【アップ✨】2025年8月10日主日公同礼拝/讃美歌とMy noteもあります☕
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
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【男山教会ホームページ】
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【YouTube】(星のカケラ)
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【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
※過去にアップした記事を再アップしております^^
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/live/2SdFdQtkXps
【ブログ】
(聖書箇所や讃美歌を閲覧できます)
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12923658705.html
聖書
『申命記』(第一〇章一二〜二二節)
『テモテへの第の手紙』(第一章三〜一一節)
(口語訳聖書)
讃美歌~♬
讃美歌290番
https://www.youtube.com/watch?v=SfACb8aY63A&list=RDSfACb8aY63A&start_radio=1
讃美歌537番
https://www.youtube.com/watch?v=sdyQb0QVbpI&list=RDsdyQb0QVbpI&start_radio=1
2025年8月10日 礼拝説教 聖書箇所
イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。
申命記10章12節
わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。
テモテへの手紙一1章5節
はじめに
キリスト教信仰は、神の言葉に聞き従うこと。申命記から最も重要な義務を学ぶ。
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申命記の「申」とは、重ねて、繰り返して、の意味。「申命記」とは、神の命令を説き明かしたモーセの書。主はモーセに「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれた言葉を、その板に記そう」(出エジプト34章1節)と言われ、それを実行された。申命記において同じ事が、伝えられる(10章1節)。前の時は、主が「二枚の石の板に書き記された」(4章13節)が、二度目の時は、モーセが「十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した」(出エジプト34章28節)事。一枚目の板には、神礼拝の義務、二枚目の板には、隣人に負っている愛の義務が命じられている。その要約は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22章37,39節)である。「最も重要な第一の掟」と同様に「第二も」「重要である」。
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「隣人と共に神を愛する」とはどういうことか? それは第一に隣人を分け隔てしないこと。「人を偏り見ず、賄賂を取ることとせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる」主にならうこと。主は、「あなたたちは寄留者を愛しなさい」と命じられる。そこで思い起こすべきは、「あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」事。「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出された」(7章7,8節)。教会の近隣にも、世界の各地からの人々を認める。それらの人々を愛する教会であることは、主の命令に従うこと。わたしたちは、主の報いを侮ってはいけない。「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは 主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる」(エレミヤ17章9,10節)。主を喜ぶ者たちへの報いは、感謝であるなら、主を悲しませる者たちへの報いは、何であろうか。もしそれが、「悪から悪へと進み わたしを知ろうとしない」なら、「人はその隣人を警戒せよ」「兄弟ですら信用してはならない」(エレミヤ9章,3節)と主は命じられる。また、「人はその隣人を惑わし、まことを語らない。舌に偽りを語ることを教え 疲れるまで悪事を働く。欺きに欺きを重ね わたしを知ることを拒む、主と言われる」(同9章4,5節)
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「イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か」と、主は問われる。重ねて「ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることでないか」と主は問われる。主の愛は、契約と律法において示された。それは、ご自身の約束と誓いという二つの不変の事柄において果たされる(ヘブライ6章18節)。「心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない」とは、霊によって心に割礼を施されること(ローマ7章29節)。「新しい霊」を授けられて、「肉から石の心」が除かれ、柔和な「肉の心」が与えられるとき、わたしたちは、主の報いを望む者とされる。
おわりに
主の律法が「祝福に満ちた神の栄光の福音に一致」していることは、ただ、十字架と復活の主イエスのもとに来るときに信仰によって認識される。本当の幸いはここから出る。
(My note)
二〇二五年八月一〇日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「キリストの裁きの日には、どの様な報いがありますか。」
「御心に適う人達は、栄光の王国を受け継ぎます。悪に属する者達は、悪魔とその手下の為に用意された、地獄に於ける永遠の火によって罰せられます。」
イエス様は十字架に死なれてから、三日目に甦られ、弟子達に現れ、天に上られる前にこう約束して下さった。「私はいつもあなた方と共に居ます」と。それはイエス様が天に上られ、見えなくなっても、常に全ての人と共に居られ、救いの日を約束して下さると言う事。全ての人が信仰に救われ、神様の下に帰る事を望まれて居ると言う事である。イエス様がいつも私達(自分)と共に居て下さる事を心に留め、信仰に沿い、神様の御心に適う生活を歩める事を祈らねば成らない。
(公同礼拝)
『申命記』(第一〇章一二〜二二節)
『テモテへの第の手紙』(第一章三〜一一節)
この両箇所では、信仰の在り方に就いて記されて居る。
「作り話や果てしの無い系図等に気を取られる事も無い様に、命じなさい。その様な事は信仰に依る神の務めを果すものではなく、寧ろ論議を引き起こさせるだけのものである。私のこの命令は、清い心と正しい良心と偽りの無い信仰とから出て来る愛を目標として居る。或る人々はこれ等から逸れて空論に走り、律法の教師足る事を志して居ながら、自分の言って居る事も主張して居る事も、解らないで居る。私達が知って居る通り、律法なるものは、法に従って用いるなら、良いものである。即ち、律法は正しい人の為に定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、誘拐する者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教えにもとる(従う)事があれば、その為に定められて居る事を認むべきである。これは、祝福に満ちた神の栄光の福音が示す処であって、私はこの福音を委ねられて居るのである。」(『テモテへの第一の手紙』第一章四〜一一節)
この通りに在る。我々は十戒をどう受け止めて居るか。知って居る事と、実践する事は、別物である。クリスチャンでも、この実践する段階になり、ただ聞き知るだけで実践出来ない者達も居る。その人達は少なくない。
また人はステータスによる偏見により、自分や他人を見定め、評価する癖がある。これは癖であり、長らくの人の間の生活習慣により、外部刺激からその法を学ぶ。目に見えて、簡単だからだ。世間が評価して居る通りなら、その通りに自分も自分も評価すれば、世間はその人を認める。ここに、神様からの評価と、人間からの評価の区別が必要であり、どちらが正しいかを、信仰に於いて当り前に知る必要がある。人の世間に長らく浸れば、人間の評価の方が正しく思える。これは長らくの生活によりそうさせられる癖に在り、所謂る人の感覚・主観・経験による偏見に在る。
「作り話や果てしの無い系図等に気を取られる事も無い様に、命じなさい。その様な事は信仰に依る神の務めを果すものではなく、寧ろ論議を引き起こさせるだけのものである。私のこの命令は、清い心と正しい良心と偽りの無い信仰とから出て来る愛を目標として居る。或る人々はこれ等から逸れて空論に走り、律法の教師足る事を志して居ながら、自分の言って居る事も主張して居る事も、解らないで居る」
この点に着目する必要がある。他人をステータスで判断する癖が続けば、その人は、自分をもそのステータスで評価し、その他人を評価したその全ての基準を以て、自分の存在をも評価し尽してしまう。この「人間の基準」と「神様の基準」は違う。
「他国人を愛しなさい」とは、人である上で同じ境遇に在り、偏見を無くして、神様が全ての人を愛するのと同様に愛せよ、と言う事に繋がる。
「それゆえ、あなた方は心に割礼を行い、もはや強情であってはならない」とは、律法による割礼を信じるのでなく、聖霊による割礼を信じ、他人を(そのステータスで)裁くなと言う事に通じる。
「…人を偏り見ず、又、まいない(所謂る賄賂)を取らず、みなし子とやもめの為に正しい裁きを行い、また寄留の他国人を愛して、食物と着物を与えられるからである。」(『申命記』第一〇章一六〜一八節、中略含め)
神様はこの様に全ての人を偏り見ず、誰でも同じく愛して居られる。この事を「もう知ってる」で通り過ぎるのでなく、常に信じ、神様の下に人として生まれた(誕生させられた)事を心より感謝し、その感謝を以て、神様に喜ばれる息子・娘として、地上で実際に生活する事が大事に在る。
モーセは十戒の石板を神様から頂いた時、戻るとイスラエル人達が偶像崇拝して居り、その現実に驚くと共に怒りを覚え、その石板を地面に叩き割った(『出エジプト記』第三二章一〜二〇節参照)。「神様に選ばれた国民である」とされたイスラエルの人々でさえ、神様から正しい信仰が示された直後に、その信仰からすぐに離れた。詰り、どの様な人々も罪人である。
自分の罪を思い知り、悔い改めの姿勢を以て神様の御前に立つ事が、全ての信仰者にとって必要である。そして「この信仰者が全ての人々である」と言う事を前提にして、これ等の事が教えられる。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw&t=2s
「SEIZE THE DAY / 今を生きる」
https://www.youtube.com/watch?v=A7Aobi9nmWM
イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)
https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin
星のカケラ
https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
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サクッと読める幻想小説です(^^♪
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