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一朗と琴音のすれ違い1

 順風満帆——この言葉は、今の俺のためにあるかもしれない。

 夏服になったからか、単に自分の気持ちが増しているからなのか分からないが、ますます可愛いと感じる彼女と二人で帰れて嬉しくて仕方ない。

 初恋の女の子と無事に付き合えて、どんどん仲を深めている。成績も上がり、力試しの関東大会で優勝し、インハイ予選——個人戦も突破した。

 最近、俺と琴音ちゃんは主に部活の話をしている。二人で帰宅中の今もそうだ。

 琴音ちゃんは来月、個人コンクールの本選があり、その後、月末にある全国大会に参加する。俺は自分の予定を伝えたくて、彼女の予定の再確認も兼ねて話題にした。

 

「俺は強化合宿に参加が決まったから、王竜旗に出て勝って、インハイも勝つ」


「強化合宿? また学校で合宿をするんですか? 王竜旗? それも大会ですか?」


 質問が次々に飛んでくる。


「強化合宿は学校じゃなくて、都のやつ」


「都の合宿? それはなんですか?」


「インハイで都の代表選手が勝つように特訓してくれるってこと。呼ばれたから、松谷部長と参加するんだ」


「へぇ。忙しいけど……楽しみなんですね。顔に早くって書いてあります」


 こういう話をすると、他の人は「凄い」と言うことが多いけど、彼女は今のように別の感想を言う。俺は、それが心地良い。


「その通りで楽しみ。王竜旗は博多である大きな大会。海鳴は二年生が出て、来年のインハイに向けた経験値積みをするんだ」


 個人戦は招待制でおそらく呼ばれる。憎き宿敵——佐々木武蔵を倒せる機会が、ようやく巡ってきた。

 一年の全中では二回戦で当たって負け、二年と三年は二度とも決勝で敗北。三年の時は惜敗で悔しさが残った。

 小学校の頃から何度も戦っているが、公式戦では一度も勝てていない。非公式戦でもかなり負け越している。

 

「勝ち続けていたらどこかで当たるから、今度こそぶっ潰して……こほん、今のは口が悪かったです」


「そっか、一朗君が謙虚なのは、その武蔵さんがいるからなんですね。剣を振るう武蔵さんかぁ。宮本武蔵ですね」


「そう言われて仕方なく剣道を始めたのに天才だったから、あいつは天狗なんだ。……あっ。精神攻撃をして弱らせよう」


「精神攻撃?」


 彼女の前で歩きスマホは印象を悪くしそうなので、立ち止まって道の端へ。武蔵に電話をかけたら、わりとすぐに出た。


「よぉ、元気にしてるか?」


「インハイに出るって報告か? 今年は怪我をするなよ」


「なんだ。教える前にもう知ってるのか」


「別にお前なんかに興味はないけど、対戦相手の研究は必要だからな」


「なにが興味ないだ。関東大会の後、すぐ連絡をしてきたくせに。あの時、俺のファンかって突っ込んだから、今回は我慢したんだろう」


「お前こそ俺のファンかよ! 気まぐれに連絡してきやがって」


「あはは。ファンじゃなくてライバルだ。こほん、大切な話がある」


「大切な話?」


「彼女ができて学校の成績が上がった。ってことで、剣道の腕も上がってお前を倒せる。俺に当たるまで負けるなよ」


「……はぁ? 頭がイカれたのか? 彼女がいるって妄想で俺に勝つってヤケクソか? 真摯に練習しろ。お前は俺と違って才能がないんだから」


「うるせぇよ。お前が努力する天才なら、俺は努力できる天才だ。選抜で早々に負けたくせに」


「お前は電話してくるたびに喧嘩を売るよな」


「そっちが喧嘩電話をしてくるからだ」


「色々と俺に勝てないからって、彼女ができたなんて嘘をつくとは、男子校生は哀れだな」


「色々と勝てないって、高校の偏差値は俺の方が上だぞ。つまり、俺の方が賢い。琴音ちゃん、はい」


 誰が頭のイカれた妄想野郎だ。剣道最強校で男臭い生活をしているはずだから、むせび泣け。

 悔しがって練習の精度が落ちて弱点になるといい。そんなことは100%ないだろうけど。

 これは単に、「幸せだー」って彼女自慢をしたいだけ。学校の友人にからかい材料を与えたくないし、幼馴染たちも同じく。特に威生は最悪だ。橋本さんのおかげで最近は大人しいが、油断できない。


「えっ、あっ、あの、こんばんは」


 琴音ちゃんは「いきなり困る」とは言わず、俺がスピーカーモードにして差し出したスマホに向かって話しかけた。


「……えっ? あっ、うん。こんばんは。一朗の彼女って本当ですか?」


「は、はい。その、相澤と申します。いつも一朗君がお世話になっています」


「……こちらこそ、お世話になってます。あの、一朗に代わってもらっていいすか?」


「俺も聞いてる。俺になんだ?」


「……俺はこの間、フラれたところなんだ! 死ね!」


 ブツっと通話が切れた。琴音ちゃんに軽く睨まれる。


「いや、俺。武蔵がフラれたばかりなんて知らなかったんだ!」


「それなら、なんで私と話させたんですか?」


「自慢したくてつい。俺の周りは、自慢すると面倒なやつばっかりだから、武蔵なら遠くにいて、そんなに連絡しないからいいかなって」


「……。精神攻撃と言いましたよね?」


「去年、同期に彼女が出来てムカつくみたいに言っていたから、どうせまるで効かないけど……」


 正々堂々ではないと幻滅される。なんで俺はこう、思慮が浅いのだろうか。


「そういうズルいところもあるんですね。自慢したくて出来ないなら……私に言うといいですよ。なんて」


 照れながら、悪戯っぽい顔をしたのでかなり可愛い。可愛いという感想ばかりなので、最近、自分の語彙力のなさを痛感している。


「彼女に彼女自慢? 本人に向かって……俺は彼女が好きって言うの……?」


 ふざけた感じではっきり言い切ればいいのに、声が上擦って小さくなった。


「私も……好きですよ……」


 突然の上目遣いと、軽い体当たりで心臓が止まりかけた。

 暗くて両校の生徒から見えないだろうし、デートはまだしばらくできない。なので、初めて通学路で手を繋いだ。通学路だからと、振り払われませんように。


「あのね、関東大会優勝のお祝いは肉まんだったでしょう?」


 そう言いながら、手を強く握り返された。ニヤニヤしそうなので唇に力を入れる。


「インハイ優勝のお祝いも何かくれるってこと?」


「もちろん。何がいい? 好きって聞いたから、ラーメンは? 剣道部でたまに行くお店があるんですよね?」


「おおー、リサーチ済み。俺としては……」


 する場所もないし早いけど、キスとか……と彼女の唇を見て、慌てて視線を移動させた。

 あの魅惑の唇が自分の頬に触れたことを思い出してしまう。あれをもう一回されたい。それなら早くない。なにせもう、してもらったことだから。

 逆もいいな。あの時はそこまではできなかったけど、ハグさせてもらい、この間のアレをできたら最高だ。


「俺としては?」


「……ナンデモナイデス」


「前より仲良くなってるはずだけど、私に頼み事はしにくいですか?」


 悲しげな表情をされたので戸惑う。これはつまり……俺に頼み事をされたら嬉しいってことだ。


「いや、言える。食べ物はいいから……」


『おめでとうって言ってキスして』なんて、どう考えても却下だ。かといって『ハグさせて。頬にキスしてもいい?』も言えるはずがない。


「食べ物以外? 欲しいものがあるんですね」


「Flirt with you……なんて」


「フラー? 私と何?」


「……これのこと」


 手を握ったり、緩めたりした。これ以上のことがいいけど、これでも満足。後で今の意味を調べて、心の準備をしてくれますように。


「フラーか。ハンドじゃないんだね」


「hand in handとか使うらしいよ。hold hand とかさ。エイドはそういう、受験に関係ないことを教えてくれる」


「それで、ああいうことも言ったんですね」


「ああいうこと?」


「ノーティって。一朗君って、日本語で言いにくいことを英語で言いますよね。今のも手を繋ぐじゃなくて、何か違うことを隠していませんか?」


「さぁ、どうだろうね」


「……もしかして、アルファベットのGの次のことをしたいとか?」


「違っ! I want to flirt with youで軽いスキンシップをしたいって意味で、エイドが彼女ができたら使えるって、前にそう言ってたからつい!」


 ほら、これだと繋いでいる手を軽く持ち上げる。


「……へぇ」


 彼女が怒ったように俯いたので絶望する。お祝いにヤラせろって伝わった。そこまでではないかもしれないけど、エッチなことをさせろと伝わった。付き合って間もないのに、そんなことを言うのは最低な男子だ。

 弁解しようと、手を離してスマホに今の英文を打って、ほら、違うと見せようとした。

 すると、琴音ちゃんは揃えた指で自分の唇に触れて、その後に俺の口にそっと触れた。


「……優勝おめでとう。……こういうこと?」


「……」


 外で通学路だけど、今すぐハグしてキスしたら駄目だろうか。理性が風に乗って飛んでいきそう。


「……いや、もう少し。あのさ、期末試験はまた一緒に勉強しない? 今度は俺の部屋とか……。親も妹たちもいるから……色々はしないけど……」


 指で間接キスなんてされた歓喜と動揺と、「もう少し」と誘った緊張で吐きそう。


「色々はしない……。色々じゃないことはするの?」


「……琴音ちゃんが嫌じゃなければ」


「色々じゃないっことって何?」


 ジッと見つめられて視線が泳ぐ。


「それは……。ちょっとハグ……的な……」


「ふーん……。わっ、雨だ」


 雨なんて降ってないけど。そう不思議がっていたら、彼女は折りたたみ傘を広げた。ふーんって、今の反応はなんだろう。俺は死ぬほど勇気を出したのに。

 しかし、「えっ?」と思った時には片手で軽く抱きしめられて、頬に柔らかな唇が触れた。


「優勝、おめでとう」


「……」


「雨なんて降ってないよ。騙されたね……」


  言うが早いか、琴音ちゃんは傘を差したまま走り出した。運動は苦手だと言っていたから、予想どおり足は遅い。

 昔は運動ができる女子がいいと思っていたけど、今は——この不器用さこそ可愛いと思う。

 俺はしばらくその場で茫然としていた。柔らかな彼女の体の熱も、頬に残っている感触ももうないのに、まだある感覚がする。

 これでも人生の絶頂にはほど遠いはずだ。なにせ俺たちには、まだまだ様々な初めてがある。

 世界はあまりにも素晴らしい。俺は意気揚々と彼女を追いかけた。

 その時、着信があったので応答したら旭だった。バイト先のレストランの店長が、旭の友人のためなら、特別にお菓子を持ち込み可にしてくれるという報告だった。


「ありがとう朝日。本当、助かる」


「きっと彼女さんも喜ぶよ。しかしお前がお菓子を作るのか。ほとんど妹ちゃんとはいえ、お前が」


「うるせぇ。相手のためにらしくないことをするってなんか……いや、凄くいいだろう?」


 傘で隠れてハグして頬にキスなんてことを、琴音ちゃんがするとは誰も思わないだろう。俺も予想外過ぎて、心臓を鷲掴みされた。

 それにしても、いい大人に好かれる、いい友人を持ったものだ。

 彼女に追いついたらかなり照れているようで、彼女は始終俯いて微笑み、別れ際の「また明日」以外、何も言わなかった。

 

 

 お願い——。

 朝日ちゃんは私たちの間に入ってこないで。

 

 田中一朗が幸せを噛み締めていた頃、琴音は走るのをやめて折りたたみ傘をしまいながら、そう強く願った。

 しかし、そんな彼女を苦しめるような現実が襲いかかる。

 ありったけの勇気を出して、気持ちを込めて行動をした彼女の前には、「朝日」と楽しそうに電話する彼氏がいた。


「ありがとう朝日。本当、助かる」


「照れて逃げちゃった」と言うはずだったが、琴音は瞬間、一朗に背中を向けて再び走り出した。

 

(なんで……)


 自分が彼女で、彼女自慢をしてもらえて、触れ合いたいと言われたのになんで。こんなに頑張ったのになぜ。

 琴音は、これまでのように、その感情も言葉も飲み込んだ。自分に魅力が足りなくて、欠点も多いからだと。それは、もう何度目にもなる自分への言い聞かせだった。




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