22 一刻も早く消し去りたいエッ…なイベントきちゃった件について
ペア魔法演習は、魔力量や相性、状況判断などの実戦的能力を見るための恒例行事らしい。
けれど、私にとってはそれ以上の意味がある。
(ここで、レイ王子と桜子を組ませるのが目的! 原作じゃこの演習でふたりの距離が一気に近づいたんだから!)
「今回の演習は、パートナーとの連携が試されます。ペアは、事前に提出された魔力量・魔法特性・演習内容をもとに自動で割り振られます」
教官がそう宣言し、生徒たちはざわめいた。
けれど、私はそれに備えていた。数日前、魔力量測定装置の管理担当に“偶然”近づき、私の数値を少々いじっておいたのだ。
(私の数値をあえて“火属性特化・攻撃型”に寄せて提出。これで、攻撃型の王子は私とペアにならずに、聖女適正SSSの桜子のデータとマッチするように調整済み!)
演習の舞台となる森の魔力反応がざわめき始める。教官が掲げた魔導札が光を放ち、順に名前が読み上げられていく。
「ペア一組目――レイ・アルベルド・リュミエール&桜子」
「よしっ……!」
私のガッツポーズはささやかなもので、周囲に気づかれることはなかった。
(完璧な采配! この機会に二人でたくさん仲良くなって、ぜひ婚約フラグ立ててください!)
「次――アネット・フォン・ベルフェリア&ノクス・ディアマンテ」
「……え?」
私の耳がバグったのかと思った。けれど、目の前で静かに目を細めたノクスが言った。
「まさか、あんたとペアになるとはな」
「えぇぇぇっ!? なんで!?」
(ノクスって、たしかレイ王子の近衛騎士で、魔力特性もほぼ同じはず……! 相性は被るはずなのに、なんで私と……!?)
「“ランダム枠”ってのに引っかかっただけッスよ」
ノクスが肩をすくめる。
(そ、そんな……いやでも、これってある意味“夢小説の展開”じゃ……?)
「まぁ、いい。護衛任務の延長みたいなもんだしな」
そう言って歩き出すノクスの背を、私は呆然と見つめた。
(ま、まぁ……いいか……とにかく、第一目標はレイ王子と桜子さん!)
だが、この時の私はまだ知らなかった。
この選ばれた“ランダムペア”こそが、この後とんでもない事件の引き金となることを――。
演習の始まりを告げる鐘が鳴る。
混乱する私をよそに、演習の場は“対魔物戦を想定した森林探索”へと移った。
「離れんなよ」とノクスに釘を刺されつつ、私は演習ルートの道を歩き出す。
けれどその道中、ふと耳の奥を打つような不協和音が聞こえた。ぴたりと足を止める。
(……今の魔力の揺らぎ……?)
ほんのわずか。けれど、どこか記憶をくすぐるような気配に導かれるように、私は深い木々の影へと踏み込んでしまっていた。
原作ではこんな序盤に魔物なんて出なかったはず。
じゃあ、夢小説の方では――
それが、地獄の入口とも知らずに。
「――え?」
足元がふわりと沈む感覚。…いや、違う、浮いた?
咄嗟に足元を見下ろすと、いつの間にか柔らかな蛇が私の足首に巻きついていた。次の瞬間――
「きゃっ!?」
強く引かれた。
体がふわりと浮かび、気づけば私は地上から引き離されていた。太ももまで絡みつく蛇のようなものに脚を囚われ、身動きが取れない。
「な、なに、この蛇……!? いやっ、離して……!」
蛇が明確な意志を持つかのように這い上がってくる。膝、太もも、そして背後から、背中や肩へと、まるで誰かの指先で撫でられるように這い回る。
その蠢く無数の蛇の中から現れたのは――異様に整った人間の上半身を持ち、蛇のように長い下半身を持つ魔物だった。
その瞳は金。けれど何より恐ろしかったのは、その瞳に“知性”と“愉悦”の光が浮かんでいたことだった。
「……その膨大な魔力……喰わせろ」
その声音は、囁くように甘く低い。ぞわりと背筋が泡立つ。
「っ、きゃあぁっ……やめてっ!」
服の隙間から蛇の尻尾が這い込む。肩を、腰を、太ももを撫でるように這い巡り、私は逃れようと体をよじるが、力が入らない。
(……な、んで……ノクス……! どこ……!?)
一緒に居たはずのノクスの姿もなく、はぐれてしまったことを悟る。
あんだけ忠告されてたのに……あとからノクスに怒られちゃう。
(助けて……)
けれど、その声は届かない。代わりに魔物が私の耳元で囁く。
「魔力も身体も、吸収してやる」
そう言いながら、腰を絡める蛇が服の布をめくろうとした。
「や、だ……!」
私の声が震えたその時。
遠くから鋭い斬撃の音。魔物の顔が一瞬だけ険しく歪む。
「――ああ、邪魔が入ったか」
魔物は私を捕らえたまま、霧と共に宙へ舞い上がる。木々の合間をすり抜け、私は無理やりどこかへ連れ去られた――。
(ノクス……お願い、見つけて……!)
風が、強くなる。
空の気配が変わる。
運命の歯車が、音を立てて回り始めた。
――この日、私は「夢小説のヒロインイベント」をなぞるように、運命と対峙することになる。
◇ ◆ ◇
「う……ん……」
意識が戻った瞬間、体に走ったのは異様な冷たさと、ぬめりだった。私は思わず悲鳴を飲み込んだ。
「な、に……っ」
身体は横たえられていた。けれど自由はなく、手足の先まで何かに絡め取られている。ぐにゃりとした感触。視線を向ければ、体に巻きつくそれは――蛇のようにうねる、太い触手だった。
「っひ……っ、や……!」
身をよじるほどに絡みが強まり、胸元や足首、太ももにまで冷たく湿った感触が這いまわる。衣服の上からでもわかる異物感に、ゾクリと背筋が震えた。
(さっきの……夢じゃない……!)
これは、夢小説で私が作り上げた淫魔……
ヒロインが捕まって、淫魔にあれこれされた後……レイ王子に助けられる……っていう今すぐにでも頭の中から削除したい黒歴史シーン。
視線の先にあったのは、巨大な魔物の影だった。鱗のような皮膚、ぐねぐねと蠢く無数の触手に人間の上半身。直感的な恐怖が胸を締めつけた。
「この匂い……魔力……甘い、柔らかい……」
低く、湿った声が空気を震わせる。
ヒロインは確か、この魔物の粘液で服を溶かされて……
「こ、来ないでっ……!」
私は叫び、魔力を集めようとした。けれどその瞬間、頭に浮かんだのは、あの言葉。
(“君の魔力は危険すぎる”って……!)
レイ王子もノクスも心配してた。
私の“チート級”の魔法は、もうこれ以上、簡単には使えない。周囲に知られれば、私は学園にすらいられなくなるかもしれない――!
触手の先端が頬に、唇に這い寄る。その意図は明らかだった。ぞっとするほどにいやらしい、魔力を吸いながら快楽に絡めとる“誘惑型”の魔物。女好きで、男には見向きもしないタイプ
――夢小説ではヒロインが襲われかけて、ヒロインのペアが助けに来る流れだったはず。
(なんで……どうして私が……!?)
ぽたり……と緑色の粘液が制服に落ちる。
そしてジュゥゥと音を立てて服が溶けていく。
いくら触手を魔法で吹き飛ばそうとしても、理性がそれを止める。だめ、魔法を使ったら……また怒られちゃう。
だから私は、ただ叫ぶしかなかった。
「いやぁぁぁっ!!」
その瞬間だった。
世界が、白く焼けた。
眩い閃光。魔力が暴発した――私の感情に呼応して、制御を超えて。触れていた触手が、一瞬にして蒸発するように灰となった。
魔物の雄叫びが響き、次の瞬間――ズシン、と大地が揺れた。
「……っ、な、なに……?」
頭上から、信じられないほど巨大な影が降ってくる。焼き焦げた魔物の死骸の向こう、樹々をなぎ倒して現れたそれは――
黒い翼。鉤爪の脚。禍々しいまでの魔力を纏った“悪龍”。
「なん、で……龍……?」
これ……ラスボスの一つ前のイベントで……ヒロインが対峙する黒いドラゴン?
私の魔力に反応して、呼び寄せてしまったのだ。
そのとき、木々の向こうからノクスの声が聞こえた。
「アネットッ!!」
けれど、遅かった。
悪龍は威嚇もせず、ただ無感情に尾を振るった。その一撃が、駆けつけたノクスを吹き飛ばす。
「ノクス……っ!!!」
彼の身体が宙を舞い、木に激突して倒れる。返事はない。
震える足。声にならない叫び。あのノクスが、一撃で……!
私はその場に崩れ落ちた。
そして――物語は、次の運命に進み始める。




