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仲直りへの道標1

 

 『ずっと一緒にいられますように』


 その言葉を目にした瞬間、心を踏み潰されたような気がした。

 悲しみと怒りと嫉妬がごちゃまぜで頭が働かない。いつも優しかった彼の怒鳴り声が何度も蘇る。

 私が誤解して勝手に怒って泣いたなら、彼は濡れ衣だと腹を立てる。それは当たり前のことだ。

 

(でも……朝日ちゃんとずっと一緒にいたい……)


 あの文字は明らかに最近付け足されたものだ。五月末から七月頭の間に増えたもの。

 『ずっと一緒にいたい』なんて、私は言われたことがない。


 朝日ちゃんと一朗君は、友達みたいな雰囲気だ。私の前で堂々と連絡を取っている。だから、"朝日ちゃんに狙われているだけ" "私は負けない"と思っていた。

 それなのに、写真の裏に両想いのような言葉があった。その瞬間、頭が真っ白になって感情が爆発してしまった。

 私は比較的、感情コントロールが上手いはずなのに、一朗君のことだと、たびたび不安定だ。

 

 「書き間違えた」と言わなかったから、「嘘つき」と怒ってしまった。その気持ちは今も変わらない。あの場で「書き間違えた」と言われたら、どれだけ良かったか。

 二人で歩いた道を歩きたくなくて横道に入る。駅の方角は分かるので、なんとなく歩いていればいつか着くだろう。

 スマホがないので友達に泣きつくこともできない——そう思ったけど、私には、この状況でも連絡を取れる友人がいる。


 美由は今日、日野原家で勉強会だ。来た道を戻って日野原家を訪ねれば美由に会えるけど——せっかく二人で楽しい時間を過ごしているので、邪魔をしたくない。

 同じ理由で、自宅で藤野君と勉強をしている小百合の家にも行けない。

 住所まで把握している友達は真由香だ。佐島家にはまだ固定電話があって、昔、何度もかけたから電話番号も覚えている。

 力なく歩いて駅へ行き、あった気がすると探し、公衆電話の前に立った。

 震える指で冷たいボタンを押しながら、泣かないようにゆっくりと呼吸をする。

 真由ちゃん、助けて——

 

 ★


 時間が経てば経つほど、状況が悪化するのではないか。そう考えて、自室へ戻ってスマホを手に取ったものの、どうするべきか分からない。なにせ彼女のスマホはこの部屋にある。


(琴音ちゃんの家族に連絡を取れそうなのは……)


 真っ先に脳裏に浮かんだのは佐島さんだった。すぐに電話をかけたけど応答しない。

 それならと、今度は高松さんだと思い、颯に電話をかけた。せっかく二人きりで勉強している颯には悪いけど緊急事態だ。彼なら絶対、助けてくれる。

 

「どーした?」


 応答してもらえて心底安堵して、足の力が抜ける。床に座り込み、今の状況をどうにか説明した。颯はほとんど何も言わず、話を聞いてくれた。

 運命的な出会いのことは、本人に最初に言いたかったけれど、それどころではない。

 

「根気よく話せばいいのに、ついカッとなって、勝手にしろって怒鳴って置き去りにしちゃって……戻ったけど、もういなくて……」


「電話とかLetl.も無視されているのか?」


「俺の部屋にスマホを忘れていった……」


 ローテーブルの上に置いてある彼女のスマホを眺め、スマホケースの中にある思い出のステッカーを見て、ますます後悔した。


「時間が経ったら終わりな気がするから、今日のうちにもう一度話したいんだ。きちんと話せば信じてくれるはず……」


 「話を聞け、信じろよ!」とムカついて冷静さを失ったけど、今なら彼女の気持ちを慮れる。

 彼女は俺のことが好きだから、あんなに怒ったり泣いたのだ。どうでもいい人間のことで、あんな風になったりしない。


「俺も今日がいいと思う。でもさ、なんかおかしくないか? 写真だけでそんなに誤解するか?」


「俺もそう思った。俺の周りには誰もいないのに、なんでそんなに疑うんだって」


「気になったんだけど、普通はさ、『この写真は何?』って聞かないか?」


「そう言われればそうだけど、聞かれなかったんだ」


「中間テストの勉強会の時に、写真を飾っていることがバレたって言ってたよな? その時にもう、見られてたんじゃないか?」


「……えっ?」


 指摘されたらそうだと思えてくる。


「まだ写真があった、それどころか"ずっと一緒にいたい"って書き足されてたから、我慢ならなかったとか?」


 颯の推測はしっくりくる。今日、あの写真を見たにしては激しい感情吐露だった。

 一ヶ月半くらい、あの写真について考え、今日確かめた——。


(そうだ。確かめるようだった……)


 明らかに今とは違う字で、『朝日ちゃんとまた会えますように』だけなら、思い入れのある女の子なんだと考えるだろう。

 そして——彼女は口をつぐんだ。過去のことだと飲み込んで、俺に何も聞かなかった。今日、自分だと気づかなかったから、あの日もきっと分からなかっただろう。


「それにさ。俺の周りに朝日はいないって、いるだろう。最近、ちょこちょこ朝日って人とやり取りをしてるよな? 楽しそうに」


「誰のことだよ。朝日ちゃんは琴音ちゃんなんだから、他にいるわけないだろう?」


「いや、いるだろう。三日前も、『歩きスマホはやめろ』って言ったらさ、『朝日からでつい』って。あれは誰なんだ?」


 颯は、自分は『朝日ちゃん』の存在を知らなかったから、友達の一人だろうと気に留めていなかったけど——そう続けた。


「誰って昔、同じ道場だった……琴音ちゃん、旭を女子だと思ってるってことか⁈」


 旭は男子なのに……しかし「男子だ」とは言ってない。これが旭——そう、姿も見せていない。


「じゃあ、男子なんだな」


「同じ道場なんだぞ。当たり前だ」


「剣術道場って男女別なのか? 一緒だと思ってたけど」


「……その通りで女子も少しいる」


「俺は普通に、最近よく連絡を取る友達だと思って、女子だなんて思わなかったけど、『また会いたい朝日ちゃん』って存在を知っていたら誤解するかも」


 この推理は自分では思いつかなかった。


「誰って聞かないか? いや、聞かれた。同じ道場だった友達って言った……。フルネームなんて言わないし、わざわざ男だとも……」


「具体的な誰かを思い浮かべて、『その人とずっと一緒にいたいんだ』って思って、怒ったというか悲しんだんじゃないか?」


「そうかも。なんで『浮気』とか『浮気者』なんて言うんだと思ったけど……」


 旭が小洒落たイタリアンでバイトを始めた、彼女とのお祝いに使うといいと勧められたから……連絡頻度が増えて、誤解されたのだろう。

 普通に琴音ちゃんの前で連絡を取っていたこともあるけど、サプライズ計画があるから、少し隠すようだったことがある。

 颯にそこまで言うと、床に倒れ込んだ。俺は自分で原因を作っておいて、なにをどう誤解しているのか聞き出さず、「勝手にしろ」と突き放してしまった。


「よし。高松に頼んで、相澤さんをうまく誘導しよう。でもその前にどう連絡を取るかだな。高松に、全部話していいよな?」


「お願いします颯様。なんなら高松さんに直接土下座するから助けて下さい……」


 このまま彼女と話を出来ないと、俺は『二股男』で終わる。「さようなら」と言われたので、浮気男はいらないと捨てられた……。

 幸い、琴音ちゃんは現在、箏曲部の同期などの友人たちに「浮気された」と泣きつくことはできない。

 颯の推理が当たっていて、彼女視点で語られたら——俺は女子たちに『浮気男』とレッテルを貼られる。

 そうなったら、誰も俺と彼女を会わせてなんてくれないだろう。

 

「浮気相手が普通に存在してて、両手に花だったら退部させるからな」


「だからいないって!」


 颯は折り返すと言って通話を終了させた。すると、涼からLetl.が来ていた。


 一ノ瀬涼【封魔の朝日好きが初恋の人は朝日になってるみたいで】


 一ノ瀬涼【旭がお前の初恋の人って誤解されてたぞ】


 一ノ瀬涼【旭は男だって佐島さんに伝えた】


 体を起こして涼に電話をかけた。涼は今日、俺以外のメンバーと、旭のバイト先へ遊びに行っている。

 なんでそこに佐島さんがいると聞いたら、同席してなくて、電話があったと分かった。

 涼に突っ込まれたけど、佐島さんがいるわけがない。


「相澤さんが不安そうだから聞きたいって言われたんだ。いきなり電話がきたし、しかも旭が旭ちゃんでさ。女子になってて驚いた」


「……俺も驚いてる。佐島さんとの電話はそれで終わり? 何か言ってた?」


「一朗に教えてって。だから教えた。彼女が密かに不安になってるって分かったらさ、色々できるもんな。俺と佐島さんも、さり気なく旭は男って話をするよ」


「ありがとう……忙しいからまた」


 おそらく、佐島さんは琴音ちゃんと一緒にいる。

 前から相談されていて、今、思い立って涼に質問したにしてはタイミングが良すぎる。


 ☆


 一ノ瀬君との通話を終えた真由香は、真剣な眼差しで私を真っ直ぐ見つめた。


「男子だったね。琴ちゃんが言った、最近仲良しの朝日ちゃんはアサヒバヤシ君だった」


「……うん。うわぁ、どうしよう。不安に負けないで一言、聞けば良かった……」


 対抗意識を燃やしていた朝日ちゃんが、アサヒバヤシ君だったとは。連絡を取り合っている時に「朝日ちゃんと仲良くしないで」と言えていれば、「朝日ちゃん? 男だけど」と返答されただろう。


「恋する乙女は不安で勇気も出ないから仕方ないよ」


「……待って。それならあの写真の朝日ちゃんは誰? 再会してなかったら"ずっと一緒にいられますように"って書かないよ」


「うーん、それはそうだね。田中君の小学生の頃を知る人……あっ」


 彼女は次に、美由に電話をかけ——彼女もすぐに応答した。

 真由香は"琴ちゃんが不安そうだから、一朗君の初恋の人——朝日ちゃんについて知りたい、特に狙われていないか気になる"と伝えた。


「今日、一緒だよね。日野原君に聞けないかな?」


「えっと、少し待っててね」


 少し間があり、返事はこうだった。日野原君が言うには、一朗君の初恋の人は幼稚園のナナコ先生で、『朝日』といえば『封魔の朝日』だ。

 恋愛話が出てくるようになった小学校高学年から中学校の三年間、一朗君は「好きな子は?」という質問に「封魔の朝日ちゃん」や「朝日ちゃん」と答えていたという。


「琴ちゃん、その一部だけを聞いたのかな? 月曜にでも伝えておく。ありがとう」


「もう少ししたらね、威生君と田中君の家に行くから、私が伝えておくよ。どうかな?」


 真由香が私に向かって、声を出さずに「どうする?」と尋ねた。


「……実は喧嘩して、私は今、真由ちゃんと一緒なの」


 このままでは美由が板挟みになってしまう可能性があるので正直に打ち明けた。


「えっ? そうなの? 喧嘩なんてどうして? 琴ちゃんは大丈夫?」


「……真由ちゃんがいるから大丈夫。理由をつけて一朗君の家には行かないで。巻き込んで困らせたくない……」


「分かった。何があったか分からないけど、きっと仲直りできるよ」


 美由はそう言い残して、通話を終わらせた。真由香が腕を組み、眉間にしわを作る。


「写真の朝日ちゃんは誰なんだろうね。日野原君が嘘をついて隠したか、同じ小学校や中学校の女子じゃないよ」

 

 こうなると、皆目見当もつかない。一朗君には、まだ他にも所属しているコミュニティがあるのだろうか。


「……そうだよ。写真は確かにあって、裏に"朝日ちゃん"って書いてあるんだよ?」


「田中君はさ、朝日ちゃんは琴ちゃんって言ったんでしょう? 本当にそうなんじゃないの? そうしたらさ、辻褄が合うじゃん」


「でも、りっ君がよちよち走ってきたなんて、嘘話だった」


「りっ君じゃなかったんじゃない? 小5の時の記憶なんて曖昧(あいまい)だよ。印象的なこと以外は」


「……私と一朗君が小5の時に会っていたなんてある? しかもそれを一朗君だけが覚えているなんて」


「それは田中君に聞かないと分からない。田中君は話そうとしたのに、耳を塞いでここに逃げてきたのは琴ちゃんだよね」


「そうだけど……。アサヒバヤシ君なんて知らないし、りっ君のこともおかしいから、嘘だと思ったんだもん」


 真由香はこんな推測をした。

 写真立ての中に写真を入れて、おまじないのように『また会えますように』と書いて、願掛けをした。

 奇跡のように願いが叶ったので、今度は『ずっと一緒にいられますように』と書き足した。


「それだと矛盾がないよ。田中君は琴ちゃんが大好きでしょう? "絶対にフラれたくない"って言ってたもん」


 真由香は少し涙声になった。


「……そうなんだ」


「琴ちゃんみたいな子は他にいなかったって言ってたよ」


 彼女はますます声を震わせた。こう言われたら、朝日ちゃんは私という話が事実かもしれないと思えてくる。


「お互い独り占めすることがあるから、皆でも出掛けようって……」


 全部、私の知らない話だ。


「ごめん、真由ちゃん……。私、そんなこと知らなくて……」


「言えば良かった……。朝日ちゃんの悪夢を見たって時も放置しちゃって……。寝ぼけててごめんね……」


 立ち上がろうとしたら、真由香が来てくれて座っている私を抱きしめてくれた。


「真由ちゃんは何も悪くないよ……」


「今のが当たりで誤解がいい。きっとそうだよ。田中君なら一緒に謝ったら許してくれるよ……。私もいっぱいお願いする……」


 真由香に両手をぎゅっと握りしめられて心が温まる。話を聞こう、誤解なら謝ろうという勇気が湧いてきた。


「いや……琴ちゃんと喧嘩しそうになっても、友達の私たちを思い出して、そんなことを本当に言っていいのか考えるって言ったのに! 嘘つきだよ!」


「……えっ?」


「勝手にしろ、後悔しろなんてひどい! 私たちの琴ちゃんになんてことを言うの! そんな昔から好きなら、後悔するのはそっちでしょう!」


「あの……真由ちゃん?」


「謝ったらダメだよ。誤解をさせたのも、不安にさせたのも田中君じゃん。大事にするって言って、怒鳴って追い払うなんてムカつく!」


 憤慨しながら他の話もはじめた真由香をしばらく見つめて、私はおずおずと話しかけた。

 私の誤解なら、一朗君は悪くないので謝ってまた仲良くしたいと。

 

 ★


 高松さんに協力すると言われて感激して、駅の改札内で颯と高松さんを待っている。

 握りしめていたスマホに着信があった。思わず「琴音ちゃんだ」と画面を確認する。そんなはずはないのに……。

 『相澤律』という表示に驚く。

 この瞬間まで忘れていたけど、家にお邪魔した時に連絡先を交換したんだった。


「……もしもし?」


 姉のことで話がある。そう言われるのだろう。自然と喉が鳴った。


「先輩、俺、明日はどら焼きが食べたいんすよ」


「……どら焼き?」


 予想外の台詞に困惑して、スマホが手から滑り落ちそうになる。


「同じものは避けると思って連絡しました」


「あっ……うん。母が洋菓子を用意してます」


「じゃあそれは先輩の家のものにして、どら焼きにして下さい。また詰め合わせでもいいけど」


 あの訪問以来、接触していないのに、電話をされるとか、こんなことを言われるとは思わなかった。


「じゃあ、どら焼きも入っている詰め合わせも持っていきます」


「よっしゃ! ありがとうございます。なんでもない日なのに鉄板焼き。それもありがとうございます!」


 明日は鉄板焼きなんて話は知らないのだが。

 通話を切られたので、慌てて掛け直した。このままだと明日の相澤家訪問はないので、律君に嘘をついたことになる。


「なんすか? 俺、忙しいんですけど」


「お姉さんを誤解させて、悲しませちゃって! それで帰っちゃったんだけどスマホがうちにあって! 謝ろうにも謝れなくて困ってて!」


 つい、大きな声が出てしまった。


「そうなんすか? 帰ってるのかな。ちょっと待ってて下さい。琴〜」


 スマホの向こうで何度か「琴〜」という声がして、「いないです」と言われた。


「俺、もう肉とどら焼きの口なんで、明日がないのは困ります。さっさと仲直りして欲しいんで……。うちに来ますか?」


 間に入るなんて嫌だし、そもそも喧嘩内容も聞きたくない。謝ったり話し合うのは対面がいいと教わっていて、その通りだと思っている。律君はそう言った。


「あの人、たまに察してちゃんだし、引きこもる癖があるから来た方がいいっすよ。俺の肉とどら焼きを頼みます」


 肉は当然として、そこに並ぶ祖父のどら焼きの威力には感謝しかない。


「行っていいならお邪魔します。でも住所が分からなくて。この間は車で送迎してもらったので、道を覚えてなくて」


「じゃあ送りますね。バス停から少しあるんで困ったら連絡してください。迎えに行きます」


「ありがとうございます! あっ、あの! お姉さんの友達が助けてくれることになって、高松さんって分かりますか?」


「小百先輩のことならもちろんです」


 姉が小学校の時から親しい友人のことなら、知っていて当然か。


「一緒に行ってもいいですか?」


「ぜひ。小百先輩ならいつでも大歓迎です」


 こうして、俺は颯と高松さんと三人で相澤家へ向かった。

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