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38 憧れのスパイ作戦、決行です!

 

「えっと、フック……ロープ……煙幕……」


 ベッドの上には、私がこれから忍び込む屋敷――エーベルト侯爵邸への潜入に備えて、ずらりと並べた道具たち。


 フック付きのワイヤーは、軽量魔導金属製。魔法で強化すれば、二階のバルコニーぐらいは余裕で登れる。

 魔法封じ用の結界玉、魔素反応を薄める粉、あとはコフィお手製の――


「……ふふっ、よくできてるわ」


 私はひらりとそれを持ち上げた。

 柔らかな黒のメイド服。よく見れば袖や襟にさりげなく魔法陣が織り込まれていて、視線誘導や音の反響を散らす細工まで施されている。


 まさかメイド服にここまでの戦術魔法を仕込んでくるなんて。さすが私のメイドね。


 サイズも問題なし。

 ……この下にスパイらしくキャットスーツを着用して……っと。


「我ながら完璧ね!」


 わざとらしく咳払いしながら、私はポーチに道具を詰めていく。


 魔導石ランタン、消音靴、暗号解読メモ。

 どれも懐かしい。前世のゲームなら、この時点で「潜入クエスト」が発生するフラグだったな。


 あれ、でも……なにか重要なことを忘れているような。


(それにしても、私がまさかこんな展開に巻き込まれるなんてね……)


 苦笑しながら、私はふと手を止めた。


 あの“矢”を放ってきた相手。

 未来を知っている、何者かの影。

 そして――エーベルト侯爵。


 何かが繋がっている。

 その核心に、少しでも近づけるなら――


「……って、何よ、その目は」


 気配を感じて顔を上げると、部屋のドアのところで腕を組んだコフィが立っていた。


 彼女は私の広げた荷物を一瞥すると、深くため息をついた。


「……ダメですよ。行かせませんよ、アネット様」


「あら、何のことかしら?」


「すっとぼけても無駄です。こんな時間に、こんな装備。しかも、また私のメイド服を勝手に――」


「ち、違うわよ。ちゃんと借りたじゃない」


「それ全然借りたことになってませんから」


「……えーと、とにかく。今回はちょっとお出かけするだけ。危険はないし、万が一ってときには――」


 私は自信満々に、指を天に向けて掲げた。


「リンネがいるから、大丈夫よ!……なんで黙るのよ。ほら私の契約妖魔、結構強いし? 怖い顔してるけど頼れる存在なのよ?」


「“結構強いし”って……この前も言ってましたよね。『ちょっとだけ契約しただけ』って」


「う、うん……まあ、それはそうだけど」


「じゃあ今回も“ちょっとだけ”助けてくれるんですか?」


「……えーっと、そうなると思うわ」


「ダメです」


 コフィの鉄壁の叱責に、私はちょっとだけ後ずさった。


「本当に危険だったら私が助けに行けるようにしてください。通信魔石は持っていってください。最低でもそれだけは絶対に」


「はいはい、わかりました。お母さんみたいにうるさいわね」


「意味不明です」


 コフィは肩を落としながら、それでも黙って小型の通信魔石を差し出してきた。


「――ちゃんと帰ってきてくださいね、アネット様」


 その声は、普段の小言よりもずっと優しくて、心の奥に響いた。


「えぇ。もちろんよ」


 私はにっこり笑ってそれを受け取り、最後の荷物を鞄に押し込んだ。


 さあ――準備完了。

 この一歩が、未来の謎を暴く鍵になるかもしれない。


(行ってきます、コフィ)


 心の中でそっとそう呟きながら、私は静かに夜の帳へと足を踏み出した。


 ◇ ◆ ◇



 日が、沈もうとしていた。

 朱に染まる空が、屋敷の外壁を燃やすように赤く照らし出す。


 私は静かに、エーベルト侯爵邸の裏手に身を潜めた。

 大理石造りの広大な屋敷。だが、門番は表に集中していて、裏口の警戒は驚くほど甘い。


(……ロングスカートは動きにくいけど、忍び込みにはうってつけよね)


 コフィが仕立ててくれたメイド服を身にまとい、私は鞄の中からフック付きのワイヤーを取り出す。


(さて、さっさと中に……)


 でも、その前に――


「……リンネ」


 夕暮れの風に乗せて、私はその名前を呼んだ。


 ほんの一瞬の沈黙。

 そして、すぐに。


「……呼んだか」


 どこからともなく、風が逆巻くように舞い、目の前に影が立った。



「うん。ちょっと付き合ってもらうわよ、リンネ」


「……こんな薄暗い時間に、わざわざ屋敷潜入とは。お前の嗜好はなかなか刺激的だな」


「嗜好じゃない! スパイよ!」

「どちらでもいい。興味は無い」

「分かってる。でも、これだけは……放っておけないのよ」


 そして、私はロープを放った。

 フックはカシャンと静かにバルコニーの欄干にかかり、私はリンネと共に、夕闇の中を音もなく登っていく。


 バルコニーからそっと足を踏み入れると、そこは廊下だった。

 古い木の床、重厚なカーテン、嗅ぎ慣れない香の匂い――


 ……変な感じ


 屋敷の中に一歩踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 夕暮れの残り香はもうなく、代わりに張りつくような“重さ”が胸に引っかかる。


 ――ピリッ。


 空気が、何かを警戒している。

 まるで、誰かに見られているような気配。けれど、人の気配はどこにもない。


「気のせい?」


「……いや」


 すぐ後ろから、リンネの声が降る。


「この館……何か、おかしい。結界が張られているがそれだけじゃない。空間そのものが歪んでいる」


「……歪んでる?」


「恐らくだが、この空間のどこかに時を裂く装置がある」


 リンネの言葉に、私は小さく息を呑んだ。


(やっぱり……ここに、“あの事件”の答えがあるのかも)


 矢を放たれたあの日。

 あの恐ろしい気配――“未来を知る何者か”に、私は狙われた。


 そして、その匂いがここにもある。


(だったら――)


 私はスカートの裾をそっと持ち上げ、廊下を音もなく進んでいく。


 ――この屋敷の奥にきっと“真実”がある。


 その時。

 遠くの階下から、重い扉が軋む音が聞こえた。


 ギィ……ギィ……


 ゆっくりと誰かが歩いてくる。

 それだけで背中に冷たいものが走る。


(なに……この、足音……)


 リンネがすっと気配を消す。私も反射的に影に身を潜めた。


 扉の向こうから近づく足音。

 それは人間のものとは思えないほど乾いた、引きずるような音だった。


(……やばいかも)


 でも、今さら引き返すわけにはいかない。


 私は静かに、深く息を吸い込んだ。


 ――潜入、開始よ。


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