25 「私のために争わないで!」って、これ…ヒロインのセリフじゃないの?!
あれから数日。あのあと魔法演習は中止になり、学園の空気は少し落ち着きを取り戻していた。悪龍の痕跡は、あのときリンネが綺麗さっぱり消してくれたおかげで、学園側も「何かあったらしい」程度の認識で済んでいる。……ありがたいことだ。
ただ、リンネが最後に何か言いたげだったのが気がかり。
私はというと、今日も紅茶をすすりながら反省中である。
「うう、ヒロインのセリフもイベントも、つい奪っちゃった……!」
そう。本来あれは、桜子がリンネと契約する感動イベントだったはずなのに、私がやらかしてしまったせいで、まさかの契約者交代劇。しかも、首筋には今も薄く残る、契約の証――という名のキスマーク。
いや、でも仕方ないよね?! あんな絶体絶命のピンチ……リンネを召喚する以外方法はなかったと思う。
前世はヒロインとしてゲームプレイしてたからヒロインが使ってた魔法の知識しかない。それはイコール、聖女の白魔法しか使えないというわけで……
(まさか、夢小説のご都合主義イベントがこんなリアルに発動するなんて……!)
とにかく、今後はもう少し慎重に立ち回らないと。
私はあくまで破滅フラグ回避のためにこの世界を生き抜いているだけであって、誰かと恋に落ちるなんて、とんでもない。ヒロインの邪魔をする気なんて、さらさらないのだ。
「……ってことで、フラグは全部ポッキリ折る。うん。健全!」
そう呟いたところで、廊下の向こうからノクスがこちらを見ているのに気づく。
「ノクス! 傷の具合はどう? あれから調子悪かったりしない?」
私が手を振ると、ノクスは一瞬ぴくりと目を伏せ、すぐに歩み寄ってきた。……なんだろう、少し顔がこわばってる?
「別に、調子は悪くねぇッスよ……あんた魔法のおかげでな」
「ふふっ、そうでしょ? 魔力奮発したんだから!」
無邪気に笑った私に、ノクスは何か言いたげな視線を向けてきた。けど、私はそんな視線の意味を気づくこともなく、続ける。
「それにしても、リンネすごかったよね〜! あんなに強いとは思わなかったし、まさか私と契約してくれるなんて……」
「……なぁ、あんた……意味、わかってんのか?」
「え……ああ、これ? これは契約に必要だっただけ! あっ、でも桜子に見られたら誤解されちゃうかな?! 隠しておかなきゃ」
とんでもない爆弾発言を、私はあっけらかんと笑って放つ。ノクスは何かを飲み込むように口をつぐみ、そしてぽつりと呟いた。
「……あんた、本当に無自覚なんだな」
「ん? なにか言った?」
「いや。なんでもないッスよ」
やがてノクスは私に背を向けて歩いて行った。その背中には何か重たいものが乗っているように見えたけど、私はそれに気づくことなく、のほほんと呟く。
「それにしても、みんな桜子のこと本当に好きだなぁ。いやー、さすがヒロイン!」
……そう、私は知らない。
私が信じて疑わない“桜子モテモテハーレムルート”は、既に進行ルートから大きく外れ始めているということを。
◇ ◆ ◇
その夜、私は久々にふかふかのベッドに体を沈めていた。魔法演習でのゴタゴタも落ち着き、今日こそはぐっすり眠れそう……そう思っていたのに。
「……なんか、寒い?」
目を開ければ、部屋のカーテンがわずかに揺れていた。風なんて入るはずもないのに。……いや、気のせいか。
「まさか、また魔物が……って、ないない! 結界は万全だし、何よりここは学園の女子寮!」
自分でツッコミを入れつつ、私はふかふかの掛け布団をぎゅっと握りしめた。ふと、視線を感じたような気がして、ベッドのカーテン越しに天井を見上げる。
……けれど、もちろん誰もいない。
そしてその妙な視線は、窓の外から感じなくなり、少し安心する。
(ほんと、気のせい。あれこれ心配しすぎなんだよ、私)
自分にそう言い聞かせ、私は目を閉じた。
でも――その瞬間。扉の向こうで、かすかな気配がぶつかり合った。
「……っ」
眠気が吹き飛ぶ。今のは……気のせい、じゃない。けれど、扉の外に誰かいる? いや、それだけじゃない、複数?
私はそっとベッドの縁に体を寄せ、耳を澄ませた。
「お前……こんな夜中に何の用だ?」
鋭い声が、微かに聞こえた。
……聞き間違えでなければ、――リンネ?
「君こそ、ずっとここにいるの? 何の用?」
凛とした、けれどどこか毒を持つその声も、私は知っていた。レイ王子だ。
(なんで二人が……私の部屋の前で?)
頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。もしかして、何か揉めてる? けれど、二人とも普段は冷静で、理性的なタイプのはず。
でも――何かが、違う。
扉一枚隔てたその向こう側では、まるで私を挟んで、鋭い何かが交錯しているような空気が漂っていた。
「我が主に近づきすぎた報い、そろそろ受けるか?」
「それはこっちのセリフだよ。部屋の外で待ち伏せとか……気持ち悪いよね」
(え、えええええ!?)
ベッドの中で思わず変な声が出そうになったのを、慌てて枕で押し殺す。
「いや、ちょっと待って!? 待ち伏せって?! 私、寝てるフリしてたほうがいいのかなこれ!?」
(……ていうか、レイ王子とリンネ、今の会話、すごい修羅場の気配してない!?)
私は完全に混乱していた。けれど、一歩外に出る勇気はない。いや、これ絶対に出たら後悔するやつだ。
ベッドの中で、私はただただ固まっていた。
――知らぬ間に、高火力の感情のぶつかり合いの中心にいるとも知らずに。
外に出る勇気もないまま、私はベッドの中で布団をかぶり、ひたすら耳を澄ませていた。けれど、聞こえるのは、会話というよりは――感情のぶつかり合い。
「彼女は、僕の仮婚約者だ。無遠慮に“主”呼ばわりされるのは、あまり気分が良くないね」
レイ王子の声が、低く静かに響く。けれど、その静けさが逆に怖い。まるで、怒っているのを隠しているような……そんな声音。
(仮婚約者って、今言う!?)
そのフレーズに思わずツッコミかけたけれど、頭の中に留めておいた。うん、それ、学園では表向き秘密って話じゃなかったっけ??
桜子にバレたら……私が邪魔者みたいになるじゃん!
続くのは、凍りついたように冷たい、リンネの声だった。
「仮初の契約など、何の効力も持たない」
「……へぇ」
「そういえば、お前は知らないのか。我が契約の証として首筋に刻印をつけたことを」
「……っ!?」
……沈黙。
そうだ、忘れてた……!
私の首筋には、リンネが付けたキスマークが……
私はベッドの中で、バチン!と目を見開き、首筋に手を添えて撫でる。
レイ王子の返答は、しばらく来なかった。けれど、その沈黙が、逆にすべてを物語っていた。
「……ッ、ふざけるな。そんなもの、許可も得ず――」
レイ王子がこんな取り乱すなんて……
初めて見た。
なんで? 私がリンネと契約したら……桜子との恋愛でなにか不都合でもあるの……?
「許可は、本人から得た」
(ちょっとリンネ?! 言葉足らずすぎる! あれ、状況が状況だったし! あれはヒロインのセリフを参考にしただけで、そういう意味じゃ……!!)
ぶわっと顔が熱くなる。やばい、何もしてないのに汗が出てきた。
そして、聞こえてくるレイ王子の低く苦い吐息。
「……そうか。そういう手で来るのか」
「手段などどうでもよい。ただ、我は……アネットが“我のものだ”と、証をもって知っている。お前はどうだ?」
「……ッ!」
(ああああ~~~~!!! なにこの会話!!! 私の知らないところで、何のバトルが繰り広げられてるのーーー!?)
私は頭を抱えながら、布団の中で小さく縮こまった。目は開けていない。だけど心拍数は限界突破していた。
(……いや、もう寝たフリしてる場合じゃなくない!? でも出る勇気ない! こわい!!)
深夜の寮の静寂のなか。アネット・フォン・ベルフェリア、何も知らない顔で恋愛フラグの震源地で寝たフリ中――!




