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15 この世界の歪み

「……なあ」


 静かな医務室の空気を切り裂くように、ノクスの声が落ちてきた。私はまだベッドの上、さっき見た悪夢の余韻で心臓がざわざわしている。


 でも、ノクスの表情はそれ以上に穏やかじゃなかった。


「なんで、あんたはあの女と……王子をくっつけようとしてんだ? それに……俺にまで、彼女を薦めようとしてんだろ」


 その目は、穏やかな騎士のものではなかった。迷いと苛立ちと、ほんの僅かな……傷つきが滲んでいた。


(あ……しまった、また、変な方向に空回りしてた?)


 だってさっき、桜子の話をした時……ノクスの視線が動揺するように泳いでた。


 だけど、それよりも私の中には確かな"確信"があった。前世で何度も目にした、あの二人の未来。王子とヒロイン、そしてノクスとヒロイン。


「だって……すごく、素敵だったの」


 これは私が書いた夢小説の世界。

 私が原作なんだよ?


 レイ王子もノクスも、ヒロインに惚れる設定で書き上げたんだから。そうなるに決まってるじゃない。


 私はそっと口を開いた。まるで昔の夢を語るみたいに。


「桜子とレイ王子が惹かれ合っていく過程も、運命のようで。レイ王子の冷たい氷が、彼女の優しさで少しずつ溶かされていく感じが、すごく良くて……」


「は……?」


 呆れた様子で言葉を失っているノクスのことなど構わずに、さらに語り続ける。


「それに、ノクスと桜子の組み合わせもエモいの! 桜子はレイ王子の想い人だから距離を置こうとするんだけど、でもだんだん気になっていって……っていう、あの感じがもう、たまらなくて……!」


 気づけば語っていた。思い出に浸るように、嬉々として。


 けれど――ふと、目の前のノクスの表情に気づいて、私は言葉を飲んだ。


 沈黙。まるで、空気が固まったように重い。


「……俺の、気持ちはどうなんだよ……」


 ぽつりと、こぼれたノクスの声は、掠れていた。


「え?」


「……いや。なんでもねぇ」


 ノクスは俯いたまま、短く言った。けれど、その声は明らかに、いつもの落ち着いたものとは違っていた。


「ノクス……?」


「本当に、なんもねぇよ。あんたこそ、休まないと」


 小さくため息をついたその顔には、もう何も浮かんでいなかった。まるで仮面のような、騎士の顔。


 それが、どうしようもなく胸をざわつかせた。


(……私、また何か、間違えた?)


 だけど、何がいけなかったのかは、まだ分からなかった。


 私はただ――"物語の正解"に導こうとしていただけなのに。


 部屋には静かな沈黙が満ちていた。さっきまで見た悪夢の余韻もまだ残っていて、ドクンドクンと鼓動は落ち着かない。


「ねぇ、ノクス。あなた、気になる人とかいないの?」


 ベッドの上から身を起こし、何気ない風を装って尋ねたつもりだった。だが、ノクスの眼差しが一瞬揺れる。


 ノクスに尋ねたのは、ほんの軽い気持ちのつもりだった。けれど、彼の答えは想像よりも真剣で、胸の奥がくすぐったくなるような、不思議な感覚が走った。


「……まぁ」


 その一言に、私はぱっと顔を輝かせる。


「やっぱり! ノクス、さっき桜子の話をした時、目を逸らしてたでしょ? もう心を奪われたの? 気づいてないと思った? 私は気づいてたわよ!」


 嬉しくて、声が弾んだ。順調、順調。これでまたヒロインのノクスルートが進んでる。私の計画、大成功。


 ――そう、思っていたのに。


 ノクスが、無言のまま、ゆっくりと私に近づいてくる。


「ノ、ノクス?」


 あまりにも距離が近い。ふいに背筋がぞわりとした。私はベッドの端に逃げるように身を引いたが、それを許さないように、ノクスの指がそっと私の手を取った。


 そのまま、静かに、けれど逃がさない強さで握られ、引き寄せられる。


「なんで……他の女を勧めんだよ」


 低く、かすれるような声。けれど確かに怒っているのが分かった。いや、怒りというより、もっと深くて、どうしようもない感情。


「俺が、誰を見てるかなんて……全然わかってないんだな」


 ノクスの視線が私を貫いた。その瞳に宿るものが何なのか、私にはまだ言葉にできなかった。でも、それが軽い冗談や思いつきなんかじゃないことだけは、すぐにわかった。


 胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。


 え……え? なにこれ、こんなシーン書いてない。

 ノクス、怒ってる……?


「ノ、ノクス……?」


 彼の視線を受け止めきれず、目を逸らしそうになる。でも、逸らしたくなかった。逸らしたら、何か大事なものを見失いそうで。


「……もしかして……違う……の?」


 自分でも、何が「違う」のかよく分からないまま、そんな言葉がこぼれた。


 でも、ノクスはそれに答えず、手を離して立ち上がる。表情は、いつもの冷静な騎士に戻っていた。


「……なんてな。無理すんな、今は休め」


 それだけを残して、彼は部屋を出ていった。


 残された私は、ひとりベッドに腰を下ろし、何がどうしてこうなったのか分からず、胸のざわめきだけがいつまでも消えなかった。


 扉が静かに閉まる音がして、私はようやく深く息を吐いた。


 心臓が、まだ妙に早く打っている。なんだったんだろう、さっきのノクスの様子。あんなに真剣な目で見られると、息が詰まってしまう。言葉も出なくなる。


 それに……あの距離。あと少しでも近づかれてたら、顔が赤くなっていたかもしれない。いや、なってた。確実に。


 思わず頬に手をあてると、ほんのりと熱が残っていた。


 ううん! ダメよアネット。ノクスはヒロインのものなんだから。

 それに……私にとっては弟みたいな存在。前世の頃からずっと。それなのに……


「な、なによ……急に真面目な顔して……」


 ぼそりと呟いて、私はベッドに身を預けるように横になる。視界には天井の模様が映っていたけれど、まったく頭には入ってこない。


 ノクスが、誰かを好きだと言った。


 その誰かって、てっきり桜子だと思っていた。ヒロインだし、あの優しい笑顔もあるし、なにより彼女なら、ノクスの心を動かすには十分すぎるくらいだ。


 でも……。


 彼のあの言葉が、妙に引っかかっている。


 "他の女"って、桜子のことだよね……? ってことは、気になる人は他にいるってこと?


「ううん。そもそも、ノクスがヒロインじゃない子を好きになるわけがない……」


 私はぽつりと呟いた。確信に満ちた声で。


 だって、この世界の構図はそうできている。桜子がヒロインで、ノクスはその一人の攻略対象で、彼女を守って、惹かれていく立場。感情が芽生えるのは、当然彼女に対してのもののはず。


 そのはず、だった。


 ……だったのに、どうして、あんなに目が苦しそうだったんだろう。どうして、あんなに真剣な目を私に向けたんだろう。


 分からない。全然わからない。


 私はただ、ストーリーを正しく運びたかっただけ。自分が破滅しないように、ヒロインに恋愛イベントを重ねてもらうように。


「……私、ちゃんと……やれてるのかな」


 そうぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほど弱々しくて。思わず、ぎゅっと胸のあたりを押さえた。


 ノクスの声が、瞳が、まだ頭から離れない。


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