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24 ついにあの契約を交わしてしまいました

 アネットの視界はぼやけ、世界の音が遠くなる。全身の魔力が燃え尽き、意識が闇に沈もうとしていたそのとき——


「……お前は、こんなところで終わる器ではない」


 淡く光る緑の残光とともに、リンネの腕がアネットを優しくすくい上げる。涼やかな瞳が、アネットをじっと見下ろしていた。


「我に助けを求めるのなら、契りを交わし、お前のものにしてみせろ。——すべての敵を、我が討とう」


 その言葉に、アネットの胸が熱くなる。


「リンネ……」


 まだ立ち上がる力はない。だけど、ノクスが死んでしまう未来だけは、どうしても——嫌だった。


(この人は、私の大切な人だから……)


 込み上げる想いを震える唇に乗せ、アネットはかつて夢中になったゲームの、ヒロインの決め台詞を絞り出す。


「……リンネ……私を主とし、その身を捧げなさい……!」


 そんな中、リンネがアネットの首筋に顔を寄せた。


「では、契約の証を刻む」


「……へ?」


 耳元でささやかれたその言葉に、アネットは背筋が跳ね上がった。


「そ、それって何を……」


 "契約の証"――それには心当たりがあった。

 だけど、まさか……ね?


 それはさすがにヒロインのために残しててあげるイベントじゃない?


「我らが世界において、主従の契約は、術者の血に近き場所に魔の刻印を刻むことで完結する。首筋が、最も適している」


「ちょ、ちょっと待って!? まさか、まさか……!」


 リンネの唇が、そっとアネットの首筋に触れた。


 ちゅ……っと小さな音が脳に響く。

 ぞくりとした感覚。血が逆流するような恥ずかしさと、全身を貫く魔力の衝撃。


「ん……っ」


 キスマーク。それは前世の私作の夢小説で、ヒロインがリンネと契約する際に"契約の証"として付けられていた“印”。


 でも、アネット相手でも契約しちゃうの?! だめよ、リンネ! あなたの相手は……!


「し、印なら、別のところにっ……!」


「この場所でなければ、完全な力の伝達はならない。必要だ、我らの契約には」


「う……ぐ……っ……!」


 突きつけられる二択。ノクスの命を守るために契りを交わすのか、それとも……羞恥に負けて、すべてを失うのか。


 ──ノクスを守れるなら、キスマークくらい何個だって我慢してやる……!

 元はといえば、私が書いた世界なんだから、もうなんとでもなれよ!


「……っ、わかった……! い、いいから、早くっ!」


 覚悟を決めて目を閉じると、再び、唇がそっと肌に触れる感覚。


 今度は、確かな熱が、そこに残った。



「契約は成された。我が主——命に代えてでも従おう」


 リンネが静かにアネットを見つめ、ハッキリと宣言する。


 アネットは、抱きかかえられたままその言葉に目を見開く。体の震えが止まらない。だが、ノクスのために――誰かのために、全てを投げ打ってでも力が欲しいと思った。



 瞳に決意の光を宿し、アネットは叫ぶ。



「── 万象を統べし翠の理。我が命に応じて、その力と魂を我に捧げよ!」



 契約の呪文を告げた後、リンネの姿が変貌していくのを、アネットは息を呑んで見つめていた。風のざわめき、魔力の高鳴り──まるで世界そのものが契約の成立を讃えているかのようだった。


 リンネの魔力が爆発的に膨れ上がり、空を裂くような悪龍の咆哮に応じるかのように、夜空に轟く。


 風が渦巻き、空気が震える。長髪は宙を舞い、深緑と碧の長髪は、神秘的な金の光が覆ったような彩光を纏い、瞳もまた、その奥に金色の紋章が浮かぶように輝いた。衣装も幻獣を思わせるような装束に変化し、その存在感はもはや“妖魔”というよりも“守護神”のようだった。


 アネットの腕の中で、世界が変わる音がした――。


 悪龍が、咆哮する。

 全身から禍々しい黒炎を噴き上げ、地を穿ち、空気を裂くような怒りをぶつけてくる。


 だが――


『――沈め』


 リンネのその一言で、世界が変わった。


 リンネの掌に、緻密な紋章が浮かび上がる。それは、見たこともない魔法陣。

 光や、雷や風……すべての属性が入り混じったような、混沌とした神聖の光が、彼の指先から生まれる。


 次の瞬間、その光が――天へと伸びた。


『――断罪せし白の鎖環』


 声と同時に、天より降り注ぐ無数の光の鎖。

 それは悪龍の身体を一瞬で貫き、絡め取り、空中に拘束する。

 呻き声を上げる暇さえなく、悪龍の魔力が光に焼かれ、爆ぜるように弾け飛んだ。


「罪を数えるに値しない。裁きは一つ――消滅しろ」


 リンネが掌を握ると、悪龍を包む鎖が一気に収束する。


 そして。


 ドォンッ!!!


 巨大な光の爆発が起こった。

 耳をつんざく轟音と共に、そこにはただ焼け焦げた地面に横たわる悪龍の残骸が。


 私は言葉を失って、その光景を見つめていた。

 一撃。たった一撃――それだけで、あの悪龍を滅ぼしたのだ。


「すごい……リンネ……」


 私の声は、風の中にかき消えた。

 けれどその言葉は、確かに胸の奥から出た本心だった。


(これが、あの“幻の妖魔”の本当の力……)


 そして、その力を――ヒロインではなく、私が解き放ってしまったのだ。


 胸の奥に、ほんの少しの罪悪感と、それ以上の高鳴りが混ざる。

 それほどまでに、今のリンネは“圧倒的”だった。



 大地が震えていた。

 いや、それはただの比喩ではない。本当に、大地が――地面が――地響きを上げて揺れていたのだ。


「っ、リンネ……?」


 あの伝説の悪龍を一撃で打ち倒した直後、リンネはただ黙って、その残骸を見下ろしていた。

 その姿には、いつもの儚げな気配も、冷ややかな余裕もなかった。

 ただ、圧倒的な魔力と、それを制御できていない危うさだけが、辺りに立ち込めている。


「うっ……すげぇ魔力が……ッ!」


 ノクスが苦悶の声を漏らして片膝をつく。その額には汗が浮かび、肌にはビリビリと焼けつくような空気が纏わりついていた。

 それは私も同じだった。肺が焼けるようで、心臓が痛い。魔力の密度が濃すぎて、呼吸がうまくできない。


 けれど――リンネはもっと苦しそうだった。


「リンネ……!」


 私は駆け寄ろうとする。だが、地面が裂け、破片が飛び、魔法陣の残滓が空気を震わせる。

 それでも、私は足を止めなかった。

 リンネの足元で、黒い影のような魔力がうごめいている。もう死んでいるはずの悪龍に、リンネはなおも――


「やめてっ!」


 声を上げた。けれど、リンネの瞳には、私の姿が映っていない。

 ただ、過剰な魔力が、彼の身体の内側で暴れまわっているだけ。


「……ッ、だめだ……このままだと、他の生徒たちまで――!」


 ノクスの声にハッとし、辺りを見渡す。

 演習場の外周から、遠くに逃げ惑う生徒たちの声が聞こえる。これはもう、訓練や想定を超えた事態だった。


 けれど私は知っている。ゲームの中で、ヒロインがこの状況を止めた方法を――。


(あの時と同じ……!)


 私は、暴走するリンネの前に立った。突風のような魔力が私の髪を巻き上げる。目も開けていられない。


 ピッ! と頬を何かが切ったような気がした。

 けれど、私は彼に両手を伸ばして、そっとその身体を抱きしめた。


「……大丈夫。落ち着いて」


 震える彼の背中を、そっと包むように撫でる。

 力の入った肩が、ゆっくりとほどけていく。


「リンネ、聞こえる? 私はここにいるよ……あなたを怖がったりなんて、しない。

 だって、あなたは私を守ってくれた。……ありがとう。大丈夫、私はあなたの味方だから」


 その言葉を口にした瞬間――


 リンネの身体からあふれ出ていた魔力の奔流が、ふわりと空気の中へ消えていく。

 空が、深い色から元の青へと戻っていく。


「……っ、ぁ……ぁぅ……」


 かすかに震える声が、私の肩口で響いた。

 見れば、リンネの瞳に涙のような光が浮かんでいる。


(え……)


 その瞬間、私の心に何かが閃く。

 このぬくもり――前にもどこかで感じたことがある。

 そんな感覚が胸を強く締めつけた。


(もしかして……リンネは……)


 けれど、今はまだそれを言葉にすることはできない。

 私はただ、優しく、静かに彼の背中を撫で続けた。

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