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28 この人が、怖い

 

 目を覚ますと、薔薇園にはもう誰もいなかった。夜の帳が下りた学園の片隅、風の音すら静まり返った静寂の中に、私はひとりベンチに腰かけていた。

 ゼインの残した微かな体温がまだ残っている気がして、無意味だと知りつつも、何度もそこに手を重ねてしまう。


 ――やっぱり、夢だったみたい。


 でも夢じゃない。あの熱、あの震える声、そして……あの目。

 思い出すだけで心臓が痛い。

 私はヒロインじゃない。悪役令嬢なのに。

 なのに。


「面白いものを見せて貰いましたよ、アネット嬢」


 背後から、滑らかな声がした。思わず飛び跳ねるようにして振り返ると、そこに立っていたのは――クロード・グレイヴァード。あの、ナベリウス王国の王子であり、氷の仮面をまとった騎士ゼイン様の主。


「クロード王子……」


 声が震えたのは、驚きだけじゃない。

 彼の目が、笑っていなかったから。

 いつも通りの微笑を浮かべているはずなのに、その奥にあるものが、冷たく、鋭く、私の心を凍らせる。


「驚かせてしまいましたか? 失礼。……ただ、散歩のついでに少々。まるで“恋人同士の逢瀬”でも見てしまった気分で、つい立ち聞きという無作法をしてしまいました」


 さらりと笑っている。でも、その“恋人”という言葉に、あからさまな棘を感じた。


「……い、いえ、そんな、ゼイン様とは、何も――」


「何も、ですか? ……ふむ、なるほど」


 微笑を深めながら、クロード王子はゆっくりと私の隣に腰を下ろした。まるで旧知の仲のような自然さで、距離を詰めてくる。

 思わず肩がこわばる。逃げたくても、足が動かない。


「ところで、アネット嬢。……ここ数日、学園の魔力測定値が異常なほど高騰していたのをご存じですか?」


「え?」


「学園では隠しているみたいですが、私のような身分だと耳に入るんですよ。曰く――“あの悪龍のような魔力の波動が一瞬だけ、観測された”と」


 “悪龍”――

 その言葉に、心臓がひときわ強く跳ねた。


「まあ、きっとただの誤作動でしょう。……ね?」


 真横からの視線が、突き刺さる。

 その“ね?”は、明らかに試している口ぶりだった。


「わ、私には……わかりません。魔法のことは、詳しくないので……」


 原作でも夢小説でも、アネットは魔力がほぼなく、父親のコネのおかげで裏口入学した。という設定。それは間違いなくこの世界の共通認識のはず。


「ふふ、そうですね。貴女はとても……無知で、無垢で、善良なお嬢様ですから」


 クロード王子の声は穏やかだった。けれどその裏側にある、じっくりと攻めてくるような執念の重みが、じわじわと首を絞めてくる。


「けれど――私には、わかるんですよ。……貴女の身体には、“残って”いる。悪龍の魔力と、異質な精霊契約の気配がね」


 ぎくり、と肩が跳ねた。否定しかけた口が、なにも言えずに止まる。


「花は、香りで見分けられる。貴女も、美しい花ですが……その棘の形が、少し特別だ」


「……っ!」


 怖い。逃げたい。なのに、足が動かない。

 なぜこんなにも、柔らかい声で話しているだけのはずなのに、身体が凍えるように冷たくなるのか。


「アネット嬢、貴女のことは気に入りましたよ」


 そう言って、クロード王子は私の髪にそっと指を滑らせた。

 まるで、花を扱うような丁寧な仕草で。


「貴女がゼインに……入れ込んでいるのも、知ってます」


「え……っ」


 その一言で、息が詰まる。

 知られてはいけない。知られるわけにはいかない。だって、私はただの悪役令嬢で、彼のような人に“見られる”資格なんて――


「私が、ゼインを殺したら……貴女は、どんな顔をするんでしょうね?」


 ――一瞬、心臓が止まったような錯覚に襲われた。


 優しい笑みのまま、ぞっとするような言葉をさらりと。


「……ふふ、なんて。冗談ですよ」


 クロード王子は、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、夜の闇の中へと溶けていくように、去っていった。


 私は、ベンチの上でしばらく動けなかった。

 指先が、爪が、震えていた。

 背中を汗がつたっていく。


(本当に……あれ、冗談だったの?)


 私は唇を噛みしめた。

 けれど、心の奥ではすでに気付いていた――

 彼が、どこまでが本気で、どこまでが“遊び”なのかなんて、誰にもわからないのだと。




「やばい……寮の門限の時間!」


 完全に門限のこと忘れてた。

 悪役とはいえ、一応令嬢の私が門限破って寮母に怒られる。なんてこと、あってはダメ。


 夜のバラ園から走って戻った私は、息を切らしながら寮の門をすり抜ける。あと少しでも遅れていたら、見回りの先生に補導されていたに違いない。


 レイ王子の一件とクロード王子の爆弾発言、それに……推しとの夢のような時間で頭がパンパンのまま、もう全力で寝たい。いや、記憶を消して永眠したい。


 けれど、そんな私の願いは、無情にも扉の先で打ち砕かれた。




「――きゃっ!」




 廊下の角を曲がった瞬間、まさかの鉢合わせ。


 柔らかいカールのかかった桜色の髪。小動物のような瞳が、私を見上げる。


「ベルフェリア様……! 申し訳ございません……!」




「桜子?!」


 ヒロインの桜子が、夜中に寮の廊下を歩いているなんて。これは想定外。どうしよう、顔に色々出てない!? というか、よりによって今!? このタイミング!? 


 もしかして攻略対象の誰かと……夜の……その……


 そんな私の内心の焦りをよそに、桜子の表情がふっと曇る。



「あ、あの……ベルフェリア様、その……首、どうされたんですか?」




 ――ッ!?


 私は全身の血が一気に逆流するような感覚に襲われた。


 ばっ、と両手で襟元を押さえる。


 見るまでもなくわかってる。アレだ。


 リンネとの契約でつけられたキスマークの上から、レイ王子が、より濃く“上書き”していった、あの証。しかも位置が悪い。制服の襟の隙間から、絶妙にチラッと見えてしまう――


 しかもそれを、桜子に見られるなんて! この学園世界で唯一、守るべき清純無垢なヒロインに!


 やばい。これは本当にまずい。なんとか誤魔化さないと……!


 桜子とレイ王子、桜子とリンネ、どちらのルートが進んでいても大丈夫な言い訳を……!


「そ、そのっ、あのっ……」


 でも、口から出かかる言い訳がどれも地雷原すぎて、言葉が続かない。


「その、虫に刺されて……いや違う、転んだ拍子に……でもそれってどんな倒れ方……?」




「――誰に、こんなことをされたんですか?」




 桜子の声が、ぴしりと鋭くなる。


 いつもおっとりしている彼女が、珍しく怒っている。




「ベルフェリア様の大切なお身体に……こんなことをするなんて許せません!」


「えっ……」


 私は混乱した。


 その言葉が、妙に胸に刺さったのだ。




「……え? ま、まさか、桜子……ヤキモチ……?」


 自分の口から出た言葉に、自分が一番びっくりする。


 彼女は驚いたように目を見開いた。




「ち、違っ――いえ、その……! 私は、ただ……!」


 しどろもどろになって真っ赤になりながら俯いてしまう桜子に、私は慌てて手を振った。




「ま、待って待って! 安心して! 私はどっちのことも意識していないから!」




「どっち……の……?」




「その、えっと……! レイ王子のことも、リンネのことも!」




 ――そう言いながら、私は頭を抱えた。


 余計ややこしいことになった気がする。



 慌てて首元を隠したり、弁明になっていない弁明を繰り返す私に、桜子はただ目をぱちぱちと瞬かせて、静かに立ち尽くしていた。


 なんだろう。風のような沈黙。


 耳がじんじんする。




 そして、数拍の間の後。




「……ベルフェリア様」


 小さな呟きに、私はびくりと肩を震わせた。


 桜子は、ぽつりと言葉をこぼす。




「……そんなベルフェリア様を、私はお慕いしております」




 えっ。


 えっ!??




 思考が一瞬でフリーズする。


 その声音は、怒っているでも困っているでもなく、なんというか――呆れて、でも微笑んでいて、柔らかくて、ちょっと切なげで。


 桜子は困ったように微笑み、そっとスカートの裾をつまんで一礼すると、そのまま廊下の向こうへと去っていった。


「……え?」


 しばらく、私はその場に棒立ちだった。


 いやいやいや、落ち着け私。今の桜子の表情は何?! 勘違いされたのは確か。


 ……けど、あの“お慕いしております”って、明らかにヒロインが終盤に攻略対象に告げる恋愛フラグの台詞のひとつでは……?




「ひぃいいいいーーーッ!?」




 寮の廊下に、私の情けない悲鳴が木霊した。


 門限ギリギリの静寂の中で。


(誰?! 誰と桜子のルートが進行してるの?! もう分かんなすぎる! 私の書いた夢小説難しすぎるッ!!)


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