枝話「藤野颯は謝りたい2」
年末に、同じ部活の友人たちが聖廉生に惚れていると判明。
春休みがやってきて、補講と部活で登校する俺たちの今日の話題もそのこと。
涼が「うだうだしてるなら俺が連絡先を聞いてくるけど」と一朗に向かって言ったので。
春の始まりの夜はまだまだ風が冷たい。
冷たい風が頬を撫でるたびに、心地よい寒さが全身を駆け抜ける。
「うだうだってなんだ。あのなぁ、いきなり連絡先を教えてくださいってナンパだぞ。教えてくれるわけがないだろう」
一朗は眉をひそめ、ため息をつきながら目を閉じた。
「そもそも俺のコトネちゃんに話しかけるな。惚れられたらどうする。やめろ」
一朗は不機嫌そうに唇を尖らせた。
「クラスの彼女持ちがそうしたって言うから」
涼は名前のような涼しい顔をしている。
「出た出た、一朗の俺のコトネちゃん発言。お前のじゃねぇよ。この意気地無し。そのくせ嫉妬心は人一倍ですか〜!」
「意気地無しの嫉妬野郎」
涼は昔からの友達である一朗には、よくこういう絡み方をする。
最近は、俺たちにもそういう接し方をする時がある。
「政を反面教師にしないと横からぶわって取られるぞ! あっ、悪い。傷口をえぐるつもりじゃ」
ごめんと謝る和哉と、死んだ魚の目をして歩いて、やめてくれと呟く政の隣を黙々と歩く。
政が合同行事で必ず話しかけると意気込んでいた吹奏楽部の戸倉さんは、最近、たまに他の海鳴生と初々しい感じで登校している
政本人も含めて誰も調べられないけど、あれは絶対に付き合っている。
俺も政に何か言ってあげたいけど、和哉が慰めているから出番なし。
涼は淡々と「せめて挨拶をしろ」と一朗に絡んでいる。
「……同小だった女子がさ、聖廉にいるからさ、一朗のコトネちゃんについて探ってみるか?」
一朗はコトネと自分には接点が無いと思っている。
俺がコトネの友人と元クラスメートという情報を教えていないから当然だ。
明るく元気な一朗が、今の落ち込む政のようになるのは見たくない。
恋心疑惑は横に置いておいて、友人のためという名目があれば、俺は高松小百合に話しかけられる気がする。
話しかけさえすれば、きっと謝れる。
「はぁ? おい颯。なんで今頃」
和哉の指摘はごもっともだ。
「今頃ってことはあれだろう。大して接点がないんだな。それなのに一朗の為にか。流石、颯」
何がどう流石なのだろうか。
「いよし、俺も助け舟を出してやる。俺はなんかそういう奴じゃん? うじゃら系!」
ウィンクしてピースを目元に当てて、ペロッと舌を出した和哉を見て吹き出す。
「なんだよ、うじゃら系って」
「ウザい、チャラい、ねこじゃらしの略。中学の女子が命名した」
「ねこじゃらし要素はないネーミングだな」
「ねこじゃらしってなんだ」
「俺が付け足しただけだからな。俺って猫好きじゃん?」
「俺はヘタレだけど二年の合同遠足前に絶対に話しかけるからお前ら、余計なことをするなよ」
「それって結局ナンパだろう。今、もう行け」
「うるさい、黙れ涼。俺は繊細なんだ」
「山菜?」
「せ、ん、さ、い!」
「前菜?」
「俺は食べ物じゃない!」
「お前ほど図太い人間はいない」
一朗は、涼に応援してくれてありがとうと柔らかな笑顔を向けて、自分で頑張ると俺の提案を却下。
「友人を介したヘタレだと思われたくないんだろう」
「……うるさい、涼。俺の心を読むな」
「図星だな」
こうなると、俺は俺のために高松小百合に話しかけて謝るしかない。
「ヘタレの代わりに話しかけようにも、どの子か知らないからなぁ」という涼のぼやきに、「だよな」と政が続く。
「吐け、どの子だ。被らないように教えろ。可愛いからじゃないって言うんだから理由も教えろ」
「可愛いだけじゃないって言ったんだ。誰が教えるか。お前らの誰かが惚れたら困るから教えるか」
涼の指摘でバレた一朗の恋のお相手は、一朗が盗み聞きして、俺らに教えてくれた——正確には口が滑って口にした名前以外は不明である。
それから数週間後、衝撃的なことが起こった。
いつもは誰かが夕食前のおやつを食べると言っても付き合わず、腹が減ったから早く帰ると言う一朗が、初めてワクドに寄りたいと言いだした。
その意外な発言に驚きつつ、これは何かあると感じた俺たちは、余計なことは口にしないで、全員で行くことにした。
店内では三人組の聖廉生が楽しそうに注文をしている姿が目に入った。
一朗は少し離れた位置から、まるで遠くの景色を眺めるように彼女たちを見つめている。
その様子を見て、あの中に一朗が想いを寄せる女子がいると確信。
「あの中の誰かだな」
そう政に耳打ちされたので頷きながら「ん?」と心の中で首を傾げる。
あの三人のうちの一人は高松小百合と朝、一緒に登校している。
名前は知らないけど、あの顔には見覚えがある。
『うええええええ……。発表会があるのに……痛いよ……』
高松小百合の友人がいたことで、またあのことを思い出してぼんやりしたら、俺は五人の中で最後の注文者になり、ポテト切れで待たされ、皆のところへ行くのが遅くなった。
階段を上がったら通路の邪魔な位置に政がいて、どうしたと問いかけたら、無言で前を示された。
一朗がなぜか聖廉生と連絡先を交換している。
聖廉生は逃げるように去り、それを友人らしき女子が追いかけて行った。
「……う、うわぁああああああ! コトネちゃんが俺の名前を知っていて話しかけてきた!!!」
一朗が話しかけたのではないのか。
「これは夢か? 殴れ和哉」そう、一朗が和哉に詰め寄ってデコピンされた。
「痛くない。夢か」
瞬間、和哉は一朗の頬を指でつまんで引っ張った。
「痛くない。夢か」
「歓喜と驚愕で痛覚が死んでるだけだ。夢じゃない」
「おい、一朗。お前のコトネちゃんが下にいるぞ」
涼に呼ばれた一郎は、「気安く彼女の名前を呼ぶな」と不機嫌顔で言いながら、ガラス窓に近寄って張り付くように外を眺めた。
気になるので俺も窓の外を確認したら、女子が一人、ぴょんぴょん跳ねて、しゃがみ、両手で半分顔を隠した。
「田中一朗君の連絡先を知れてコトネ嬉ちー。なんて。なにあの仕草、激カワ。お前、何をしたんだ、一朗。俺にも聖廉生に惚れられる方法を教えろ」
和哉のこの冗談めかした台詞に、どこか本気の色がにじんでいるような印象を受けた。
「……。分からねぇ……」
通話をしてくると一朗がトイレへ行き、しばらくしたら放心状態で戻ってきた。
「仲良くなったら付き合いたいという事ですか?」と聞いたという。
話しかけられないし、不審者扱いをされたら嫌だから挨拶も無理だと言っていたのに、よくもまぁ、そんなことを聞けたな。
「そうみたいで、それなら付き合って下さいって言ったらはいだって。付き合って下さいにはいって、はいって、俺の彼女になるのに……。はいだって……」
一朗はしばらく放心して、心ここに在らずという様子。
ヘラヘラしながら彼女とLetIをして、家で彼女と通話をするから帰ると何も食べず、自分が注文したものと俺たちを残して帰宅。
一朗が頼んだバーガーのセットはみんなで分け合った。
この日、一朗は俺たちのグループトークを無視。
俺たちがぽんぽんトークをしても、そのすべてを未読無視された。
と、思っていたら【通話】【死ぬ】という言葉が突然送られてきた。
一朗は俺らの質問を無視して、さらに【朝】【校門】【集合】と送ってきた。
明日の朝、校門前に集合という文も作れないくらい動揺しているようだ。
俺たちを呼び出す理由を聞いても返事が無いどころか既読にもならず。
翌朝、一朗は動揺している、浮かれているという会話をしながら、いつものように一朗以外の四人で登校したら、海鳴の校門前に一朗が立っていた。
一朗は俺たちに気がつくと、早くというように手招きをして、
「お前らが聖廉生と話したいってことにした。朝の挨拶をするから礼儀正しく、失礼のないようにしてくれ」と俺たちに頼んだ。
「つまり、お前はここで彼女待ちってこと」
和哉のこの質問に一朗は小さく「うん」と回答。
「正々堂々、待ち合わせしないで、俺らをダシにして待ち伏せ野郎なのか」
「うん」
「俺らと喋ったコトネちゃんが、俺らの誰かに惚れたらどうする」
「闘う」
お喋りな一朗があまり喋らず、カタコトなので愉快だとわいわいしていたら、一朗の彼女になったコトネが友人二人と共に登場。
昨夜一緒だった友人たちではなく、朝、一緒にいる高松小百合ともう一人の三人だ。
高松小百合はすらっとしている美少女なのだが、その隣にいるコトネはぽちゃっとして見える色白女子で、すごく美人ではない平凡顔で、非常に淑やかそうな雰囲気である。
たれ眉、タレ目、ぽちゃっとした唇などなど高松小百合とは正反対。
普通に単体で見かけたら、『あっ、可愛い』と見惚れることもあったかもしれないが、高松小百合と一緒だからか、これまでそのようなことは無かった。
コトネは一朗を見つけた瞬間、俺たちには目もくれず、ぱぁっと花が咲いたように笑い、みるみる真っ赤になった。
これには『平凡なんてごめんなさい。君も美少女です』という感想を抱いた。
「田中君も頑張って下さい」
真っ赤な顔でうつむいて、ちらちら一朗を見上げる上目遣いは、彼女に何の感情も抱いていない俺からしても可愛い。
一朗はいつからか、なんでなのか口を割らないけど、彼女が好きだから、この姿に非常に胸を打たれたようで半笑いで固まっている。
涼が「一朗が気持ち悪くて振られたら可哀想だ」と俺に耳打ち。
気さくな和哉が、コトネの連れ——高松小百合ともう一人と挨拶をして、涼が行こうと言い、一朗も「じゃあ」と別れを告げたので、俺は高松小百合に会釈くらいしか出来ず。
振り返ったら、高松小百合はこちらを見ることなく、コトネに「今のはなんですか?」と問いかけていた。
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この日の部活の終わりに、一朗は「コトネちゃんが俺に話したいことがあるらしいから、先に帰る」と言って、そそくさと去った。
その背中には、期待と不安が入り混じった複雑な感情が見て取れた。
四人でいつものように雑談をしながら駅に到着したら、交番前のベンチに並んで腰かけている一朗とコトネを見つけた。
「一朗のコトネちゃんはすげぇーな。大人しそうなのに大胆。昨日はナンパ、今日は呼び出し」
「ちょっとそこのあなたたち、盗み見は良くないと思いますよ」
突然、背後から聞こえた声に緊張が走り、体が硬直。
昔とは全然違う喋り方だけど、昔と変わらない声だ。
驚きのあまり思わず振り向くと、そこには腰に手を当てて仁王立ちしている高松小百合の姿があった。
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