初めてのやり取り
麗華と美由と三人で電車に乗り、一朗君からのLetIを待っているけど、なかなか来ない。
私と一朗君はいきなり彼氏彼女になったので、彼は今頃、友人たちに私のことを話しているのかもしれない。
彼らはどんな会話をしているだろうか。
電車の座席に腰掛けて、麗華と美由の間に挟まれて、スマホを握りしめてアプリのアイコンを眺めているけど通知無し。
お互いに自己紹介をして、電話で付き合うことになり、ここからどうするのものなのか不明。
私が関係を始めたのだから、頑張るのは自分だと思い、ドキドキしながら『電車に乗りました』『家は両橋駅です』と送ってみることに。
するとすぐに既読になり、
田中一郎【俺は船川駅です】
という返事。
これで私は都民で彼は千葉県民ということ、逆方向へ帰ることが判明。
「……船川から錦町まで自転車って遠いですよね」
画面を見せながら麗華と美由に問いかけたら、麗華が検索してくれて22kmと出てきた。
地図アプリには、自転車だとおおよそ1時間半と表示されている。
【遠いですね。自転車でどのくらいかかりますか?】
また、すぐに既読になった。
私もトーク画面を開いているので、彼から見た私も即既読人間だ。
田中一朗【1時間くらいです】
田中一朗【これから自転車に乗ります】
田中一朗【もし大丈夫なら】
田中一朗【両橋駅から家に着くまでまた通話しませんか?】
田中一朗【その間は歩くので】
この提案は嬉しいけど、彼が歩いたら帰宅が遅くなるし、私が駅に着いたらもう迎えがいる。
このやり取りで一朗君は自転車に乗りながら通話はしない、法律を守る人間という可能性が浮上。
私は真面目なので、彼も同じような性格だと嬉しくなり、ますます好印象を持った。
【帰宅が遅くなるのは悪いです】
田中一朗【こちらからすると駅から家まで心配です】
夜道は心配だなんて優しいと浮かれる。
【朝は徒歩かバスですが帰りは車です】
『ありがとうございます』というスタンプを使用してみた。
すると、『OK』というスタンプが返ってきた。またちびーぬのスタンプだ。
しばらく待ったけど何も反応がないので、きっとこれで会話は終わり。
「琴音さん。通話しなくて良いんですか?」
「帰ったら寝る前に通話しましょうと言わないんですか?」
「い、言います! 言いたいです!」
会話出来たことに感激して、夜道の心配もされて喜んだ結果、誘われた通話のことを忘れていた! と慌てる。
美由に降りる駅ですよと告げられて慌てて降車。まだ電車に乗っている2人に向かって手を振る。
電車を見送ってから深呼吸をして、邪魔にならないような場所で一朗君へこう送信。
【22時に親にスマホを預けます】
【それまでにお時間があれば通話したいです】
しかし、すぐに既読にはならなかった。
迎えに来てくれた祖母の車に乗っても、まだ既読にならない。
一朗君は今頃、一生懸命自転車を漕いでいるのだろう。
「あの、おばあちゃん」
「今日は浮かない顔をしているから、ちょっとお茶でもしていく? お友達と何かあったの?」と祖母が穏やかな声を出した。
「友人と喧嘩などはしていないけど、でもあの、うん。ちょっとお話しはしたい」
母には言いたくないし、父にはもっと。中学生の弟になんて更にしない。
祖母なら良い気がしているし、言っておけば両親から見て私が不審な態度の時に、祖母が密かに間に入って両親の心配を減らしてくれるかもしれない。
家でも話せる内容だと伝えて、そのまま帰宅してもらった。
制服から部屋着に着替えて、夕食とお風呂の前に祖母の部屋へ。
祖母と真面目な話しなのでなんとなく畳に正座。
軽く咳払いをして、今夜彼氏ができたことを伝えた。
「あらぁ。そうなの。琴ちゃんに彼氏だなんて月日はあっという間ねぇ」祖母の目尻のシワが優しい形を作る。
「学校と家の往復ばかりの琴ちゃんに彼氏だなんて海鳴さん? 他の男の子とは中々知り合わなそう」
祖母ならこういう反応をしてくれると思っていたが、その通りだったのでホッとした。
「……はい。海鳴高校二年生、剣道部の田中一朗君です」
両親、特に父に対してもだけど、祖母と真面目な話の時はたまに敬語が出る。
「校門前で告白されたの?」
「……いえ」
なぜ彼を気にするようになったのかと、今夜のことをかいつまんで説明。
祖母は良かったね、可愛いから得をしたわねと笑ってくれた。
「琴音さん。誰かをお慕いして、親しくなりたいという気持ちは当たり前のことです」
祖母の表情と口調が変化して、こう続けた。
上手くいっても、上手くいかなくても、良いことも悪いことも経験で私を成長させるだろう。
しかし、悪い意味での成長や大怪我は必要ない。
だから悪い男の子と交際してはいけないし、未成年だから責任の取れないこともしてはいけない。
祖母は普段は見せない険しめの表情と声色でこう言い切った。
「卒業するまでキスだけにしなさい。断らないといけない状況、断りたくなくなるような状況に身を置いてはいけません」
「……」
いきなりこんな話をされるとは。
私は一朗君とキスをして、その先もってこと⁈ と衝撃を受ける。
確かに、付き合うということはそういうことになる可能性がある。
いくつか読んだ少女漫画の後半でも、全てそういう話が展開していた。
「当たり前の拒否で怒ったりするような男の子は不誠実。絶対に琴音さんを不幸にするので、そういうことがあれば、泣く泣くでも別れなさい」
二人きりになることは構わないが、そういう事が出来ない場所でだけ。
もちろん、どこかに宿泊、旅行は絶対に禁止。
『友人の家に泊まる』ことは今後も許すし信じるけど、スマホのGPSで監視されていることや、友人の両親とのやり取りが密なことをゆめゆめ忘れないように。
今時は高校生でもするのかもしれないけれど、何かあって困るのは自分達。
そういうことは就職したらしなさい、せめて大学生になってから、そう考えてくれる誠実な男の子と交際しなさい。
何かあった時に負担や決断を迫られて、責任を取るのも体を傷つけるのも女性である自分ということをしかと自覚しなさい。
人は行動では嘘をつけないので、言葉でなんと言われても行動で見極めなさい。
祖母の目も声も鋭く、自然と背筋が伸びて、『一朗君の彼女になれたー!』という浮つきはどこかへ消滅。
「親に友人とお出掛けと嘘をついても良いですが、私には本当のことを言うんですよ」
「はい。ご心配ありがとうございます」
「そのうちその一朗君の写真を見せてくださいね」
「……写真が手に入るくらい親しくなれたら嬉しいです」
「琴ちゃんのLetIは共有パソコンで見られるようになっているから、彼のアカウント名を変えておきなさい」
祖母は新しい物好きなので、七十一才だけどネット関係に詳しい。
こちらから見えるアカウント名を変えましょうという、私が思いつかなかったことを、さりげなくアドバイスしてくれた。
男子名のままだと両親の目にとまって、アイコンやトーク内容を見られてしまうかもしれないという意味だろう。
『田中一朗』というアカウント名を編集して、『一年田中さん』に変更。
私は友人たちと同じくスマホのGPS機能で行動を見張られているし、LetIも同様だ。
怪しい点がなく、心配がないから誰も確認しないだけ。
それを相手にきちんと伝えて、自分は家族にとても大切にされていると教えるように、そう祖母は続けた。
想像していたよりも真面目な話をされて驚いたが、大事なことなのでありがたい。
父には絶対にこんな話しをされたくないし、母からもあまり。
海鳴はそういうこともしっかり教える学校だから安心感がある、部活の隙間に沢山デートしなさい、楽しんでねと、祖母は茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべて私をやんわり部屋から追い出した。
お風呂に入り、夕食を済ませて、部屋に戻ってLetIを確認。
一朗君からの通知が3つもある!
一つはただいまのスタンプ。またちびーぬだ。
次は【帰宅したのでいつでも平気です】という文字。
一年田中さん【我が家も22時にはスマホを親に預けます】
一年田中さん【使わないから帰宅後に渡してしまうことが多いです】
一朗君はまだ自宅に着いたばかりかもしれないけど、お互い同じ環境のようなので22時前には通話したい。
通話したという履歴を残せば、都合の良い時に折り返してくれるかもしれないと、ベッドに座り、落ち着かないのでお気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱きしめていざ!
「……もしもし?」
わりとすぐに出てくれた! とスマホを落としそうになった。
「は、はい。もしもし」
「あの。相澤さんも部活をしていますか? あの時間に会ったので」
彼は私を『相澤さん』と呼ぶことにしたようだ。
「私は箏曲部です」
「箏曲部ってなんの部活ですか? 作曲家の部活ですか?」
箏曲なのに作曲家? なんで?
しかし、琴に興味の無い人にとって『箏曲』は耳慣れない単語だ。
「琴の部活です」
「へぇ、琴の部活は琴部って言うと思っていました」
「馴染みがないとそうですよね。箏と琴という似た楽器があるんですけど、箏だと伝わらないことが多いので琴と言っています」
「ほうほう、あっ、これか。箏と琴の違い。へぇ、勉強になりました」
彼は通話しながらスマホで検索をしたみたい。
「俺には妹がいるんですけど、リンっていう妹が、去年琴に興味を持ったんですよ」
一朗君の妹はMe Tubeで演奏動画を観るようになり、琴の音channelというチャンネルを登録。
家事をよく手伝ってくれるリンは、その動画チャンネルにアップロードされた曲をリビングでちょこちょこ流しているという。
『自分ではじめる楽しいお琴』という動画シリーズがあるからそれを見て練習したい。
その前にバイトをしてお金を貯めて高くない琴を買う。
一朗君の妹はそう言っているそうだ。
好きになった人が、自分の世界に少し接していたなんてそんな偶然ある? と驚愕。
琴の音channelは新しい物好きの祖母とネットで遊びたい弟のアカウントで、出演者は顔を隠した私だ。
友人知人には秘密なので一朗君にも教えないけど、まさか彼の妹が視聴者の一人とは。
「俺ばっかり話してしまいました。そうか。うん。相澤さんは箏曲部。俺はその、知っての通り剣道部です」
「その、帰る時間が同じようで、たまに見かけていました。カバンに海鳴剣道と書いてあるので……」
毎日探すようになっていたなんて恥ずかしくて言えず。
「……うん。俺もまぁ、見たことがある気がしました。それでその。箏曲部には朝練もありますか?」
「あります」
一朗君は……と言いかけて、いきなり名前呼びは馴れ馴れしいから、最初は田中君の方が良いかもしれないと迷う。
「俺達は7時半からで、でも張り切ってついつい7時には学校に着くんですけど、まだ校門も部室も開かないから、暇つぶしに学校周りを走ってから朝練に参加しています」
聖廉生が7時半少し前くらいに登校しているのを見るから、強豪のお琴の部活の朝練もそのくらいですか? と質問された。
「同じです。学校に7時25分ごろ着ける電車があるのでそれで行っています」
それなら朝、その時間におはようと送ったら返事がありますねという台詞が返ってきた。
「校門のところで、友達とおはようございますって言うかもしれません。お前だけズルい、せめて挨拶くらいしたいとか、わけの分からない文句を言われて頼まれて」
「皆さん、聖廉生と話してみたいということですか?」
「今年の合同行事で気持ち悪すぎないようにしないとって言っています。明日から校門前で挨拶をしたいとか、おはようって送るつもりって、今の俺も気持ち悪いかもしれないけど大丈夫ですか?」
眺めていた時と同じく、彼はお喋りだ。
「いえ。気持ち悪くなくて嬉しいので、朝のご挨拶をしたいです」
「……」
急に無言になったので、変なことを言ってしまったのかと不安になった。
「そ、そのうち、朝か帰りに待ち合わせて駅まで歩けたら……嬉しいです。ちょっといっぱいいっぱいなのでまた。また明日!」
お休みなさいという台詞と同時に通話終了。お休みなさいと言いそびれてしまった。
やはり一朗君からすると、私は『いきなり連絡先を聞いてきた変な女子』ではなく、『可愛い聖廉生』で、彼女に出来て嬉しいみたい。
そのうちと言わずに明日から待ち合わせて一緒に登下校をしたいけど、今日が交際初日なので誘う勇気が出ない。
それに、両校の生徒に見られてしまう。
恋を知る前は憧れで羨ましくて、一朗君への気持ちを自覚してからは『ああなりたい』と羨望の眼差しを向けていた人達のように、観察されてしまう!
「……」
一緒に歩きながら直接お喋りをしたいので、こう送ることにした。
一番話し易い祖母に説明して、帰りのスクールバスに乗らないと学校に申請します。
その申請が終われば、部活後にスクールバスに乗らなくて済むので、たまには一緒に駅まで帰りたいです。
明日申請書を貰って、明後日提出するので、おそらく来週から変更がかかります。
今日会ったように、似た時刻に帰宅だと思うのでご検討下さい。
長文を一気には読みづらいので、少しずつ送ったのだが、全てすぐに既読になった。
返事は『よろしくお願いしますという』というちびーぬのスタンプと『お休みなさい』という、同じくちびーぬのスタンプ。
それなら私もスタンプだけにする。
お休みなさい、一朗君。