枝話「木村は今日も真面目に働く」
海鳴の生活指導の一人、木村は大きく息を吸った。
たまたま問題が重なり、保護者がいたり呼ばれたなどで関係者が集まっている。だから今日、一気に片をつけた方が楽だ。
両校がそれぞれ行った聞き内容と調査結果を取りまとめと、防犯カメラのチェックを済ませ、書類を作って軽く打ち合わせていざ決戦。
学校は中立ではあるものの、被害者軽視をすると『弁護士』と『広告代理店の営業』である保護者が絶対に容赦なく牙を剥く。
それなりに知名度のある聖廉吹奏楽部と海鳴野球部に火の粉が降りかかることは避けたい。
加害者を追い出して終わり。それでは『生徒に寄り添い卒業生に豊かな人生を』という両校の理念に反する。
対応を間違えると炎上する。木村はネクタイを締め直して微笑んだ。
彼はこういうスリルをわりと好んでいる。目的を達成できたときの満足感が最高だからだ。
★
会議室の中央は学校関係者。被害者と加害者は左右に分かれてもらい、保護者はその後ろ。
父親の申し出で問題の原因、藤野颯は別室で待機している。
海鳴が解決しようと本格的に動き出した自校の生徒への誹謗中傷とストーカー問題は、聖廉のイジメ問題にすり替わった。
イジメといっても序の口というか、一歩手前といった状況だ。
相澤琴音の突き落としが故意でなければ——ではあるが。
書類を配って全体を軽く観察。
聖廉の教師から、天宮香織の母親は状況を理解できずに娘の悪いところを受け入れられていないと報告を受けている。
そんな彼女は、書類に目を通しながら青ざめていった。夫とは連絡が取れない。そのことは気になっている。
小笠原智紀は愕然とした様子で、学校が呼び出した彼の父親はため息混じり。
相澤琴音の母親は、書類に興味がないのか礼儀正しい姿勢で天宮香織の母親を睨みつけている。
もう弁護士を用意していて、さらに藤野颯の父親も隣にいるので、この合同会議のラスボス状態。
問題の原因のもう一人、高松小百合の両親は困り顔で書類を見ながら娘の様子を気にかけているから、相澤朝子の存在感が増している。
彼女に主導権を握られたら終わりだろう。
『生徒たちはもうすぐ成人。社会へ出る前に学ばせましょう』という言葉を盾に、保護者を一歩後ろに下げることに成功して良かった。
書類には状況説明と各自の主張、学校が提案する解決策をいくつか記載してある。
両校が共に最大の被害者だと定義した、相澤琴音に最大限寄り添った内容だ。
彼女の母親は弁護士を用意して無言の圧力をかけてきたけど、学校に対してあれこれ言わずに、娘に「どうしたいか」を語らせたらしい。
親が守ってくれるという安心感があるからか、相澤琴音は聖廉教頭に、わりと落ち着いた様子で気持ちを吐露したと聞いている。
全体を観察しながら挨拶をして、司会を始めた。
「話し合いは心理的負担が強いでしょうから、こちらで解決策をいくつか考えさせていただきました」
日々、友人を悪口から守り、同期と共に他の部へ働きかけていたところに階段転落事件。そんな相澤琴音に一番初めに語らせるのは酷なこと。
天宮香織は今も不服そうな表情なので、自分を相変わらず被害者だと思い込んでいそうなので論外。
裏取りしなかった甘さが自分の立場を悪くしたが、騙されていたような小笠原智紀は問題の蚊帳の外。
友人たちという防波堤で、イジメ手前になっていることに気づいていなかった高松小百合は落ち着いて見える。最初に話しかける相手は、彼女が一番無難だろう。
「先生の皆様、本日は休日なのにこのように誠実に対応していただきありがとうございます」
沈黙を破ったのは、木村が指名する前に口を開いたのは相澤琴音だった。
背筋は伸びているが、うつむいて机をじっと見つめている。書類はもう折り曲げている。
「いえ、大切な生徒たちのことですから当然のことです」
「配慮されて接触不可だと、これからの学校生活が気まずいのでしなくていいです」
相澤琴音の声は震えているが力強い。
「他の同期に『突き落とされたと思った』って、そのくらい嫌いって言いいます」
彼女は顔を上げてキッと天宮香織を睨みつけた。
応戦するなと心の中で願ったけど、天宮香織は『言いがかりだ』というような表情で睨み返した。
「だから、私は助けようとしたんです。言いがかりはやめて下さい」
木村は判断をミスったかもと心の中で額に手を当てた。
ここに親が口を出したら収拾がつかなくなるので、手と目で保護者たちに『見守ってみましょう』と伝えてみる。伝わりますように。
「私がどう思ったかだから言いがかりじゃないです。助けてくれようとしたとしても、私のことを嫌いな人だからそうは思えなかったって言います」
「被害妄想を広めようだなんてやめて下さい」
「やめません。天宮さんが小百合さんにしたことと同じです。自分の時はやめてなんて虫が良い話です」
凛としていた高松小百合が、オロオロした顔で二人を見比べ始める。
「やめてよそんなこと! 私は事実を話しただけで、そっちは嘘を広めようとしてるんだから同じじゃないよ」
天宮香織は立ち上がりそうな勢いで叫んだ。
大人しそうな見た目と違って感情的になりやすいという報告通り。
「私も事実を話すから同じです」
「私が突き落としたなんて言いがかりで嘘だからやめてって言ってるの!」
「突き落としたじゃなくて、突き落とされたと思うくらい怖くて嫌だったって言ってるの。だから嘘じゃない。私の感情は天宮さんには決められないから否定しても無駄だよ」
相手の主張を理解したのか、相澤琴音の圧に気圧されたのか、天宮香織は押し黙った。
ますます声を震わせると、相澤琴音は目に涙を溜めながらながらさらに続けた。
「先生。部内同士の揉め事みたいに、部活同士の軽い揉め事にして下さい」
「先生、私は……」
天宮香織の言葉を、相澤琴音の静かで震えた声が遮る。
「天宮さんを信じて味方した人たちに、そこの小笠原さんみたいに理解させて下さい。事実を確かめないで悪口を吹聴することは悪いことだって」
相澤琴音の背後で、彼女の母親が口元に拳を当てて口角を上げた。娘に何か入れ知恵したのだろう。
「友達を騙したり、優しい小百ちゃんを沢山悪く言って許さない。藤野君に二度と近寄らないで」
名前を呼ばれた高松小百合はますます狼狽えている。
「許さないのはこっちだから。颯君に私の悪口を言いまくって邪魔してなんなの!」
この期に及んで天宮香織の認知はまだ歪んでいる。このことに軽い頭痛がした。
「先生、この件は親しい友人たちも巻き込んで説明して下さい。あと吹奏楽部二年の役員にも。天宮香織の反省を信じて様子見することにしたってことにしますから」
「相澤さん? 反省を信じてって、今の会話だとどう見ても信じていませんよね?」
落ち着いてというように、聖廉教頭はゆったりとした声を出した。微笑んでいるが顔色は悪い。
「彼女のことは全く信じていません。先生たちがすぐ誠実に対応してくれたので私は先生たちを信じます。親と先生で、悪いことをしない人間にして下さい」
相澤琴音の瞳はメラメラと燃えているように見える。
さっきの天宮香織に対する論破もそうだし、上手い手を使う生徒だと感心する。
「そうなんです。娘は『再犯防止』を一番望んでいますので、そちらの天宮香織さんにはぜひ、カウンセリングを。もちろん保護者も」
パンッと手を打って全員の意識を惹きつけたのはラスボス相澤朝子。こうなると……。
「カウンセリング? うちの子の頭がおかしいって言うんですか!」
天宮香織の母親が緊張混じりの怒り声を発した。
「それは差別的発言です。お母様にも、学びが必要そうですね。学校の顔を立てて被害届の提出は保留しますが親の対応次第で再検討します。退学依頼のことも」
誰かが何かを言う前に、相澤朝子は弁護士に喋らせた。
天宮香織の行動の何がどういう法律に違反しているのか、高松小百合と藤野颯のことも絡めて理路整然と語られる。
「助けようとした」という天宮香織の発言も、救助活動をせずに逃げるように去ったという事実が信憑性を乏しくすると宣言された。
助けようとした手の形と、押そうとした手の形は異なること、それは映像で証明されることも。
「娘が穏便にというので今回は処分保留でと嘆願します。藤野さんと高松さんは私に一任しましたので『藤野颯君への接触禁止令』も要求します」
テレビドラマで観る法廷にいる弁護士みたいだなと、木村は相澤朝子を見つめた。
彼女を下手につついたら、問題に油を振り撒くことになるから慎重にならねば。
相澤琴音が振り返って母親を見つめた。
「お母さん、藤野君に近寄らないでってこと以外は子供の喧嘩にするって決めたでしょう? 見守るって言ったのに口を挟まないで」
「あら、ごめんなさい。娘が可愛いからつい。天宮さんも娘さんが大事でしょうから、穏便に済ませましょう? それとも法廷闘争がよろしくて?」
天宮香織はなぜか萎縮していないが、母親は蛇に睨まれた蛙といった感じ。
「琴音さんのお気持ちは分かりましたし、学校からの提案と大きく変わりませんので、今の話で進めていきましょう」
司会——軍師を木村に頼んだはずの聖廉教頭が勝手に仕切った。思わず舌打ちしたくなる。
オロオロして、他校の教師に「どうしましょう」と助けを求めておいてちゃっかりしている。
「そうですね。では、本件は意図的に矮小化して、表に少し出すことで関係のある生徒たちの意識改革や問題解決能力が向上するようにしましょう」
悪い方向には進んでいない。相澤琴音の発言で失いかけた進行役を実行していく。
天宮香織は相変わらず不服そうだが、従うしかないと諦めたようで発言しない。彼女の母親は、法律を盾にされたからか完全に顔色が悪い。
相澤琴音と高松小百合、箏曲部と吹奏楽部の一部の問題についてはある程度道筋が立ったので終わり。
被害者側は、藤野颯の父親だけが残った。
穏便に終わらせたいと提案されて、学校側は不満はなく、彼は仕事で慣れているから残りの話はサクサク進んだ。
学校の一部の教師しか見られない場所に送られた誹謗中傷なので、その件は今回は大目に見る。
天宮香織による投稿内容はストーカーじみているので、エスカレートする前に接触禁止を発動。
天宮香織はこれを厳守し、彼女の親は監督責任を負い、学校は配慮する。
小笠原智紀の藤野颯に対する暴行は、煽ったのは藤野颯なので両成敗で手打ち。
どちらも一週間の部活動停止、課題付与、カウンセリングを受ける。
今日しておきたいことは全て終わり、合同会議はこれにて解散。
幼馴染に騙されたような形の小笠原智紀のメンタルケアなどはこの後、時間を作る予定。
その前にすること、未だ、自分は被害者みたいな面の天宮香織と藤野颯の仮交際についての後片付けに移った。
今夜、二人は約束通りに試しに下校した。たった一日で気が合わないと感じ、仮交際話は無かったことにする。
そんな案を考えていて、藤野颯の父親も同意見だったので、天宮側に同意を求めた。
「……気が合わないって、なんで決めつけるんですか? 話さないと分からないのに」
消えそうなか細い声を出した天宮香織に、少し寒気がした。
「先生が回収した書類に書いてあったように、うちの息子は君と交流して、嫌われようと考えていたんです。君の好意が迷惑だから」
止める間も無く、藤野颯の父親はキッパリと言い切った。
「私は颯君のために色々したのに、なんでそれが迷惑なんですか?」
「それはカウンセラーさんと学んで下さい。木村先生、彼女はこんな状態で息子と歩けますか? 息子がまた怒らないかも心配です」
「こんな状態ってバカにしてますか? なんで颯君が私に怒るんですか?」
教師になってかなり経つので、幾人もの変わった生徒の指導をしている。
天宮香織の認知の歪みやこの性格は、おそらく、家庭環境や家族との関係性に起因している。
聖廉は彼女を学校から放り出す方が楽だが、被害者はその道を望まず、学校の理念としてもそれを許さない。
藤野颯の父親は天宮香織に返事をしないで、木村をジッと見つめた。
「颯君が大丈夫ならまずこの場で彼女と話してみるのはどうでしょうか。藤野さんは息子さんと信頼関係を築けていますから、同席していただけると安心です」
「ええ。いきなり二人なんて無理があるので、お願いしたいです」
藤野颯の父親は、聖廉教頭の許可を取り、別室で待機していた息子を連れてきた。
藤野颯は面倒くさそうな、死んだ目をしている。
「あの、颯君。話を聞いて欲しいの。私は嘘なんてついてない」
天宮香織はすぐに発言した。彼女が一歩前に出たので、藤野颯は一歩下がった。
「木村先生、聖廉の先生、父に下校のことを聞きました。勝手な行動をして、尻拭いのために働かせてすみません」
頭を下げられたので、この場に相応しい言葉を選ぶ。生徒をより良い方向へ導くことが仕事だと。
「先生も親も疲れてて忙しいから、さっさと終わらせます。先生、俺らを連れてって下さい」
天宮香織は『対話』を求めたが、藤野颯は『拒絶』を選んだようだ。父親の入れ知恵か、本心か、どちらもなのか。
このままでは尻拭いがきちんとできなそうなので、別室に行き、聖廉教頭同席で天宮香織と彼女の母親に状況を理解させる時間を設けた。
海鳴としては、本来なら自校の生徒を二名も害した天宮香織について、聖廉にそれ相応の処罰を求めるところ。
しかし、被害者たちの『再犯防止』という希望を汲んで矯正を要求することに変えたと伝える。
「天宮香織さん。君が提示している『対話』は押し付けで、ボールを投げつけているだけです。おそらく、ご両親など身近な人間から学んだんでしょう」
「なんですかその失礼な言い方は。私の育て方が悪かったって言うんですか⁈」
「そうです。カウンセリングなどで自覚して改善していただきます」
このくらいのことは、聖廉教頭が言って欲しいものだが、彼女は事なかれ主義気味なので仕方がない。
他校とはいえ、海鳴と聖廉の創立は本校のためで、故にずっと密な関係だ。だからこうして、他校の問題だとしても踏み込める権限を有している。
「あなたまで私たちがおかしいって言うんですね。息子を通して、いい学校だと思っていたのに残念です」
「要求を拒絶するなら、和解は決裂として法的手段に切り替えられます。娘さんは退学の可能性もあります。罪から逃げずにしかとお考え下さい」
天宮香織の母親は、この場でも「それでは法廷で」みたいな話はしなかった。
ぶつぶつ文句を言いながら、自分だけでは決められないのにと愚痴り、今夜のことは仕方ないから従うと言った。さらに娘に「一旦丸くおさまるように、指示に従いなさい」と続ける。
母親の顔色をうかがっていた天宮香織は、その言葉に小さく頷きながら「はい」と消えそうな声を出した。
連絡が取れないらしい天宮香織の父親は商社マンなので、一筋縄ではいかないだろう。
事なかれ主義ではない職場なので、親も一緒に育てていくことになるからやり甲斐は倍以上。疲れるけど、この仕事は辞められない。




