11 フラグ横取りは重罪ですか?!
今夜の私は忙しい。
何しろ明日は入学式。ヒロインとレイ王子が運命的な出会いを果たす、乙女ゲーム最大のキックオフイベントだからだ。
だというのに。
「王子の登校時間を三十分遅らせる必要があるわね……」
私はベルフェリア家の自室の机にかじりつき、ひたすら“ヒロインとレイ王子をくっつけるための恋愛誘導計画”を埋めていた。魔法の練習? そんなことしてる暇なんてない。
「校門前……人通りが程よくあって、視界も良好……」
人の目があると、他の人からもお似合いだと祝福されやすい。
王子が登校する道順、ヒロインが割り当てられた寮の位置、出発時間から逆算された経路、ぶつかる角度に至るまで、あらゆるデータを分析している。
これはもはや恋愛ではなく、戦術。戦略的恋愛誘導だ。
「この角を曲がった瞬間に正面衝突して、王子の腕の中にヒロインが――うん、完璧!」
王子とヒロインが恋に落ちれば、私と王子の仮婚約は自然に解消される。破滅エンドも回避できる。これは正義。私の未来のため!
私はペンを止め、少し遠い目をした。
ヒロインの見た目は、淡い桃色の長い髪、大きな瞳、清楚で可憐で、平民だけど誰よりも強くて優しい、最強ヒロイン。
「……負ける気しかしない」
そっとため息をつき、ノートを閉じる。
「よし、完璧。あとは明日、王子を遅らせて、校門前で出会わせるだけ……」
――が、その“あとは”が、最大の誤算だった。
◇ ◆ ◇
翌朝。
「やばーーーーーーーーい!!」
日が昇りきった部屋で、私は大声を上げてベッドから飛び起きた。
「なんで目覚まし鳴ってないの?! ちょっとコフィ! 起こしてよ!」
ノートが散らばったままの机、くしゃくしゃのシーツ、寝癖がついたままの髪。
そんなものに構っていられない。
制服に袖を通し、髪を適当にまとめ、玄関の階段を全力疾走して馬車に乗り込む。
「間に合えぇぇぇえええっっ!」
◇ ◆ ◇
学園の校門が見えてきたその瞬間。私は馬車を降りて、走って角を曲がった。
――ドンッ!
「きゃっ……!」
誰かと激突した。いや、ぶつかった、というより――
私の上に、誰かが倒れ込んでくる。柔らかくて、ふんわりと桃色に包まれた――
私を見上げる少女は、まさしく“あのヒロイン”だった。
「……なんて、綺麗な髪の毛……」
咄嗟に、私はその髪を指先で掬っていた。
その言葉は、私がプレイしていたゲームの中で、王子がヒロインに出会ったときの第一声と、まったく同じだった。
「え、あの……ありがとう、ございます……」
ヒロインは、戸惑いながらも顔を真っ赤に染めてお礼を言う。
(……え? 待って、なんで私がこのセリフ言ってるの? 王子が言うはずだったのに……)
頭が真っ白になりながら、私は地面に正座しそうな勢いで土下座をかました。
「ご、ごめんなさい! 違うの! これは事故であって……いや事故だけど、事故じゃなくて……!」
……初対面でこんなに混乱してるの、私だけだと思う。
──こうして、“恋のフラグ”は大きく予定外の方向に傾き始めたのだった。
ヒロイン――ゲームの初期設定であれば、名前は"ミレーユ"
私があの事故(という名の激突)で倒れ込んで以来、なぜかこちらをちらちら見てくる。
その後、入寮手続きが終わり、荷物を置いたあと、入学式が始まるまでの間、寮の中庭でひとり作戦ノートを眺めながら頭を抱えていると――
「……あの、ベルフェリア様、ですよね?」
声をかけてきたのは、当のミレーユだった。
「わたしは、桜子と申します……ベルフェリア様に用があって……」
――え、桜子って……私の本名……
そ、そっか、ここは私が作り出した、ル魔恋を元にした夢小説の世界……ヒロインが原作のデフォルト名なわけないか。
って……
「わ、私!? あ、はい! アネット・フォン・ベルフェリアです!」
思わず正座で名乗ってしまいそうになった。
第一印象が完全にマイナスからのスタートだったから、せめて好印象を取り戻したい。
「さっきは……すみませんでした。わたしが前を見ていなかったから……それに、髪の毛、綺麗って……言ってくださって……その……うれしかったです」
恥ずかしそうに頬を染めるヒロイン。
可愛い。完璧に可愛い。さすが、ゲームの世界を救う大本命ヒロイン。
(レイ王子……早くこの子と運命の出会いを……!)
私はいてもたってもいられなくなり、咄嗟に話題をねじ込んだ。
「ちなみにですが、レイ・アルベルド・リュミエール王子ってご存知ですか?」
「え……? あの、王子様……ですよね? お会いしたことはありませんけど」
「そっかそっか! 実はですね、あの方、優しくて頭も良くて、努力家で、ちょっと不器用なんですけど、それがまた良くて、しかも魔力適性も高くて将来有望で、たぶん生まれ変わってもいい男です!」
「……え?」
「それに背も高くて、髪の色も日差しの下だと金色に見えるんです! あと、わたしが知ってるかぎり、彼はヒロイン――いえ、好きになった子にはすっごく一途で、守ってくれて、あと――」
「……ヒロイン?」
「うわ、今のなし! でも、レイ王子の良さって語り尽くせないんですよ、本当に素敵で! だから、もし彼と出会う機会があったら、ぜひ恋に落ちていただきたいというか、落ちてください!!」
「え、えっと……」
困ったように笑うヒロインは、少し戸惑っているようだった。
「その、王子様は素敵なんでしょうけど……わたしは、まだここの生活にも慣れていませんし、誰かとそんな風に……その……」
「えっ……あっ……ですよね?! はい、すみません、なんか勢いで……」
(しまった、空回った!)
私は心の中で派手に転倒していた。
これじゃあまるでカップリングの布教をしているファンだ。……いや、あながち間違ってはいないけれど!
「でも……ベルフェリア様って面白い方ですね」
ヒロインは、ふふっと笑った。
それはなんだか、ゲームで見た時よりも柔らかくて、あたたかくて――
私の脳内に、新たなエラーメッセージが点滅し始めた。
(えっ……もしかして……私、レイ王子とヒロインのフラグ、横取りしちゃつた?)
予定外にもほどがある。
「私! さ、桜子さん……の恋路の邪魔は絶対にしないと約束しますから! 気になる殿方が見つかった場合、いつでも相談してくださいね!」
うわぁぁ、ヒロインが自分の名前かぁ……
すっごい呼ぶのに抵抗ある。ってか桜子さんって……この世界観に合ってないよね。
「え……は、はぁ……」
ヒロインは困ったように眉を下げながら返答する。
うわ、困ってる顔も可愛い……。
「あの、ベルフェリア様。わたしのことは桜子とお呼びください。それに……ベルフェリア様は身分の高いご令嬢です。どうか、わたしなんかに敬語は使わないでください」
で、でも……私だけタメ口で呼び捨てだなんて……なんだか威圧的に感じさせちゃうんじゃない……?
まぁ、ヒロインが私に敬語使わせてる。とか周りが勘違いしたら、あらぬ誤解を招きそうだし……ヒロインの言う通りにするしかないよね。
「分かったわ、桜子って呼ぶことにするわね」
威圧的にならないように気を付けながら微笑むと、桜子はホッと安心したような柔らかな笑顔で微笑む。
本当に絵になる……
さすがヒロイン。
私なんかの名前でごめんね……




