優勝のお祝い1
日曜の朝から一朗君に会えるのはスカイタワーデート以来だ。
待ち合わせ場所には一朗君が先に到着していて、改札を抜けた私を見つけると、笑顔で小さく手を振ってくれた。
目の前に立ったら挨拶をされたので、「おはようございます」という台詞の後に「優勝おめでとうございます」と続ける。
カバンに入れてきた優勝祝いは、部活後に渡す予定だ。
「ありがとうございます。昨日は焦りました」
苦笑いされたので、「すみません」と謝ったら首を横に振られた。
「いつか家族に挨拶をする時は必ずくるから、何も悪くないです」
一朗君の言葉に胸が温かくなった。彼がそんな風に考えてくれていたことに自然と笑みがこぼれる。
「りっ君が変な冗談を言ってすみません」
「いえ、全然」
一朗君が歩き出すのに合わせて、私も並んで歩き始めた。
「律君は確か……海鳴中のコンピューター部でしたよね?」
「ええ」
「仲良しそうでしたね」
「そうですか?」
「箏曲部だけに?」
スカイタワーの時に「確かに」と言ったら、「カニだけに?」と両手をチョキにしながら笑いかけられたことを思い出す。
昨日の律と同じようなことを言われたけど、そんなに面白くなかったのに、好きな人というだけでかなり愉快。
「……ふふっ。全然面白くないですよ」
もっと親しくなりたいので、律に言うみたいな返答をしてみた。
「いや、面白いから」とか「笑っているのに」というように何か突っ込んでくれるかな。
一朗君は少し驚いたような表情をしてから笑みを深めた。
「面白くないって言いながら笑ってるけど」
会話の予想は的中したけど、想定外なことに軽く体当たりされて肘で腕をつつかれた。
照れで固まったら、一朗君も足を止めて私を見つめた。
顔が熱いので、私は今、絶対に真っ赤だと思う。
「ちょっとふざけ過ぎたというか……早過ぎました」
一朗君がうつむき加減に言うと、私は小刻みに首を振った。
「……構いたくてつい」
もの凄く小さな声でそんなことを言われた。
「……照れただけなので、またお願いします」
驚いて照れたけど嬉しかったと伝われ。
そう願いながら、勇気を出して一朗君のブレザーの端をつまんで、ほんの少し引っ張ってみた。
「ん。じゃあまたそのうち……」
楽しくお喋りしながら登校のはずが、変な空気の中、二人で黙々と歩くことになってしまった。
気がついたら海鳴の校門前で、一朗君は昨日言っていた妹手製のマカロンが入った袋をくれた。
袋はいかにも女子が選びそうな可愛らしいもので、マカロンは白、ピンク、薄い青の三色と、とても綺麗。売り物みたいだ。
「手作りに抵抗が無いって知れて良かったです」
「苦手な人もいるって言いますよね。私の周りには特にいないです」
「俺は身内以外は苦手です。手作りチョコとか無理」
「……そうですか」
これは遠回しに、「バレンタインの時に手作りはやめてくれ」という意味だろうか。
そんなに先まで一緒にいると考えてくれていると知れたことは嬉しいけど、この拒否はなんだか寂しい。
「幼馴染がすごくモテるんですけど、そいつが小学一年の時にもらった手作りチョコが強烈だったんで」
「……どんな風にですか?」
「毛だらけのチョコ。猫がうろうろする家で、親もズボラだったっぽいです」
「それは嫌ですし印象に残りますね」
猫の毛チョコを作った女子がいたせいで、彼氏ができたらバレンタインに手作りチョコという憧れが叶わないなんて。
この憧れは美由に借りた少女漫画の影響なので、現実の男子は嬉しくないかもしれない、近くなったら本人に聞こうと考えていたけど、まさかこんなに早く知ることになるとは思いもしなかった。
「琴音ちゃんは色々きちんとしているし、彼女は身内だからよろしく。既製品はあんまり。今から練習するならいつでも試食します」
「それって」と質問する前に一朗君は軽く手をあげて、「じゃあまた」と走り去った。
今から「手作りチョコは嫌」という牽制や拒否ではなくて、おねだりだとは。
私はあまり料理はしないし、お菓子なんて調理実習で作ったことしかないけど、こんな風におねだりされたら作りたい。
明日の昼休みに、さっそくみんなに相談しよう。
☆★
本日、私の午前中の練習は主にパート練習だった。
予定通りに終わったので、急いで荷物を持って体育館へ移動。
事前に一朗君に聞いた話だと、両校のバレー部のお昼休憩時間は早く、海鳴バレー部はもう聖廉にいる。
彼はこの時間からバレー部の練習に参加するので、体育館の二階でお昼を食べると見学が可能だ。
第一体育館の二階は観客席になっていて、掃除をきちんとすれば飲食できる。
そういうわけで、昼食中に一朗君を盗み見だ。
見学者の中に海鳴生がちらほらいて、女子たちと一緒にいる。
受験室を使用して一緒に勉強をして、昼食がてら気晴らしの見学ということだろうか。
2階の最前列を歩いて一朗君の姿を探したら、バレー部のユニフォーム姿だった。
彼の隣には男子が一人いて、二人の近くにはボールが沢山入っているカゴが置かれている。
コートの反対側には、女子たちが試合のような位置取りをしていた。
一朗君が隣の男子からボールを受け取り、手の間でボールをくるくる回してから後ろに下がり、助走をつけてジャンプをして腕を振り下ろした。
すると、ボールがもの凄い勢いで飛んでいった。
「うわぁ、格好良い」と声が出そうになる。
(……格好良いけど、剣道部だよね?)
バレー部に練習相手になって欲しいと頼まれた時点で、それなりの実力があると推測可能だけど、実際にこの目で見たら驚いてしまった。
昨日、剣道の大会で優勝したことといい、彼は運動神経が良いようだ。
びっくりしていたら、一朗君がまた同じ動作をしてジャンプをした。
あの鋭いサーブが飛んでいくと思ったけど、今度は緩めのサーブだった。
女子側に飛んだボールは、ゆらゆらと揺れて床に落下。
さっきの鋭くて速いサーブもレシーブしにくそうだったけど、同じような動きで今のゆらゆらサーブがきたからか誰も動けなかった。
(なんだっけ……無回転!)
スカイタワーデートの時にバレー動画を一緒に観て、解説してもらったことを思い出す。
「今のはほぼ妹に近いサーブです!」
「次! お願いします!」と白瀬さんが叫んだ。それに続いて他の女子たちも声を出す。
「こっちも同じく!」
一朗君の声がして、わりとすぐに鋭いサーブが飛んでいった。しかも、最初に私が見たサーブよりも速くて鋭い。
昨日、彼は剣道の大会で優勝したけど、道着姿も練習姿も試合姿も見たことはないから、バレー部員な気がしてくる。
先月、白瀬さんが一朗君をバレー部だと思っていたという発言をしたけど、これを見たら納得だ。
「相澤さん」
突然話しかけられて、しかも男子の声だったので驚いたら藤野君だった。
「あっ、こんにちは」
「みんなで一朗を観に来たんだけど、相澤さんはご飯を食べないのかなって」
あっちというように手で示されて、その方向を見たら同期たちがいて、愉快そうに笑っていた。
そういえば、一朗君に家庭教師役を頼まれた藤野君がこの時間にどうするのか知らなかった。
彼も一朗君のバレーを見学することになっていたようだ。
「……。みんなも来たんですね」
みんな、私をからかいにきた気がしてならない。
「高松が、相澤さんを誘う前に突風のようにいなくなったって笑っていましたよ」
藤野君はふわっと柔らかく微笑んだ。
台詞としてはからかいのようだけど、笑い方から単なる報告のようにも感じる。
「一朗の剣道部の優勝祝いのことで相澤さんに話があるから、高松に頼んでここに来ました」
「どんな話ですか?」
「まず一つ目」
ちょいちょいと手招きをされて、スマホを差し出されたので画面を覗き込む。
藤野君のスマホには、道着姿の一朗君が屈託のない笑顔でピースしている写真が表示されていた。
「昨日の帰りに優勝祝いって何枚か撮影したんですけど要りますか?」
「か、か、神様!」と興奮して、つい、藤野君のスマホに両手を伸ばしていた。
すると藤野君は、「どうぞ」と私にスマホを渡してくれた。
「俺らから一朗への優勝祝いはこれでいいんじゃないかなって」
「……なぜ私が一朗君の写真を見られることが、彼への優勝祝いになるんですか?」
「好きな子がさ、自分の写真を見たい、欲しいって嬉しいと思いますよ。恥ずかしいだろうけど」
穏やかで丁寧な話し方だけど、ちょっと気さくな感じ。
柔らかな笑みで微笑みながら、藤野君はさらに、「一朗はそういうタイプです」と続けた。
「そうなんですね。それならありがたくいただきます」
「じゃあ、送信」と、藤野君は彼の写真を私のLetlへ送ってくれた。
「別の話もあって……」
藤野君は片手で口元を隠して、手すりに寄りかかって体育館全体を眺めるような姿勢になった。
照れくさそうだけど、困っているような表情にも見える。
「……昔の記憶だと、来月高松の誕生日があるはずなんだけど、何日ですか?」
小百合は昔から藤野君が好きだけど、小学校の時にフラれた。
でも今、目の前にいる藤野君の態度やこの様子だと、もしやと勘繰ってしまう。
なにせ藤野君はとても照れくさそうに見える。
「……お祝いしたいってことですか?」
「ん、まぁ。しばらく疎遠だったけど、昔、色々お世話になったので」
「6月の4日ですよ」
「あっ、ムシの日。そうだ。ムシの日だからってバカな奴が高松にバッタやミミズを投げたことがあって」
私は虫が平気だけど、普通の女子はかなり嫌がりそう。
私が通った小学校ではそんなことはなかった。少なくとも、私の視界の届く範囲では。
「それ。小百合さん、泣きませんでした?」
「投げ返して友達が泣いたから謝れって。高松は今とは違って、服も男の子っぽかったです」
小百合が男子っぽかったから、藤野君は彼女が勇気を出したお願いを受け入れなかったのだろうか。
「あの。私も一つだけ質問があります」
「一朗のことならわりとなんでも。話されて困ることなんてなさそうなので」
ニコリと穏やかな笑顔を向けられて、この立ち位置を小百合と交換してあげたいと思った。
「彼のことは本人に聞きます。あの、藤野君はその、なんで天宮さんと少し話というか、Letlくらいもしなかったんですか?」
明るい表情だった藤野君が顔を曇らせて、黙って私を見つめる。
彼は苦笑して、「なぜそんなことを聞くんですか?」と力のない声を出した。
「……天宮さんは他人だけど、同じことをされていたら辛かったなと。彼女はいないのに、話したこともないのに、少しも交流できないなんて」
こう言ってから、これではまるで責めているようだと反省した。
なにせ、藤野君の顔色はどんどん悪くなり、苦虫を噛み潰したような笑顔すら消え、悲しそうな表情になってしまったからだ。
「あの、すみません。一朗君とそんなことはなかったのに、妄想で落ち込んでしまって」
「俺も逆なら辛いけど、仕方ないですよね? 嫌なものは嫌だから」
助けてくれてありがとうとお礼を言った、言われたくらいの交流しかないはずなのに、『嫌』なんだと驚く。
一朗君からは、藤野君は「興味が無い」としか言わないと聞いている。
だから私は今、「興味が湧かなくて」と言われるだろうと考え、それに対して「理由はなんですか?」と尋ねる予定だった。
自分は最初のことを聞いただろうか。いや、そんな風には言っていない。
「この間の追撃の時じゃなくて、その前、最初にお礼を言われた時のことなんですけど……。その時も嫌だったんですか?」
「あの時はちょっと虫のいどころが悪くて、Letlしなかったのは八つ当たりみたいなものです。タイミングが違っていたら、少しくらいやり取りしたかもしれません」
天宮さんは「自分の何がいけないのか知りたくてならない」という様子だったけど、彼女自体がどうこうではないようだ。
縁が無かったとはこういうことを言うのだろう。
これを聞いた天宮さんが納得するか不明だし、私は彼女の友人ではないから放っておこう。
向こうから絡んできて、またあれこれ言ってきて我慢できなかったら、このことを伝えるかもしれない。
「だから相澤さんの時とは違うというか、もう二人の最初は終わっているし、そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫ですよ」
気遣いの言葉と優しい笑みに対して、私は静かに首を縦に振った。
「そうなのに、嫌なことを聞いてすみません」
「代わりに彼女に物を返してくれた時に、何か言われたってことですよね。女子と男子よりも、女子同士の方がマシだろうって言われてつい頼ったけど、間に立たせてごめん。ありがとう」
心の底からごめんというような表情なので、私はゆっくりと首を横に振った。
「藤野君は一朗君の友達なので、また頼って下さい。確かになぜって聞かれたけど、分からない、知らないという返事をしました。今の質問は単に私の興味です」
「もしもまた言われたら、板挟みにして申し訳ないけど、俺から言うって伝えて下さい。自分の悪口を聞きたいなんて不思議です。俺は理由なんて聞きたくないけどな」
「悪口……になってしまいますね。せっかくお礼をしてくれた人に、悪口なんて言いたくないです」
天宮さんが私に会いにきて、「聞いてくれました?」と言ったら、拒否の理由は悪口みたいになるから言いたくないと言っていた、だから誰も知ることはできないと伝えよう。
「Letlしたら期待を持たせる、察してくれって無視したせいで巻き込んですみません」
謝らないでと言う前に藤野君が「お詫びに何かするから、何かあればどうぞ。一朗のこととか」と微笑んだ。
「……それならあの、もしも一朗君が私のことを褒めてくれた時があったら、こっそり教えて下さい」
「毎日何か言っているから、一日一つ、一週間送ろうか。相澤さんと二人でやり取りはしたくないし、相澤さんも嫌だろうから高松も入れておく」
「それは恥ずかしいので今のは無しで。違うことにします。今の、毎日何か言っているという情報で十分です」
藤野君は面白がっているような顔をしているけど、友人たちや早坂君のようにからかい発言はせずに、静かに微笑んでいるだけでホッとした。
この話の後、私たちは小百合たちのところへ合流して、主に一朗君がバレー部みたいだという話で盛り上がった。
私はその間、藤野君が小百合の隣の席を選んだことや、彼女が発言すると感想を言ったり、視線が基本的に彼女に向けられていることに気がついて、ずっとむずむずしていた。
もしかしたら、二人は両想いかもしれないと。
性格はあれこれ違うように感じるけど、他人を気遣えるところは似ているからお似合いだと思う。




