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一朗と琴音のすれ違い2

 期末試験が近づいてきたけど、各部活、大切な大会が近いので、中間テストよりも部活禁止期間が短い。

 ただ、テスト直前の土日だけは完全に部活禁止だ。

 前回、成績を上げたし、あれからコツコツ努力を積み上げているので、土曜はデート、日曜は勉強会と決めたのだが、予定が狂った。

 俺の両親が「琴音ちゃん不足だから連れて来い」と言い、似たようなことを彼女の母親も言ったから。

 どちらの家も「午後からはデートしていいから、とにかく家に連れてこい」というスタンスだ。

 自分の親は正直うざいけど、彼女の母親に気に入られたのは嬉しい。彼女も同じ気持ちらしく、俺たちは素直に従うことにした。


 今回の土曜日は、琴音ちゃんが我が家に来た。

まずは勉強、という約束になっているので、家族に挨拶を済ませたあと、すぐに俺の部屋へ移動した。

 琴音ちゃんは、よそ様の大切なお嬢さんだ。うちには五人の妹がいるから、親から「部屋の扉は絶対に閉めるな」とキツく釘を刺されている。

 すぐ隣の部屋では、「お兄ちゃんたちの勉強の邪魔をしない」と約束させられた妹たちがゲームをしている。

 さらに別の部屋では、同じく言い聞かされた倫が友達と遊んでいる。

 そんな状況だけど、俺は——途中で扉を閉めて、少しくらいは先に進みたいと密かに意気込んでいる。


 ローテーブルを挟んで向かい合い、朝から勉強を始めたけど、どうにも集中できない。

 今日の彼女は、以前見た橋本さんのような、ふわふわしたワンピース姿だ。初夏の陽気で少し暑いせいか半袖で、柔らかそうな腕につい目を奪われる。

 制服姿の夏服ももちろんいいけど、今日の私服姿も同じくらい——いや、それ以上に眩しく見える。

 髪は器用に編み込んで、お団子にまとめている。よくしているポニーテールも好きだけど、これはかなり惹かれる。

 

「どうしたの?」


 問いかけられて、つい目を背ける。


「別に。部屋は寒すぎない? 大丈夫?」


「うん、平気。ありがとう」


 中間試験の時と同じように、彼女はスケジュールを作ってくれていた。

 黙々と勉強していくけど、前回以上に落ち着かない。


「琴音先輩、紅茶はあったかいのと冷たいの、どっちがいいですか?」


 少しくらい悪戯しようかと魔がさしたその時、倫の声が背中にぶつかった。


「ありがとうございます。お気遣いなく」


「お母さんが、言わないと両方用意してお腹がタポタポになりますよって」


 琴音ちゃんは驚いて目を大きくしてから、柔らかく微笑んだ。


「ありがとうございます。それなら温かい紅茶にします」


「コーヒーは飲まないって、いっ君が彼女さんに教わったんですよ」


「日野原君にも、私の友人にもお礼をしますね」


 扉の近くには、前に会った彼女の友人たちが顔をのぞかせて、俺たちの様子をうかがっている。隠れているつもりらしいけど、まったく隠れられていない。

 会釈をした倫が歩き出すと、複数の足音がして、

「きゃあ〜、琴音先輩はやっぱり今日もお嬢様〜!」という倫の声が響いた。

 ……その通りだけど、なぜ倫が黄色い声を出すんだ、と頭が痛くなる。


「お兄ちゃん、まだ勉強終わらないの?」


「琴音ちゃんと一緒にゲームしたい」


 倫がいなくなったと思ったら、(るい)(れい)が部屋に入ろうとしてきた。


「部屋に入るな。ゲームをする時間はないからまた今度って言っただろう」


「えー! 嘘つき!」


「嘘つきー!」


「約束してないから嘘つきじゃない。勉強の邪魔をするならゲームを取り上げるぞ」


「ケチ」という台詞と、イーッと歯を見せる小生意気な顔を残して、累と礼がいなくなった。


「ごめん。うるさい家で。今日はじいちゃんのところは、叔母さんが趣味の集会で使うらしくて」


「うちはりっ君だけだし、しかもりっ君は引きこもって趣味に夢中だから、賑やかで楽しいね」


 にこにこ笑いながら言うその声に、とても癒される。——今日も好きだ。


「……ありがと」


 威生(いお)が言うなら俺だって。そう意気込んだけど、勇気が足りなくて声が出ない。

 しばらくして倫がまた現れて、ティーセットの乗ったトレーを持ってきてくれた。お菓子は小さなクッキーで、昨日友達と作ったものらしい。

 夢の国のキャラを模した、雪だるまみたいな形で、チョコを挟んであるコロンとしたクッキーだ。


「うわぁ、可愛い〜。こんなのも作れるなんてパティシエですね」


 得意げに胸を張った倫が「お土産もあります」と言うと、琴音ちゃんは「帰りにと思ったけど」と言いながら、カバンの中から可愛いラッピング袋を取り出した。


「マカロンのお礼です。これやお土産のお礼にもなるのかな。色々作るなら、こういう型も楽しいかなって」


 プレゼントをもらった倫は目を輝かせ、琴音ちゃんの許可を得てラッピングを開けた。中身はシリコン製の型で、デザインは犬の足跡だ。


「うちに"おもち"っていう猫がいてね、つい、これにしてしまいました」


「うわぁ、可愛い! 琴音先輩ありがとう!」


 倫は友達の名前を呼びながら部屋を出ていった。「ケーキを作ろう」と言ったから、きっと今から作る気だろう。


「作り過ぎたって言うからお裾分けしただけなのに、なんかごめん。わざわざありがとう」


「ううん。おもちの足クッキーとか作ってくれるかもって、ちょっとした策略です。なんて」


 こういう冗談っぽい言い方をするところも好きだ。けれど、またしても言葉は喉につかえた。

 妹たちの騒がしさはチャンスだと思って、「うるさいから」と言い訳をして扉を閉めた。扉が閉まっていれば「好き」と言ったりできるだろう。

 もし彼女が緊張したり、不安げな様子を見せたらやめようと思っていたけれど、雰囲気は何も変わらなかった。

 信頼されていると思ったら、体が動かなくなったし、緊張で何も言えない。

 再び勉強を始めてしばらくすると、トイレに行きたくなった。そのとき、ふと思いついた。

 ——琴音ちゃんは扉を背にして座っている。戻ったとき、後ろからそっとハグしてみよう。


 意気揚々とトイレへ行き、用を済ませたあと、深呼吸をして「大丈夫だ」と自分に言い聞かせる。彼女も俺のことが好きだから、きっと喜んでくれる——そう信じて。

 「よしっ」と小さく声を出し、自分の頬を両手で軽く叩く。胸がドキドキして、階段を上る一歩ごとに心臓が口から転がり落ちそうだ。

 悪戯っぽく驚かせるのはやめて、そっと静かに扉を開ける。

 そこには、俺の机の前に立つ琴音ちゃんの姿があった。

 彼女は写真を手に取り、眉間にシワを寄せてじっと見つめている。今にも破りそうな指先の動きに、思わず息をのむ。

 琴音ちゃんは小さく首を横に振り、写真から片手を離して写真立てに手を伸ばした。

 ——様子がおかしい。

 気になって、思わず声をかける。今のを見なかったことにはしてはいけない気がした。


「……あっ、あの」


 彼女の手が微かに震え、その指先からヒラリと写真が床の上へ落ちる。

 それを拾おうとして、琴音ちゃんがしゃがんだ。俺も近寄って、どの写真なのか確認しようとした。

 前に——俺が部活の同期との写真の裏に、こっそり彼女の写真を入れていたのは、もうバレている。

 なのに、今さら何を確かめようとしていたのか。

 それに、彼女は……どちらを破ろうとしていた?  同期との写真か、それとも自分の——。


(朝日ちゃんっていうか、琴音ちゃんとの写真……)


 床に落ちた写真は裏返しになっていて、そこには昔の俺の汚い字で「朝日ちゃんとまた会えますように」と書いてある。

 そしてその下に、わりと最近書き足した「ずっと一緒にいられますように」という願いの言葉。

 琴音ちゃんの白くて細い指が、その文字の上にそっと重なる。けれど、その指は微動だにしない。

 まさか、こんな形で知られるとは思っていなかった。一年記念の手紙に書いて、そのとき一緒に見せるつもりだったのに。


 ——私たちは、こんなに前から会っていたの?


 そんな声が、心の中で響く気がした。きっと、感激して——そう思った瞬間。


 ぽたり。

 涙が写真の上に落ちた。

 顔を上げた彼女の瞳が、俺を真っすぐに睨む。

 どうして、そんな目で——。


「……」


「……ずっと一緒にいたいの?」


「……えっ? そりゃあ、うん……」


 親密になっていると思っていたのに、琴音ちゃんの顔は「嫌」というように歪んだ。泣くほど俺が嫌だなんて……。


「じゃあ……朝日ちゃんとずーっと一緒にいるといいよ」


「えっ?」


 戸惑いながら彼女を見ると、琴音ちゃんの目が怒りで光った。


「嘘つき! 別れてから付き合うならまだしも、二股なんて大嘘つき! 大嫌い!」


 琴音ちゃんの大声が耳を突き抜けた。なぜ怒ったのか、なぜ「二股」なんて言葉が出てくるのか、理解できなくて固まる。

 彼女は立ち上がり、珍しい乱暴な動きでカバンを掴むと部屋を飛び出していった。

 机の上にはノートも筆記用具も、スマホさえ置いたままだ。


「はぁ……?」


 頭の中が混乱する。なぜ『大嘘つき』『二股』と『大嫌い』が出てきた——。


(もしかして、自分と俺だって……分からなかった……?)


 手ブレなのか、写真は少しピンボケしている。

 鮮やかな思い出として残る俺と、ささいな日常の一コマだった琴音ちゃんでは、記憶の鮮明さに差がある。分からない可能性の方が高いのに、その発想はなかった。

 俺の初恋の日や運命的な出会いを、彼女は覚えていない。写真を見てもピンとこなかったことに傷ついたが、今は感傷に浸っている場合ではない。

 どう見ても小学生の時の写真なのに、なぜ「二股」が出てくるのか——困惑しながら、俺は琴音ちゃんの後を追った。


 リビングで琴音ちゃんは、俺の両親と話していた。


「母の具合が悪いようで……祖母がいるので大丈夫だと思うんですけど、心配なので家で勉強します。押しかけておいてすみません」


「あのさ、琴音ちゃ……」


 俺が名前を呼ぶ前に、彼女は逃げるようにリビングから出て行った。父が「家まで送るよ」と声をかけたが返事はない。

 よちよち歩きの妹、花が邪魔で追いかけるのが遅れる。名前を呼び、「待って」と言っても無視された。琴音ちゃんは転びそうになりながら靴を履き、家を飛び出していった。


「一朗、琴音ちゃんのお母さんは急病なのか? あんなに慌てて」


「それならなおさら送らないと。一朗、捕まえてきなさい!」


「分かった!」


 慌てて家を飛び出す。もう姿が見当たらない。大通りに出たところで、後ろ姿を発見した。


「待って! 琴音ちゃん!」


 走れば追いつく距離だ。振り返った琴音ちゃんは俺を見たが、待たずに逃げるように駆け出した。全力で走り、手を伸ばして手首に触れた瞬間——


「触らないで!」


 手首を取った瞬間、彼女は振り返った。涙が弾けるように散らばっていく。絶叫のような大声と、あまりに強い睨みに狼狽えた。


「あ、あの……」


「痛いから離して!」


 そっと手を離す。


「ご、ごめん……」


 彼女は俺の顔を見ないまま歩き出した。息切れしているので、走る元気はないようだ。俺には都合が良い。


「待って」


 横に並ぼうとしたら、琴音ちゃんは睨んで「近寄らないで」と小さな声を出した。彼女の歩く速度が速くなる。


「話を聞いて。誤解だから」


「……浮気者はみんなそう言うと思うから聞かない」


 さらに彼女の歩みが速くなる。

 俺はこれまで一生懸命、誠実に接してきて、好きだと伝えてきたのに『浮気男』扱いされている。

 誤解したことは仕方ない。でも、他の女子の影の形もない俺を信じてくれないなんて腹が立つ。


「話くらい聞けよ! 四六時中琴音ちゃんなのに、誰と浮気するんだ!」


「だから朝日ちゃんでしょう!」


「あの写真は琴音ちゃんだから! 分からなかったようだけど!」


 さっきよりも大きな声が出て怒鳴りのようになってしまった。明らかに怯えてられたので、背筋が凍る。


「ごめん、怒鳴ったりして……」


「私? 何を言ってるの? 私の写真のことじゃなくて、大好きな初恋の朝日ちゃんの写真でしょう!」


「だからそれが琴音ちゃんなんだって。スマホも勉強道具も部屋に置いたままだし、もう一度見て」


 行こうと促しても彼女は動かない。仕方なく、ここで昔話を始めた。

 エイドのことを彼女はもう知っている。だから説明しやすい。

 あの夏——歌舞伎座でまだ小さかった「りっ君」が転んだので、お姉ちゃんの琴音ちゃんが来た。

 エイドが「朝日に似ている、大和撫子だ」と褒め、写真を撮りたいと言った。


「何を言ってるの? りっ君と私は二つ違いでしょう? 小学校5年生の私たちがそんな出会い方をするわけないじゃない。なんなの、その嘘は」


「……え?」


 指摘され、愕然とした。記憶は鮮明でも、自分の思い出に疑問が湧く。

 いや、あの日の撫子柄の女の子は、間違いなく琴音——。

 

「本当に嘘つきなんだね……」


「ち、違うから! 嘘なんて……」


 怒りが消えて冷めたような瞳で静かに泣く彼女に言葉を失う。


「悪いけど荷物は藤野君から小百ちゃんに渡してもらって……。あの部屋にはもう絶対入らないし、あなたとはもう話したくない……。さようなら……」


 世界の速度が落ちる。スローモーションの中、琴音ちゃんは背中を向け、髪をほどいた。風が細く少し癖のある髪を揺らす。

 人生で初めて女の子のために選んだ髪飾りが、彼女の手で地面に落とされた。

 彼女の手が、編み込みを崩し、髪をボサボサにしていく。

 贈ったものを目の前で捨てるという行為にあまりにも腹が立って、俺は(すが)るより、叫ぶことを選んでしまった。


「勝手にしろよ! 俺は嘘なんてついてないから、後悔するのはそっちだからな!」


 捨てられた髪飾りを拾い、家へ向かって走り出す。 滅多に出ない涙で視界がぼやける。

 冷静になれば、話を聞いてくれるはず。共通の友人に仲裁してもらえる——そう信じたが、心の奥で「これでいいのか?」という警鐘が鳴る。


(今のは絶対、ダメだろう……)


 誤解なんだから、話し続ければ良かっただけだ。それこそ一生懸命、誠実に。

 

(なんで二股なんて……今の俺の字で『ずっと一緒にいられますように』って書いてあったからか……)


 しかし、それだけですぐに浮気なんて思うだろうか。俺の周りにいる女子は琴音ちゃんの友人くらいで、『朝日』なんて人物はいないのに。


(そう言えば良かったのに……なんで俺は怒鳴って……)


 家に入ろうとしたけどやめて、来た道を戻る。後悔するのは絶対に自分だと分かっている。もうすでに後悔している。

 しかし、時すでに遅く、駅まで全力で走ったのに、琴音ちゃんと再会することはできなかった。


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