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今日から君と待ち合わせ  作者: あやぺん


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田中一朗に忍び寄る挨拶

 散歩をしながら謝り合って、誤解はおそらく完全に消えた。手を繋いで相澤家に戻ったら、門の手前くらいで、琴音ちゃんに急に手を離された。

 一瞬、嫌がられたのかと怯えたが、車が曲がってこちらへ近づいてくることに気づいた。道が狭いため、横並びは危ない。

 それほど広くない道なので危険がないように、彼女を後ろにして一列になった。


「車に気をつけて」


「……あれ、(うち)の車だよ。さっきお父さんと目が合った」


「えっ?」


 車は通り過ぎていった。相澤家の駐車場には前に乗せてもらった車が停まっている。


「琴音ちゃんの家には車が二台あるの?」


「そうなの。一台は近くの駐車場を借りてる」

 

 琴音ちゃんが、父親に見られたと慌て始める。状況を理解して、俺の心に嵐が到来した。彼女の父親に、手を繋いでいるところを見られた!


「お母さんが『お父さんは打ち合わせで遅くなる』って言ってたのに」


「俺、どうしたらいい? 挨拶……挨拶しないと。謝りに来ただけだから、手土産とか何も持ってきてない!」


 二人でおろおろしていたら「琴音、一朗君!」という声がしたので振り返る。この声は彼女の母——朝子さんだ。スーツ姿で格好良い。

 ニコニコ笑いながら手を振って駆け寄ってきたので、会釈をした。


「あらぁ、一朗君! 家まで送ってくれたの? ありがとうね。良かったらお茶でも飲んで涼んでいって。帰りは駅まで送るから」


「いえ、あの。お久しぶりです! こんにちは」


 事情説明よりも挨拶が先な気がして、そうした。


「お母さん、お疲れ様。あのね……」


「そうなのよ〜。急に呼び出されてね、疲れた疲れた。去年の担当なのに、なぜ相澤さんはいないって、嬉しいけど迷惑だわ」


 聞いたことがないので、朝子さんの仕事がなんなのか分からないが、休日に呼び出されるなんて忙しそうだ。


「あのね、お母さん」


「そんな顔をしてどうしたの? 暑いから中に入り……あら恭二さんも帰ってきたのね。早い……」


 朝子さんはそこで言葉を切り、俺を見つめた。「あっ」と言い、片手で口元を隠す。


「どうしましょう。うちの人、まだ一朗君のことを知らないのよ。教えてないから」


「さっきちょっと手を繋いでて、見られちゃったの! お母さん、どうしよう。なんか顔が怒ってたから、面倒くさい気がする」


「見られたなら、一朗君を帰したら『挨拶もしないのか』ってなりそうだから……ファイト! 私は二人の味方よ」


 朝子さんに笑顔で肩を叩かれて、お腹が少し痛くなった。付き合って約三ヶ月で、彼女のお父さんと対面イベントが起こるなんて。しかも突然。

 この急なイベントは、自分の短気で彼女を家に帰してしまったせいなので自業自得だ。

 

「見られてないことにして、家の中で挨拶しましょう。道端で何か始まったら面倒だから」


 朝子さんに促されて、玄関の中へ移動した。


「お義母さん、ただいま帰りました〜」


 帰宅の挨拶の後に、朝子さんは玄関にある靴に着目した。


「あら。お客様のようね」


「真由ちゃんと小百ちゃんが来てるの。あとね、一朗君の友達の藤野君も」


「そうなの?」


 琴音ちゃんが母親の問いかけに答える前に、玄関扉がガラガラと音を立てて横に開いた。

 俺と同じくらいの背の、和服姿の男性——以前、ネットで検索したら出てきた『相澤恭二』が難しい顔で腕を組んで立っている。

 視線がぶつかり、心臓が嫌な音を立てた。彼の目がカッと見開かれたので後退りそうになる。


「朝子さん、ただいま帰りました」


 恭二さんはまずそう言った。低めの落ち着いた声で、雰囲気も俺の父親とはまるで違う。

 父より年上そうで、威厳があり、体格は細身だけどどっしりして見える。顔立ちは琴音ちゃんに似ているので、笑ったら全く怖くなさそう。しかし、今はすごく怖い。


「こんにちは! お邪魔しています。海鳴高校二年、田中一朗です!」


 礼儀、礼儀、礼儀! 

 そう念じながらお辞儀をした。


「お帰りなさい恭二さん。早かったのね」


「打ち合わせが一件、先方の風邪で延期になって」


 俺の挨拶は無視されたようなので、顔を上げづらい。


「……こんにちは、田中君。で、君は我が家になんの用ですか?」


 バシンっという誰かが何かを叩いた音が響いたので、そろそろと顔を上げる。


「そんなに怖い顔をして可哀想でしょう? ほら、笑顔、笑顔。スマーイル」


 琴音ちゃんはここまでおどけないけど、おっとりした喋り方はやはり母親似だなと、朝子さんの笑顔を眺める。

 志津さんが来て「お帰りなさい」とみんなに言い、恭二さんに着替えを促した。朝子さんが夫の背中を押したので、三人が玄関から遠ざかっていく。


「お父さん、最低。一朗君のご両親は表向き、ちゃーんと歓迎してくれたのに。なんでお母さんみたいにできないかなぁ」


 琴音ちゃんが膨れっ面になった。


「うちは表向きじゃなくて、あれが本心だよ。娘の父親はああなるんじゃない? 妹の誰かが彼氏を連れてきたら親父は絶対、歓迎しないと思う」


「本心ならますます嬉しい。あの優しいお父様が、さっきのお父さんみたいな無礼者になるの?」


『最低』に続いて『無礼者』って、恭二さんに同情してしまう。


「多分なる。昔から、俺の友達は家に呼ぶな、威生(いお)のところか、じいちゃんのところに行けだから」


 喋っていたら、颯たちが来た。後ろにいる志津さんは、にゃーにゃー鳴くおもちを抱っこしている。

 みんなで話していたら、おもちはかつて颯が拾った猫だと判明。そこから颯と高松さんの縁みたいな話になり、律君が邪魔をしそうなので二人から引き剥がすことに。

 俺は高松さんのことで律君と喧嘩をしたばかりなので気が引けたけど、琴音ちゃんに頼まれたら断れない。

 颯は勢いで告白するかも——そう考えていたら律君が俺の腕の中から脱出した。

 琴音ちゃんと佐島さんがすかさず追いかけたので、俺も玄関へ戻る。

 ちょうど、颯と高松さんが家を出て扉がスッと閉まった。


「りっ君、邪魔しないの!」


 佐島さんが律君の腕にしがみつく。


「りっ君、ダメって言ったでしょう!」


 琴音ちゃんが律君の腕を両手で掴んだ。

 片腕には美少女の佐島さん、もう片方には俺に抱きついて欲しい琴音ちゃんという、羨ましい状況の律君がまた暴れる。


「律、諦めなさい。現代に馬はいないから、車に轢かれて死ぬわよ。おばあちゃん、そんなの嫌だわ」


 律君は祖母にもたしなめられた。こんな失恋の仕方は可哀想だ。


「あの二人をここに連れてきた俺が言うのもなんだけど、さすがに可哀想というか……」


「あっ、おもち。外に出ちゃダメだよ」


 琴音ちゃんがつっかけサンダルを履く。

 ふと見たら、おもちが玄関扉を前足で触りまくり、隙間から出て行こうとしていた。扉が開いて、おもちが外へ飛び出す。

 琴音ちゃんが「おもち!」と叫びながら追いかけていった。


「可哀想ってお前のせいだろう!」


 律君に睨まれ、「こいつは年上に向かってまた……」とイラついたけど、我慢だと自分に言い聞かせる。


「ごめんなさい」


 癪だけど頭も下げた。


「小百ちゃんは小学生の時から藤野君だから、りっ君は残念だけど最初から失恋なんだって」


 佐島さんが律君の肩を叩く。俺は今、衝撃的な事実を聞いた。颯にとって朗報だ。


「うぐっ……。畜生、なんであいつなんだ……。俺だって小学校の時から知り合いなのに! 俺に惚れろよ!」


「年下のもじもじ君には惚れないよ。小百ちゃん、小一にはもう藤野君が気になってたって言ってたし」


 これはさらに驚くべき事実だ。


「小一……?」


「友達を作れなくて困っていたら、助けてくれたんだって。他にも。りっ君は知り合った頃、私たちに『助けて〜』ばかりだったじゃん。最近、大人びて恋をしても無駄〜」


 俺らの前だと大人しいことの多い佐島さんが饒舌で、しかも辛辣だ。律君は恨めしそうに佐島さんを見つめた。


「ぐっ……。そう言われても、小百先輩の魅力に気づいたのは最近だから仕方ないだろう?」


 最近なら、ダメージは少ないだろうか。そうだといい。失恋なんて誰だってしたくない。

 今日、琴音ちゃんに「大嫌い。さようなら」と言われたのは失恋のようなもの。あれは激痛だった。


「失恋を上手いこと仕事で昇華させな。『恵まれてる俺は利用できるものが少ない〜』って悩んでいたからラッキーだね」


「人の不幸をラッキーって言うな!」


「りっ君が先に、私には挫折も苦悩もあっていいとか、嫌なことを言ったからでしょう!」


「それはごめんって。でも慰めるくらいしてくれたっていいじゃないか!」


 なんか、佐島さんと律君の痴話喧嘩が始まった。

 仲裁するか迷っていたら、志津さんが「あらあら、仲の良いこと」と愉快そうに笑った。

 そして、彼女は「ほどほどにね〜」と言いながら立ち去り始めた。


「一朗君も行きましょう。その二人はたまにあんなだから平気」


「えっ、あっ。はい」


 ここへ琴音ちゃんが息を切らして戻ってきた。おもちを抱っこして、はぁはぁと呼吸を荒げながら叫ぶ。


「真由ちゃん、藤野君が告白した!」


「きゃああああ! そうなの⁈ 急展開!」


「なんでか分からないけど『好きです』だって……『好きです』だって! きゃあ〜」


 琴音ちゃんはおもちを抱っこしながら、その場でぴょんぴょん跳ねた。

 初めて会話した夜——ワクドの窓の向こうにいた彼女の姿が重なる。めちゃくちゃ可愛い。

 律君が廊下に倒れ込んで「最悪だ……」と呟いた。


「一朗君は藤野君のこと、知ってた?」


 おもちを床に置いた琴音ちゃんが、玄関から俺のところへ来た。距離が近く、上目遣いなのでドキッとする。


「う、うん。逆に高松さんのことは知らなかったけど」


「藤野君に頑張れって言ってた? 応援してた?」


 琴音ちゃんがずいっと近寄ってきて、その後ろに佐島さんがひっつく。


「友達だから応援してたよね?」


 佐島さんにも同じことを聞かれた。


「う、うん。颯は友達だから、そりゃあ」


「きゃあ〜。偉い〜」


 琴音ちゃんは顔を赤らめて、俺の肩をぽんぽん叩いた。こんなにテンションの高い彼女は初めてだ。家の前で会った時の朝子さんにかなり似ている。

 散歩中はまだ喧嘩後のぎこちなさがあったけど、颯たちのお陰で元通りかそれ以上になれた気がする。

 嬉しいことに、琴音ちゃんは俺の右手を両手で握って「偉いよ〜」と揺らした。


「琴音、今夜は寝かさないぜ。小百合会をするぞ」


 佐島さんが琴音ちゃんを後ろからぎゅっと抱きしめた。かなり羨ましい。


「いつもそう言うけど寝るよね、私たち。楽しみ〜。曲も作りたい〜」


「田中の旦那も暴露担当で電話参加ね。小百ちゃんは今夜、藤野君とお喋りだから、私たちは明日以降にしないと」


「一朗君。実は〜って話、してくれるよね?」


 琴音ちゃんに上目遣いでおねだりされたら、頷く以外の選択肢はない。


「うん」


「まだ帰らなくて平気?」


「琴音。水を差して悪いんだけど、これから恭二と一朗君の挨拶会でしょう?」


 俺も忘れかけていたけど、志津さんのこの台詞で現実に引き戻された。


「あっ。忘れてた。お父さん、帰って来たんだったね」


「律が可哀想だから、今夜はあなたの好きなものにしましょう。焼肉? それとももんじゃ? お寿司?」


「焼肉がいい……」


 律君はいつの間にか隅で体育座りをしていた。多分、これは俺も同行する流れだ。琴音ちゃんの父親と同席する外食なんて緊張する。


「朝子さんに伝えて予約してこよう。真由香ちゃん、焼肉で平気?」


「ありがとうございます。ご馳走になります」


「一朗君のことは朝子に任せるから頑張ってね。明日は不機嫌な息子無しで楽しい食事会をしましょう」


「……えっ? あっ、はい」


「琴音。あなたが一緒だと恭二が可哀想だから、あなたは私たちと焼肉ね。一朗君とはまた明日」


「そうなの? えっ。一朗君とお母さんたちが三人になるってこと?」


「急だからそれがいい気がするの。琴音のことだから、きっと『お父さんの礼儀知らず!』とか言って、恭二のヘソを曲げちゃうから」


「ちゃんと気をつけるよ」


「信用していません」


 こうして、俺は志津さんに応接室へ案内された。散歩帰りでカバンを持っていたから、リビングには寄らずにそのまま直行する。

 広い家だとは思っていたけれど、まさか応接室まであるとは。促されるまま、黒い革張りの一人掛けソファに腰を下ろし、背筋を伸ばした。


「急でごめんなさいね。まっ、琴音と痴話喧嘩したせいね。朝子は味方だから大丈夫。頑張って」


 志津さんは俺にウインクと笑顔を残して、部屋を出ていった。瞬間、しんと静まり返る。急に静かになって、自分の鼓動ばかりが耳に響く。

 その静けさの中で、エアコンの低い唸りや、置き時計の針が刻む“コツ、コツ”という音がやけに気になった。

 無人だったのにエアコンがついていたが、室内はまだそこまで冷えていない。

 多分、志津さんか朝子さんが応接を使うと読んで、先に電源を入れておいたのだろう。

 足音がして、頭の中でこの間観たサメ映画のテーマ曲が流れ始めた。


(あんなふうに、襲われませんように……)


 海面に浮かぶサメのヒレの幻覚まで見えてくる。

 数秒もせず、ラフな格好に着替えた恭二さんが入室してきた。後ろには、スーツから普段着姿になった朝子さんが続く。

 俺は勢いよく立ち上がり——まるで高校入試の面接みたいだ、と心の中で呻いた。

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