仲直りへの道標2
——推し部小隊——
さとまゆ【琴ちゃん話を聞くって】
高松小百合【たまたま律君から田中君に連絡があって琴ちゃんの家に行くことになった】
さとまゆ【なぬ?】
高松小百合【律君がそろそろ帰ってくるだろうから家に来たらって】
さとまゆ【りっ君は喧嘩のことを知ってるの?】
高松小百合【田中君が謝りたいって話したから知ってる】
さとまゆ【相澤家で落ち合おう】
さとまゆ【藤野君もよろ】
颯【俺?】
颯【役に立てる?】
さとまゆ【喧嘩防止委員会を行うなり】
さとまゆ【さゆちゃんが議長ね】
さとまゆ【私と藤野君は弁護人】
高松小百合【弁護人って裁判?】
さとまゆ【喧嘩防止委員会!】
颯【したことはないけどなんか分かったかも】
颯【仲直りさせつつ今後の喧嘩防止方法を話し合うってことだな】
さとまゆ【それ!】
はしもとみゆ【二人をよろしくね】
日野原威生【説教は俺が後でするからあんまり責めないでやって】
日野原威生【うちの一朗ちょっと短気でごめんね】
颯【あいつ喧嘩っ早いですよね】
颯【相澤さんにもそうとは驚いたけど】
颯【抑えたんだろうけど】
さとまゆ【らじゃ】
さとまゆ【それなら私は文句を言わない】
高松小百合【我慢します】
はしもとみゆ【非難で話が逸れたら困りますからね】
日野原威生【ジェイクが家に行っていいって言うからピンボケしてない写真を探してくる】
颯【よろしくお願いします】
はしもとみゆ【行ってきます】
さとまゆ【おね!】
高松小百合【お願いします】
☆
真由香に言われて、一朗君が言った、『小5の夏休みに歌舞伎座で会った』が本当なのか調べている。
小学校の時に歌舞伎座へ行ったのは、真由香の祖母の趣味がその頃、歌舞伎観劇だったから。私や家族は佐島家に誘われて行っていたので、その思い出には全て真由香がいる。
私にも真由香にも、外国人の男の子や日本人の男の子と写真を撮った記憶はない。
ただ、小5の夏に浴衣で歌舞伎という思い出はあった。今、真由香のアルバムを眺めて、記憶がより鮮明になっていく。
「……この日だ。撫子柄だから『大和撫子』って言われたのかな」
「この浴衣、去年も着たね。お気に入りなの」
懐かしいと、お揃いの浴衣を着ている昔の私と真由香の姿を指でそっと撫でる。いくつか写真を見ていて、「あれっ」と気づいた。
「陸君がいる……。いたっけ……」
私と真由香、彼女の従兄弟二人で写っている写真を見つめる。記憶を蘇らせようと、思い出の海を泳ぐように目を凝らした。
「あっ、いたよ! 海君と陸君と一緒の日だ。泡風呂をしたよね」
「そういえばしたね」
写真って不思議だ。忘れてしまった思い出を、『忘れてないでしょう?』というように、引き出してくれる。
真由香とお揃いの浴衣が嬉しくて、歌舞伎もお泊まりも楽しみで、その日は一日楽しかった。
浴衣は可愛いけど暑かったと、この家の庭でプールに入ったし、夜は一緒に花火もした。そういう、真由香との思い出ばかり蘇る。
「琴ちゃん。この日はあれだよ。赤い髪の獅子が酔っ払う演目があった日」
「それって……猩々のこと?」
「あっ、それそれ。『私、人間食う』とか言い合ったから猩々だ」
「それなら一緒にカリフォルニアに行った年だから、確かに小5の時だ……。それでりっ君は陸君かも……」
アルバムにも写真にも日付の記載はない。けれども、これだけ色々思い出せば、一朗君の記憶と合致するかしないか判断できそう。
「……あっ、その日は車が混んでたから、私たち家族は開演ギリギリだったよ」
「そうだっけ? ああ、そうかも。真由ちゃんとじゃなくて、家族と話してた気がする」
「陸君はこの写真のとおり、この頃、二歳か三歳くらいだよ。おばあちゃんが英才教育だって張り切って連れてってさ」
「うん……。一朗君は嘘つきじゃないかも」
「麻生家は先に着いてたのかな。覚えてないや。田中君は陸君を弟だと思って、そのまま弟だと思い込んで、今のりっ君と繋がってなかったんじゃない?」
真由香の推測で、一朗君の驚き顔が脳裏によぎる。 ショックを受けたような表情を見て——嘘がバレた動揺と焦りだと思った。
しかしあれは、自分の記憶のおかしさを指摘され、困惑しただけなのかもしれない。
「……私、一朗君と話したい。朝日ちゃんの話を聞いてみたい。それに色々謝りたい……」
「私も田中君がどんな話をするか知りたい。よし、会いに行こう」
「うん。ありがとう真由ちゃん」
真由香に両手を取られて、握りしめられた。その温かさで勇気を出す気力が湧いてきた。
——勇気。
その単語が胸の奥で小さく響いた瞬間、記憶の扉が、音もなく開いた。
『わざとじゃなくて謝ってるのに、そんなに怒鳴りちらすことないだろう!』
もやもやと白んで霞む世界の向こうに、律と誰かがいる。あれはいつのことだろう——。
★
電車に乗っている間、高松さんは難しい顔で俺を見ず、一言も喋らなかった。
颯にこっそり尋ねたけど、俺たちを仲直りさせようと言ってくれて、俺への怒り話は特に無かったらしい。
高松さんは時々、スマホで誰かと連絡を取っているので、佐島さんかもしれない。
琴音ちゃんは佐島さんと一緒にいる疑惑があるので、二人が会っていれば、高松さんと連絡を取るのは当然の流れだ。
バスを使い、高松さんの案内で相澤家へ着いた。
玄関で俺たちを出迎えてくれた律君は、颯を無表情で上から下まで眺めてから、俺だけを玄関の中へ引っ張り込んだ。
「あれは誰ですか?」
「藤野っていう、同じ部活の友達です。心強いから付き合ってもらって」
『あれ』呼ばわりだし、渋い表情なので颯は歓迎されてなさそう。律君は人見知りらしいのに、俺は「もう一人いる」と言いそびれていた。
「もう一人いるなんて聞いてないんですけど」
キッと睨みつけられた。琴音ちゃんと似てない顔だと思っていたけど、この睨み顔は似ている気がして気が滅入る。
「言いそびれててすみません」
そこで、律君の表情がふっと緩んだ。
「まぁ……肉とどら焼きがかかっているし……。やばっ。わけの分からない先輩と小百先輩を二人にしちゃった」
律君は「小百先輩が困っている」と言いながら玄関扉を開いた。なんか今、嫌な予感がした。
律君は颯と高松さんを家にあげ、リビングへ案内してくれた。
「小百先輩、暑くないですか?」
「ありがとう、大丈夫だよ」
高松さんが笑いかけると、律君は照れ笑いを浮かべて「お茶を持ってきます」と部屋から出て行った。
おそらく俺は選択を誤った。しかし、今さら颯に「帰れ」とは言えない。
「あっ、おもちちゃん。こんにちは」
相澤家の飼い猫——おもちがのそのそ歩いてきて、高松さんに甘えるように体を寄せた。高松さんがおもちを撫で、颯がそれを眩しそうな目で眺める。
(ダメだ。この颯じゃ気づかない……)
猫を撫でて楽しむ二人を理由もなく止めることはできない。律君がお盆を持って戻ってきて、二人を見て愕然としたような表情を浮かべた。
俺はますます疑惑を深め、心の中で頭を抱えた。
「あの、小百先輩。その先輩とは知り合いですか?」
「藤野君のこと? もちろん。同じ小学校だったんだよ」
「……へぇ。通学路で知り合ったって、姉と田中先輩は、小百先輩たち経由ってことですか」
律君は不愉快極まりないという声を出したのに、高松さんは気づかないのか、朗らかに笑った。
「逆なの。二人が付き合うことになったから、私たちもまた付き合うようになったの」
「……その先輩と付き合ってるんですか⁈」
律君は素っ頓狂な声を上げた。しかもその声は少し震えていた。
颯がハッとした顔で俺を見る。流石になにか察したのだろう。高松さんは思いっきり首を横に振った。
「そ、そうじゃなくて。小学校の時みたいに、話したりするようになったって意味」
律君がホッとしたように胸を撫で下ろす。一方、颯は眉間にしわを作った。
「えっと、暑いね。喉渇いちゃった。用意してくれてありがとうね」
高松さんは立ち上がり、律君の代わりにコップを配り始めた。おもちが、高松さんにくっついて回る。
「こらっ。おもち。小百先輩の靴下が毛だらけになるだろう?」
律君がおもちを抱き上げる。おもちは大人しくしている。猫ってあんなに伸びるんだな。
「えー、全然いいよ。おもちちゃんはいつでも可愛いね」
高松さんがおもちを抱っこしたいというように手を伸ばす。律君はどこからどう見ても照れくさそうにしながら、彼女におもちを渡した。
「琴の靴下を持ってきます」
「大丈夫だよ。あっ、行っちゃった」
律君がいなくなる。おもちは高松さんの腕の中で大人しくしている。
(律君は高松さんなんて、琴音ちゃんから聞いてないけど……)
彼女は高松さんから颯が好きだと聞いていて、弟の味方はしないのかもしれない。
剣箏部員は全員、嘘か本当か「知らない」と言って颯——小百合について詮索せず、騒がず、二人のふわふわした空気を無視して見守っている。
「一朗。俺、帰った方がいい?」
「急に帰るのも変だから、高松さんといちゃつくな」
「いちゃついたことなんてない」
「そういう意味じゃなくて、仲の良いところを見せるなってこと」
颯とヒソヒソしていたら、高松さんの腕の中からおもちが逃げた。おもちが颯に近寄って、すりすりし始める。
「あはは。好かれてるね」
高松さんがおもちの近くに座った。つまり、颯のすぐ側だ。
「……う、うん」
「どうしたの?」
「小百先輩、これ……」
靴下を持ってきた律君は、またしても打撃を受けたという顔になった。
「ありがとう。でもほら、もう毛だらけだから、帰りにコロコロを使わせて。うちも猫か犬を飼いたいなぁ。ペット不可のマンションで残念」
「……そうなんだ」
「藤野君のところはペット可だよね。たまに廊下で見かけるもん」
やめてくれ、高松さん。颯の家にちょこちょこ行くと伝わるような話をするな。律君のライフがゼロになる!
「小百先輩はその藤野先輩? の家にたまに行くんですか?」
「藤野君ってね、すっごく頭がいいの。だからたまに勉強を手伝ってもらってて」
高松さんの、颯を褒める笑顔の輝きときたら、大変可愛らしい。
「お、お手洗い! 律君、どこだっけ!」
「姉と仲直りして」と言ってくれた律君が敵に回るかもしれない。俺は慌てて、彼を連れてリビングを出た。トイレはこっちだったようなと廊下を進む。
「おい、田中先輩。なんすか、あの先輩は」
律君の低い声が響く。
「俺と同じ部活の颯で、高松さんの元クラスメート……。びっくりですよね。そこが繋がるんだって」
「あの人、頭がいいんですか? 外部ですか? 内部ですか?」
「……特進に食い込むくらい頭がいい内部生です」
「前歯がネズミっぽいくらいしか欠点のないあの顔と背にその成績で、内部生で……剣道部? 普通科で部活をしてるのにそんなに成績がいいんすか?」
「Yes. he is almost the perfect man!」
重い空気がどうにかならないかと、某有名芸人風に言ってみたけど完全に滑った。言いづらいから英語で言ったことも同じく。
「どら焼きはいらないんで、引き離してください。姉たちと合同で遊ぶとか、そういうのは阻止するように」
後輩でもない年下に睨まれて命令されるとは。部活の後輩なら「舐めんな」と怒ったかも。
「でも、あの二人、俺らの知らないところで勉強会とか映画とか……幼馴染だから」
本当のことを言っても喧嘩になるのに、嘘を言ったら人間関係はもっと拗れる。そう思って、仕方なく真実を口にした。
「はぁ? 俺の小百先輩がデート……」
律君はしゃがんで頭を抱えた。
「俺とデートしてくれるって言ったのに!」
彼は片手で壁を軽く殴った。
「……そのデートって、困ってるなら、お姉さんが買い物に付き合ってあげる的な?」
彼の味方をするべきだと思ったのに、生意気だったのと、『俺は颯の親友だ』という意識が先行して口が滑った。
律君の目が、涙を堪えるように揺れる。俺は今、フラれるかフラれないかの瀬戸際なので、自分のことのように胸が痛い。優しくしよう——
「お前なんか琴にフラれろ!」
瞬間、理性が弾けた。誰がこんなやつに優しくするか!
「そもそも俺は、兄ちゃんは根暗な漫画オタクとかがいいんだ! この陽キャモンスター!」
傷口に塩を塗った俺が悪いけど、一回しか会っていないのに両手で胸ぐらを掴まれた。なんだこいつは。
俺はこういう、上下関係をわきまえない、生意気な後輩が好きではない。
「うるせぇ! 離せこのやろう! 陽キャモンスターってなんだ。俺はそこらのモブキャラだし漫画も好きだ。この前、盛り上がっただろう」
「うるせぇって怒鳴られたって言いつけてやる! お前なんか琴の元彼になれ!」
ぐわんぐわん揺すられて、腹が立ってきた。俺は絶対に元彼になんてならない。
「いい年した中学生が『ドラも〜ん!』みたいに言うな!」
嘲笑ったら、彼は琴音ちゃんのように赤くなった。あそこまで色白ではないし、紅葉のように真っ赤でもないけれど。
「中学生だからってバカにするな!」
「俺は全中学生じゃなくて、お前個人をバカにしたんだよ!」
「この猫被り嘘つきやろう! 本性をバラして……」
俺を睨んでいた律君が、俺の後ろに視線を向けてへらっと笑った。もしかして……と喉を鳴らして振り返る。
「琴音ちゃんかも」と怯えたけど、もっと悪い相手が立っていた。
「あらあら、なんで律が一朗君と喧嘩しているの」
琴音ちゃんたちの祖母——志津さんはニコニコと笑っている。目も笑っている気がするけど、孫と喧嘩していると怒ったり、呆れたりしていないか心配すぎる。
「……お邪魔してます!」
勢い良く立ち上がって、深々と頭を下げた。
「こいつ、琴と喧嘩したんだって。怒らせて泣かせて、あと怖がらせて……そんな感じで逃げられたって」
ふざけんな! 怖がらせたなんて言ってない! この嘘つきやろう!
そう叫びそうになったけど……ぐっとこらえた。
この短気が琴音ちゃんを泣かせて、怖がらせたんだった。慌てて両手で口を押さえる。
後悔先に立たずとはこのことだ。律君を味方につけるはずが、うっかり敵にしてしまったせいでこうなる。
「あらあら、それは祖母として話を聞かないといけないわ。一朗君、教えてちょうだい」
志津さんの目に、妖しい光がチラリと見えた。
笑みの奥が、全てを見透かしているように感じる。俺は、自分が砂になって消えるような感覚に襲われた。