表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/43

5 王子様との出会い、そして仮初めの契


 応接室に通された私は、誰にも気づかれないように膝の上で拳をぎゅっと握っていた。


(ついに来た……。レイ王子との仮婚約の日……!)



(まさか、本当に……仮婚約の話が現実になるなんて)


 ゲームの中のアネットは、父親の政治的な策略で、学園入学の一年前に王子との仮婚約を結ぶことになる。

 王家と公爵家──立場は釣り合っていても、気持ちはまるで伴っていなかった。


(確か……アネットは、自分の従者を使って嘘の噂を広めさせてたんだよね。“王子に相応しい令嬢”って……)


 噂だけを聞けば、私──アネットは誰もが羨む完璧なご令嬢だ。でも、それは全部作り物の虚像。

 


 ゲームの中のレイ王子は、それを見抜いていた。


(というか、現実に広めさせてるんだけどね……今まさに)


 思わず、部屋の隅にいたコフィと目が合った。

 そのコフィはびくっと肩を震わせ、怯えるように視線を逸らす。


(うわ……めっちゃ嫌われてる)


 こんな世界で、私のことを信じられる人なんて、いるわけない。


 だから、せめてゲーム通りに事を運んで、早くフラグをへし折らないと。


 ──そんな風に思っていた矢先、扉が静かに開いた。



「リュミエール第一王子、レイ・アルベルド・リュミエール陛下でございます」



 レイ王子の従者の声が聞こえ、背筋が自然と伸びる。扉の向こうから現れたのは、記憶に焼き付いた通りの、銀髪の美貌の少年。

氷のような青い瞳。端正すぎる顔立ち。完璧すぎる出で立ち。



──攻略対象・その一、レイ王子。

 まさにゲームで見たその姿。凛とした表情、淡く冷たい水色の瞳。


 だけど私の記憶にあるレイ王子は、常に“冷笑”を浮かべていたはずだった。

 今、目の前の彼が見せている表情も──あれは、そう。作られた“笑顔”だ。


(ああ……そうだよね。アネットってゲームの中では嘘の笑顔ばっかり見せていて、それを王子に見抜かれてたんだっけ……)


 私は、父である公爵が話を進めるのを聞きながら、なんとか冷静を装おうとする。


「──というわけで、王子様。娘アネットとの仮婚約、よろしくお願い申し上げます」


 レイ王子は、目を細めながら私の方へと歩み寄る。


「アネット・フォン・ベルフェリア嬢。お噂は、かねがね……」


 その声には、皮肉とも取れる響きがあった。レイ王子はただ軽く、私の手を持ち上げて形式的に礼を取るだけ。


「王族に相応しい教養と品位、そして美徳を持つ方だと伺いました。──多くの人から、ね」


(うわ、それ完全に“嘘の噂”って見抜いてる言い方じゃん……)


 ごくりと唾を飲み込み、どうにか笑顔を作る。でも、笑おうとすればするほど、表情が引きつってプルプル震えてしまう。


「……は、はい……。あの、よ、よろしくお願いします……っ」


 ぎこちない敬語、震える声。堂々たる悪役令嬢らしからぬその態度に、レイ王子の眉が僅かに動いた。


「……」


 その沈黙に耐えられず、私は慌てて続ける。


「ほんとにあの、あたし、未熟者で、でもっ、殿下のご迷惑にならないように、が、頑張りますので……!」


 震えながら、まるで言い訳をするように必死に言葉を重ねる。

 自分でも何を言っているのか分からないほど噛みまくる。声は震え、背筋には冷や汗がつっと流れていた。



 王子がじっとこちらを見ている。けれど、その視線は冷ややかなものではなく……少し、困惑しているようにも見えた。


「……変な方ですね。噂とはずいぶん違う」


 思わず漏れた王子の言葉に、「え?」と間抜けな声を出しそうになった。


「私の元には、“完璧なご令嬢”の話ばかりが届いていたので。あなたは、……まるで別人のようだ」


「えっ……? あっ……え、ええ、まあ……はい……」



しどろもどろになるアネットを見て、レイは思わず小さく笑った。


「……本当に、変わっている」


 彼の笑みは今度こそ、嘘ではなかった。


 そして私もまた、無意識にそれを悟っていた。

 胸が、一瞬だけちくりと痛んだ。


 けれど、王子の目に“嫌悪”がなかったことに、私はむしろ──戸惑っていた。


 ほんの少しだけ、彼の口元がやわらいで見えた気がした。それはもしかしたら、最初の“ズレ”なのかもしれない。


 アネットと王子の関係が、ゲーム通りには進まないという──


 運命の、兆しだった。


(……あれ? 今の笑顔、ちょっと、優しかった……?)


 仮婚約という形だけの出会い。

 しかしそこに芽生えた、たった一つの“違和感”が、未来を大きく揺るがすことになるとは、まだ誰も知らない──。


「あなたの噂話だとたしか……魔法の才能があるとか……」


(いやいやいや、違います。違うんです、王子様……。その噂、私じゃない過去の私が流させたやつですけど、まさかこうして突っ込まれる日が来るなんて……!)


 内心ぐるぐるしているのに、口はうまく動いてくれない。

 ただ焦って、視線をさまよわせて──


「す、すみませんっ……! あの、その……きっと、誤解、です……っ!」


 とっさにそう口にした。言葉になっているのかも怪しい。


 でも、必死だった。今さら作り笑いなんてできなかったし、言い訳もうまくできなかった。


 レイ王子は、そんな私をしばしじっと見ていた。

 瞳の奥が、何かを探るように、揺れている。


「……誤解、ですか」


「は、はい……!」


 声が裏返っていたと思う。

 けれど王子は、それを笑わなかった。ただ静かに、私の言葉を受け止めるように反復する。


「なら、私は……あなたの“誤解ではない”部分を、知る必要がありますね」


「──え?」


 一瞬、意味がわからなかった。

 その言葉の意味が、脳内でゆっくりと翻訳されていく。


(いま……この王子様、私のこと……知りたいって言った?)


 真っ直ぐに見つめられていることに、気づく。


 今までの“攻略対象”としての王子ではない。この世界で生きている、ひとりの人間として、私を見ていた。


「……この婚約が、形式だけのものかどうか。判断するためにも」


 最後に王子は、いつかの未来の言い訳みたいに、言葉を付け加えた。


 けれどそれでも、私の心臓はどくん、と跳ねた。



「お会いできて、光栄でした。アネット嬢」



 言葉の通りに、微笑んだまま立ち去っていく彼の背中を見送りながら、私は放心したように呟く。


「なに、いまの……イベント発生してないのに、なんで……?」


 これは、本当にゲームなのか?

 本当に私は、悪役令嬢“アネット”なのか?


 この世界の王子様は、私が知ってる彼よりも──


 ずっと、厄介で優しくて、予想がつかない人なのかもしれない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ