10 国家機密レベルの極秘ノート
ベルフェリア邸・応接間。
私は、湯気の立つ紅茶の香りもスコーンの甘さも上の空で、目の前の二人から明日ヒロインが引き起こすであろう"レイ王子ルートのトリガー"情報を引き出すことに集中していた。
「……それで、その入学式の代表挨拶をする“平民の子”って、どんな子なんですか? 名前は? 髪色は? 声はどんな感じですか?」
「アネット、それもう十回は訊いてるよ。僕は彼女のことを深くは知らないよ」
レイ王子が少し苦笑交じりにカップを置く。対する私はペンを走らせながら、至って真剣。
深く知らないだなんて白々しい……これから嫌という程知っていくくせに……。
「念には念を入れておきませんと。恋の始まりって、些細なきっかけから始まるものですし!」
横に座っているノクスが、紅茶を啜るふりをして視線を逸らした。その耳がわずかに赤いのは気のせいだろうか。
「それで、アネット。明日の入学式、王族は一般生徒と席を別にするけど……僕とアネットは隣の席でいいかな?」
(レイ王子とヒロインの出会いは入学式……平民なのに代表挨拶をするヒロインに、レイ王子は興味を持っていた設定……ってことは……)
「……。――そのノートは?」
「え、これですか? ええと、その、魔法の知識をメモしているもので……」
「……魔法の知識?」
「はい! 計画と戦略と理論を綴ったものです!」
堂々とした笑顔で宣言すると、レイ王子は一瞬黙り込んだ後、目を細めて笑った。けれど、それはいつもの柔らかな笑みではなく、どこか――観察者のような。
「ふーん、そうなんだ。随分と熱心だね」
何か含みのある言葉。でも、今の私はノートのことで頭がいっぱいだ。
「もちろんですとも! 明日は接触機会を増やせるように、可能なら隣の席を――」
「アネット」
唐突に名前を呼ばれて、私は顔を上げた。レイ王子の表情は穏やかなままだが、その声はどこか探るようだった。
あ、やば……つい接触機会とか言っちゃった……
「さっきからずっとメモを取ってるけど……僕の質問、聞いてた?」
「……はい!聞いてますとも!レイ王子の恋愛の邪魔はしませんから!」
「……いや、そういう話じゃなかったけど」
ぽかんとした私に、レイ王子とノクスが同時にため息をついた。
「ノクス、これどう思う?」
「さあ。……たぶん本人は真剣なんだと思います」
「……だね。真剣すぎて、逆にすごい」
おかしい。なんでふたりとも困った顔してるんだろう?私はただ、平和的にフラグを回避したいだけなのに。
「ノクス、助けてよぉ……」
「……俺は、何も見てません」
即答。完全に他人のふりだ。ノートの存在すら視界に入ってないことになってる。
レイ王子は苦笑を浮かべたまま、それ以上は何も聞いてこなかった。
追及されなかったことに、私は心底ホッとした。が、同時に気づいてしまう。
あれは――“泳がされてる”顔だ。
(まずい……入学式当日の動きが読まれてる可能性ある……!)
そして私は、そっと胸元に手を当て、決意を新たにした。
――絶対にノートの存在だけは、知られてはならない。
これは恋愛フラグ誘導用の、極秘戦術書なのだから!
「――少し失礼。父上からの使いで、書類を取りに行ってくる。すぐ戻る」
レイ王子はそう言い残し、コフィに促されて応接間を後にした。
一瞬の静寂が流れる。
私はそっと安堵の息を吐いた。
さっきの追及、完全に怪しまれてた……でも、なんとか誤魔化せた。多分。
(よし……レイ王子にノートの内容は見られてない……はず)
「……あのさ」
その低い声に、ビクッと肩を震わせた。
静かにノクスが、真っ直ぐとこちらに歩いてくる。
「……な、なんでしょう」
「“ヒロインとレイ王子をくっつけるための恋愛誘導計画”って、なんのことッスか?」
「……え゛っ」
がっつり読まれてるゥ――!!
そっか、ノクスは王子の向かいの壁際に……つまりは私の後ろに立っていたから、ノートの内容が見えてたのか……!
「ち、違うの! あ、あれは、その、もしも、万が一、王子が誰かに恋をしたときに! それを全力で応援するための、心構え的な……!」
「へぇ。ずいぶんと詳細な“心構え”じゃねーか。相手の性格予想から、出会いのシチュエーションまで、びっしり書いてあったよな」
(びっしり読まれてるゥゥーーー!!!)
「仮とはいえ王子の婚約者が、それを“計画”として実行しようってのは、正直……」
少し言いよどむその声音が、妙に現実味を帯びていた。
「……そうだよね! でも、本当に王子が恋をしたら、応援したいって思ってるの! ただそれだけで……! 邪魔するつもりなんて微塵もない!」
ノクスが低く囁くように言葉を紡ぐ。
「あんたと王子の婚約って、仮だったんッスね。正式に結婚するつもりなら、こんなノート、書かねーだろ」
「え、ええと……それは……!」
ごまかそうとする私をじっと見て、ノクスは一歩近づいてくる。
ノクスはぼそりと呟いた。
「……正式じゃねーのか」
「え?」
彼はすぐに目をそらし、表情を戻す。
「いや。確認しただけッスよ……」
その声に、ほんのわずかに揺れた感情がにじんでいた。
けれど、それを自分で打ち消すように、彼はすぐにきびすを返す。
「俺は王子の騎士だ……その立場を絶対に守るつもりだから余計なことは言わねーよ。ただ……」
俯きがちに言ったその言葉が、やけに静かに響いた。
「……そのノートのこと、王子には黙っておく。ただ、あんたが変なことをしたら――俺が止めるからな」
「ホント?! ノクス優しい! 大好き! って、何も変なことしないよ?! ただヒロインと王子が恋に落ちればハッピーじゃん! 何も問題ない!」
勢いのあまり、ノクスに抱きつき、頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ッ……! 近ぇんだよ! つか、“恋に落とす計画”自体が問題なんだよ」
「……ぐぬぬ」
私は内心で反論しながらも、ノクスの警戒するような視線に、しぶしぶうなだれるしかなかった。
(くっ……この戦場、敵はヒロインでも王子でもなかった……ノクスだ……!)
――まさか、“レイ王子×ヒロイン計画”の一番の障害が、身内にいたとは。
ってか、ノクスもヒロインのことが気になってるのかな? こんなに厳しく私の事監視してくるってことは……レイ王子とヒロインルートだと困るってこと?
でも、ノクスとヒロインルートになっちゃうと、私はレイ王子と婚約したまま処刑されちゃうし……どうせなら私は恋愛とは無縁でいたいからなぁ。
だから、レイ王子とヒロインが恋に落ちて、私が笑顔で婚約者の座をヒロインに譲る。そしたら私は晴れて恋愛とは無縁の生活が再スタート!
これが最適解じゃない?!
あーもう早くっ! レイ王子がヒロインに出会わないかな……




