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27 推しイベで我慢なんて出来るわけないですっ!

 

 放課後、私は教室からひと足早く抜け出していた。


 理由は特にない。ただ、最近いろいろありすぎて、一人でゆっくりと風にあたりたい気分だった……のだけれど。


「……えっ」


 夕焼けに染まる渡り廊下の先に、見覚えのありすぎる後ろ姿を見つけた瞬間、心臓が跳ね上がった。


 あの、ぴんと伸びた背筋。乱れのない飴色の髪。どこか他人を寄せつけない空気――。


 ゼイン・ヴェルゼ様

 前世で、私が命を懸けて推していたキャラ。

 鋼のごとき無口で忠誠心に厚い、鉄仮面の騎士。


 その本人が、今、数メートル先にいる。歩いている。現実に。


「ゼ、ゼイン様……!」


 反射的に声が出た。いつもなら緊張で名前も噛むのに、今日に限ってすんなり口から出た。


 ゼイン様はぴたりと歩みを止める。

 けれど、振り返ることはなく、氷のような視線だけが後ろへ向く。


 そのまなざしは、鋭く冷たい――のに。


(……ん?)


「……っ、睨まれた……!」


 思わず口元を手で覆って、心の中で小さく叫んだ。


 "睨まれた"というより"睨んでもらえた"

 ――ご褒美!!

 さすがは推し、存在してるだけで心臓に悪い!!


 ……でも。

 私は、その目の奥に、ほんの少しの"違和感"を見つけた。


 目元に薄く影が差し、肩がわずかに揺れている。

 その様子は、いつもの“鋼の騎士”のそれではない。


(……まさか、これ……)


 私の脳裏に、自作夢小説の記憶がよみがえった。


 ゼイン様が高熱を出してふらふらになり、ヒロインが介抱する――

 通称"冷酷騎士の鉄仮面にヒビが入る"神イベント。


「ちょっと、失礼……!」


 我を忘れて、私はゼイン様に歩み寄った。

 逃げられるかと思ったけれど、今日の彼は動きが遅い。

 それどころか、距離を詰めても一歩も引かず、ただまっすぐ私を睨みつけていた。


 私は、そっと自分の額を彼の額に当てた。


 体温が伝わってくる。間違いない。彼は熱を出している。


 しかも、普段の彼なら間違いなく距離を取るのに、今のゼイン様は動かない。

 瞳の奥に、わずかな困惑が滲んでいた。


「――熱い」


 そう呟くと、ゼイン様はハッとした様子で私から瞬時に距離を取り、威圧するように睨み付ける。


(これはもう、完全に夢小説イベント突入フラグだ!)


 思わず脳内でファンファーレが鳴った。

 でも、それ以上に心配だった。彼の顔色は明らかに悪い。


「……あとで私を好きにしていいから……今は黙って着いてきてください!」


 夢小説でヒロインが言っていたセリフを、そのまま口走っていた。


(……あああああ!? 言っちゃった!?)


 でも後悔している場合じゃない。

 私はゼイン様の手首をぐっと掴んで歩き出した。


 彼は一瞬抵抗したものの、それ以上は何も言わず、黙ってついてきてくれた。


 目指すは、学園の中庭にある、あまり人のいない薔薇園。

 赤、白、ピンク……無数の薔薇が揺れるその場所には、背もたれのある長いベンチがあった。


「ここに座ってください。……ううん、寝転んで。ちゃんと休まなきゃダメですよ」


「……」


 ゼイン様は無言のまま不服そうにしながらも、私を睨みつけながらベンチに座る。

 こちらを見上げる視線には、戸惑いと警戒が入り混じっていた。


(そうよね、こんな悪役令嬢に急に介抱されるなんて、普通に考えてあり得ないよね)


「……桜子じゃなくてごめんなさい……でも、今だけはゼイン様を独り占めさせて……」


 自分にだけ聞こえる声で、そっと囁いた。

 そして、ハンカチを取り出して、そっと額の汗を拭う。


「こんなに無理して……ゼイン様は、何と戦っているんですか……?ら」


 無意識に、前世で書いた小説のセリフを呟いていた。

 推しにかけた言葉が、今、この世界で自分の声となって流れていく。


 ゼイン様の呼吸が、少し落ち着いてくるのがわかった。

 少しだけ、まぶたが重たそうに伏せられる。


(――この世界で、私はどこまで夢をなぞるんだろう)


 ほんの数分の出来事だったのに、胸の奥で何かが確かに軋んだ。


 私は、彼の傍でそっと手を握る。


 推しが、目の前で苦しんでいる。

 今はただ、助けたいと思った。


 ――たとえ、それが夢の続きであっても。


「……ここ、暑すぎたかな……ごめんなさい、ちょっと我慢してください……」


 私は、ベンチに横たわるゼイン様の額にハンカチを当てながら、なるべく静かに、優しく声をかける。


「ゼイン様のことだから……弱ってるとこ、誰にも見られたくないと思ったから……」


 原作のゼイン様も、私の書いた夢小説のゼイン様も……人に絶対に弱みを握られないように鉄のような仮面を被って、感情に蓋をしてた。冷酷で人を寄せ付けない、そんなキャラだった。


 だけど、その瞬間――


「……触れるな、殺す……」


 かすれた声で、彼が吐き捨てた。


 私は一瞬、動きを止めた。


 低く、冷たく、震えていて、それでも確かに、殺気を帯びた言葉だった。


 それでも――


(ああ、やっぱり……!)


 ぞくりと背筋が震える。恐怖じゃない。むしろ、興奮。


 ゼイン・ヴェルゼ、あなた本当に推しのままだ。夢小説で書いたあの名シーン……あのセリフ……そのままの冷酷さ。強がり。弱さを見せまいとする意地。


 ――でも、私は知ってる。

 その刃の奥に、誰よりも深くて強い"感情"があることを。


 私は微笑んだ。嬉しさを必死に噛み殺しながら、彼の手にそっと自分の手を重ねた。


「……殺すなんて、そんな……ゼイン様の剣は、人を殺すためのものじゃない。護るための剣です」


 言った瞬間、息が止まる。


(……ああああ!? やっちゃったああああ!!)


 しまった、つい。夢小説のヒロインがゼイン様にかける、あの“神セリフ”をそのまま言ってしまった!


 やばいやばいやばい、なにしてんの私!?!


 慌てて口を両手で塞ぐ。

 でも、その反応を見たゼイン様が、ぱっと顔をそらした。


 さっきまで青ざめていた頬が、今はほんのり朱に染まっている。

 鋭い目元は伏せられ、睫毛が震えていた。


「……っ……」


(……え、え、え、え!? なにこの反応、かわ……)


 ドクン、と胸が鳴る。

 推しが照れてる。あの鉄仮面のゼイン様が……。


 だけど。


 私の胸の中に、すぐに現実が押し寄せてくる。


(……でも、私は“悪役令嬢のアネット”なんだ)


 彼が結ばれるのは、世界に祝福される“ヒロイン”であって、

 全攻略対象に憎まれるようなアネットじゃない。


 ヒロインとゼイン様の恋路を邪魔して、ヒロインを殺そうとしたアネットは……ゼイン様の剣で心臓を貫かれる。


 どれだけ好感度を上げても、どれだけイベントをなぞっても、

 私は最後には“選ばれない側”。


 それを、私は一番よく知っている。

 だって、私が創り上げた世界だもん。


 ヒロインだけが選ばれる世界……それを望んだのは間違いなく私。


 だから。


「……これが、夢なら」


 ポツリと、誰にも聞こえない声で、私は呟いた。


「一生、続けばいいのに……」


 叶うはずのない祈りを、空に捧げる。


 夕焼けの色に包まれながら、私はゼイン様の隣で、そっと瞳を閉じた。


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