校門前
今日で一朗君の彼女になって三日目。
今朝も『おはようございます』というスタンプを送ったけど、返事はないし既読にもならない。
昨夜のお喋りや通話内容を思い出して、一朗君には私と仲良くなりたい気持ちがあるという確信があるので、彼の朝が忙しいから連絡がないと前向きに考えることにした。
登校中、小百合と真由香に、どうやって海鳴生と付き合うことになったのかを質問されたけど、朝からそんな話しは恥ずかしくてできないと返答。
しかし、教えたい気持ちはあるので、今日の放課後、スクールバスを待つ時間に人が周りにいないところで話すと約束した。
今日も一朗君は海鳴の校門前に立っていた。
誰かを待っているような様子で、春風が彼の髪を揺らしていたので『もしや私?』と胸が高鳴る。
今日は友人たちはいなくて彼一人だ。
彼は前髪をいじって上を向いていたけど、私たちを見つけると、少し照れたようにぎこちなく笑って小さく手を振ってくれた。
「こんにちは。琴音さんの友人の高松小百合です。よろしくお願いします」
「佐島真由香です」
早歩きになった小百合と真由香が、私よりも先に一朗君に話しかけた。
「……どうも。海鳴高校二年、田中一朗です。おはようございます」
一郎君は綺麗なお辞儀をすると、照れ隠しのように首の後ろに片手を当ててうつむいて、
「昨日、お二人に挨拶をしなかったので、今日こそと思って待っていました」と照れくさそうに微笑んだ。
海鳴生と聖廉という組み合わせは珍しくない。
ただ、同じ時間には同じ生徒たちばかりなので、あの人たちはあの人たちと親しいと自然と認識される。
認識されていない私たちは、次々と学校に到着する海鳴生たちや、通り過ぎていく聖廉生たちに、あれは何? 何部? みたいにヒソヒソされていて落ち着かない。
「あの、教わったと思いますが、相澤さんとお付き合い出来ることになった者です」
「昨日教わりました」と小百合が不審人物を観察するような表情で一朗君の顔を覗き込む。
一朗君は不審者ではないので、やめて欲しい。
「剣道部の田中一朗君ですよね。覚えました」と真由香も続いた。
これだと、女子二人が男子を呼びつけて叱責みたいな光景だ。
「私たちの部活は28日の日曜に、ショッピングモールで演奏をするので良かったら聴きにきて下さい」
「ぜひぜひ」
「場所は琴音さんに聞いて下さい」
私だって一朗君と喋りたいし、彼はその日きっと部活だからこんなことを頼んだって無駄だ。
「きっと昼間ですよね? 日曜は部活後に通っている剣術道場へ行くので……」
「毎日部活ですか?」
「剣術道場にも通っているんですか?」
「あの、はい、たまに」
「田中君を困らせないで! すみません。行こう、小百合さん、真由香さん。朝練の時間です」
田中君を困らせないでというのは本心だけど、私がまだ全然お話ししていないから、やきもちを焼いて『喋らないで』と思って会話を強制終了。
小百合と真由香の背中を押して、一朗君に何度か頭を下げながら歩き出そうとしたら、
「あの、お二人の友達を大事にします!」
驚くような叫び声が背中にぶつかったので、「えっ?」と振り返ると、一朗君は走り去るところだった。
「大事にしますだって」
「大事にします!」
良かったですねと二人に笑いかけられて嬉しいけど、地味で素朴で面白味がなさそうな真面目君疑惑と言われた。
失礼!
☆★
朝練前は誰も何も言わなかったけど、終わったら先輩と後輩が集まってきて「今朝のを見た、彼氏ですか?」というような質問攻めにあった。
顔が真っ赤になるのが自分でも分かる。
照れが落ち着いたら話すと約束した小百合と真由香は、先輩と後輩に囲まれている私と離れたところで、なにやら楽しそうにしている。
この、好奇心の目から助けてよ!
「皆さん、HRに遅れますよ! 私はもう行きます!」
恥ずかしいので逃亡。
教室に駆け込んだら、朝練に参加していない麗華と美由がスマホの画面を見ながら、無邪気な笑顔で盛り上がっていた。
月末の演奏会の時に食べたい、可愛くて美味しそうなアイスがあるという話題だったので、私も自然とその会話に加わった。
そうしながら、一朗君に『朝はすみません』と送信。
一年田中さん【心配してくれる友達がいるって良いですね】
昨日のこの時間と同じように返事が来て嬉しい。
【中等部時代から同じ部活の友達です】
【なのに一度も同じクラスになれなくて悲しいです】
くだけてみようと思って『ぴえーん』と泣く、ひよこのスタンプも追加で送った。
ちびーぬが、みみくろをよしよしと撫でているスタンプが返ってきた!
まるで自分が撫でられているかのようで、自然とニヤついてしまう。
今の自分の気持ちにぴったりな、じーんと感激している絵のひよこスタンプを送信。
ちびーぬと、みみくろと、うさが三人で仲良くしているスタンプが返ってきた。
これは楽し過ぎる。
「琴音さーん。副委員長さーん。鐘が鳴ったのにまだデレデレLetlですかー?」
「鼻の下が伸びていますよー」
麗華と美由にからかわれたので、慌ててスマホの電源を切り、こんな私は誘惑に負けてしまうと、美由のスクールバックに自分のスマホを突っ込んだ。
「不良にならないように見張って下さい」
「恋する乙女は大変ですね」
「私も彼氏が欲しくなってきましたー」
それはぜひ。
なので、気になる人はいるのか尋ねたけど、二人ともいないそうだ。
二人がそのうち一朗君に誰か紹介してもらうと盛り上がる。
麗華も美由も私の真似をしているだけだけど、一朗君ではなくて、田中君と呼んで欲しい……。
私はすね顔をしていたようで、すぐに二人に見抜かれて、突っ込まれて、二人は笑いながらごめんごめんと謝って、私に軽く抱きついて「可愛い〜」と楽しそうな声を出した。
「もうっ、からかわないで下さい」
「だって楽しいから。ねぇ〜」
「ねぇ、麗華さん」
私はどうやらかなりやきもち焼きのようだ。
もちだもちと、二人の指が私の頬をつついていたら予鈴が鳴った。
☆★
放課後、麗華と美由には先に帰ってもらい、小百合と真由香に約束の話をしようとしたけど、せっかくだから五人で仲良くしたいと考えて、全員を誘った。
私たちと明らかに壁のある、同じ箏曲部二年生のうち、外部生——高校からの生徒三人と親しくなるのは諦め気味。
しかし、小百合と真由香、麗華と美由が親しくなることは諦めていない。
しかし、私の意気込みは空回りで、小百合が麗華と美由に話があると声をかけて、内容は私の彼氏についてだと告げた。
スクールバスに乗り込む生徒たちの喧騒が響く中、小百合の言葉が静かな緊張感を生み出す。
「琴音さんは教えてくれるって言ったけど、また恥ずかしいと逃げる気がしますし、あちらにその彼氏さんがいるので二人から聞けたらなぁと」
「琴音さんの許可が出たらですけど」
小百合と真由香はそう口にして、私にほら、あそこ、あれは田中君では? と視線を促した。
私も校門の外、すぐのところに自転車を持って立っているのは一朗君だと思い、スマホを確認。
一年田中さん【話しがあります】
一年田中さん【できれば直接】
一年田中さん【大丈夫ですか?】
四人に一朗君に話があると誘われたと伝えたら、行ってらっしゃいと見送られた。
スクールバス必須から自由に変更という申請書は提出したけど、まだ変更されたという連絡はない。
そのことを四人に教えたら、真由香が「それならスクールバスのパスを貸して下さい」と提案してきた。
「私が運転手さんに変な話しをするから、その間に小百合さんが琴音さんのパスをピッてして下さい」
私は不正は好きではないけど、特に誰も傷つかないと思うのでこの提案に乗る。
そう思ってパスを真由香に差し出したら、
「えっ? そういう不正は……駅で合流するから良いですね」と小百合が渋い顔になり、その後、表情を軟化させた。
「高松さんは二年部長らしく、断るかと思いました」と麗華が目を少し大きく開いた。
麗華の表情は一瞬驚きと困惑が入り混じったものだ。
「そう? 高松さんは融通が効きますよ」と美由が麗華に温かみのある微笑みを向けた。
「知っているけど二年生になったらますます部長! って感じなので」
「それはそうですね」
ほらほら、行ってらっしゃいと麗香に背中を押されたので、みんなにお別れの挨拶をして一朗君のところへ。
一朗君は背中を少し丸めてうつむいてスマホを見つめていたけど、私が「あの」と声をかけると一気に姿勢が良くなった。
彼の顔には緊張の色がにじんで見える。
「お待たせし…「急にすみません!」
お互いの台詞が被って、どちらも相手の出方を待ったため、しばし沈黙が流れた。
今日は風があまりなく、静けさを際立たせる。
「いえ、連絡が…「待っていません!」
また言葉が同時に出てしまった。
再び静寂が訪れるかと思ったけど、一朗君がすぐに声を出した。
「あの、急にすみません。待っていません。用事はその……」
片手を首に当てると、一朗君はうつむいて、明後日の日曜は部活ですか? と私に問いかけた。
『日曜は部活ですか?』
『いえ、部活ではありません』
『それなら、〇〇しませんか?』
そういう会話になると予想して、大会がまだ近くないから部活はないけど、自分のコンクールの練習があるという台詞はやめることに。
「明後日は部活はありません」
「……そうなんですね。その、俺ら剣道部も明後日は休みで。実はその、明日は団体戦なんです。団体戦は三年が優先で、三年は七人いるから二年の出番は無くて。明日はサポートと見学で、明後日は大会翌日だから休みです」
ここまで一気に喋ると、一朗君はあっ、バスが出てしまうと慌てた。
「その。もう絶対乗らなくても良いので駅まで歩いて帰れます」
一緒に帰れたら嬉しいので、あのスクールバスはまたすぐ来ますとは言わず。
「えっ? じゃあ、その、俺と帰れますか? 帰ってくれますか?」
この言い方に、私と帰りたいけど断られるという不安を感じているような印象を受けた。
来週の木曜日に初めて一緒に帰る、楽しみで仕方がないという喜びも、前倒しになった嬉しさも、明後日何かに誘われるのではないかという期待で高鳴るこの胸の音も、一朗君には全く伝わっていないということ。
「一緒に帰りたかったので、こちらこそよろしくお願いします」
勇気を出して、一緒に帰りたかったと加えたら、一朗君が嬉しそうに笑ってくれた。
夜風に冷やされた頬に、彼の笑顔が温かい光を添えてくれたので、私も照れ笑いを浮かべた。