見て、驚いた。
そこにあったのは、憎悪でも怒りでもなく。ただの、懇願だったのだ。
助けてくれ、という。
三年間、一度も助けてくれなかった人の。
私は、首を横に振り、何も言わなかった。
すると、彼はもう一度、ごくりと喉を鳴らして。
そして。
「…………いいえ」
彼は、答えた。
「そのような事実は、断じてない」
——轟音。
二条目の雷が落ちた。
「がっ……あ、あ、あああああ——!」
彼の身体が跳ね上がり、そして、床に叩きつけられた。
礼装の胸元が焦げ、金の髪が乱れて、彼は仰向けに倒れた。
美しい顔を、無様に歪めて。
大広間から、悲鳴と怒号が同時に上がった。
「本当だったのか!」
「国家予算の着服だと!?」
「陛下に! 誰か陛下にお知らせしろ!」
「衛兵! 衛兵はどこだ!」
「ヴァレンフェルトが……あのヴァレンフェルト公爵家が!」
床の上に、ふたりが並んで転がっている。
公爵令息と、侯爵令嬢。この国で最も高いところにいたはずの、ふたり。
私は、ゆっくりとそちらへ歩いていった。
コツ、コツ、と靴音が響く。
誰も、止めなかった。
「……く、来るな」
セドリックが、後ずさろうとして、しかし、腕に力が入らずに体勢を崩した。
「来るなと言っている!」
「セドリック様、ロゼリア様」
私は、ふたりの前に立った。
「……ぁ」
「最後の問いです」
私は、そっと微笑んだ。
たぶん、それはとても優しい微笑みだったと思う。学院で、彼女たちがよく私に向けていたのと同じ種類の。
「真実か、挑戦か」
ふたりの顔から、血の気が引いた。
真実……はもう選べない。
これ以上何を聞かれるか、わかったものではない。横領の共犯者は誰か。他にどんな罪があるのか。答えれば、家ごと消える。
なら。
「……ちょ、挑戦だ」
「わたくしも……挑戦を……」
セドリックが言って、ロゼリアが、同じく続けた。
「では」
私は頷き、そして、鈴を掲げた。
——チリン。
金色の紋章が、大きく脈打った。
「今まで私が受けた仕打ちを、すべて——」
私は、言った。
「十倍にして、女神様よりお二人に与えていただきましょう」
「……え」
「なッ——待て待て!」
「拒否はできません」
私は言った。
「挑戦を選んだのは、あなた方です」
「待て、待ってくれ! 話を!」
「三年間——」
私の声は、自分でも驚くほど静かだった。
「私は、一度も待ってもらえませんでした」
紋章から、光が溢れた。
「い、いやああああああ!」
「やめろ! やめてくれ! 私はヴァレンフェルト家の——!」
最初に落ちてきたのは、バケツの水だった。
どこからともなく現れた大量の冷水が、ふたりの頭上から降り注ぐ。
一度ではない。二度、三度、四度。私が浴びせられた回数の、十倍だけ。
「ぶっ……! げほっ、ごほっ……!」
「やめ、や——ぶはっ!」
次に、ふたりの身体が見えない手に掴まれて、床を引きずられた。髪を掴まれるように。噴水に沈められるように。
ロゼリアとセドリックの悲鳴が、大広間に反響する。
「なによこれ!? やめて! やめなさいよ、道具のくせに!」
「おい、誰か! やめさせろ!」
「聞こえてる? やめろって言ってるの! わたくしを誰だと思って——」
言葉は、次のバケツの水で途切れた。
「……見ろ」
誰かが呟いた。
——あれは、聖女様が受けたものだ。
——三年間……あれを、三年間か。
——よく、耐えられたものだ。
——耐えられるものか。耐えるしかなかったのだ、あの方は。
年配の公爵が、深く息を吐いた。
「そして我々は、それを知ろうともしなかった」
大広間の貴族たちは、誰一人、目を逸らさなかった。息を詰め、身を乗り出し、その視線は、やつれた二人の姿に釘付けになっている。
——私は、その光景を、少し離れたところから眺めていた。
こうして人前に立つこと自体、三年ぶりだった。
夜会にも、茶会にも、私は自由に出ることができなかった。誰と会うかも、誰に手紙を出すかも、すべてセドリックを通さねば叶わなかったのだ。
あのときはただの過保護だと思っていた。だが今なら分かる。
あれは、監視だったのだ。
三年前、私の父はヴァレンフェルト公爵家の横領を告発し、公開処刑された。それでも告発の芽は摘み切れず、よりにもよって告発者の娘である私が、真実を暴く女神ヴェリタに選ばれてしまった。
真実の女神を司る聖女。
それは、公爵家にとって最も都合の悪い存在だったはずだ。
だからこそ、公爵家は、私を政略結婚という檻に閉じ込めた。婚約者という立場であれば、常に側に置き、行動を制限し、外部との接触を管理することができるから。
けれど、その監視は、学院の中まで監視の目は届いておらず、学院での出来事は、すべてロゼリアの報告任せだった。
そして、三年間、私が一度も逆らわず、大人しく従い続けたことで、セドリックから緊張感を奪っていき、父の告発など、もう誰も覚えていない——そう高を括るようになっていった。
セドリックの油断はいずれ、ロゼリアへの本気の恋心に変わったのだ。
彼は、ロゼリアの涙に心を動かされ、言葉を疑わなくなるうちに、彼は婚約の本来の目的——私を見張り、真実を封じるという役目そのものを、忘れてしまったのだろう。
だから今夜、彼は婚約破棄のために、自らこの場を三百人の証人がいる大広間を、用意してしまった。
三年間、外の目から私を遠ざけてきた彼が、最後の最後で、自分の手でそれを私に与えたのだ。
だからこそ私は、父の想いを果たすことができた。
『真実というのは、誰かが言わねば真実にならん。誰も言わなければ、それはただ、なかったことになるだけだ』
父の言葉が、不意に蘇った。
確かに、その通りだった。真実は、誰かが言わなければならない。
そして今夜、その真実はようやく、誰の目にも明らかなものとなった。
◇
それから、一年。
私は今も、聖女としての職務を静かに全うしている。
朝は神殿で祈りを捧げ、昼は北部の救貧院を回り、夕方には孤児院の子どもたちに読み書きを教えている。
去年まで滞っていた下賜金は、無事に届くようになった。数年分の未払いも、ヴァレンフェルト公爵家の資産を差し押さえて充当されたそうだ。
ヴァンクール侯爵家は爵位を返上し、ヴァレンフェルト公爵家は取り潰しとなった。当主夫妻は幽閉。
そして、ロゼリアとセドリックは、国外追放。
——国外追放。
セドリックが三百人の前で私に宣告した、あの言葉。結局、彼はそれを、正しい手続きで、自分自身に受け取ったことになる。
風の噂では、隣国との国境近くの荒野で、ふたりで暮らしているらしい。
そして毎日、日が昇るたびに……女神から、何かを与えられているらしい。
「聖女様」
「はい」
「あの、その……大丈夫なんですか。あのお二人は」
孤児院の子どもが、恐る恐るセドリックとロゼリアのことを尋ねてきた。
噂はどうやら子どもの耳にも届くらしい。
私は、少し考えて、答えた。
「女神様は、公平な方ですよ」
「こうへい?」
「与えたものを、与えた分だけお返しになる、ということです」
「……それって、いいことですか?」
「さあ」
私は笑った。
「その人が、何を与えたかによりますね」
——ちなみに。
先日、私は婚約した。
相手は、神殿に出入りしていた騎士団の副団長様だ。
物静かで、あまり多くを語らない人。けれど、孤児院にも毎週欠かさず手伝いに来てくれる、とても優しい方。
彼は、母に代わって、アルスハイド男爵家の当主となった。今は、母と彼と、私と、三人で仲良く屋敷に暮らしている。
「聖女様! 早く! 皆が食堂で待ってるよ!」
「はい、今行きます」
子どもたちの声に、私は鈴を胸元にしまう。
チリン、と。
小さな音が、春の光の中に消えていった。
(了)
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