7 ヒロイン、頼むから早く来て!
──どうしよう、私、なんかすごいことになってる気がする。
ざわめく宮廷ホール。
煌びやかなシャンデリア。真紅の絨毯。そして溢れんばかりの人、人、人。
豪華な装飾と、視線と、拍手と──どこを見ても、"私たちを祝福している空気"で満ちている。
「アネット様って、本当に優しくて気品があって、王子にぴったりですわよね」
「もう未来の王妃様って感じ……!」
(あああああああ!!! ダメダメダメダメそれ超絶ウソ情報!!)
そりゃまぁ、従者たちに「私の株を上げといて!」って私じゃないアネットが言ったみたいだけど“アネット無双エピソード”が、想像以上に広がってる!?)
私、まだレイ王子の好みすら知らないんだけど!?
このままじゃヒロインが登場する前に、仮婚約が正式ルートになってしまう……!
しかもレイ王子、普通に手とか取ってきてるし!
紳士的で距離感バグってる! 目が合うたびにふわっと微笑んでくるし!!
(怖っ……イケメン怖っ……!!)
笑顔の仮面を貼り付けながら、内心ガクブルだった。
気づけば、レイ王子は再び私の手を優しくとって、軽く口づけを落とす。
ざわっ……と広がる民の声。
まさかの民衆からの大声援。拍手。喝采。
(えっ、ちょ、ちょっと待って!? こんなにレイ王子と接近しちゃったら……ヒロインのレイ王子ルートが確定しちゃうじゃん!!)
(ヒロインの出番まだなのに!? あれ? これ、私が破滅するやつでは……!?)
(わああああ!!! ヒロインどこ!! ヒロイン早く来てぇぇぇ!!!)
「では、私は父のところへ。少し席を外します」
そんなわたしの騒がしい脳内など知らないレイ王子は、いかにもな営業スマイルで微笑むと、私に背を向けて立ち去って行った。
そんな時だった。
会場の端で見慣れた後ろ姿を見つけて、私はつい駆け寄った。
「──ノクス!」
その名を呼ぶと、彼の肩がぴくりと跳ねた。
ゆっくり振り返ったノクスは、いつか森で出会ったときとは違う、凛とした顔つきをしていた。
そして、私を見た瞬間──ほんの一瞬、目を伏せた。
「……ごきげんよう。アネット様」
えっ。"アネット様"……?
なんか他人行儀なんだけど……ていうか、そのネックレスは王子の専属騎士にだけ渡されるという設定の……
「ノクスって……まさか、王子の?」
ノクスは小さくうなずいた。
「……レイ王子の、直属の護衛を務めてます」
──やばい。
この時点で私の中の全アラートが鳴り響いた。
やっっっっばい。まさか、よりによってレイ王子のルートを阻む形で、彼の直属の騎士に出会っていたとは……!!
え、でも待って……あのゲームの中ではノクスって……ただの騎士見習いだったはず。どうしてレイ王子の専属騎士なの?
いや、それは後でゆっくり記憶整理しよう。なんだかノクスの様子が変。
ノクスは、どこか私を避けるようにして目を合わせてくれなかった。
でも、それが逆に分かりやすくて。
「なんか、距離感じるなぁ。この前はもっと近かったのに」
私が一歩近づけば、彼は一歩引く。
これは“レイ王子専属の騎士として、王子の婚約者と距離を取ろうとしてる”んだ……
その動きが分かりやすすぎて、ちょっと笑えてしまう。
「私、嫌われた?」
「……いえ」
「じゃあ何?」
「王子の婚約者に対して、軽々しく接するべきじゃないですから」
その声音が、妙にぎこちなくて、耳に残った。
そうか。これがノクスの“仕事”としての距離感なんだ。
そしてそのとき私は、まったく気づいていなかった。
ノクスが、あの日から私をずっと忘れられずにいてくれたことも。
そして、忠誠を誓う王子の婚約者だと知った瞬間に、心を遠ざけようとしていたことも。
「……リリーの方が、話しかけやすかったかなぁ」
私がぽつりとそう言うと、ノクスは小さく肩を震わせた。
何か言いたげなまま、口をつぐむ。
(……なんだろう。なんでこんなに悲しそうな顔するの?)
私は、無意識に、彼の手にそっと触れていた。
──ノクスは、震えていた。
(……ノクス。私のこと、どう思ってるんだろう)
でも私は知ってる。
ノクスは、誰よりも誠実で、まっすぐで、優しい人だって。
だけどきっと、今の私は──
そのまっすぐな想いの、一番の邪魔になってる。
だって私は、レイ王子とヒロインの恋の邪魔でしかない。
でもその前に──
そもそも、この仮婚約を絶対に本物にしちゃダメ!!!
◇ ◆ ◇
「はあ……甘いものは正義……」
人だかりから抜け出し、私は会場の隅にあるスイーツコーナーでひと息ついていた。
小さな金のフォークでひと口サイズのケーキを刺して口に運ぶ。苺の酸味とクリームの甘さが絶妙すぎて泣ける。
レイ王子の横に立って拍手されて、民衆に婚約を過剰なほどに祝福されて、ノクスにそっけなくされて、なんかもう情報量が多すぎて、脳が処理を放棄している。
「……ノクス、レイ王子の専属騎士だったんだ」
あの子は原作では王子の護衛なんかじゃなかった。
ただの騎士団のひとり。ベルフェリア家の見習い騎士と登場して、原作ヒロインと出会い、彼女に一目惚れする……はずだった。
「なのに、今はレイ王子の直属……?」
違和感が引っかかる。大きくて、重い違和感。
原作とは別物。でも、完全に別物というわけじゃない。
アネット・フォン・ベルフェリアという名前も、レイ王子との仮婚約も。ヒロインがまだ登場していない世界線なのも──全部、ル魔恋と一致しているはずなのに。どこか違和感がある。
え、待ってよ? ノクスがレイ王子の専属騎士って……
私の書いた夢小説の設定と一致している。
あの時、私はプレイし尽くしたあとのル魔恋ロス症状のせいで、原作のル魔恋をベースにして、私は勝手に物語を作った。
王子ルートを邪魔しないようにしつつ、ノクスには「王子の護衛」という新たな役職を与え、そこから生まれる恋愛のもどかしさや葛藤を書き散らかした。
「まさか……ここって、その夢小説の中……?」
そう思った瞬間、背筋がゾワッとした。
いやいやいや、まさか。
だって、あれただの自己満だったし、妄想もりもりで設定も中途半端で、未完のまま放置してたんだよ?
──でも、夢小説の世界だとしたら、全部の説明がつく。
ノクスがレイ王子の騎士なのも。
王子との仮婚約がゲームより早くなってるのも。
「……というか、ヒロイン、早く出てきて。頼むから」
私は思わずそうつぶやいて、フォークでケーキをもうひと口。
ふわふわの甘さが舌の上で溶けていくけど、もやもやは消えない。
だってこのままだと──
アネットは原作よりも酷いざまぁ処刑を受けることになるんだから。
アネットのその結末を書いたのは……紛れもなく私だから。
まさか、過去の自分が書いた黒歴史みたいな夢小説のせいで、今の自分が苦しめられることになるとは思いもしてなかった。……と、うっすら、でも確実に私の中で、焦燥の火が灯りはじめていた。