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21 危機感ゼロのお嬢様と、限界寸前の騎士

 夜の帳が降りた寮の一室。私は魔法のランプをともすと、深呼吸をしてノクスが来るのを待った。


 さっきの庭での出来事──ノクスがあんなに険しい顔で桜子に首を振っていた。何かの合図? いや、絶対にあれ、ヒロインに恋するイベントだよね!?


「よし、これは一度聞いておかないと……私の破滅フラグが立つ前に、止めねば!」


 軽くノックの音がして、すぐにドアが開く。


「用ってなんスか……こんな夜中に、しかも部屋で、二人きりって……危機感はねぇのかよ」


 呆れたように眉をひそめるノクス。なのに、ちゃんと来てくれるところが彼のいいところだ。


「ねえノクス、桜子のことだけど──」


「は、またそれかよ……」


「ねえ、本当に気になってるの? 彼女、すっごくいい子でしょ? 可愛いし、優しいし、それに──」


 私は夢中で話しながら、着替えの準備を始めた。着替えといっても、背中向けてれば平気でしょ……と勝手な判断。


「……あ、ごめん、ノクス。ちょっと着替えるから、後ろ向いててくれる?」


「……は?」


 さすがのノクスも一瞬フリーズする。


「大丈夫! すぐ終わるから!」


 ノクスは弟みたいなものだし。


「……マジで冗談じゃねぇって」


 ノクスは低くぼやきながら、仕方なく背を向けた。だが、微かに耳が赤くなっているのは、私の見間違いじゃない……よね?


「あー……もう桜子といい感じだったら、ちゃんと教えてよ。応援するから! ほら、女の子が惚れるイベントはだいたい”助けてくれたとき”か”守ってくれたとき”じゃん?」


 私が無邪気に語り続ける間、ノクスは背を向けたまま、ぎゅっと拳を握っていた。


(……ふふ、やっぱこの世界、私の夢小説だったんだなあ)


 アネットの中だけでは、すべてが順調なはずだった。


「でね! 思ったの!」


 私は制服のブラウスのボタンを外しながら、ノクスの背中に向かって語りかけた。


「ノクスにはね、ちょーっと強引さが足りないの!」


 私の夢小説が原作なら、ご都合主義なシーンも、ちょっと自主規制かけたくなるようなシーンもあるわけだし。ノクスには存分に利用してもらわないと!


 肩から脱ぎかけたブラウスをひょいと持ち上げ、ソファの背に掛ける。そこには、ノクスがさっきからぎこちなく腰かけていた。彼はずっと私に背を向けたまま。


「だってさ、レイ王子の想い人だからって、遠慮してちゃダメじゃない?」


 私はキャミソールの肩紐に手をかけながら満足げにうなずいた。


「ちゃんと自分の気持ちをぶつけなきゃ!  恋愛は勢いだよ、勢い!」


 ポイ! と脱いだキャミソールをソファに投げ掛ける。


 本気で心配してるのに、返事がない。あれ? と思ってふと振り向くと──ノクスの背中が、わずかに震えているように見えた。


(……あれ、寒いのかな?)


「ノクス……?」


 私は首を傾げながら、ノクスの横にまわって顔を覗き込み、ソファにかけた服に手を伸ばす。


 ──その瞬間だった。


「ッ……!」


「え──っ、きゃ……!?」


 手首が、強く掴まれる。力強く、けれども傷つけることなく。振り返る間もなく、そのままソファへと引き寄せられ、背もたれに押し込まれるようにして距離がゼロになった。


「──自分の気持ちを、ぶつけろ……ねぇ」


 低く、擦れた声。


 ノクスの顔が、こんなに近くにあるなんて、思ってもいなかった。星のような黄色の瞳が真っ直ぐ私を捉えている。怒ってる……いや、違う。もっと深くて、どうしようもない衝動みたいな……熱。


「あんた、本気で言ってんのか?」


「え……な、なにが?」


 私は慌てて身を引こうとするが、ソファに押し倒されていて逃げ道はない。手首はノクスに掴まれたままで、もう片方の手が、私の腰をぐっと抱き寄せた。


 やだ……私、今……下着とスカートだけって、なんて格好……


「気持ちぶつけろだ? 遠慮すんなだ? ……どの口が言ってんだよ。どれだけ俺を振り回してるか、分かってねぇくせに」


「ちょ、ちょっとノクス!?  ち、近っ──」


「わざとなのか? それとも……本当に気付いてねぇのか?」


 耳元に落とされる低い囁きに、私は反射的にビクンと肩を震わせた。


「俺をこんなにしたのは……あんただからな」


 ノクスの指が、私のブラ紐にかけられると、心臓が跳ねた。


 ──え? え? なにこれ、どういうルート!?

 もしかして……これは……まさか……


(えっ、ここで急展開とか……ちょ、ちょっと待って、ノクス!?)


 ご都合主義すぎて、もう物語が壊れかけてる気がするけど……


 ──これ、知ってる……

 ヒロイン×ノクス、初めての濡れ場の一歩手前……


 私の頭は、ノクスの熱を帯びた吐息と、その強く抱き寄せられた腕の感触で、思考停止寸前だった。


 ノクスの瞳が、獣のように細められる。冷たい琥珀の色が、今だけは熱を孕んでいる。


 ヤバいヤバいヤバい……この後、ヒロインとノクスは初めてなのに余裕ない感じの独占欲まみれのエッ……


「なぁ……なんでそんなに無防備なんだよ」


「へ……っ?! 無防備ってなにが。私は別に普通──」


「こんな夜中に男を部屋に呼んで、平然と着替えて。こんなカッコで。なぁ、俺のこと、誘ってるんスか……?」


 ノクスの体温が、ぐっと近づく。もう片方の手首まで掴まれ、さらに距離が縮まる。


「……あんたに言われた通り、ぶつけていいんだな? “強引さが足りない”んだろ?」


「え、あの、まってノクス? え、なにその目……」


 喉がからからに乾く。私、まさか、地雷踏んだ?


 なんで私に対してこんな……



 ノクスの左手は、私の両手首を掴んで頭上で固定する。

 そして右手は私の腰に回される。


 そのまま、ぐっと力を込められて──私は、ソファに背中を押し付けられた。

 ノクスの体が、私の上にかぶさるように覆いかぶさる。心臓の音が、うるさすぎる。


「や……っ、ちょ、ちょっとノクス……これ、近い。すごく近い……」


「当たり前だろ。……そういう距離にしてんだからよ……」


 吐息が耳に触れ、喉を這い、鎖骨のあたりで止まる。

 触れてはいないのに、全身がピリピリと熱を帯びていく。


「アネット。……俺を、男として見ろよ」


「え、ちょ……無理、いきなりそんな、ちょ、ま──!」


 私、夢小説のヒロインみたいに、このままノクスとしちゃうの……?


 喉が鳴る。視線を逸らすこともできない。ほんのわずかでも動けば、唇が触れてしまいそうな距離。


 私は、完全に動けなくなっていた。


「ノ、ノクス……?」


 問いかける声はかすれて、まるで誰か他人のものみたいだった。


 だって──

 ノクスの目が、本気だったから。

 ずっと私が知ってた“弟のような存在”のノクスじゃなくて、あの、ヒロインにだけ見せる“一人の男”としてのノクスの顔だったから。


 緊張で心臓が跳ね上がる。なのにノクスは、ふっと目を細め、短く息を吐いた。


「──……なんてな」


「……へ?」


 拍子抜けした声が出た。

 次の瞬間、ノクスはあっさりと体を離し、掴んでいた手首を優しく解いた。


「……こんなこと企む男もいるんスよ。だから、もうちょい危機感持てよ。お嬢様」


「……な、なっ……!!」


 頭が真っ白になった。


 今の、全部──冗談?

 なっ、なにそれ! 最悪最悪最悪! 恥ずかしい! ヒロインとノクスの初めてのあのシーンを自分に当てはめちゃうなんて……


 顔が熱い。意味もなく口を開いて閉じて、でも何も言葉が出てこなくて、ただその場に座り込んでいることしかできなかった。


 ノクスは、いつもの無愛想な顔に戻って、ソファの背にかけられた服をそっと手に取ると、私の膝に置いた。


「早く服着ろよ。後ろ向いてるから」


「え、あ……う、うん。ありがとう……」


 精一杯の声で答えたけど、耳まで赤くなっているのが自分でも分かる。鼓動は早鐘みたいに暴れているし、どうしようもなく手が震えていた。


 ──冗談って言ってた。

 でもあの距離、あの目、あの声……


「……ノクスって、ずるい……」


 ぽつりと漏らした声は、自分でも気づかないほどに、少しだけ掠れていた。


 胸の奥に、小さな波紋が広がっていく。

 その波紋は、どうなるのか……


 ……まだ、分からない。


 でも、分かったのは一つ。

 この物語は──


 やっぱり全て私の夢小説だってこと。


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