部活後にお喋り
とても迷ったけれど、直接顔を見ながらお喋りしてみたくて、部活の後、夜の駅前に到着した時に、ありったけの勇気を出して、一朗君にこういうメッセージを送信。
【もしよかったら】
【お話ししたいから交番前のベンチで待ちたいです】
【少し遅い電車で帰るので】
メッセージを送った瞬間、心臓がドキドキと大きな音を立て始めた。
夜の駅前の賑わいの中で、春なのにまだ冷たい風が頬を撫でるのを感じながら返信を待つ。
そうしたら、
一年田中さん【すぐに行きます】
という返事がすぐにきた。
その短いメッセージに安堵し、大きく深呼吸をしてスマホを両手で握りしめた。
5分も経たないうちに、自転車に乗った一朗君が現れた。
自転車のライトが煌めく中、彼はベンチ脇で止まり、慎重に自転車から降りて「こんばんは」と一言。
「こん……んは……。友人と少し喋りたい時は安全なここです……」
小さな声しか出なかったけれど、彼はしっかりと私の方を向いているので聞こえたと思う。
「ここは交番からよく見えるから安心ですね」
彼の言葉で、ますます心臓の音が大きくなった。
「よければどうぞ」
同じベンチの空いているところを手で示す。
「どうも」
一朗君は私と少し距離を置きながら、慎重に着席した。
彼の右側の体、特に腕が触れてもいないのにくすぐったい感じがする。
夜の風が少し冷たく感じ、空気が張り詰めているようで、ますます緊張してくる。
「……」
「……」
会話が終わってしまった!
私が誘ったので、何か話題、話題、話題……。
でも、手にじっとりと汗をかき、喉が渇いて声がうまく出せない。
お互いに沈黙が続き、交番のライトが静かに瞬いているだけ。
一朗君は難しい顔で交番をジッと見据えている。
「……俺、カッパが無理なくらいの雨の日は電車で……。あの、前に一回だけ聖廉生を痴漢から助けたんですけど……それですか?」
彼の声はたどたどしく、私と同じように緊張している様子が伝わってくる。
どこか遠くを見つめるような視線が印象的。
私も緊張しているので、彼も同じようだと少し安心したものの、彼の話題が何を意味しているのか分からず悩んだ。
それとは……と考えて、『それが自分に連絡先を聞いた理由ですか?』という意味だと推測。
「……それはとても立派ですが、助けていただいたのは私でも友人でもありません」
「……。あー、はい。自慢したみたいになって、すみません」
彼の横顔には申し訳なさと困惑が交錯している。
話題に出したことが予期せぬ反応を引き起こしてしまったと気にしている様子だ。
「……その子が良かった……ですか?」
もし彼がその子に特別な感情を抱いているなら、それは私にとって辛いこと。
けれども、そうなら仕方がない。
でもきっと違うはずだと前向きに考える。
助けてもらって好きになるのはあるあるだけど、助けた相手を気にかける話しは知らないし、会話の流れからして、一朗君は『なぜ自分?』という疑問の答えが欲しいのだろう。
だから、あの子じゃないから付き合う話しは白紙とは言われないはず。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてみたけど、嫌な感じが胸をモヤモヤさせて、とても悲しくなった。
「いや別に! 顔は覚えていなくて、可哀想だったから違うなら良かったです。今のは単に自慢みたいになってしまったけどそうじゃなくて、違うんで。単に分からなくて……」
もの凄い慌てっぷり。
自慢して良い内容なのに、自慢屋は嫌われると考えているのだろうか。
「……私達って海鳴生さんがいると、あっ、いると見ます……。持ち物で何部だなぁとか……。ほら、二年生から合同行事があるので、なんとなく、つい」
海鳴生が私たち聖廉生を意識しているのは明らか。
その逆も分かりきったことだろうけど説明。
「……田中君のことはゴミを拾ったなとか、そういう感じでたまに視界に……です」
「……ゴミですか」
「転んだ人を助けたなとか……」
「……」
一朗君はますます険しい顔になり、膝に肘を乗せて両手で口元を抑えた。
ずっと交番を見つめ続けているので、一度もこちらを見ていない。
「……その。……俺らもまぁ、見ます。聖廉の子達だーって。その、あの子が可愛いとか……」
可愛い聖廉生なら誰でも良かったんですよね? と問いかけても、『そうです』なんて失礼な事実は言えないので、そんな質問をしたら彼は困るだろう。
だから唇をぎゅっと結んだ。
一朗君は特に好きな人がいなくて、彼から見て可愛い女子なら誰でも良かったので、私を彼女にすることにしたに違いない。
それなら私は『聖廉生』という好印象を盾に励む。
一郎君がこれまで見た『可愛い聖廉生』は誰なのか、『あの子』とはどの子なのか非常に気になる。
「俺たちも聖廉生がいるとまぁ……あっ、いるってつい見るんで……登下校の時間が被っていると顔を覚えていく的な……。相澤さんたちも……まぁ……」
「私のことを知っていました?」
「……うん、まぁ、うん」
これは朗報。
一朗君は相変わらず険しい表情だけど、会話の流れ的に照れのせいな気がしてきた。
「……あの、本当に自分ですか? 誰かと間違えていませんか?」
「……こそこそ盗み聞きして……。お話ししたかったのは海鳴高校剣道部、二年二組の田中一朗君です」
「……。それはやっぱり俺です」
彼の表情が少し和らいだように見えるのは気のせいだろうか。
「そっか、俺で合っているのか……」
やはり彼の横顔から険しさが減っている。
この会話の流れからすると、私が彼女であることが嬉しいということと、そして私は『彼女にしても良いと思った聖廉生』であることがほぼ確定。
今夜から、自分のこの顔のここがイマイチとか、もう少し美人だったらなぁという考えは捨てる。
というより、もう心のゴミ箱へ捨てた。
奥二重のまぶたも、おちょぼ口も、垂れ眉も、『初恋の人が気に入ってくれた自分』として好きになれそう。
「……あの、盗み聞きしてすみません」
「……いや、俺らも聖廉生の会話をちょこちょこ盗み聞きするんで……」
「……」
「……」
また会話が終わってしまった!
もっと何か話したいと思ったけれど、一郎君が突然立ち上がった。
「喋るのはまた今度で。本当無理」
「……」
その『無理』が前向きな意味なのか、後ろ向きな意味なのかが怖くて聞けない。
この流れなら、後ろ向きな無理ではないはずだけど。
「とりあえず改札まで送ります」
それならありがたく立ち上がり、お礼を告げると、一朗君が後退しながらぼそっと何か呟いた。
「なんでしょうか」
「いや、別に。その、帰宅が遅くなるから行きましょう」
彼は交番へ向かい、うつむいて何か仕事をしている警察官に声を掛けて、自転車を少しの間ここに置かせて下さいと頼んだ。
彼が「彼女を改札まで送る」と言った瞬間、ドキッと胸が跳ねた。
うわぁ彼女だって。
先程の『無理』の意味は、おそらく『自分からしたら可愛い聖廉生が彼女だなんて照れくさいし緊張して無理』という意味だろうと前向きに考えて、心の中でスキップを開始。
他の子たちよりも先に、しかも彼女として交流できるので、『可愛い聖廉生』から『可愛い相澤琴音』に進化したい。
誰でも良かったけど、私で良かったと言われるようになりたい。
一朗君と少し離れて無言で歩き、駅の階段を昇り、改札前に着くと、「気をつけて」と困り笑いを向けられた。
目が合って恥ずかしくてうつむく。
ぎこちない戸惑いの笑顔が、いつか彼が友人たちに向けている無邪気な笑顔に変わりますように。
「……また会ってお喋り出来たら……嬉しいです……」
「……木曜。また木曜が来たらあそこで。スクールバスの申請が終わっていたら。木曜の部活後は学校から駅まで一緒に帰る。……そんな感じでどうですか?」
「……ありがとうございます。次の木曜を楽しみにしています」
「……あの、朝は?」
『朝は?』の意味が急には理解できなかったけれど、『朝は一緒に登校しますか?』という意味だと嬉しいので、そういう前提で返事をすることに。
「朝は毎日この駅から徒歩なので……一緒に登校出来たら嬉しいです」
「……それも週に一回……どうかなって」
「お願いしたいです。火曜はどうですか?」
「もしも大丈夫なら月曜が良いです」
「私はいつでも良いので月曜にしましょう」
改札前で立ち話しをしていたので、両校の生徒たちにじろじろ見られていた。
「……俺ら、目立ってますね。あのままあのベンチにいれば良かった。あの、また昨日と同じで! だからまた後で。また通話しましょう」
バイバイというように手を振られたので、会釈と手振りを返して改札を通り、名残惜しくて振り返る。
一朗君がコンビニ前で立ち止まり、こちらを向いて手を振ってくれた。
もう一回手を振り、電車に乗り遅れないようにホームへ。
電車に乗ってスマホを確認すると、
一年田中さん【自転車に乗ります】
一年田中さん【気をつけて】
というメッセージがきた。
この日の夜も一朗君と通話できたので、とてつもなく嬉しかった。
電話での話題は親しい友人たちについてだった。
私は、朝一緒に登校している同じ部活の小百合と真由香、そして同じクラスで一緒に下校する麗華と美由という、同じ部活の友人四人を紹介。
一朗君は、お昼休みに彼のクラスに集まった同じ剣道部の友人たちについて教えてくれた。
部活や勉強、自主練など毎日忙しいけれど、どれもこれも頑張れそうだ。