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田中一朗は地雷を踏む

 三日間の試験が終わって、ようやくホッと一息。

 手応えは悪くなかったから、中間試験で平均点以下はないはずだ。

 琴音ちゃんはこの間、「一朗君が好き」というようなことをしてくれたのに、俺が踏み出した一歩は気持ち悪かったのか、あれ以来、どこか素っ気ない。

 Letl. の返事は遅くて、短文かスタンプだけ。少し電話できるかと聞けば、「時間がなくてごめんね」と返ってくる。

 少し前は「電話しながら勉強するのもいいね」なんて言ってくれたのに。

 格好悪いけど、一人で悩むのは心に悪いと思い、橋本さんや高松さんに探りを入れた。それで違うと分かったのに、不安は消えない。 


 今日は放課後に時間があるけど、誘われなかったし、俺も誘う勇気が出なかった。

 週末に今日の予定を決めようと話していたのに、結局、忘れてしまった。向こうも忘れているのか、それともわざとなのか。教室でスマホを眺めながらため息をつく。


「一朗、帰らないのか?」


「相澤さん待ちだろう」


 涼と颯に声をかけられて、事情を説明するか迷ったその時、スマホに『琴音ちゃん』の文字が浮かんだ。


「わわっ!」


 慌ててスマホを落としそうになり、心臓をバクバクさせながら応答すると、声が上ずった。


「一朗君、お疲れさまでした。HRが終わりました」


 明るい声に、素っ気なさは感じられない。やはり勘違いで、彼女はただ試験や箏の練習に集中していただけかもしれない。


「……そっか。俺たちは少し前に終わったよ」


「今日、どうするか決めて無かったでしょう? まずは駅で待ち合わせて話すのでもいいですか?」


「あっ、うん」


「では、またあとでお会いしましょう」


 お互いに「また」と言い合って通話を終える。


(嫌われてない! セーフ! タメ口も可愛いけど、このお嬢様口調も可愛い……)


ホッと胸を撫で下ろし、スマホを両手で握りしめる。


「なにその顔。相澤さんと喧嘩でもしたのか?」


「いや、してない。涼、琴音ちゃんとは駅で待ち合わせだから、駅まで一緒に帰ろうぜ」


「俺は剣箏部その他と試験の打ち上げだから。ボーリングに行く」


「なにそれ。誘われてないけど」


「一朗は相澤さんとデートだろう?」


「えっ、ああ」


 ということは、彼女はボーリングを断っているか、俺とデートすると友達に話している。

 涼は和哉たちを待つというので、打ち上げに参加しない颯と一緒に帰ることにした。校門を出たところで「そういえば」と気づき、颯に尋ねた。


「颯は打ち上げ行かないのか?」


「高松が行かないから。コンクールの練習だって」


 最近の颯は、本当に分かりやすい。


「高松さんは行かないんだ」


 琴音ちゃんも同じコンクールに出るのに、彼女は今日、俺と会ってくれる。

 大切な本番を控えているのに、俺を優先してくれるなんて。「素っ気ない」という印象とは真逆だ。

 けれど、この数日間、彼女がどこかよそよそしかったのは事実である。

 悶々としながら颯と雑談しつつ駅へ着く。彼女は見当たらず、颯を見送り、階段下でぼんやり周りを眺めた。

 俺の目はすぐ琴音ちゃんを見つけられる。彼女は高松さんと二人で、とても楽しそうだ。彼女たちが俺に気づいたので近寄って挨拶をした。


「じゃあ小百合さん、また明日」


「二人とも、デートを楽しんでください」


 高松さんが、上品な会釈を残して遠ざかっていく。


(颯のやつ、地元まで一緒に帰ろうって言わなかったんだな)


 明後日の放課後も今日のように時間がある。その日、颯は高松さんとランチをして映画も観に行く。

 友人たちの中では俺しか知らない、颯の決戦の日だ。


「あのさ、こと——」


 名前を呼ぼうとしたら、制服の袖をつままれて上目遣いで見つめられ、声が行方不明になった。


「あの、大事な話があるんですけど、いいですか?」


「……はい」


 物憂げな表情に嫌な予感がしたが、断れるはずもない。


「お昼を食べながらでいいですか? 何か食べたいものはありますか?」


「話の内容で食欲が変わるから、とりあえず歩かない?」


「そっか。うん、いいですよ。また公園へ行きましょうか」


 二人で歩き始めてしばらくすると、彼女はカバンを両手で持つのをやめた。突然、俺の手を取って強く握りしめる。

 瞬間、「素っ気ない」はただの誤解だと確信した。嫌われてなかった。歓喜が込み上げたが、彼女の表情が辛そうで、一気に冷静になる。


「えっと……なにかあった? 俺は役に立てる?」


 素っ気ない=嫌われたではなく、彼女は悩んでいたと理解する。俺はとんだバカヤロウだ。


(俺は自分のことばっかり……)


 わざわざ他人に確認したのに信じなかった。喧嘩なんてしていないし、心当たりもないというのに。自信のなさで、疑心暗鬼になっていた。


「……何かあったのは昔なの」


「昔……」


「うん……。昔、嫌なことがたくさんあったから、上手くなりたいけど、人前では全力で弾きたくなかったんです」


 だから彼女は、俺の親に向かってあんなにも悲しげな目で謙遜したのだろうか。

 あの日、頭を殴られたような衝撃から始まった、心を揺さぶる演奏は——間違いなく全力だった。高松さんとの会話からしても、そうに違いない。

 あれは去年の文化祭で聴いた彼女たちの連奏の感動を、いとも簡単に塗り替えてしまった。

 今もなお、日曜の演奏のいくつかの旋律が、耳の奥で燻り続けている。


「……。何かに秀でていると、八つ当たりとかされるもんな」


 全力で弾きたくなかったのにこの間は高松さんに言われたから全力で弾いた。

 だから辛くて、何か——おそらく高松さんとの関係に悩んでいるということだろう。


「そうなの……。それで、私も全部を飲み込めるいい子にはなれなかった」


 彼女の声は小さくなり震えた。ぎゅっと強く手を握られたので、「大丈夫、話してみて」という気持ちを込めて握り返す。


「八つ当たりされたくないから、そこまで上手くないフリをしてたってこと?」


 父と母の喧嘩の一つに、母が愚痴りたいだけのところに父がアドバイスしてしまうせいで起きることがある。そういう場面を何度か見聞きしてきた。

 だから今の俺はきっと、「愚痴を聞く役」に徹すればいいはすだ。

 反射で会話する性格なのに、彼女のことだと、こうしてあれこれ考える。何気ない言葉で嫌われたくない。

 といっても、長年の癖や性格はそんなに簡単に変わらないので、考えなしに喋ることも多いけど。


「……あのね。気持ちを軽くしてくれて、ありがとうございます」


 愚痴は始まらなくて、彼女は俺を見上げて可憐に笑った。眩しくて思わず見惚れる。


「お礼? 俺に? まだなにもしてないけど」


 彼女は首を横に振って、微笑みながら空を見上げた。


「小百合さんと同じで、一朗君の世界の普通が、考え方が、何気ない話が、私を助けてくれました」


「そっか……。もう大丈夫で、俺も役に立てたなら良かった」


 高松さんとの関係で悩んでいないようだ。自分が何をしたのか、皆目、見当がつかない。


「ありがとうございます」


 分からない。全然、何も分からない。

「俺の何が?」と突っ込むべきなのか、それとも彼女の「ありがとう」だけを素直に受け取るべきなのか——。

 彼女は内緒話をするみたいに、そっと俺の耳へ顔を近づけた。

 ふわりと甘い香りがかすめ、柔らかな声が落ちてくる。


「一朗君はすごいね」


「……」


「したかった話は終わりだけど、食欲はある? ない?」


「……ある」


 嘘。動悸がヤバくて、本当は食欲なんてない。


「この間、パン屋さんを見た気がするんだよね。パン屋さんで買って公園で食べる?」


「いいね」


「アズマヤがあった気がするからそこで食べよう」


「アズマヤ?」


「屋根がついてるベンチっていうのかな」


 言われるままについて行くと、本当にパン屋があった。外から覗くと美味しそうだったので、二人で買い物。

 飲み物はそれぞれ水筒があったから他には何も買わず、公園へ。手を繋いだまま屋根付きのベンチを探し、空いていた場所に腰を下ろして喋りながら昼食を済ませた。

 楽しいお喋りばかりか、制服の取れかけのボタンを見つけて縫ってくれたり——今日も今日とて夢見心地だ。

 食後、どこへ行くか話し合っていると、彼女が「一朗君と行きたいところリスト」を作っていることを知った。


「俺と行きたいところがこんなにあるんだ」


 彼女の未来には、自分が存在している。その嬉しさで頭がおかしくなりそう。


「一朗君は私みたいに、お出掛け妄想はしないってことですね」


 彼女はにこにこと笑っていたのに、その笑みが次第に消えていく。


「……実感がまだそんなにで、先のことはあまり考えられなくて。直近のことで精一杯だから」


 今、一緒にいることは奇跡なんだ。そう言おうとして言葉が喉につっかかる。

 文化祭から好きになった——そんな感じで言ったけど、実際はもっと前からずっとだった。それを打ち明けるのはまだ早いだろう。勇気が出ないのもある。


「でもバレンタインのことはすぐ言いましたよね?」


 彼女の唇が少し尖った。自分の発言が不正解だったと分かるけど、してなかったことを、今さら「してた」とは言えない。この問いかけの正解はなんだろう。次は間違えたくない。


「それはなんか、つい」


 挽回したくて、必死に脳みそをフル回転させる。


「バレンタインって、男子にはそんなに気になるイベントなんだね」


 俺がなにか言う前に、彼女は楽しそうに笑い出した。ホッと胸を撫で下ろし、「この発言はいいかも」と口を開く。


「彼女に限っては。今から『何かな』ってワクワクしてる」


 十二月の誕生日プレゼントも、バレンタインのお返しも、今から悩んでいる。恥ずかしくて、そこまでは言わなかった。


「来年のことなのに気が早いですね」


 両手を合わせて、口元に寄せて、とても嬉しそうに笑ってくれたのでさらに安堵した。


「ん、まぁ」


「どんなのが好きですか?」


 下から覗き込まれ、心臓が口から飛び出しそうになる。


「……いや、別に。任せます」


 ここ数日、フラれるかもと悩んでいたのに、実際は全く違った。その落差に感情の処理が追いつかず、うまく言葉が出てこない。

 彼女は少し呆れたように体を起こし、俺から離れて座り直した。

 

「そっか。うーん、失敗しないけど簡単過ぎない、美味しいものってなんだろう」


 呆れられたわけではなかった。


「失敗も……かわ……からいいんじゃない?」


「そうだよね。あんまりしたことがないことは、失敗しても仕方ないですよね」


 喜ばれるから「可愛い」となるべく伝えたいのに、はっきり言えなくて、そのせいで気持ちは届かなかった。


「あっ。喋ってるだけで楽しくて、時間が過ぎちゃう。どこへ行きますか? さっきのリストに気になるところはありました?」


「あっ、うん。全部行ってみたいところだった」


 あっと思ったら距離が近くて、秘密の話というように、耳元に顔を近づけられた。


「あのね、お互いしばらく部活でしょう? なるべく手を繋いでいられるところがいいな。なんて」


「……」


 ここ数日、冷めているように見えたのに、この台詞。彼女は俺を一喜一憂させて、殺す気なんだろうか。


「……メモに『行きそびれた』って書いてあったから、上ノ原の動物園にする?」


「いいね。じゃあ、行こうか」


 その前に彼女の帰宅時間を確認。帰りの電車を検索していたら、 気になる相手からLetl. がきた。


(おっ、旭林は退院したのか)

 

 旭林源太郎あさひばやしげんたろうは剣術道場で知り合った友達。渋い下の名前を呼ぶとかなり怒る以外は気のいいやつ。

 中学入学直前に引っ越してしまったので、なかなか会えなかったけど、一昨年、東北から戻ってきた。

 今、トークがきたなら平気だろうと、彼女に断って電話をかけた。「退院おめでとう」は直接言いたい。

 応答があったので、今、平気なのか確認して、大丈夫だと言うので退院祝いの言葉を贈る。


「大丈夫になったらみんなで集まろうぜ。部活の休みが少ないから、また合わせてもらう形になるけど……」


「俺は帰宅部だから合わせるよ。バイトがあるから早めに言ってくれれば」


「OK。俺からかけといて悪いんだけど、これから出掛けるからまた」


「そっか。わざわざ電話で退院おめでとうって、ありがとう」


「じゃあな、旭。また」


 電話を切った時、彼女はとても悲しそうな表情でこちらを見上げていた。退院という単語で、俺の友人のことを心配してくれたのだろう。


「お友達ですか?」


「そう。小学校からの友達。つうすう炎? とかで入院して退院した。もう大丈夫だって」


「チュウスイエンのこと? あれはかなり痛そうだから大丈夫になって良かったですね」


 彼女の祖父は生前、強い腹痛で救急搬送されて、そのチュウスイエンだったそうだ。

 二人で上ノ原へ出発。それからもずっと、天国みたいな時間だった。

 

 帰宅しても幸せデートの余韻はなかなか消えず。

 寝る前に「おやすみなさい」というやり取りをして机に突っ伏す。

 勉強なんてする気はなかったけど、彼女と連絡を取るために、つい椅子に座って姿勢を正していたけど、緊張はもう終わり。

 勉強をサボらない、生活態度を悪くしない——そのための“見張り役”にしている彼女の写真を、ぼんやりと眺める。

 少ししてから『朝日』との写真を取り出した。


(書いたら叶ったから……)


 また会えますように。

 その文字の下に、「ずっと一緒でいられますように」と書き足す。

 誰も見ていないのに照れて、髪をもしゃもしゃと撫で回した。

 


 

 ——相澤家——

 

 琴音は、入浴前なら猫の毛がついてもいいと、おもちを撫で回してひと休みしている。


(朝日ちゃんが、どこからか帰ってきて……再会してた……)


 だからだろうか。今日はなんだかそっけなかった。そうでない時もあったけれど。

 ときどき上の空になっていたのは、きっと『朝日』のことを考えていたに違いない。

 比較されていた——そう思うとイライラが再燃してきたので、おもちのお腹を両手でわしゃわしゃと撫で回す。


(負けない……。私はもう彼女だから強いもん……)


 言葉とは裏腹に、心配と不安に胸が占拠されていく。

 彼女はまだ、『朝日』が誰なのか彼に教えられていない。だから自分が『朝日』だとは知らない。

 なのでこのまま、しばらく気づかず誤解を抱き続けることになる。


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