41 それは複雑に絡み合った
重たい鎖が床にこすれる音だけが、静まり返った空間に響いていた。冷たい石造りの床。月明かりだけが差し込む小さな窓。私は、まだここにいた。
(……なんなの、あの人……)
額に汗がにじむ。陵辱の余韻。恥ずかしさと屈辱と、混乱がごちゃまぜになって、思考がまとまらなかった。
(あれが……クロード王子……?)
信じたくなかった。でも、あの声。あの香り。仮面舞踏会で、唇を奪ったあの男と同じカシスの香りがした。なのに、どうして私はその手に囚われ、鎖で繋がれて、こんなふうに辱められなければいけないの?
思い出すのは、首筋に残った彼の吐息、皮膚の上を滑った手のひら、指先。身体をまるで玩具のように弄ばれていたはずなのに、私は怖がるよりも、どこかおかしくなりそうだった。
あの手は、剣を握るものではなかった。王子が持つべき気高さや礼儀とはほど遠い、遊び慣れた仕草。優しさもなく、むしろ冷淡だったのに、ほんの一瞬、触れられた場所が熱くなるような錯覚が走って——
(……わたし、なにか間違えた?)
クロード王子はいつも、見えないとこに蜘蛛の糸を張るみたいに、自分から何もすることなく獲物を待っているみたい。
あの仮面舞踏会のときも、今も……気付いたら捕らえられていて、取り返しのつかないことをしてしまう。
誰もいない牢の中で、私は膝を抱える。手首に食い込む鎖の痛みさえ、いまは遠い。
ひとつひとつ、思い出すたびに、胸がざわつく。クロードの声。触れられた場所が、まだ熱を帯びているように感じる。それは恐怖じゃなかった。
――違う。違う。
私の心が、狂ってるだけ。
「……王子なのに、なんで……あんな遊び慣れた手付きで……」
……クロード王子が、裏切り者かもしれない。
その可能性は、考えれば考えるほど現実味を帯びてくる。仮面舞踏会でのあの香り、あのタイミングで助けに来た「執事」、エーベルト侯爵との関係、そして——尋問の時に、名前ではなく“リリー”と呼び続けたこと。
意図的に私の正体を伏せているようにも思えたし、わざと情報を引き出そうとしていたようにも見えた。
ぽつりとこぼした声が震えていた。誰にも届かない。誰にも答えてもらえない。
心はぐちゃぐちゃだった。疑念と、憧れと、恐怖と、熱が、全部混ざって、もう訳が分からない。
「ねぇ……クロード様……」
呟いた自分の声が、情けなくて、かすかに笑ってしまう。
「……私、あなたのこと……信じたくないのに、信じてる……なんて、バカみたい」
答えはない。それでも、私はどこかで願っていた。
あの優しく微笑んだ王子が、ただの演技じゃなかったと――。
手首には鎖。脚にも。身体の一部を拘束されたまま、ひんやりとした床に背を預けていた。
けれど、ふと。
胸元に、妙な違和感を覚えた。
足元に目線を向けた時、キラリとなにかが輝く。
――これ、いつ……?
クロードに開かれたキャットスーツのファスナーは今も少し開いたままで。
そこから覗いた自分の下着。センター部分の小さなリボンに……小さな金色の鍵が括られていた。
(これ……牢の鍵……?)
心臓が跳ねた。
けれど同時に、指が届かない。無理に鎖を引き上げようとすれば、下着ごとズレてしまう――。
(やっぱりクロードのやつ、絶対わざと……!)
苛立ちと羞恥で頬が熱くなる。けれど、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。
「誰か、助けて……!」
大きな声で助けを呼ぶ。
――すると、空気が震えた。
次の瞬間、銀の靄をまとった姿が、私の前にすっと現れた。
「魔力封じが解けていたようだ」
冷たい声。けれど、確かに私の契約者――リンネだ。
「お願いリンネ、この鍵取って……!」
私が視線で胸元をさすと、リンネのエメラルドの瞳が僅かに見開かれる。
「……鍵の位置が随分と、艶めかしいな」
「こ、これは……クロードが、勝手に……っ!」
説明しようとして顔が火照った。
だけどリンネは溜息をつくと、何も言わず跪く。
白く細い指が、私の胸元に静かに触れた。
下着に結びつけられた鍵へと手を伸ばす。その仕草は無駄がなく静かで――なのになぜかくすぐったくて、鼓動がやたらと早くなった。
リンネの指先が肌に触れる度に、ゾワッとした感覚が全身を走る。
「んっ……」
小さく声が漏れた瞬間、リンネの指が止まる。
「……我慢しろ。変な声を出すな」
低く甘い声。私を見つめる瞳に思わず視線を逸らす。
――こんな時に、どうして心臓がうるさいの。
ようやくリボンの結び目が解かれ、小さな鍵がリンネの手に収まった。
「……取れた」
「ありがとう、リンネ!」
笑顔を向けるとリンネはちらりと私の胸元に視線を落とす。
解けた紐のせいで下着が開くように割れ、胸が溢れそうになると、そっとファスナーを引き上げてくれた。
少しだけ……指先が触れた気がして、私はまた一つ息を詰めた。
「紐を解くと……そんな風になるんだな」
ぽつりと呟いたリンネはすぐに牢の鍵を開け、そして手足を縛っていた枷の鎖にも手を伸ばす。
カシャン、と外れた金属の音が、自由を告げる鐘のように響いた。
ようやく、私は立ち上がることができた――。
更新ができず申し訳ございません。
3度目のコロナ感染は過去一キツかったですт т




