3 早速出会っちゃった……
そして次の日になると早速、城下町の外れにある、古びた森の中を歩いていた。足元には草が生い茂り、枝葉が絡みつく。やっとのことで一歩踏み出すたびに、視界が遮られ、陰鬱な雰囲気が漂っている。周囲の木々は古く、黒々とした樹皮を覆っており、森の中に足を踏み入れる者を警告するかのように威圧的だ。
その静寂の中に身を置きながらも、心は確かな目的に向けて動いていた。
「ここに、秘密があるはず……」
そう呟き、進んだ。思い描くのは、失われた古代魔法の痕跡。当然ながら、そんなことは記録には残っていない。あくまで噂にすぎない。だが、あのゲームの知識を活かせば、その魔法を手にすることが出来る。
そう、ヒロインが最終局面で手に入れる――完全防御魔法。
自身に対しての全ての魔法を無効化するという、ありえないくらいチートな魔法。だが、それさえあれば最悪、魔法攻撃をしてくるキャラからの処刑は防げる。
そんなことを考えながら歩いていると、予期せぬ事態が突然訪れる。地面が一瞬揺れたような感覚がした。何もない空間で、足元がふわりと浮き上がり、力が抜けるのを感じる。
「――っ!」
次の瞬間、足元の崩れた地面に引き寄せられ、そのまま転んでしまった。慌てて手をつこうとしたが、足元を木の根が絡み、あっという間に体が前のめりに倒れ込んだ。
頭を強く打ち、目の前が一瞬真っ暗になる。薄く閉じた目の前に、歪んだ光がちらちらと映る。それが何かを把握する暇もなく、耳元で、草木が擦れるような音が立った。
(――魔物。そうだよね、この森……ヒロインが一番最後に訪れる場所だもん)
体が凍りつくのを感じた。視界の隅に、薄暗い森の中から何かがひょっこりと現れた。その姿は、黒くぎらぎらとした瞳が異様に輝く怪物だった。全身が巨大な骨のようなものに覆われており、鋭い牙をむき出しにして迫ってくる。
心臓が激しく鼓動するも、少しも動けない。これまで何度も見たゲームの世界では、主人公はいつもかっこよく魔物を倒すけど、現実の世界では何もできない。ただの令嬢。
魔法、どうやって出すの? ヒロインが使ってた魔法って、アネットも使えるの? その時、自分の無力さをひしひしと感じていた。
だが――その時。
閉じそうになる意識の中、突如、視界が一変する。まるで時間が止まったかのような感覚。次の瞬間、魔物が弾き飛ばされ、地面に転がる音が響いた。
驚いて目を開けると、目の前には、立ち尽くす一人の人物がいた。
長身の騎士。キリッとした強そうな目を持っているが、その眼差しにどこか優しさを感じる。
「――怪我はないッスか?」
その後ろ姿を見つめていると、深い低い声で彼が問いかける。その声にハッと驚き、自分が今、命を助けられたことを理解した。胸の中で安堵が広がる。しかし、すぐに自分の置かれた状況を理解し、恐怖が急速に広がった。
「無事です……でも、ちょっと……」
腰が抜けて立ち上がれない……
ゲームの中での魔物も、いざ目の前に現れると……本当に死んでしまうんじゃないかって思った。
地面を見つめていると、彼は一瞬も躊躇せず、私の身体を抱えて、無造作に抱き上げた。その力強さに驚き、さらに彼の冷静さに感心した。
濃紺の少し癖毛な髪の毛に、キリッとした眉に凛々しい黄色の瞳。
あれ、私の隣の家に住んでたあの子にそっくり……ってことは……
「ノクス……?」
思わずそう訊ねると、驚きと疑いを含んだ目で見つめられる。
「なんで俺の名前……あんた、何者だ?」
心臓が一瞬止まったような気がした。
ノクス・ディアマンテ。彼はまさしく、ゲーム内でも重要な役割を果たすキャラクター。
レイ王子に憧れる、騎士見習い。それがどうして、こんなとこに一人でいるの?
出会ってしまった……ヒロインの攻略対象であるキャラに……
しかし、すぐにその感情を押し殺し、冷静さを取り戻した。
「私の名前は……リリー・グレイです。街にある花屋の娘です。ここの花を収穫しに来ました」
ヒロインの設定を勝手に借りながら、たった今作り出した偽名を告げる。
「リリーか……。ここは平民が踏み入っていい場所じゃねぇッスよ。さっきみたいな魔物がわんさか居る」
彼の言葉は淡々としているのに、どこかしっかりとした力が感じられた。私は彼に抱えられながら、深く考え込んだ。
(リリー・グレイ……偽名だけど、この名前で通すしかないな)
そんなことを考えながら、目の前の風景に目をやる。森を抜け、再び城下町に戻る道中、ノクスの腕の中で揺られながら、アネットはじっと彼の横顔を見ていた。
ゲームでも思ってたけど、こうやって見ると尚更あの子にそっくり。
「……ノクスって、まつ毛長いよね。てか、顔近っ……目、キレイ」
思ったことをそのまま口にして、ふっと笑う。ノクスの眉がわずかに動いた。
ヤバ……変なこと言っちゃった。
でも、ゲーム内のノクスもヒロインにとっては弟みたいなものだったし、あの子も私にとっては弟みたいな存在だった。だから素が出ちゃうっていうか……
「……近いのは、仕方ねーだろ」
「そうだけど、こうやって人に運ばれるの、人生で初めてかも。ちょっとテンション上がるなー。ありがとね、助けてくれて」
褒めてるのか軽くからかってるのかわからないトーン。これはあの子と話す時のいつもの距離感。
ノクスは表情を変えずに前を見据えていたが、ほんの少し、抱える腕に力がこもる。
「……そーッスか。騎士として当たり前のことしてるだけッスよ」
呆れたようにため息をつきながら、ノクスは私を抱きかかえて歩き続ける。
「そっか。でも、知らない子でも助けに来てくれるってすごいよ? いつも優しいよね」
軽く笑いながら、ノクスの肩に無意識に寄りかかる。驚いたようにノクスが一瞬だけ視線を落とした。
(……すげー近ぇ)
声に出さず、ノクスは小さく息を吐いた。
「ノクスってさ……なんか、騎士って感じじゃないよね。もっとこう……親しみやすいっていうか。初対面なのに、全然怖くなかった」
「……それ、バカにしてんスか?」
「ううん、私はそっちのほうが好きかも」
くすっと笑うと、ノクスはまた視線を逸らした。
「ってか、俺たちって初対面ッスよね? それなのにいつも優しいとか……」
……そうだった。完璧に忘れてた。
もう嫌だ、ノクスと隣の家に住んでいたあの子を重ねてしまうと、どうしても初めましてだと思えない。
今の私めちゃくちゃ怪しい人じゃん。
「あ、あはは……私何言ってるんだろ。ごめんね、変なこと言って。その、ノクスって初めて会った感じしなくて……」
何も返答することなくただこちらをじっと見つめているノクスに首を傾げ、ふと辺りを見渡す。
「あ! ここで大丈夫だよ。私、内緒で抜け出してきたから……街で目立つわけにはいかないんだよね……」
「もう大丈夫なんスか? 足ひねったりとか……」
「大丈夫! 腰抜かしちゃっただけだし。ありがとうね! ここまで連れてきてくれて……」
にこりと微笑んでお礼を言うも、またノクスはだんまりしたまま、こちらを見つめている。
長いまつ毛にパッチリした目。可愛い……やっぱりあの子に重ねちゃう……
「ふふ、ノクスは可愛いね……」
重めに前髪を伸ばした濃紺の頭に触れ、優しく撫でる。その瞬間に、ぶわぁっと赤く染る顔。
「なっ……! あんたなぁ、そんな簡単に男に触んじゃねぇよ」
ノクスはポリポリと頬を掻いた。
あまにりも現実世界のあの子と似ているものだから、いつもと同じように接してしまう。そういえば、全く別の人だったのか……。
まぁ、嫌がってはないみたいだし、あの子と同じように接しても大丈夫だよね?
どうせもう会わないと思うし……
「ふふ、ありがとね!」
「っ……!」
私がノクスの両頬に手で触れ、笑顔で礼を述べると、ノクスの瞳が揺れる。ほんの少し、ピクリと身体が震えている気がする。
(今すぐこの子から距離を取らないと……まずい。俺、今――)
顔を背けたノクスの耳は真っ赤だった。
「じゃあ、さようなら!」
ノクスも、ヒロインと結ばれて幸せになってね。
絶対に邪魔なんてしないから、私を殺さないで。
出来ることならもう二度と会わなくて済むように……
けど、見慣れたあの姿をもう二度と見れないと思うと、少しだけ心が痛いや。