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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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その前に、ひとつだけ確認しても?

作者: しらたま
掲載日:2026/08/10

「フィーネ・アルスハイド。今この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」


 王城の大広間に、その声は驚くほどよく通った。


 楽団の演奏が止まると、次第に人々のざわめきも止んだ。三百人はいようかという貴族たちの視線が、波が引くように一斉にこちらへ向いた。


 目の前に立っているのは、ヴァレンフェルト公爵家の嫡男、セドリック・ヴァレンフェルト。


 私の婚約者——だった人。


 磨き上げた金の髪に、彫像のように整った横顔。今日も完璧な礼装に身を包み、完璧に整えられた侮蔑の表情を浮かべている。


 そしてその腕には、ひとりの令嬢が寄り添っていた。


 淡い桃色の髪に、潤んだ翡翠の瞳をもったヴァンクール侯爵家のご令嬢、ロゼリア・ヴァンクール。


 私と同じ王立学院に通う、同級生だ。


「……その理由を、お伺いしても?」

「白々しい」


 セドリックは吐き捨てた。


「ロゼリア嬢から全て聞いている。貴様が学院で、この方に何をしてきたのかをな」


 ざわり、と広間が揺れた。ささやき合う声が、あちこちから漏れてくる。


 私は、まさかと思いながらも、息を吸って、冷静さを保った。


「具体的に、お聞かせ願えますか」

「聞きたいか」


 セドリックは、待っていたと言わんばかりに口の端を吊り上げた。


「では言ってやろう。貴様はロゼリア嬢に、バケツの水を浴びせたそうじゃないか」

「……」

「階段から突き飛ばし、髪を引っ張って引きずり、中庭の噴水に沈めていた。もっと聞きたいか?」


 一つ、また一つと、彼は指を折り、その度に広間のざわめきが大きくなっていった。


 周りの好き勝手なことを言う声が広がっていく。


 だが、それを、私は黙って聞いていた。黙って聞いているしかなかった、とも言う。


「——それと」

「……」

「ロゼリア嬢を公の場で、裸にし、学院校内を走らせていたらしいじゃないか」


——それは酷い。

——本当ですの? そんなことを?

——聖女といっても、所詮は男爵家の娘だ。侯爵令嬢に嫉妬したのだろうよ。

——ああ、なるほどな。所詮、庶民のような身分では、他の令嬢が羨ましくもなるか。


 好き勝手な言葉が次々と飛び交い、誰も私の意見を聞こうとはせず、セドリックの語った「事実」だけが瞬く間に広間全体へ広がっていく。


 私はそれを、ただ黙って聞いていた。いや、正確には、黙って聞いているしかなかった。


 この場にいる誰もが、すでに私を『ロゼリアを虐めた悪女』として見ているのだから、ここで何を言ったところで、ただの言い訳として処理されるだけだろう。

 

「どうした。反論はないのか」

「……」

「沈黙は肯定と受け取るぞ、フィーネ」


 やれやれ、と口を開こうと思ったその時、大きな瞳に涙を溜めて、震える指先を胸の前で組んだロゼリアが、そっと一歩前に出た。


 角度まで計算していらっしゃる。シャンデリアの光が、ちょうど涙に反射する角度だ。


 なるほど、と私は思った。


「……セドリック様。もう、その辺で」

「でも、ロゼリア嬢」

「わたくしは、平気ですから。本当に、平気なんです」


 囁くような、けれど広間の隅まで届く、よく通る声だった。


「ただ……ただ、少しだけ、悲しかっただけで」

「ロゼリア嬢……!」

 

——ああ、なんとお労しい。

——あの方、あれだけのことをされて、まだ庇っておられるの?

——彼女は、女神か何かか?


「フィーネ様。わたくし、あなたのことを嫌いにはなれませんの」

「……そうですか」

「ええ。だって——」


 彼女は、胸に手を当てた。


「わたくしは、美しい心を持っていますもの」


 一瞬、広間が静まり返った。


 そして、割れんばかりの——とまではいかないが、確かな感嘆のため息が満ちた。


——まあ……!

——なんという方だ。

——あそこまで虐められて、なお許すとは。

——ヴァンクール侯爵家は良い娘を育てられた。


「……わかりました」


 拍手すら起きそうな空気の中、私は膝を折り、丁寧に礼をした。


「婚約の破棄、謹んでお受けいたします」

「……は?」


 セドリックの顔から、勝ち誇った表情が、するりと落ちた。


「なんだと?」

「ですから、承知いたしましたと」

「……」

「他に、何かご不満が?」


 彼は明らかに、想定していた反応と違うものを受け取って戸惑っていた。


 たぶん、私に泣いて縋ってほしかったのだと思う。


 三百人の前で、男爵令嬢が公爵令息の足元に縋りついて、どうかお許しくださいと叫ぶ。それを冷たく見下ろす自分。そういう絵を、頭の中で何度も描いてきたのだろう。


「……ふん、開き直ったか」

「いいえ、そういうわけでは」

「まあいい。どうせ貴様のような女、この国に置いておくわけにはいかん」


 彼は声を張り上げた。


「フィーネ・アルスハイド! 貴様との婚約を破棄し、貴様を国外追放の刑と処す!」


——ああ、やっぱりこうなるのか。

 

 婚約破棄には、何の未練もない。むしろこちらから願い下げだ。学院での無下な扱いにも、とうに慣れてしまった。

 

 それでも。


「——お待ちください」

「なんだ。今更、命乞いか」

「いいえ」


 私は顔を上げた。


「国外追放を宣告する権限は、公爵家にはございません」

「……なに?」

「私は、この国の聖女です。神殿から任じられた身の処遇を、公爵家が一存で決めることもできません」

「き、貴様……!」

「ですから、これは越権行為です。セドリック様」


 セドリックの顔が、みるみる赤くなった。


「黙れ! 貴様のような女が聖女など、そもそも間違っているのだ!」

「ですが——」

「ロゼリア嬢を虐めた件、王家も神殿も、黙ってはいないだろう! よって、これは越権行為ではなく、妥当性を踏まえた正式な決定である!」


——公爵家とは、そういうものなのだろう。仮に本当に私がロゼリアを虐めていたのなら、聖女資格の剥奪も国外追放も、あり得る処遇だ。だが、令嬢一人の証言だけで聖女の処遇を決めてしまうのは、どう考えても筋が通らない。


 もっとも、今それを訴えたところで、彼に理解できるはずもないが。


「セドリック様」

「な、なんだ」

「婚約破棄でも、国外追放でも、なんでも承りましょう。ですが——その前に、ひとつだけ確認させていただいても?」

 

 ◇


 私が王立学院で虐げられるようになったのは、女神ヴェリタに選ばれたその日からだった。


 理由は単純だ。


 私は男爵家の生まれ。しかもその当主は、三年前に処刑された父に代わり、母が務めている。この国では本来、女が当主を務めることは断じて許されないのにも関わらず。

 

 そんな娘が、女神ヴェリタの寵愛を受けた。女神の寵愛を受けた聖女は、貴族でなければならないという聖書に則った規定のもと、神殿側は国に要請し、我が男爵家の爵位返上は白紙となった。


 同じ理由で、公爵家の嫡男セドリックとの政略結婚も決まった。私がエリート揃いの王立学院に通えているのも、この学院自体が公爵家の支援で成り立っているからだ。


 私は聖女という肩書きのおかげで、家も、結婚も、学院も手に入れた。それなのに、家格も後ろ盾も、実質は何もない。爵位はあってないようなものだ。

 

 それだけで、虐められる十分すぎる理由になる。


「ねえ、聖女様」


 学院の談話室で、ロゼリアは私を呼んだ。いつもの三人を従えて、いつもの微笑みで。


「あれ、やってくださらない?」

「……あれ、とは」

「とぼけないで。持っているのでしょう?」


 彼女の視線が、私の胸元に下げた小さな銀の鈴に向いた。


 女神ヴェリタからお預かりしている、聖具だ。


『——真実の鈴』


 聖女である私が鈴を鳴らし、女神の名において問いを立てたとき、そこには一つの遊戯が成立する。


『真実か、挑戦か』


 真実を選んだ者は、問いに答えねばならない。偽りを口にすれば、女神の裁きにより雷が落ちる。


 挑戦を選んだ者は、課された行いを拒めない。拒めば、より強い雷が落ちる。それすなわち、死を意味する。


 そして、この遊戯からの逃走もまた、女神への侮辱とみなされ、同じ死に値する。


「わたくし、あの遊びが好きですのよ。ねえ、みなさん?」

「ええ、とっても」

「本当のことしか言えないなんて、素敵ですわ」

「さあ、聖女様。はやく鈴を鳴らして?」

「……お断りします」


 私はきっぱりとそう言った。


「これは、女神様からお預かりしている聖具です。遊びの道具ではありません」

「あら、そうなの?」


 ロゼリアは小首を傾げた。そして、次の瞬間、彼女の拳が、私の腹にめり込んだ。


「――っ、ぁ」


 息が止まる。床に膝をつき、必死に息を吸おうとする私の髪を、彼女は掴んで持ち上げた。


「やるんだよ」


 さっきまでの可愛らしい声はどこにもなかった。


「聞こえた? 私は、やれって言ったの」

「……は……ぃ……」

「あなた、道具でしょ、女神様の。だったら道具らしく使われなさいよ」


 取り巻きの令嬢たちが、また上品に、くすくすと笑う。


「しかし、ロゼリア様? そんなに乱暴になさってはいけませんわ」

「そうですわ、跡が残ってしまいます」

「顔じゃなければバレないわよ。ねえ?」

「まあ、賢いですわ。さすがはロゼリア様!」


 そして——結局、私は鈴を鳴らした。私と母の命を救ってくれた女神様を侮辱するような形で。


 最初のうち、遊戯はロゼリアたちの内輪で回っていた。


「私たちの学年で、好きなお方は?」

「まあ、ロゼリア様! そんな質問、意地悪ですわ! ……ええと、その」

「隠し立てはなしよ。嘘をついたら雷が落ちるわ?」

「きゃっ、待って、待って!」


 きゃあきゃあと彼女たちの笑い声が上がる。


 誰が誰を好きだの、誰のドレスが趣味が悪いだの——そういう他愛のない遊びだった。


 私は隅で、 ただの道具として、鈴を握りしめて立っていた。「おい」と呼ばれれば鳴らし、終われば下がる。


 それだけなら、まだよかったと思う。


「……つまらないわね」


 三ヶ月ほど経った頃、ロゼリアが談話室の窓辺で、頬杖をついて、そう言った。


「もう聞くことがないもの。みんなの秘密なんて、全部知ってしまったわ」

「では、どういたしましょうか?」

「そうねえ」


 ロゼリアの機嫌を取ろうと必死な取り巻きを見ることもせず、ロゼリアの目はゆっくりと動き、やがて私で止まった。


「——ねえ、聖女様。あなたもやってみない?」


 新しいおもちゃを見つけた子どもの顔で、ロゼリアは言った。


「いえ、私は、進行役ですので」

「あら、ご自分は参加できないなんて規則、ありましたっけ?」

「……いえ、そのようなものは」


——なかった。


 だから、気がつけば、今度は私が机に座らされていた。


「ほら、答えて。真実か、挑戦か」

「……真実を」

「じゃあ聞くわ」


 正面にいたロゼリアは、頬杖をついたまま、にっこりと笑った。


「あなたのお父様、今なにをしていらっしゃるのかしら?」


——喉が詰まる。


 だが、真実を答えなければならない。嘘をつけば、雷が落ちる。


「……亡くなって、おります」

「あら」

「三年前に」

「まあ、それは失礼を」


 彼女は口元を押さえた。だが、まったく悪びれない仕草で。


「知らなかったものだから。ごめんなさいね?」


 そうごまかすが、知っていたはずだ。


 社交界で、知らない者などいない。アルスハイド伯爵家の当主が、どういう死に方をしたのか。


 ある公爵家の行いに反発して、国にそのことを報告する手前、その公爵家に王都中心部で公開処刑されたと。ロゼリアの父が、その報告を公爵家に密告したとさえ言われているのだから、まあまず知らないわけがない。


「じゃあ次ね。真実か、挑戦か」

「……真実」

「セドリック様は、あなたのことを愛してあげているのかしら?」

「……」

「答えて」

「——いいえ、思っていないと、思います」

「まあ、お可哀想ね。婚約者なのに」


 くすくす、くすくす。


 分かりきった質問を、何度も私にぶつけては、その反応を見て笑う。談話室には、そんな笑い声ばかりが満ちていた。


 真実を選べば、また意地の悪い質問が飛んでくる。そう思って、私は真実を選ぶのをやめた。


 次に「真実か、挑戦か」と聞かれたとき——私は、挑戦を選んだ。

 

「挑戦? いいわ。じゃあ——」


 ロゼリアは、しばらく考えて、それからにっこりと笑った。


「制服をすべて脱いで、一日中、学院の中で踊っていらっしゃい」

「……」

「変な踊りで。みんなが笑うような」

「……お断りします」

「できないの? 女神様の遊戯なのに?」


 彼女は、私の手の中の鈴を指さした。


「拒んだらどうなるか、あなたが一番よくご存知でしょう?」


——知っていた。


 拒めば女神への侮辱とみなされ、死の雷が落ちる。


 ならばいっそ、それで終わればいいのに。そんな考えが、頭の隅をよぎった。


 だが、私は頭を横に振った。


 父を失い、当主代理として矢面に立つ母は、これ以上何を失うというのだろう。聖女である私が資格を失えば、母はこの国のどこにも居場所を失う。


 私が死を選ぶことは、母を巻き添えにすることと同じだった。


「——わかりました」


 そう考えると、私は返事をしていた。


 その日の私を、学院中の生徒が見ていた。指をさし、腹を抱え、涙を流して笑っていた。誰も助けてはくれなかった。助けようとした者がどうなるか、みんな知っていたから。


 窓という窓から、笑い声が降ってきた。


 冷たい石の廊下を、私は裸足で一日中歩き回った。恥ずかしさは、途中から麻痺していった。

 

 ◇


 その日を境に、遊戯の使い道は完全に変わった。


「ねえ、聖女様。真実か、挑戦か」


 朝の教室で。


「聖女様。真実か、挑戦か」


 昼の食堂で。


「ほら、早く選んで。真実? 挑戦?」


 放課後の中庭で。


 一日に何度も、私は選ばされた。


 真実を選べば、家のことを抉られ、挑戦を選べば、恥を晒される。どちらを選んでも痛いようにできている問いを、ロゼリアは飽きもせずに繰り返した。


 それが毎日のように続いていたある日、私は一度だけ、セドリックに相談したことがある。婚約者という、形だけとはいえ、私を守る立場にある人だったから。


「——は? 何を言ってる」


 だが、彼は、書類から目も上げずにそう言った。


「ロゼリア嬢が、貴様を虐めている、だと?」

「はい」

「馬鹿を言うな」

「ですが——」

「ロゼリア嬢は、そのような方ではない。お前の勘違いだ」

「……セドリック様は、学院には通われていませんよね」

「何が言いたい」

「あなたは……学院で何が起きているかをご存知ないはずです」


 そこで初めて、彼は顔を上げた。


 そして、心の底から不快そうに、眉を寄せた。


「貴様、私に指図するのか」

「……いいえ」

「聖女ごときが調子に乗るな。私は忙しい」


 それきりだった。彼はもう二度と、私の話を聞かなかった。


 私も、それ以来、誰にも、何も相談しなくなった。

 

 ◇


「その前に、ひとつだけ確認させていただいても?」


 私は胸元の鈴に、指をかけた。


「……なんだ、確認とは」

「簡単なことです」


 セドリックにそう問われると私はチリン、と鈴を鳴らした。


 小さな音が、大広間に落ちた。たったそれだけの音だったのに、シャンデリアの光が、すっ、と落ちた。


 そして、大理石の床に、淡い金色の紋章が浮かび上がる。


 女神ヴェリタの紋章である、天秤と、雷。


「な……なんだ、これは!」

「聖具です」


 私は言った。


「女神ヴェリタ様よりお預かりしている、『真実の鈴』でございます」


 広間中から、息を呑む音がした。


——あれが……!?

——初めて見たぞ。

——聖具の顕現など、二十年ぶりではないか?


 貴族たちが、我先にとその場を後ずさっていく。けれど誰一人、広間から出ていこうとはしなかった。


 見たいのだ。みんな、何かが起こるところを見たいのだ。


——そういうところだけは、学院の生徒と何も変わらない。


「セドリック様。ロゼリア様」


 私は、ふたりを見た。


「今からこの場で、女神の遊戯を執り行います」

「ゆ、遊戯だと?」

「『真実か、挑戦か』」


 私は、規則を口にした。


 広間中に聞こえるように。ゆっくりと、はっきりと。


「真実を選んだ者は、私の問いに答えなければなりません。偽りを述べれば、女神の雷がその身に落ちます」

「……」

「挑戦を選んだ者は、私が課した行いを拒めません。拒めば、死亡するほどの雷が落ちます」

「なっ……そんな、勝手な!」

「そして——」


 私は続けた。


「遊戯そのものを拒むことは、女神への侮辱とみなされます。ご存知でしょう、ロゼリア様?」


 ロゼリアの顔は蒼白になった。


「……わ、わたくしはやりません!」

「ロゼリア様、女神の遊戯は、三百人の証人の前で開かれました。もはや私にも止められません」


——女神様。


 私は心の中で呼びかけた。


 どうか今夜だけは、聖具の使用をお許しください。


 願いを込めた瞬間、鈴が、誰の手も借りずに、ひとりでに鳴った。


——チリン。


 まるで、答えが返ってきたかのように。


 それに、私は安心して、そっと目を細めた。


「では、ロゼリア様からです」

「わ、わたくしから?」

「ええ」


 私は微笑んだ。


「真実か、挑戦か」


 ロゼリアは、周囲を見回した。


 三百人の貴族が、固唾を呑んで見守っている。


 ここで挑戦を選べば、何をさせられるかわからない。


 そして真実は——彼女にとって、恐れる理由がないはずのものだった。


 だって彼女は被害者なのだから。ただ、真実を語ればいいだけなのだから。


「……真実を、選びますわ」

「賢明です」


 私は一歩、前に出た。


「では、お尋ねします」


 ロゼリアが、身を固くする。


「美しい心をお持ちのあなたは、本当に——私を、嫌いになれませんか?」

「……え?」


 彼女は、拍子抜けしたような顔をした。


 広間からも、戸惑いのざわめきが漏れる。


——なんだ、その問いは?

——あんなことをされて、嫌いにならぬはずがなかろう。

——だが、先ほど、ロゼリア嬢は、それでも嫌いにはなれないとか!

——そうか、ならば、彼女は「はい」と答えるはずか。


 そう。これは、答えがすでに決まっている問いだった。


 ロゼリアが私を嫌っていないはずがないのだ。彼女は成績優秀で、次の聖女候補として名高い王立学院——創設以来、幾人もの聖女を輩出してきた名門校の中でも、順当にいけば次の聖女になると噂されていた人物だった。そこへ、身分の低い私が突然割り込んで聖女になったのだ。彼女が私を疎ましく思わない理由など、どこにもない。


 だからこそ、最初にこの問いを選んだ。


「お答えください、ロゼリア様」

「……もちろん」


 彼女は微笑んだ。


「もちろん、わたくしはあなたを嫌いには――」


 周りの言葉に流され、ロゼリアはそう言いかけたが、言葉が止まった。


 彼女の視線が、床の神紋に落ちる。金色に光る、雷の意匠に。


「……」

「ロゼリア様?」

「…………」


 彼女の唇が、震え始めた。


 嘘を、つこうとしたのだ。そして、つけなかった。女神の紋の前で、彼女の身体が、本能的に理解してしまったのだろう。


——ここで嘘をつけば、雷が落ちる、と。


「……本当は」

「はい」

「本当は……嫌いです」


 演じるような、か細い声だった。その声に、しん、と広間が静まった。


——え……?

——今、なんと?

——嫌い、とおっしゃったか?


 どよめきが、広間全体を静かに揺らした。


 けれど、それを打ち消すように、すぐさまセドリックが叫んだ。


「当然だろう!!」


 彼は、ロゼリアの肩を抱いた。


「彼女がこれまでどんな仕打ちを受けたと思っている! 嫌いになる権利くらい、あって当たり前だ!」

「だが、彼女は先ほど、確かに『嫌いにはなれない』と?」

「なんと愚かな。もちろんそう言わざるを得なかったんだろう」

「と言うと?」

「ロゼリア嬢は、この野蛮聖女に、三年間も虐められていたんだぞ? そんな奴に嫌いと面と向かって言えるか?」


 その場にいた貴族の一人が問いを重ねると、セドリックの答えに、場の空気がまた傾いていく。


——うむ、たしかに。

——そうよね、あれだけのことをされて、嫌いなはずはないわよね。

——むしろ嫌いと言えるほうが誠実ではないか?


 私は思わず、感心してしまった。


 この人たち、こういう時の切り返しだけは本当に上手い。


 「……なるほど」


 だが、どれだけ言葉を飾ろうと、女神の紋はまだ消えていない。問いは、まだ終わっていないのだから。


 私は頷いた。


「では、次の問いへ」

「まだやるのか!」

「ええ。では、またロゼリア様。真実か、挑戦か」

「……っ、真実」


 彼女は選んだ。


 選ぶしかなかった。


 挑戦の恐ろしさを、彼女は誰よりもよく知っている。


 自分が三年間、私に何を課してきたかを、覚えているから。


「では——」


 私は、まっすぐに彼女を見た。


「学院で、貴女にバケツの水を浴びせたのは、本当に私ですか?」

「……は?」

「言い直しましょう」


 私は、ゆっくりと言った。


「水を浴びせられたのは、あなたですか。それとも、私ですか」


 ロゼリアの顔から、血の気が引いた。


「そ、それは……」

「お答えください」

「……わたくしですわ」


 震える声で、それでも彼女は答えた。


「わたくしが、あなたに浴びせられました」

「では、確認します」


 私は、一歩踏み込んだ。


「あなたは、被害者ということですね?」

「…………はい」


 その瞬間、天井から一条の光が落ちた。


 続けて、耳を押さえたくなるほどの轟音。


 蒼白い雷が、ロゼリアの脳天を貫いた。


「ぎゃあああああああああっ!!」


 悲鳴が上がった。


 可憐でも、鈴の音でもない。喉が裂けるような、獣の悲鳴だった。


「ロゼリア嬢!」


 セドリックが支えようとして、だが、雷に弾かれたように手を引っ込める。


 彼女は膝から崩れ落ち、床の上でびくびくと痙攣していた。


 髪の先から、細い煙が上がっている。


 広間は、完全に沈黙していた。


「……嘘、だったのか」


 誰かが、呟いた。


——今の、嘘だから落ちたんだろう?

——そうだ、雷は偽りに落ちると、先ほど説明していた……!

——では、被害者ではないのか?

——では、加害者は……?


 ざわめきが、広間全体に広がった。


「馬鹿な!」


 セドリックが叫んだ。


「何かの間違いだ! 聖具の不調だ! そうに決まっている!」

「そうですね」


 私は頷いた。


「では、確かめましょう」

「なに?」


 私はロゼリアの前に膝をつき、その顔を覗き込んだ。


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった、美しい心の持ち主の顔を。


「ロゼリア様。もう、おわかりですね」

「……ぃ、や」

「ずいぶんと、痛かったでしょう?」


 彼女は、こくこくと頷いた。


 必死に。何度も。


「もう二度と、あの痛みは味わいたくない?」

「……い、いや……いやです……」

「では、正直に答えていただけますね」


 私は、立ち上がった。


 そして、広間中に響く声で、告げた。


「真実か、挑戦か」

「……し、真実」

「では」


 私は、息を吸った。虐げられてきた三年分の息を。


「私を階段から突き飛ばし、髪を引っ張って引きずり、中庭の噴水に沈め、鞄を窓から投げ捨て、拘束魔法をかけて放課後まで放置し、机の中に虫を詰め、熱い紅茶を頭からかけ、学年全員に私を無視するよう命じ、私の父のでたらめ話を学院中に言いふらし、盗まれた試験問題の犯人だと濡れ衣を着せ、自分から転んでおいて私に突き飛ばされたと騒ぎ立て、教科書を破いて溝に捨て、靴の中に画鋲を仕込み、寮の部屋に泥を撒き散らし、私の名で偽の恋文を書いて笑いものにし、家庭教師に嘘の告げ口をして授業を受けさせないよう仕向け、食堂で私の食事にだけ塩を山ほど入れ、階段の踊り場で待ち伏せては通せんぼをし、私の描いた課題の絵に墨をぶちまけ、母のことを『成り上がりの田舎女』と陰で嘲り、寮の窓に石を投げ込み、私が使う教材だけをこっそり隠し、雨の日にわざと傘を折り、夜会用のドレスに画鋲を入れ、私の唯一の友人だった生徒に取り入って引き離し、廊下ですれ違いざまに足を引っかけ、冬の湖に突き落とし、私が発言するたびに嘲笑い、教師の前でだけ猫を被って私を悪者に仕立て上げ、庭園の私の鉢植えをすべて踏み荒らし——」


 私は、一度言葉を切った。


「そして最後に、私の制服を奪って、一日中、学院中で踊らせたのは」


 広間の誰一人、動かなかった。


「——貴女ですか、ロゼリア様」


 長い、長い沈黙があった。


 セドリックが、ゆっくりと、ロゼリアを見下ろした。


 その顔が、少しずつ歪んでいく。


 信じたくないものを、それでも見てしまった人の顔だった。


「……ロゼリア嬢」

「……」

「違うと、言ってくれ」

「…………」

「頼む、違うと——」

「……はい」


 彼女は、床に額をつけたまま、言った。雷の恐怖に踊らされて。


「……すべて、わたくしが、やったことです」


 ◇


 瞬く間に、広間は爆発した。


——なんということだ!

——では、ロゼリア嬢が加害者だったと!?

——聖女様に、そんなことを!?

——侯爵令嬢が? 聖女に? 三年間も?

——おい、まずいぞこれは。

——まずいどころではない。神殿がどう出るか。

——ヴァンクール家は終わりだな。

——終わりで済めばよいがな。聖女への継続的な加害だぞ。——あれは神への冒涜として裁かれる。

——先代の当主も強欲だったからな。娘も同じか。

——静かに、聞こえますわよ。

——もう構うものか。


 さっきまで彼女を讃えていた声が、そっくりそのまま、彼女を切り捨てていく。


 私は、それを黙って眺めていた。不思議と、何も感じるものはなかった。


——ふと、視界の端で動くものがあった。


 ロゼリアの後ろに控えていた、三人の令嬢。


 三人は顔を見合わせると、示し合わせたように、そろり、そろりと後ずさっていた。


「——お待ちください」


 私が声をかけると、彼女たちはびくりと肩を跳ね上げた。


「わ、わたくしたちは、何も……!」

「まだ何もお尋ねしていませんが」

「っ」

「けれど、そうですね」


 私は、少しだけ首を傾げた。


「せっかくですから。真実か、挑戦か」

「ひっ」

「お答えください」

「し……真実、ですわ」


 三人が、寄り添うようにして固まる。つい先ほどまで、人だかりに隠れて笑っていた人たちだ。


「では、簡単なことをひとつだけ」


 私は言った。


「あなた方は——知っていましたか」

「……え」

「学院で何が起きていたか。誰が誰に何をしていたか」

「……」

「知っていて、笑っていましたか」


 三人の顔が、同時に歪んだ。


「——は、はい」

「知っていました」

「……笑って、いました」


 雷は、落ちなかった。


 三人は、へなへなとその場に座り込んだ。


 そして、そのまま泣き出した。


「ご、ごめんなさい……!」

「わたくしたち、逆らえなくて」

「ロゼリアが怖くて、それで……!」

「そうですか」


 私は頷いた。たったそれだけだ。


 責めもしなかったし、許しもしなかった。


 女神は真実を求める方であって、許しを与える方ではない。


 許すかどうかは、私が決めることだ。


 そして私は——今のところ、決めていない。


 だが、きっとこの広間の貴族たちが、彼女たちの結末を決めてくれるのだろう。


「……お、おい」


 背後から震える声がした。


 セドリックだった。


 床に座り込んだロゼリアを庇うように立って、私を睨みつけている。けれど、その足は明らかに震えていた。


「貴様……何か、細工をしやがったな」

「細工」

「そうだ! 聖具に何か仕込んだんだろう! 彼女がこんなことをするわけがない!」

「セドリック様」

「彼女は美しい心を持っている! 私はそれを知っている!」

「セドリック様」

「私が信じたものが、間違っているはずが——」


「真実か、挑戦か」


 彼の言葉が、途中で止まった。大広間が、水を打ったように静まり返る。


「な……」

「聞こえませんでしたか」


 私は、彼を見上げた。かつて、私を一度も見なかった人を。


「真実か、挑戦か」


 セドリックの喉が、ごくり、と鳴った。彼の目が、床に転がるロゼリアに向く。まだ小さく痙攣している、その姿に。


「……真実、だ」


 彼は勇姿を振り絞って、そう言った。


「私は真実を選ぶ。やましいことなど何もないからな!」

「では」


 私は、静かに問うた。


「あなた、ならびにヴァレンフェルト公爵家は——ここ数年、大規模な横領および国家予算の着服を行っていましたか?」


 大広間の空気が、凍りついた。


「な——」


 セドリックの顔から、あらゆる表情が消えた。


「なにを……」

「お答えください」

「き、貴様、何を言っている! そんな話が、この場に何の関係が——」

「関係ならあります」


 私は言った。


「私は聖女です。神殿には、この国のあらゆる寄進の記録が集まります。北部救貧院への下賜金が、数年前から一度も届いていないことも」

「……」

「その分の金が、どこへ消えたのかも」


 セドリックの額を、汗が伝った。広間の貴族たちが、じり、と一歩下がった。


——おい、まさか。

——北部の話は、私も噂には聞いていたが。

——あの飢饉の年の下賜金か……?

——静かに。

——王家の耳に入ったら……

——入るだろうな。今、この場で。


 セドリックは、必死に頭を回転させているようだった。


 嘘をつけば、雷が落ちて、自分はロゼリアのようになる。真実を言えば、公爵家もろとも終わる。


 けれど。


 彼は——彼だけは、まだ、どこかで信じていたのだと思う。


 自分は特別だと。


 自分だけは、大丈夫だと。


「……セドリック殿」


 広間の奥から、年配の公爵が声をかけた。


「答えられぬのか」

「っ、違う!」

「ならば答えられよ。この場には陛下の名代もおられる」

「……」

「何よりも、お前さんだろ。沈黙は肯定と取る、とフィーネ嬢に申し上げたのは」


 追い詰められたセドリックは完全に黙秘した。だが、公爵の言う通り、ここで黙れば、それ自体が答えになる。


 だからこそ、彼の視線は、ゆっくりとだが、私に戻ってきた。


 そして、私は彼の顔を見て、驚いた。

 

 そこにあったのは、憎悪でも怒りでもなく。ただの、懇願だったのだ。


 助けてくれ、という。


 三年間、一度も助けてくれなかった人の。


 私は、首を横に振り、何も言わなかった。


 すると、彼はもう一度、ごくりと喉を鳴らして。


 そして。


「…………いいえ」


 彼は、答えた。


「そのような事実は、断じてない」


——轟音。


 二条目の雷が落ちた。


「がっ……あ、あ、あああああ——!」


 彼の身体が跳ね上がり、そして、床に叩きつけられた。


 礼装の胸元が焦げ、金の髪が乱れて、彼は仰向けに倒れた。


 美しい顔を、無様に歪めて。


 大広間から、悲鳴と怒号が同時に上がった。


「本当だったのか!」

「国家予算の着服だと!?」

「陛下に! 誰か陛下にお知らせしろ!」

「衛兵! 衛兵はどこだ!」

「ヴァレンフェルトが……あのヴァレンフェルト公爵家が!」


 床の上に、ふたりが並んで転がっている。


 公爵令息と、侯爵令嬢。この国で最も高いところにいたはずの、ふたり。


 私は、ゆっくりとそちらへ歩いていった。


 コツ、コツ、と靴音が響く。


 誰も、止めなかった。


「……く、来るな」


 セドリックが、後ずさろうとして、しかし、腕に力が入らずに体勢を崩した。


「来るなと言っている!」

「セドリック様、ロゼリア様」


 私は、ふたりの前に立った。


「……ぁ」

「最後の問いです」


 私は、そっと微笑んだ。


 たぶん、それはとても優しい微笑みだったと思う。学院で、彼女たちがよく私に向けていたのと同じ種類の。


「真実か、挑戦か」


 ふたりの顔から、血の気が引いた。


 真実……はもう選べない。


 これ以上何を聞かれるか、わかったものではない。横領の共犯者は誰か。他にどんな罪があるのか。答えれば、家ごと消える。


 なら。


「……ちょ、挑戦だ」

「わたくしも……挑戦を……」


 セドリックが言って、ロゼリアが、同じく続けた。


「では」


 私は頷き、そして、鈴を掲げた。


——チリン。


 金色の紋章が、大きく脈打った。


「今まで私が受けた仕打ちを、すべて——」


 私は、言った。


「十倍にして、女神様よりお二人に与えていただきましょう」

「……え」

「なッ——待て待て!」

「拒否はできません」


 私は言った。


「挑戦を選んだのは、あなた方です」

「待て、待ってくれ! 話を!」

「三年間——」


 私の声は、自分でも驚くほど静かだった。


「私は、一度も待ってもらえませんでした」


 紋章から、光が溢れた。


「い、いやああああああ!」

「やめろ! やめてくれ! 私はヴァレンフェルト家の——!」


 最初に落ちてきたのは、バケツの水だった。


 どこからともなく現れた大量の冷水が、ふたりの頭上から降り注ぐ。


 一度ではない。二度、三度、四度。私が浴びせられた回数の、十倍だけ。


「ぶっ……! げほっ、ごほっ……!」

「やめ、や——ぶはっ!」


 次に、ふたりの身体が見えない手に掴まれて、床を引きずられた。髪を掴まれるように。噴水に沈められるように。


 ロゼリアとセドリックの悲鳴が、大広間に反響する。


「なによこれ!? やめて! やめなさいよ、道具のくせに!」

「おい、誰か! やめさせろ!」

「聞こえてる? やめろって言ってるの! わたくしを誰だと思って——」


 言葉は、次のバケツの水で途切れた。


「……見ろ」


 誰かが呟いた。


——あれは、聖女様が受けたものだ。

——三年間……あれを、三年間か。

——よく、耐えられたものだ。

——耐えられるものか。耐えるしかなかったのだ、あの方は。


 年配の公爵が、深く息を吐いた。


「そして我々は、それを知ろうともしなかった」


 大広間の貴族たちは、誰一人、目を逸らさなかった。息を詰め、身を乗り出し、その視線は、やつれた二人の姿に釘付けになっている。

 

——私は、その光景を、少し離れたところから眺めていた。


 こうして人前に立つこと自体、三年ぶりだった。


 夜会にも、茶会にも、私は自由に出ることができなかった。誰と会うかも、誰に手紙を出すかも、すべてセドリックを通さねば叶わなかったのだ。

 

 あのときはただの過保護だと思っていた。だが今なら分かる。


 あれは、監視だったのだ。


 三年前、私の父はヴァレンフェルト公爵家の横領を告発し、公開処刑された。それでも告発の芽は摘み切れず、よりにもよって告発者の娘である私が、真実を暴く女神ヴェリタに選ばれてしまった。

 

 真実の女神を司る聖女。


 それは、公爵家にとって最も都合の悪い存在だったはずだ。


 だからこそ、公爵家は、私を政略結婚という檻に閉じ込めた。婚約者という立場であれば、常に側に置き、行動を制限し、外部との接触を管理することができるから。


 けれど、その監視は、学院の中まで監視の目は届いておらず、学院での出来事は、すべてロゼリアの報告任せだった。


 そして、三年間、私が一度も逆らわず、大人しく従い続けたことで、セドリックから緊張感を奪っていき、父の告発など、もう誰も覚えていない——そう高を括るようになっていった。


 セドリックの油断はいずれ、ロゼリアへの本気の恋心に変わったのだ。


 彼は、ロゼリアの涙に心を動かされ、言葉を疑わなくなるうちに、彼は婚約の本来の目的——私を見張り、真実を封じるという役目そのものを、忘れてしまったのだろう。


 だから今夜、彼は婚約破棄のために、自らこの場を三百人の証人がいる大広間を、用意してしまった。


 三年間、外の目から私を遠ざけてきた彼が、最後の最後で、自分の手でそれを私に与えたのだ。


 だからこそ私は、父の想いを果たすことができた。


『真実というのは、誰かが言わねば真実にならん。誰も言わなければ、それはただ、なかったことになるだけだ』


 父の言葉が、不意に蘇った。


 確かに、その通りだった。真実は、誰かが言わなければならない。


 そして今夜、その真実はようやく、誰の目にも明らかなものとなった。

 

 ◇


 それから、一年。


 私は今も、聖女としての職務を静かに全うしている。


 朝は神殿で祈りを捧げ、昼は北部の救貧院を回り、夕方には孤児院の子どもたちに読み書きを教えている。


 去年まで滞っていた下賜金は、無事に届くようになった。数年分の未払いも、ヴァレンフェルト公爵家の資産を差し押さえて充当されたそうだ。


 ヴァンクール侯爵家は爵位を返上し、ヴァレンフェルト公爵家は取り潰しとなった。当主夫妻は幽閉。

 

 そして、ロゼリアとセドリックは、国外追放。


——国外追放。


 セドリックが三百人の前で私に宣告した、あの言葉。結局、彼はそれを、正しい手続きで、自分自身に受け取ったことになる。


 風の噂では、隣国との国境近くの荒野で、ふたりで暮らしているらしい。


 そして毎日、日が昇るたびに……女神から、何かを与えられているらしい。


「聖女様」

「はい」

「あの、その……大丈夫なんですか。あのお二人は」


 孤児院の子どもが、恐る恐るセドリックとロゼリアのことを尋ねてきた。


 噂はどうやら子どもの耳にも届くらしい。


 私は、少し考えて、答えた。


「女神様は、公平な方ですよ」

「こうへい?」

「与えたものを、与えた分だけお返しになる、ということです」

「……それって、いいことですか?」

「さあ」


 私は笑った。


「その人が、何を与えたかによりますね」


——ちなみに。


 先日、私は婚約した。


 相手は、神殿に出入りしていた騎士団の副団長様だ。


 物静かで、あまり多くを語らない人。けれど、孤児院にも毎週欠かさず手伝いに来てくれる、とても優しい方。


 彼は、母に代わって、アルスハイド男爵家の当主となった。今は、母と彼と、私と、三人で仲良く屋敷に暮らしている。


「聖女様! 早く! 皆が食堂で待ってるよ!」

「はい、今行きます」

 

 子どもたちの声に、私は鈴を胸元にしまう。


 チリン、と。


 小さな音が、春の光の中に消えていった。


(了)

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― 新着の感想 ―
まず、聖具が強力すぎます。何のリスクもなく簡単に相手の秘密を暴露させられるので。侯爵令嬢はそんな聖具持ち公の場で断罪するとか正気とは思えませんね。 公爵令息の方は聖具のこと忘れてたんでしょうけど。
女生徒が学校で裸で一日中踊らされても誰も 助けず見て笑ってた国、女神という存在はなんで 見捨てないんだろうね?3年間の虐め酷すぎる。しかも聖女! 罰は与えるが助けてはくれないってことかな。 嘘発見器ツ…
父を公開処刑がえしまではなかったんですね?
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